Evergreen

和栗

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「それでねー、その時1人の子がね・・・和多流くん?」
「ん、うん・・・んー・・・」
車の中でしゃべっていると、和多流くんが顔をしかめた。
何度も口を開けたり、耳を触ったり、なんだかおかしい。
「どうしたの?」
「・・・耳がおかしい」
「え?声は聞こえる?」
「涼くんの声は曇って聞こえる。自分の声がうるさいんだ」
「病院行こ。ね。調べる」
「確か商店街のところは遅くまでやってた気がする」
「そこ、行こ?」
クマさんのお店に車を停めさせてもらって、病院に急ぐ。一緒には入れないので、おれはスーパーで買い物をして待った。
ソワソワしているととん、と肩を叩かれたので、振り返る。和多流くんが立っていた。
「ただいま」
「あ、ど、どうだった?」
「突発性難聴だって」
「突発性難聴・・・聞こえないの?」
「聞こえてるんだけど、聞き取りづらい。あと、耳鳴りがする」
「治る?」
「ん。薬飲んで、ゆっくりすれば大丈夫みたい。・・・ごめん、ちょっと大きめの声で話してくれるかな」
「分かった」
一体どうしたんだろう。
荷物を持ってクマさんのお店に戻ると、ドアを開けて出迎えてくれた。突発性難聴だったと伝えると、犬飼さんが反応した。
「あぁ、おれもなったことありますよ」
「え!な、治りましたか?」
「えぇ。うん、放置しないで病院に行けて良かったです。最悪耳が聞こえなくなってしまうから」
「そうみたいですね。あぁ、低い声の方が聞こえやすいな」
「おれもそうでしたよ。強いストレスを感じたりすると、急に聞こえづらくなったりするみたいです」
「んー、まぁ、うん、慣れない仕事とかしてたから」
「CGの仕事?」
クマさんが賄いを持ってやってきた。大きなお皿にパスタが大盛りに載っている。
和多流くんは一瞬顔をしかめると、頷いた。
「そう・・・にしてもクマの声は響くな」
「声が通るからですかね。わりかし低めの声ですし。元々声が大きいから」
「どっちの耳?」
「左」
「こもって聞こえるから余計イライラするんですよね」
「そーなんですよ。あー、もう・・・」
「ゆ、ゆっくり休んだ方がいいよ。しばらくお休みしてほしい。あの、お迎えもいいからね。聞こえづらいと運転も大変だし」
心配で声をかけると、ムッとした顔になった。
え、なんでそんな顔するの?
犬飼さんとは普通にしゃべってたのに。何か気に障ること、言ったかな。
みんなでパスタを食べて家に帰ると、和多流くんは苛立っているのか部屋に上着を投げ捨てた。何度も耳をこすりながら風呂入る、と短く言って消えていく。
ベッドに入っても何度も耳を触っていたし、何度か舌打ちもしていた。
声をかけたらもっとイライラしそうで、背中を向けて目を閉じるしかなかった。


