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episode14【Blissful time】

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 マドックは逮捕された。
 彼が警察官になってから10年近い知り合いの誰もが、彼の20年間の復讐心など少しも知らずに、今日まで一緒に仕事をしてきた。それだけに、警察の間でもこの事件は印象深く、心に根強く残った。
 この事件は後に、狂犬マッドドッグに端を発する事件として、“野犬ストレイドッグ事件”と名付けられる。

 トレイシー警部に保護されたアネリは、彼の口からマドックの境遇をすべて聞かされる。

「そう…」
「……お嬢さんにはなんて言ったらいいのか、オレには見当もつかねぇ…。マドック……いや、ウィリスがしでかした不始末は、上司であるオレが何としてでも責任をとってみせるから…」

 とは言え、トレイシー警部の顔色は暗い。今まで見たことがないくらいに。警察内部のしかも部下の中に殺人犯がいるとなると、トレイシー警部の責任は決して軽くないはずだ。
 …だがそれは、警察という機関が責任をトレイシーただ一人になすりつけてるようにも見える。アネリはそれが釈然としなかった。マドックの話を聞いたあとならなおさら。
 だから、アネリは思い立つ。

「パーシバル、本邸の直通電話と繋いでくれる? パパと話がしたいの」
「お安いご用です、お嬢様」

 するとパーシバルは、部屋に備え付けてある簡単な電話の受話器を取り、親機のボタンを押しはじめた。
 それは電話番号よりもずっと長い番号。

「お付きは何してるんだ?」

 トレイシー警部が疑問に思って、近くに立っていたバネッサに訊ねると、

「!」

 バネッサは一瞬驚いたような顔をした。
 けれどすぐに無表情に戻る。

「お嬢様にもっとも信頼されているパーシバルには、暗号化された本邸の電話番号をリアルタイムで受信する機能があるのです。なので直通電話を使わなくとも、普通の電話機での通話が可能ですわ」
「じ…、受信…? へぇ、難しそうだな…」

