水色と恋

和栗

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未来はむこう

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「おいしい?」
「うん」
塾の帰りと部活帰りがちょうど重なったので、公園に移動した。
真喜雄は惣菜パンを食べながら、プリントをじっと見つめていた。進路希望の用紙で、もうとっくに提出していないといけないものだった。
「どうしたのそれ。提出しないの?」
「・・・先生に待ってもらってる」
「・・・悩んでるの?」
「・・うん。進学は、進学なんだけど、進学した後何がしたいかなって考えて、まぁ、ほら、決まってはいるけど、具体的に何をしたらいいか分からないっつーか・・・」
「あー・・・確かに。なるほど。うーん・・・そこは僕も管轄外だな・・・」
「・・・・あのさ、」
少しだけ膝を揺らしながら、ちらりとこちらを見た。覗き込んだとき、とても小さな声で「やっぱり行く大学教えて」と呟いた。
「え・・・お互い黙っていようって約束したじゃないか」
「だって・・・」
「真喜雄」
「だってやっぱり一緒がいいっつーか・・・近いところに、」
「本気で言ってるなら、僕は絶対に言わないよ。これは真喜雄の人生だし、真喜雄が決めなくちゃ、」
「おれの人生の中に透吾が入ってるんだよ」
強く言われて、言葉が出てこなかった。顔を上げてしっかりと僕を見る。
「大人になったら一緒に暮らすって約束・・守りたいから、絶対果たしたいから迷ってる・・・。遠くに行ったら気持ちが薄れていつの間にか約束がなくなってたらどうしようって思う。透吾を疑ってるんじゃない。おれ自身が挫けないか、自分が不安でしかたがない。働かないと一緒にいられないだろ。ちゃんと就職できるのかとか、ちゃんとやれるのか、不安だし、挫折したらどうしようって思う。おれ、挫折したことないんだよ・・・」
ちくんと胸が痛くなった。真喜雄が不安に思っていることは、僕も同じことだった。僕だって挫折したことがないのだ。ふわふわすり抜けて生きてきた。きっと大人になって挫折を味わうんだろう。しかも、徹底的に。
それはきっと真喜雄も同じなんだ。もしかしたらそれが僕よりも少し早いかもしれない。
「ちょっとでも、近い方が・・・支えてもらえるんじゃないかって・・・ごめん、甘えだ、こんなの・・・」
「直っ先に僕に頼ってくれるのは嬉しいよ。きっと僕もこれから挫折を味わうよ。一緒に味わうんだよ。これは遠くにいても近くにいても一緒。あとね、僕は今嬉しかったよ。僕を疑ってるんじゃないって言われて嬉しかった。それは僕も同じなんだよ。真喜雄を疑ったことなんかない、お互いにそう思ってるんだから、きっと大丈夫じゃない?」
「あ、そうか。・・・あー・・・うん。そうかも。あとは自分の問題だもんな・・・」
「自分自身の問題かもしれないけど、相手にも問題があるんじゃない。薄れちゃったらもう仕方ないと思うんだけど、薄れちゃう原因があると思うし、そうならないように僕が頑張ればいいんじゃないかな。お互いにそうやっていればいつの間にか時間なんか過ぎ
ちゃうと思うよ」
「そっか・・・うん、透吾の気持ちが薄れないように、おれが頑張ればいいのか。その方がいいな。相手のこと考える方が好きだ」
「一緒一緒。だからね、進路だって本当は僕もすごく聞きたいけど、真喜雄の足かせになるのは嫌だから言わない。遠くたって、会いに行くよ。どう考えても僕の方が時間あるから。だから、会いに行くよ。待っててね」
頬に触れようとすると、ぱっと顔を背けられた。何度か挑戦したけどよけられてしまう。手を掴むと、じろっと睨まれた。真っ赤な顔をしていた。
「どうしたの。嫌なの?」
「・・・・透吾ばっかりかっこいい・・・ずるい」
「君は可愛いよ」
「かっこいいがいい」
「もちろんかっこいいとも思うけど、今は可愛いよ。触っちゃダメなの?」
「・・・触られたら勃起する」 
「・・・誘ってるんでしょ」
違う、と言いかけた唇にかぶりつく。ぐいぐい押すと、ぱたりと倒れ込んだ。エナメルバッグがぎゅっときしむ音を立てる。まだ明るいしここは公園のベンチ。いけないことだって分かっているけど、我慢なんかできるわけがない。だって目の前の恋人がこんなにも可愛い。
最初こそじたばたもがいたけど、諦めたように大人しくなった。
むさぼるようにキスをして、舌を絡めて、唇に吸い付いた。調子に乗ってシャツの間に手を忍ばせると、大きく足が上がった。
「と、うご!」
「うん、もうやめる。ごめんね」
「・・・罪悪感があるって、前に言ってたくせに・・・」
「だって可愛いのが悪いもん。僕は悪くないよ」
「人のせいにするなよ」
「するよ」
「・・・バカヤロ」
全身を真っ赤に染めて、うずくまった。背中をつつくと大きく跳ねて、ベンチから転がり落ちた。つい笑ってしまう。
ぶにっと顔をつねられたけど、痛くはなかった。
「・・・大学、さ、」
「うん?」
「・・・実は希望してるところ、あって・・去年スカウトもらってて・・・名刺もあるんだ・・・」
「・・・・えぇ!じゃぁ絶対そこにしなよ!」
「・・・今年来るとは限らないし・・・」
「名刺もらうなんてなかなかないよ。手渡しされたんでしょ?」
「うん・・・。監督と、一枚ずつ・・・。ずっと財布に入れてて・・」
「2年生に渡さないよ普通。すごく来てほしいってことだよ。それさ、担任より顧問に相談した方がいいんじゃないの」
「・・・そか。そうする。うん・・・。・・・明日話してみる」
お財布から大事そうに名刺を出した。きちんとビニールケースに入れて汚れないようにしている。
学校名を見ようとは思わなかった。高校の卒業式の時に聞けばいいのだ。
行きたいところがあって嬉しかった。しかもスカウトまで来てるなんて。なぜか僕の方が興奮している。
さっと名刺をしまうと、ボールを持って立ち上がった。手招きされたので同じように立ち上がる。
「ウォーミングアップ程度に、やろ。頭使ったあと体動かすとすっきりする」
「うん。久々だな。こうだっけ?」
「そうそう」
濃くなった夕方に、ボールを蹴る音が響く。真喜雄の表情が和らいでいた。安心した。


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