******************************


「あの、いってくるね・・・」
「ん・・・」
ソファでコーヒーを飲む和多流くんに声をかける。ちらっとおれを見ると、腰を上げて近づいてきた。
大きな手が顔を撫でてくれる。
「・・・いってらっしゃい」
「何か変なことがあったら、連絡してね」
「・・・ん」
「・・・いってくるね。ゆっくり休んでね。明日は休みだから、お散歩とか行こうね」
「・・・迎え、いらないの?」
いらないんじゃない。
心配だから断っただけ。
そう答えようとしたけど、先に舌打ちが聞こえた。
ビクッと肩が跳ねる。
「・・・ごめん。やだよね。こんな機嫌の悪い奴に迎えとか、頼めないよね」
「違うよ、心配なんだよ」
「分かった。いってらっしゃい」
あ、また、突き放す。
心配しているだけなのに。酷くなってほしくないから言ってるのに。
「・・・感じ悪い」
「え?なに?聞こえない、」
「ど、どうせおれは!なったことないから理解できないもん!犬飼さんとおしゃべりしてれば!感じ悪い!おれにはムッとするくせに!舌打ち、もうしないって約束したのに!」
「・・・つい、イラついて、」
「あっそ?じゃあ八つ当たり、したければ、すれば??おれなら慣れてるから別に、構わないよ。おれなんか、サンドバッグで十分だもんね」
「はぁ?何それ。なんなの、その言い方」
「別に?だって今までの人たちも結局そうやっておれのこと、」
あ、今のは、ダメ。
感情で話しちゃダメ。
ギューっと鞄を掴んで爪先を見つめる。
「と、とにかく、1人でゆっくり、してなよ。おれ、ホテル泊まるから」
「いや、だからさぁ!なんでそうなるの!?」
「嫌だよ!心配でたまらないのに、舌打ちされたりイラつかれたり八つ当たりされたり!他の人には普通にするくせに!お、おれ、おれって、なんなんだよ!いつもそう!怪我したり、苦しい時、おれはいつも、いつも、」
「・・・はぁ、」
そのため息が、すごく、億劫に聞こえて。
プチンって、何かが、切れた気がした。スーッと感情が冷めていって、ゆっくりと顔を上げる。和多流くんと目が合うと、ギョッとしておれを凝視した。
「じゃあ、仕事に行きます」
「・・・え、あ、あの、」
「しばらくお互いに干渉しないようにしましょう。何度か荷物は取りにきますけど、基本はいないものと思ってください」
「え?あの、あの、」
「じゃあ」
「ま、って、まって」
きゅっと手を握られた。振り払って玄関に向かう。
なんだろ、この感情。冷めてるのかな。冷たい。焦りもない。さっきまで心配でたまらなかったのに、何も考えられない。
和多流くんの顔を見てもなんとも思わなかった。あー、なんか、焦ってるのかなって、思ったくらい。
自分でも驚くくらいスラスラと言葉が出てきた。おれ、これからどうしたいんだろう。
「待って。涼くん、待ってよ」
追いかけてきて、隣に並ぶ。足を止めると、泣きそうな顔があった。
あれ?なんで、何とも思わないのかな。
心がざわつかない。
「か、帰ってきてくれるよね」
「帰る意味は?」
「え?」
「意味。教えて下さい」
「・・・い、一緒に、」
「一緒?」
「・・・いたい、」
「なぜ?」
「違う、ごめん、耳が痛い」
「そうですか。病院に行って下さい」
「・・・おれのこと、嫌いになった?」
「いや、まったく何も感情が湧きません」
あ、今のは、酷い言い方だ。
それくらいは理解できる。
でも、でも、頭の中ではそう思うけど、罪悪感がなくて。
おれ、すごく、冷たいなぁ。
「・・・きっつー・・・あはは、今のは、きつい・・・」
「・・・」
「・・・自業自得だわ。・・・引き止めてごめんなさい・・・じゃあ、ね」