「繋がりましたよ」

 パーシバルがアネリへ受話器を手渡す。
 受話器を耳に当てると、数回のコールのあとに、

《こちらはウォーロック本邸でございます。お名前をどうぞ》

 屋敷の使用人の淡々とした声が聞こえた。
 アネリが優秀と称した使用人。だが、彼女はその“優秀”すら毛嫌いしているらしく、

「あたし。アネリ。早くパパに繋いで」

 素っ気なく命じた。
 すると電話口の使用人は、

《これはご機嫌麗しゅうございます、アネリお嬢様。数日前のアントニオ・デボン逮捕の件は耳にしております。旦那様も大変喜ばれ……》

 抑揚の無い声のまま、アネリの活躍を褒め始めた。

「その話はいいのよ。いいからさっさとパパと話させて」

 またも無愛想な言葉を返すが、どうやら照れ隠しだ。現に、ルロイが喜んでいると知ったアネリは顔を赤く染めている。

《かしこまりましてございます。少々お待ちくださいませ》

 通話は一旦保留に変わり、オルゴールの優しげなメロディが流れる。
 それはルロイに電話が繋がる前に必ず流される曲だ。

「…………」

 次第に緊張が増し、鼓動も速くなっていく。
 そんなアネリの背中を、

「いよいよでございますね、お嬢様」

 パーシバルが優しく撫でた。

 ガチャッ

 電話の向こうで、受話器を上げる音がする。
 そして、

《やあ、アネリ。2ヶ月ぶりだね。ずっと声を聞きたかったんだ。元気にしているかい?》

 ルロイの声が聞こえた。

「…っ、パパ…! うん、元気よ! とっても!」

 その瞬間、アネリは大輪の花が咲いたような可憐な笑顔を見せた。傍らのパーシバルが、その眩しさに思わずよろめく。

《そうか、良かった。悪いがまだ仕事が立て込んでいる。5分で話を済ませてほしいんだ。できるかい?》
「ええ! 余計な時間は取らせないからね!」

 アネリはひとまず深呼吸をし、気持ちを落ち着ける。
 後ろに立つトレイシー警部に目を向け、頭の中で用件を整理してから、

「パパ、あたしこの6日で殺人犯をふたり捕まえたわ。ひとりはアントニオ・デボン。もうひとりはマドックっていう刑事よ」
《ああ、聞いたよ。よくやったね》

 嬉しさで言葉が続かなくなりそうだ。
 けれどなんとか理性を保つ。

「…でもね、そのマドック刑事の代わりに、上司のトレイシー警部が責任を取らされるの。きっと軽くないはずよ」
《トレイシーが?》

 アネリを護ってくれるとあって、ルロイとトレイシー警部は互いをよく知る仲だ。言わば友人関係にある。

「パパ、犯人を捕まえればあたしにご褒美をくれるのよね?」
《ああ、そうだよ》

 本当は、ご褒美としてアネリは、ルロイと過ごす“時間”が欲しかった。
 だが、今はそれよりも、

「トレイシー警部を助けてほしいの」

「お嬢さん…!?」

 トレイシー警部は思わず声を上げた。
 そしてすぐにアネリの心遣いを読み取ると、

「よ、余計な助けはいらねぇ! これは上司として、部下の不始末をつけるために…っ」

「………“信頼できる友人であり、可愛い娘を護ってくれる君を、みすみす警察の人柱にはさせたくない。リトル・レッド社の総力を上げて、君を守ってみせる”……」

 受話器に耳を当てたまま、アネリがつぶやく。それは、

「パパがそう言ってるわ。トレイシー警部」

 友人だからこそ、純粋に助けたいのだという気持ちを受け取ってくれ。
 ルロイの気持ちが、アネリの口を通して伝えられると、

「…………っ…!」

 トレイシー警部は、もう何も言えなくなってしまった。
 ただ、胸に熱い想いが沸き上がるのを止められなかった…。

《さて。アネリ、お前へのご褒美は何がいいかな?》
「え……?」

 耳を疑う。だって、ご褒美は今貰ったばかりだ。
 ルロイがふたつ以上のご褒美を認めるなんて今までになかったこと。

《久々にパパと遊んでもいいよ。近い日だと来週の2、3日くらいじゃないと無理だが。取引先と会う先約があるけど、アネリのためならそんな交渉は取りやめたっていい。平気だ。リトル・レッドの資産を考えたら小さな取引だ》

 受話器を握りしめたまま、アネリは葛藤する。
 ルロイと一緒にいられる…。今まで過ごした中で一番新しい記憶は、2年前の初めのたった1時間だけ。
 それを考えたら2日間なんて充分すぎる期間だ。

「……パパ。嬉しい……」

 しかし、

「…でも、他のお願いするわ。パーシバルがひどい怪我をしてるの。彼を治して」

 電話口のルロイと、隣に立つパーシバルが息を呑んだのは同時。
 アネリは、パーシバルの風穴の開いた顔を横目で見ながら、

「オドワイヤーが亡くなって、パーシバルを治せる人がいなくなっちゃったのよ。パパにしか頼めないの。お願い……」

 切なげな声で懇願するアネリ。
 ルロイは声のトーンを落として、諭すようにこう言った。

《アネリ。分かっているのかい? パーシバルは人間に見えるが、根本は“兵器”なんだ。兵器は使い込めばいずれ廃棄される。彼よりも有能な後継機はいくらでもあると思わないか?》

 ルロイの無情な問いに、アネリは喉を詰まらせる。
 傍らのパーシバルには恐らく聞こえていない。それがせめてもの救いだと思った。

《よく考えて答えておくれ。アネリにとって、“マイティガード”とは何なんだ? 身を守る盾? 敵を滅する武器?》

 いつも父の言うことは正しかった。
 忙しく触れ合いの時間が無い中でも、アネリへの愛を欠かさなかった。
 そんなルロイの問いに、何と答えることが正解なのか。娘の身を守るため、研究を重ね旧作より無敵となった後継機を買い与えること?

 ーーそんなの、分かりきってるわ。

「パパ。……“パーシバル”は、あたしの大切な護衛ガードなの。他の誰もいらない。彼じゃなきゃダメなのよ」

 アネリは臆することも躊躇うこともなく、ハッキリとそう答えた。
 パーシバルは驚きに目を見開いて、アネリの凛々しい横顔に視線を注ぐ。

「お嬢様………」

 彼の芽生えたばかりの心に、強く強く熱を持つ感情が生まれたことは、彼自身しか知らない。

 アネリの答えを聞いたルロイは、安堵したように「そうかい」と答えた。

《そう言うと思った。それでこそ僕の娘だ。間接的に人の命を奪う武器商人が最も失くしてはいけないもの……それは“他者を慈しむ心”だからね。それは相手が人間だろうと、機械だろうと変わらない》

「パパ…! じゃあ今の質問って、あたしの気持ちを試すために?」
《意地悪なことをして悪かったね。だが僕はアネリを信じているから。アネリと、お前が大切に思うパーシバルを信じているからだ》

 電話口の優しい声を聞いて、アネリは泣いてしまいそうなほど感情を揺さぶられる。
 自分の大切なパーシバルが、大切な父ルロイにも同じように想ってもらえている。その事実が、自分のこと以上に嬉しくてたまらなかったのだ。
 だから何としてでも、パーシバルには回復してほしい。これからもそばにいてほしいと、切実に願う。

「……パパ。パーシバル、治るかしら……」
《アネリ。亡くなったオドワイヤーは専属医師兼、パーシバル達の整備士として長い間務めてくれていた。つらい気持ちはよく分かるよ。パパもつらい…。……だがね、》

 その時だ。

 こんこんこん…

 部屋のドアがノックされる。
 こんな時に一体誰だ。ドアに一番近かったトレイシー警部はドアノブに手をかけて、来客を室内に招き入れる。
 ただし、幽霊でも見るような顔をして。

《オドワイヤーはマイティガード開発の第一人者だ。彼自身が生前の“記憶”を試作品のボディに移さないことなど有り得るかい?》

 部屋に入って来た男は、白衣も、後退してきた白髪頭も顔も仕種も特徴もすべてを受け継いだ、オドワイヤーの姿を完璧に模したマイティガードだった。

《オドワイヤーはよく言っていたんだ。“生身の体が死ぬのは時間の問題。それなら自分は1分1秒でも早く機械の体になりたい”とね》

 オドワイヤーとまったく同じ姿をしたそのアンドロイドは、アネリに向かって深く深くお辞儀をした。

「可愛げがなくてそそっかしいお嬢様も、すぐ暴走するパーシバルも、わしが面倒を見ないといけませんなぁ。不本意だがね」

 多くのものを失って、逆に多くのものを得て、怒涛のような5日間がこうして終わった。
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