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真夜中の訪問者
しおりを挟むそれはすぐに私の唇から離れていった。
アザリ君を見ると、目を見開いて、まるで自分がしたことが信じられない、とでも言うような顔をしている。
やがて我に返ったのか、顔を真っ赤にして、私に謝ってきた。
「…あのっ、僕、っ、…ごめんなさいっ。ホントにごめん、なさい。」
私は怒るタイミングを奪われてしまい、ただ彼を見ていた。
びっくりした。
一瞬だけだったけど、はっきりと感触を覚えている。
アザリ君の唇は柔らかくて、ワインで濡れてしっとりしていた。
これは、まずい。
久々にしたキスのせいなのか、酔っ払っているせいなのか、ドキドキが止まらない。顔にも熱が集まっている。
「ちょっと出掛けてくる。」
このままここにいるのが気まずくて、財布とスマホを持って外に出た。後ろからアザリ君が何か声を掛けてきたけど、それも聞かずに飛び出してきてしまった。
私は公園のベンチに腰を掛け、ぼんやりと、遠くで遊ぶ子供たちを見ていた。
久々の晴れ間に、鬱憤を晴らすかのように、子供たちはキャーキャーと叫び声を上げ、楽しそう駆け回っている。
キスされて、逃げ出すなんて十代の女の子じゃあるまいし。しかも相手は(多分)年下だ。
客観的に見れば、いい年の男女が二人っきりで、お酒を飲んでいたら、こうなってしまうこともあるだろう。けど、まさかあのアザリ君がキスしてくるとは全く思っていなかった。
私の中では彼が童貞なのもあって男、というよりは弟や後輩みたいな位置付けだった。
これからどう接すればいいのだろう。
私はため息を吐いた。
先程のことを反芻しながらぼんやりとしていたら、いつの間にか陽は傾き、公園から子供たちはいなくなっていた。
時間を確認する為に、ポケットに入れていたスマホを出す。
チャットに新着が入っているのを見て、思い出した。
急いでチャットのアプリを開く。
『青山です』
『爽子ちゃん?』
下の名前にちゃん付け…!
私は座りながら後ろに仰け反った。
文章だけなのに、凄い破壊力だ。それはアザリ君とのキスを一瞬忘れさせるくらいの衝撃だった。
慌てて返信の文章を考える。
どうしよう、
『メッセージ嬉しいです』と送ろうとして少し考える。
これじゃあ、話が続かなくなる。なにか会話が出来るような話題ないだろうか。
しばらく考えてメッセージを送信した。
『メッセージ嬉しいです<絵文字>今日もカフェ混んでましたね』
それはすぐに既読になった。
それを確認するだけで、心が躍り、顔がニヤニヤしてくる。
『疲れた~。今、休憩中。爽子ちゃんは土日休み?』
「くはっ。」
青山くんの気さくな文章に、悶えて変な声が出てしまう。周りに人がいなくて良かった。私は立派な不審者に見えるはずだ。
何度も文章を読み返してしまう。こんな会話が出来ていることが信じられない。メールもなかった昔だったら私は一生青山くんと会話をすることが出来なかっただろう。
文明の進化に感謝した。
しばらくメッセージを送りあった後、既読が着かなくなり休憩時間が終わったんだとわかった。それは10分くらいの間のことだったけれど、青山くん情報がかなり集まった。
家に帰って壁に情報を追加しておこう。
でも、家に帰ったら、アザリ君がいる。
私はどんな顔をして帰るべきなんだろう。
怒ったように?
何も無かったように?