「はい」
背中を向けて歩き出す。
振り返らなかった。
意味がないから。
電車に乗って職場へ向かう。
ロッカーに荷物を詰めていると、成瀬さんが入ってきた。
「あ、おはようございます」
「あぁ、おはよう。・・・何だお前、鬼みたいな顔、して」
「え??」
「すごい顔してたぞ。母親を思い出した」
慌ててロッカーの内側の鏡を見る。そんな、変な顔してたかな。
いつも通りだと思うけど。
「はっ。なんかやらかしたか、あの人」
「え?あ、う・・・はい、そうですね」
「大体は想像がつくな」
「何でですか?」
「あの人、甘えただろ。不器用そうだが」
「え?」
「お前に甘えようとしてやり方しくじったんだろ。おれの親父もよくそれで母親を怒らせていたな」
「・・・おれは別に、母親じゃないですし、」
「まぁそうだな。物の例えだ。それ、外すんじゃないのか」
指をさされたので視線を下す。左の薬指についている指輪が光った。あ、しまった。そのまま来ちゃった。
慌てて外してチェーンに引っ掛ける。
「仲違いしてると後々拗れるぞ。まぁ、そんなもん分かってるだろうが」
なんか、今日、優しいな。普段そんなこと言わないで呆れた顔をするのに。
おれの言いたいことがわかったのだろうか、ふ、と小さく笑うとロッカーを閉めた。
「悲しい性だな」
「さが?」
「長子特有のな。普段怒らん人間が怒ると、心がざわついて必死に取り持とうとしちまう。損得勘定はなしでな。だから別に、意味はない。しばらくすればこのざわつきも収まる。ほら、行くぞ」
テキストで頭を軽く叩かれた。
個別指導をしていると、生徒に、怒ってる?とからかわれた。
試しに兄弟構成を聞くと、1番上だと言われた。
おれ、そんなに露骨に顔に出てるのかな。
気をつけなきゃ。
講義が全て終わり、外に出る。
成瀬さんと一緒になった。
「お疲れ」
「お疲れ様です。・・・あの、生徒に、怒ってるのかって、からかわれました」
「・・・ははっ。そりゃそうだ。機嫌悪いもんな」
「そ、そんなつもりないんですけど・・・」
「珍しく、お前のことを可愛がってるパート講師の数名がおれのところに、何かあったのか聞きに来たぞ」
「え!?あ、・・・そういえば今日、あんまり話しかけられなかったかも・・・」
「ははっ。いいんじゃないか。たまには。人間味があって」
「んや、でも、あの、職場の雰囲気を悪くしてたら・・・」
「悪くはないさ。心配していただけだろ。今日は電車か」
「あ、はい」
「たまには飯でも行くか」
「いいんですか?」
「もれなく奴もついてくるが」
呆れたようにスマホを振った。
メッセージの通知が何通か来ているのが見えた。
シロさんと合流して久々に焼肉屋に入る。
いきなりお腹が鳴ったので、驚いた。
そういえばお昼、すごく簡単に済ませてちゃったんだよな。お腹空かなくて。
「春日部くん、珍しく怒ってるわね」
「へ?あ、・・・うぅ、そんなに露骨ですか」
「ううん。なんかー、静かに怒ってるからちょっと怖いなーって感じ」
「何でわかるんですか?」
「いつもと色が違うから?」
「は?いろ?」
「あぁ、気にするな。こいつは時折色で人の感情を表すから、まぁ適当に聞いていればいい」
芸術家って、独特だ。
おれは今どんな色をしてるんだろう。
「あのさ、ガスコンロの火があるじゃない?」
「はい」
「あれってさ、火力が強いし青いじゃない?その色」
「そ、その色?」
ぶはっと吹き出す声がした。
成瀬さんが肘をついて俯いて笑っていた。
珍しく爆笑している。
「相当キレてるのな」
「そうそう。勢いがすごいのよ」
「なかなか冷めないな、これは」
