アンダーサイカ -旧南岸線斎珂駅地下街-

唄うたい

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第9章 呪【のろい】

9-1

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 警鐘の音に重なって、どこからともなくドォン、ドォンという銅鑼の音が聴こえてきた。
 何が始まるんだろう。得体の知れないものがすぐそこまで迫っているよう。

 私を体の後ろに隠しながら、ヨシヤはなぜか天井を見上げた。
 その意味をいち早く察したのはキョウくんだった。

「警備隊、全員後ろへ退け!!
 “お客様”のお越しだっ!!」

 キョウくんの命令に素早く反応した警備隊は足並みそろえ、しかし流れるような動きでお店の出口付近まで退いた。

「ユタカ!薬屋!お前達も……っ、」

 私たちも誘導しようと顔を向けるキョウくん。
 しかし言葉を最後まで言い切らないうちに、

「来た………っ!!」

 ヨシヤの息を呑む音で、その場にいた全員の視線が天井へ注がれた。
 薄明かりのせいで真っ黒な色をした天井。
 …それでも分かる。天井から、もっと黒く暗い影みたいなものが滲み出てきたんだ。

「!!!」

 ぎょろりと覗く紫色の目玉。
 それは私が今まで見てきたどれよりも恐ろしい姿をした…お客様オバケ

【グルルル…ッ!!】

 オバケはベシャッと音を立ててヨシヤと稔兄ちゃんの間の、何も無い位置に落ちた。
 体中に無数の鋭いトゲを持ち、四つん這いで鼻を床にくっつける。においを嗅ぐような仕草。
 ヤマアラシとイグアナを混ぜ合わせたみたいな、とにかくすごく不気味な姿をしていた…。

 オバケは首をゆっくりもたげ、稔兄ちゃんを睨んだ。

【…グルルッ……人鬼ガ。
 我等ノ目ヲ盗ミ、賽ノ河原ヲ狩場ニ使ウトハ、フザケタ真似ヲ…。】

 オバケの狙いは稔兄ちゃんただ一人だった。
 剥き出した牙の隙間からよだれが溢れ、ぼたぼたと床に落ちて水溜まりをつくる。

 それでも稔兄ちゃんはオバケの目玉から視線を逸らさなかった。
 逆なんだ。逸らすことが許されないみたいに、食い入るように見つめている。

「…なぜっ……、なぜ、いけない…!?
 ボクはただ、自由になりたかっただけだ…!
 人鬼になって、お前たちのような自由の身になって…っ、この糞みたいな牢獄から出たいだけだったんだッ!!」

【言イオルワ、何モ理解セヌ餓鬼ガ…。
 貴様ハ他ノ商売人達ト同等ノ、…アルイハ、ソレ以上ノ罪ヲ犯シタ。
 ココハ罪ヲ償ウ場所。救イヲ求メル事ハ、筋違イダ。】

 稔兄ちゃんの犯した罪…。
 それはまず、両親よりも先に死んだこと。そして生前、友達を自殺に追い込んだこと…。
 どちらも…永久幽閉に値する許しがたい重罪なんだろう。この世界のルールでは…。

 対立する稔兄ちゃんとオバケ。
 お客様と人鬼という圧倒的な迫力に、私たちでは仲裁は不可能かに思えたけれど、

「…お客様。とんだ醜態を晒し…申し訳ありません。
 元見世物屋の人鬼は、我ら警備隊が責任をもって監禁・監視いたします…。」

 勇敢にも警備隊の筆頭キョウくんが、オバケに話し掛けた。
 …ただ、声に少し、ビクビクと怯えの色が滲んでいる。

 オバケは首をぐりんと回し、キョウくんを見据える。
 反射的に、ビクッと姿勢を正すキョウくん。

【………イイヤ、許サヌ。
 コノ人鬼ハ、我等ガ連行スルノダ。地ノ底ノ、本当ノ監獄ニ。

 ……“地獄”ニナ。】


「え………っ?」

 ―――地、獄……?