「たっだいまー。青山くんから連絡来たよ。」
私は後者を選んだ。そして、牽制として青山くんの話題を出した。
「爽子さん、おかえり。……ごめんなさい。」
「酔い、冷めた?」
「……うん。」
「もう、お酒飲むのなしね。」
あくまでも、酒に酔ってしてしまったこと、ということで私はこの出来事を片付けた。
それからもたまに青山くんとメッセージを送りあった。
青山くんはカフェでも気さくに話し掛けてくれた。
でもやっぱり面と向かうと緊張するので、私はチャットに頼りきりだった。
いつになったら普通に話せるんだろう。チャットの中だけだったら友達くらいの関係にはなれたと思う。でも実際彼を目の前にすると、てんで駄目だった。
そんなことを思い悩んでいた時だった。青山くんから、そのメッセージが届いたのは。
『明日の夜、ご飯食べに行かない?』
その文章を見た時、私は手が震えて、スマホを落としそうになった。
これは、デートのお誘いなんだろうか。
私はベットの上でゴロゴロと、のたうち回った。
その音がバタバタと煩かったのか、アザリ君が声を掛けてきた。
「大丈夫?」
大丈夫じゃ、ない。
嬉しすぎて、誰かとこの喜びを分かち合いたい。
でも、それをアザリ君に求めてはいけない。浮かれきった頭でもそれはわかる。
「大丈夫。なんでもないの。」
私は努めて冷静に言ったつもりだった。
「爽子さん、すごく嬉しそうな顔してる。何かあったんでしょ?」
「ホントに何でもないの。煩くしてごめん。」
「そう。」
彼は目を伏せ肩を落としてリビングへ戻っていった。
――私は、この部屋を出るべきなのかもしれない。
青山くんとはチャットで話すことが出来るようになったのだし、わざわざ隣に住まなくてもいいような気がする。
出て行けば、次の住人が来てくれるかもしれない。その人が、アザリ君をこの部屋から解放してくれるかもしれないのだ。私がここにいたら、アザリ君はこの部屋から出たくても出られないのではないだろうか。
新たにメッセージが届いた。
『だめ?』
既読になってから時間が経つのに返事がないので、嫌がっていると思ったのかもしれない。
私は慌てて返事を打つ。
『ご飯、いいですね<絵文字>』
『19時に仕事終わるから、一旦シャワー浴びたいから20時でもいい?』
『OKです』
『どこで、待ち合わせしよう?』
私は思い出した。青山くんは、爽子 = 隣人と認識していないことを。
『アパートの玄関前でいいんじゃないですか?お隣ですし』
こう送れば、青山くんにわかってもらえると思った。
でも、それに既読が付いた後、返信はその日来なかった。
私は不安になり、次の日の朝『今日、どうします?』とメッセージを送った。
昼休みにスマホを見ると『急用入っちゃった。ゴメン』というメッセージが返ってきていた。
私はへこんだ。
でも急用ができたのだから、仕方ないではないか。急用ができることなんてよくあることだ。と自分を励ました。
けれど、そこから青山くんはメッセージを送っても『うん』とか『そうだね』とか短い返事しかしてくれなくなった。そしてカフェでの態度も、客と店員の域を出ないような接し方に、逆戻りしてしまった。
何が悪かったのだろう。
今度は私から誘うべきなんだろうか。
私は知らずに、ため息を度々洩らしていたらしい。
「元気ないね。」
アザリ君はハーブティーの入ったカップを私に差し出した。
「そう?いつも通りだよ。」
私はカップに口を付けた。
いい香りが鼻に抜けて、少し気分が良くなった気がした。
「美味しい。ありがとね。」
私が微笑むとアザリ君も頬を赤く染めながら笑った。
「僕、爽子さんの役に立ちたい。ねぇ、……お隣さんと、付き合いたい?」
私は首を振る。それは前に断ったはずだ。
「契約、しなくていいから。」
彼の顔は真剣だ。
「それじゃあ、アザリ君にメリットないじゃない。」
そんなこと、してもらう訳にいかない。
「でも、お隣さんと付き合ったら、ずっとここに住んでくれるよね?」
懇願するように、彼は泣きそうな顔で私を見つめてきた。
心臓を掴まれたかと思うくらい、胸が苦しくなった。
アザリ君は、私のことが好きなんだ。それは刷り込みなのか本物の気持ちなのかは、分からないけど、その思いははっきりと伝わってきた。
「私、部屋を――」
出ようと思う。とアザリ君に伝えようとした時、玄関のベルが鳴った。
時間はもう夜の11時を過ぎている。
口の前に指を置き、アザリ君に静かにするように言って、居留守を使う。
こんな時間に訪ねてくる人なんて無視した方がいい。
再度、ベルが鳴りドアをノックする音まで聞こえる。
しつこい、
警察を呼んだ方がいいかな、と思い始めた頃に外から声がした。
「爽子ちゃん?青山だけど、いるよね?ドア、開けて?」
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