「ねー。わたくん、一体何をしたの?」
「え!?いや、和多流くんは、その、」
「浮気?」
「そんな甲斐性ないだろ」
「借金?もないか。あの人意外と真面目だもんね」
「ギャンブルもしないだろ。酒か?」
「ん、と・・・突発性難聴、です」
「「突発性難聴?」」
2人の声が揃った。
それの何が原因なんだ、と思ってるんだろうなぁ。
「あれ、地味にイラつくよな」
「ねー。僕も美喜ちゃんもなったよ」
「え!?い、いつ!?」
「おれは高校の頃だな。朝起きたらいきなり、片耳が聞こえづらくなって自分の音がやけに大きくて、不愉快でな」
「僕は大学を卒業したての頃。大きい展覧会の準備のストレスとー、美喜ちゃんに捨てられるかもって悲しみで」
「は?!捨て、」
「でもー!超頑張って復縁したのー!あの時の美喜ちゃん、かっこよかった・・・」
こ、この2人、別れたこと、あったの!?
そっちの方が気になって仕方ない。
でも、聞いちゃダメだ。シロさんは置いといて成瀬さんは絶対に聞かれたくないだろうし。今だって顔、しかめてるし。
「耳鳴りとか、どうでした?」
「僕はこもって聞こえるだけで、耳鳴りはあんまり・・・美喜ちゃんは酷かったよね」
「あぁ。不愉快でな・・・。まぁ薬を飲んだらすぐに良くなったが、声が聞き取りづらいからイラつく」
「そーそー。自分の中の音は大きく聞こえるのに、周りの音が曇って聞こえるのは嫌だったなぁ。しかもさ、原因がストレスでしょ?どうにもできないじゃない?」
「ストレスって、あの、仕事の?」
「僕はそうだね。美喜ちゃんとも会えないし?ストレス溜まりまくり」
「おれはなんだったのか、もう覚えちゃいないな。日々イラついてたからな」
「思春期~。かんわい!あの頃の美喜ちゃん、ツンツンしてて可愛かったのよ。今はだいぶ丸くなったもんね」
こ、これで??
おれ、いまだに怖いんだけど。
まだビクビクしてるんだけど。
「足が出る頻度、減ったもんね」
「・・・まあ昔よりはな」
「足?」
「よく蹴られたの」
よくまぁ、笑顔で言えるよな・・・。
逆に怖いよ。
「わたくん、今頃死にそうになってるんじゃない?」
「え?」
「だって、こんなに怒ったことあった?」
「・・・ない、です。・・・感情が、その、無に、なっちゃって・・・」
「・・・あら?もう好きじゃなくなっちゃった?」
え??
好きじゃ、なくなったの?おれ?
嫌いかと聞かれて、特に感情が湧かなかった。
そう思いたいならどうぞ、くらい思っていた。
でも、好きじゃなくなったかって聞かれると、なんか、不思議な感じだ。
朝、追いかけてきた時の顔を思い出す。
焦っていたな。
泣きそうな顔、してたかも。
きついって笑った時、もう、泣いてたのかも。
自業自得じゃん。心配してるのにおれの嫌がることばっかりして、あんな、ため息ついて。
でも、不安、だよね。耳が聞こえないって、怖いよね。
だから、少しでも不安を軽くしたかったのに。
「取り持つ気はないけどさ」
「え?はい、」
「とりあえず今日は食べたら帰ってあげたら?」
「・・・」
「帰ってあげないと、また位置情報を確認して迎えにきちゃうわよ?」
「お前ら、まだそんなことしてんのか」
「・・・だって、和多流くんが安心するかなと思って・・・」
「あら。電源切ってないんだ?」
「え?」
「ふふっ。かわいいね。僕だったら本気で怒ってたら、アプリも削除しちゃうなー」
カーッと顔が熱くなる。
そうだ、なんで、電源切らなかったんだろう。ホテルに泊まる気で、いたはずなのに。予約もとってない。
今から取れるだろうか。
取れたら、切ればいいか。
スマホを見るとメッセージが届いていた。
画面を開く。