 その単語を聞いた時、そこにいる誰もが顔を青くした。
 地獄の入り口であるアンダーサイカでの苦行を強いられてきた彼らには、地獄の苦しみがどれほど苦しいものなのか……どれより酷いものなのかが想像できてしまうんだ。

 恐怖を拭い去るように叫んだのは稔兄ちゃんだった。

「…ふざ、けるな…っ!ボクは…ボクは行かないッ!!
 お前たちの巣窟になんて…ッ、お前たちの言いなりになってたまるかよ!!!」

 ボッと爆発音がして、稔兄ちゃんの黒い腕が丸太のように一瞬で肥大した。
 五本の爪は包丁よりも鋭利に研ぎ澄まされ、格段に筋力を増した腕を使って、稔兄ちゃんはオバケに襲いかかる。

【……―――。】

 オバケが稔兄ちゃんのほうを振り返る。
 肉塊の武器を振りかぶった稔兄ちゃんの姿。
 ……でも、オバケに焦りの色は無かった。

【…餓鬼ガ。】

 稔兄ちゃんが腕を振り下ろすより速く正確に、オバケは体から生えた針の一本を伸ばし、

「…ガぁッ…!!」

 稔兄ちゃんのお腹を貫いた。

「――っっ!!!」

 私は声にならない悲鳴を上げた。

 太い針に串刺しにされ、そのまま宙に浮く稔兄ちゃん。
 お腹からは血の代わりに黒い液体が流れ出し、
 真っ黒な半身の目からも、人の目からも、痛みと悔しさと悲しみで真っ赤な涙が流れている。
 そんな痛々しい稔兄ちゃんの姿を見せつけられて、私は…

「…やっ、やだ、やめて!
 稔兄ちゃんを離してっ!!」

「…あッ、豊花ちゃん!!」

 ヨシヤの止める声も聞かず、オバケの傍へ駆け寄った。

「豊花ちゃんいけません!!戻ってくださいッ!!」

 駆け出した時だ。

 ――どぷん、と、

「ッ!?」

 ぬかるみに足をとられた感覚があった。
 変だ。ここに水辺はないのに。
 そう思い、私は視線を足元に落とす。

「…なにっ、これ…!?」

 私の片足が“床に沈んで”いた。
 よく見れば、オバケの足元の床がじわじわと変色していく。黒く、黒く。
 オバケが体にもともと纏っていた液体。その不可解な黒が独りでに広がり、辺りを泥や油に似たぬかるみに変化させていた。

「…っ…!」

 私はすぐに抜け出そうと試みたけど、足は簡単には抜けない。
 戸惑い、顔を上げた時、私は、こっちを振り返っていたオバケの真っ赤な目玉を見た。

【オマエモ ツレテ イク…。】

 抑揚の無い声。一瞬、何て言ってるのか分からないほどに。
 けれどオバケが、太い前足をこっちに伸ばしてきたことで意味を知る。
 私は反射的に身構えた。

 ―――ッ!

 …でも、変なんだ。

 オバケの3メートル以上伸びた手が掴んだのは、私ではなく、

「………え――?」


 私の後ろにいた、ヨシヤだった。


 ――ザリザリザリッ

 体を床に派手に擦りつけながら、手に捕らえられたヨシヤはオバケの傍へ引き寄せられる。
 私のすぐ横を通った時、

「………っ…ヨ、…!」

 ヨシヤの、諦めの表情を見た。


「…ごめんなさい、豊花ちゃん…。」


「……なん…っ、」

 ―――なんで、謝るの…!

【コノ男ハ、罪ヲ 償イ切レナカッタ。破産はさんシタノダ。
 …ヨッテ、地獄ヘ落トス。
 コノ 人鬼共々――。】

「…!!!」

 破産、の単語を聞いた瞬間、私はオバケが言わんとしていることを察して絶句した…。

 ―――そうだ。

 そうだ。なんで気づかなかったんだ。
 ヨシヤは“自分の店の外に出ている”んだ。

 この世界の理不尽なルールでは、自分のお店から一歩出ただけでもかなりの額の罰金が発生する。
 ましてや、ここは…地下80階。

「……よ、ヨシヤ…、いや…ッ!!」

 “破産したのだ。”
 オバケの言葉はそれを意味していたんだ。


「…ふふ、バラされちゃいました…。
 お客様は意地悪ですね。黙っていたほうがカッコ良かったのに…。
 不思議なことに今回だけは警鐘が鳴らなかったので、良い機会チャンスだと思ったのに…。」

「あっ………。」

 ヨシヤの体にオバケの爪が食い込む。
 生き物じゃないことを示すように、傷口からは稔兄ちゃんやオバケたちと同じ…黒い血が流れ出た。

「…ひょっとしてアンダーサイカが、僕の最後の願いを聞き届けてくれたのかもしれませんね……。」


『まるでアンダーサイカに意思があるように…』

 ヨシヤは痛みを感じていないのか、感じた上でそんな顔ができるのか…、穏やかな笑顔を、私に向けた。
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