『ごめんなさい』


『帰ってきてください』


『こわいです』



最後のメッセージは、つい20分前に届いていた。
怖い、の?何かあったの?耳が聞こえなく、なったの??
胸がざわついた。
「あ、あの、薬、飲んでても治らないとか、あるんですか・・・?」
「え?耳?ちゃんと病院に行けばほぼ治るはずだけど・・・」
「絶対に治るものでもないからな。運が悪ければ聞こえなくなるだろ」
「・・・か、帰ります。あの、ごめんなさい。帰ります」
「うん。帰った方がいいよ。春日部くんも不安だよね」
「は、はいっ。あの、すいません!」
カバンを担いで慌てて電車に飛び乗る。
メッセージを返そうと何度も文字を打ったけど、言葉が浮かばなかった。
何度も消して、どうしようって悩んだ。
駅に着いて飛び降りて、慌てて走る。ロータリーに出ると、階段のそばにあるガードレールにぽつんと人影が佇んでいた。
「和多流くん!!」
少ないとはいえ、人がいるのに、叫んでしまった。
弾かれたように顔が上がり、おれと目が合う。
心なしか顔が腫れていて、目元も、ぼんやりしていた。
「大丈夫?き、聞こえないの?」
「・・・涼くん」
「痛いの?大丈夫?ねぇ、聞こえてるよね?」
こくんと小さく頷く。
ほっと息を吐くと、和多流くんの瞳からポロポロ、と涙が落ちた。
「か、帰って、来ないと思った、」
「あ、う、・・・」
「か、感情が、湧かないって、言われて、・・・こ、こわかった、」
「・・・ごめん、」
「おれが、悪い・・・!ごめんなさい、」
袖で顔を拭い、目を見てしっかりと謝ってくれた。
そしたら、急に、胸が苦しくなって、体も顔も熱くなった。
「・・・いきなり、涼くんの声が聞こえなくなって、」
「あ、き、昨日?」
「ん・・・。焦って、病院、行ったけど・・・治るのかなって、不安で・・・」
「うん!うん!おれも、不安だったよ・・・!か、帰ろ?ね、帰ろうね」
「・・・出て、行かない、よね?」
「え?」
「今、誓って。どこにも行かないって、誓っ・・・あ、」
「和多流くん?」
突然目を泳がせると、急に歩き出した。
慌てて追いかける。隣に並ぶと、更に歩調が早まった。
「和多流くん?どうしたの?つらい?」
「・・・」
「和多流くんっ。ね、手、繋ご?早いよ、ねぇ、止まって、」
「も、無理、」
「え?え?」
「も、も、無理・・・!しんどい、」
「わた、」
「耳、聞こえないし、涼くんは、おれのこと、もう、興味ないし、指輪、ないし、しんどい・・・!」
「指輪、あの、ここにあるよ!だって、心配で慌てて、だって、」
「嫌われた方が、マシだった」
「は?なんで?そんなこと言わないでよっ」
「嫌いの方が、感情があるもん。今、何も、ない」
「馬鹿野郎!!何もなかったら帰ってこないよ!!」
前に周り混んで叫ぶ。
和多流くんは足を止めて目を見開いた。
「・・・心配だから、帰ってきたんじゃないか・・・」
「・・・」
「・・・出ていかないよ。ごめんなさい。悲しくさせて、ごめんなさい。・・・か、帰ろ?」
手を握る。そっと引っ張ると、ゆっくり歩き出した。
何も会話がないまま、帰った。
帰宅してソファに腰掛けると、和多流くんは鼻を啜った。ハンカチで顔を拭いてあげると、手を取られた。
「・・・和多流くん、あの、・・・おれが心配するの、嫌かな。変かな」
「・・・違う」
「いつも、さ、なんか、機嫌、悪くなるっていうか・・・」
「・・・ごめん。いつも、ごめん・・・」
「・・・重い?」
「違う。・・・ごめん。不安な気持ちばっかり、ぶつけてしまう」
「うん」
「・・・ごめんね」
「・・・あの、ん、と、あ、甘え方を、間違ってるって、ない?」
朝、成瀬さんに言われたことを思い出す。甘え方を間違えるって何だろうと思ったけど、言われてみればそれ以外にしっくりくる言葉がわからない。
和多流くんは少し考えると、またおれを見た。
「・・・こ、言葉を、素直に受け取ったらどうかな?と思うんだけど・・・」
「・・・出ていくの?」
「それじゃなくて!おれは、心配なんだよ。何か大きな事故にあったら悲しいから、お迎えを断ったの。ゆっくり過ごして欲しかったの」
「・・・うん、」
「舌打ちしないで、言葉で言えばいいのに。何であんなに舌打ちしたの?」
「・・・イラついてた」
「イラつくならおれに言えばよかったじゃん。そしたら、その、・・・か、可愛い可愛いって、できる、じゃん・・・」
うわ、何言ってんの。さすがに怒るかな。馬鹿にすんなって言われるかな。
ていうか、可愛い可愛いってなんだよ。
「・・・してください」
「へ、」
「してほしいです。・・・しんどい、です」
目に涙がたまる。今にも溢れてしまいそう。
変なの。朝はあんなに無感情だったのに、いざこの顔を見ちゃうと、気持ちが溢れてしまう。
両手を広げると、恐る恐る背中に腕が回った。
抱き寄せると、体が震えていた。
「・・・ごめんね。怖かったよね。おれも、怖かったよ。あんなこと、言うつもり、全然なかったのに・・・」
「・・・めちゃくちゃしんどかった・・・。ほんとに、どこか行っちゃうって、思って、」
「プチンってキレちゃって・・・その、ん、と・・・」
「・・・怖かった。いつもと怒り方、違うし・・・」
「・・・どこにも行かないからね。ここにいさせてね」
「いてほしいっ。いなくならないで」
「・・・うん。あのね、大好きだよ。本当だよ。信じて」
左耳に囁くと、体が震えて強く抱きしめられた。
和多流くんは静かにすすり泣いて、そのまま子供みたいに眠ってしまった。




******************************



「・・・顔が痛い」
「・・・パンパンだね」
ソファで目を覚ました和多流くんは、顔をこすりながら言った。
和多流くんの寝息が安定した頃に抜け出してスーツを整え、シャワーを浴びてソファのそばで雑魚寝した。
少し腰が痛い。
「浮腫んでるねぇ」
「・・・あんま見ないで」
「見るよ」
「やだって」
「あれ?また甘え方間違える?」
「・・・」
「・・・耳、痛くない?ほら、おいで」
「・・・本当に、好き?」
小さな声だった。顔を寄せて、しっかり見つめ合う。
「うん。好き。・・・和多流くんは?」
「好き・・・。でも昨日は本当に怖かった。しんどくて、ずっと泣いてた」
「えっ!?そ、そうなの?ごめんね。ごめん・・・今日、ずっと一緒にいようね」
「・・・ほんとに?いてくれるの?」
「うん」
「・・・なんか、お腹空いてきた」
「ホットケーキでも焼こうか」
「ん」
立ち上がると一緒に立ち上がって台所に向かった。
様子を伺うように恐る恐る背中に抱きついて、大きなため息をついた。
ふと思った。もしかして、無意識なのかな?
「もしかして、音量調節が難しい?」
「え?」
「昨日喧嘩してる時もそうだったんだけど、ため息がやけに大きいんだよね。だからこう、むかっとしちゃって」
「・・・え、そんな大きかったかな?」
「うん。声も大きい時と小さい時と・・・。焦らないでゆっくり治していこうね。なるべく右側に立つね」
「・・・ありがとう」
「ううん。分かればおれも無意味に怒らなくていいもん」
「ん。・・・あの、サンドバッグにしてるつもりも、ないし・・・するつもりも、ないから・・・もう言わないで」
「ん。ごめんね。でも、おれも嫌だったよ。犬飼さんとは普通に喋るのに、おれには当たりが強いんだもん」
「お迎え、行きたかった・・・」
「何かあったら心配だから断ったの!おれの気持ちも分かってよ」
「・・・はい」
「良くなってきたら、またお願いしたいな。はい、焼けたよ」
「・・・ありがとぉ」
涙声だった。
本当に不安だったんだな。
申し訳ないな。
「あの、いないものと思ってっていうのはね、治るまでってことで、治るまでホテル暮らしでもしようかなって思っただけだからね」
「絶対嘘。絶対違う。別れるって意味だった」
「違うよ。ていうか・・・地の果てまで追いかけてくれるんでしょ?」
「うん」
「無駄な手間かけたくないもん。別れたくもないし」
「・・・キスして」
「食べたら、たくさんしよ?」
「・・・ん」
黙ってホットケーキを食べる。
和多流くんはいつもよりゆっくり食べて、そっとフォークを置いた。
ベッドへ向かうと腰かけて、とんとんと叩いた。座ると、膝に頭を乗せた。
「撫でて」
「ん。・・・外から見ると何も変わらないのにね。仕事、大変だった?」
「ん・・・リモートで繋ぎっぱなしで、仕事してたから・・・ちょっときつかった」
「そっかぁ・・・。忙しいのにお迎え、来てくれてたよね。ありがとう」
「早く会いたかった・・・。まさかこんなに、仕事がストレスになってるとは思わなかった。びっくりした・・・」
「分かんないよね、ストレスって。・・・おれ、実はハゲかけたこと、あるんだよね・・・」
「・・・ぇえ??いつ?」
「今の塾に臨時の講師で入った頃床屋で、ここの髪の毛がないって言われて。多分円形脱毛症じゃないかって・・・すぐ治ったんだけどね」
「そうなの?知らなかった」
和多流くんがおれを見上げる。あ、ちゃんと目が合った。
それだけで嬉しくなって、くしゃくしゃと頭を撫でる。
「誰にも言ったことなかった。当時付き合ってた人と別れたら治ったんだ」
「・・・あぁ、金髪のやつか」
「良く覚えてるね。あははっ」
「涼くんのこと、殴ったやつだからね」
あぁ、そんな話もしたんだっけ。
あ、違う。殴られた次の日たまたま会ったんだ。すごく、心配してくれたんだよね。
「・・・和多流くん、あの時心配してくれて、ありがとね。おれもね、昨日、一昨日も・・・すごく、すごく心配でたまらなかったよ。今もね」
「・・・うん」
「後で気晴らしに散歩に行こ?ずっと部屋の中にいてもストレス溜まるもん」
「・・・キスは?」
拗ねたように唇を突き出した。ゆっくりと体を起こして、額が重なる。頬に手を添えて触れるだけのキスをすると、少しだけ顔を赤くした。
「仲直りね」
「・・・うん、うんっ」
「夜ね、和多流くんの好きなものにするね。スーパーも行こう」
「・・・あぁ、最近一緒に買い物してなかったね」
「そういえばそうだね。ゆっくり見て回ろうか」
「うん。・・・キス、」
「うんっ。しよ。不安にさせてごめんね。大好きだよ」
何度もキスをすると、和多流くんはやっと笑ってくれた。
嬉しくなって押し倒すと、くすくす笑って抱きしめてくれた。
「和多流くん、指輪、つけてほしいよ」
「えっ、」
チェーンに通した指輪を見せると、和多流くんは黙って頷いてそっと左手の薬指につけてくれた。
嬉しくて、たまらなかった。



************************




急いで走って待ち合わせ場所へ向かう。息を切らして駐車場に入ると、和多流くんが小さく手を振ってくれた。
「おかえり」
「ただいま!あの、もう、大丈夫なの?」
「うん。結構調子が戻ってきた。たまに耳鳴りがしたりくぐもったりするけど、すぐ治るんだ」
「・・・よかったぁ。ほら、何も、できることがないから・・・」
「ううん。ゆっくり休めたよ。ありがとう」
「よかったぁ・・・ほんとに、よかったよぉ・・・おれの声、聞こえる・・・?」
「うん。しっかり聞こえる。・・・よかった・・・ほんとに、よかった。怖かった」
「ね。おれも。・・・嬉しい。お祝いしよぉ・・・?」
和多流くんが笑っている。最近ずっと、ふとした時に不安そうにしていたし、耳もよく触ってた。
それが改善されてきて、聞こえるって言われて、嬉しくて泣きそうになる。
「ん・・・。涼くん、あの、」
「うん、何?」
「・・・あの時、帰ってきてくれてありがとう」
「え・・・か、帰るよ!帰るに決まってるよ!・・・で、出ていこうとして、ごめんなさい」
「ううん。甘え方を間違えたおれが悪いから。涼くんならなんでも許してくれるって、バカな思い違いしてた。おれだってあんな態度取られたら嫌なのに」
「・・・うん、」
「涼くんのこと、嫌な気持ちにさせたままだった。おればっかり甘やかしてもらってたね。嫌なこと言わせて、行動させてごめんね。帰ろ。帰ったら、いっぱいくっつこう」
「ん、うんっ!えへへ」
「ストレスを溜めないように程よく解消していくよ。涼くんも手伝ってね。おれも手伝うから」
「おれ、和多流くんとくっついてるだけで解消できるよ」
「ほんと?嬉しい。おれもだよ。でもおれの方が厄介かも。長いことくっついてないとダメだから」
車に乗り込むと、太い指が顎を優しく支えて唇が重なった。
ふわふわした気持ちよさに身を委ねる。
「んむ、ん、」
「ね、柔らかいね。気持ちい。リップクリーム、習慣にしてる?」
「うん・・・だって、」
「すげー気持ちいいよ」
そう言って欲しいから、つけてるんだよ。
また唇が重なったので、指を絡めて目を閉じる。
疲れが取れる気がした。

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完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

騙されて快楽地獄

てけてとん
BL
友人におすすめされたマッサージ店で快楽地獄に落とされる話です。長すぎたので2話に分けています。

チョコのように蕩ける露出狂と5歳児

ミクリ21
BL
露出狂と5歳児の話。

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