名残り雨

トモハシ

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名残り雨

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「断鉄の総助?」
 堀田甚蔵(ほったじんぞう)は眉間に皺を寄せて厳しく声を発すると、側に置いてあった刀をやにわに手繰り寄せた。
「うむ。三条大橋で斬られた坂上(さかがみ)は、恐らく奴に……断鉄の総助に斬られた、と」
 米沢藩の脱藩浪士、篠崎悠九郎(しのざきゆうくろう)は目前で頼りなく輝く行灯(あんどん)を見つめると、言葉を慎重に選んで語る。
「断鉄の総助。一体、何者なのだ、奴は。新撰組や見廻り組に与(くみ)しているという話は聞かないがな」
 長州藩の藩士、倉沢拓馬(くらさわたくま)は畳を爪でむしり苛立ちを隠さず昂って言った。
「確かに。だが、奴の凶刃(きょうじん)の犠牲になっているのは、薩摩や長州の人間ばかり。佐幕派の人間である事は間違いないと思うが」
 篠崎は顎を擦りつつ答える。
「坂上もそうだが、富小路通で斬られた同志の高柳(たかやなぎ)も腰まで真っ二つにされていたな。やはり示現流の使い手だろうか」
「うーむ、薩摩の剣術が我々に仇をなしているとすれば皮肉ではある。それにしても鉄をも一刀する撃剣にして断鉄とは、驕った異名だな」
「新撰組連中だけでも厄介だというのに、よくもまあ面倒な輩が現れる」
「噂によれば二十歳にも満たぬ、と聞いているがな。兎にも角にも、奴は何処ぞの組など入っていない根無し草なので、詳しい所在が掴めんし」
「鼠を見つけるようなものか。まったく質(たち)が悪い。溝(どぶ)さらいと変わらんな」
 乾いた失笑が漏れる。一方、篠崎と倉沢が滔々と会話する中で、堀田は一人黙り込む。
「どうした、堀田?」
 篠崎は堀田の御猪口(おちょこ)に酒を注ぎながら尋ねた。
「ん? いや、総助という名を何処かで聞いたような気がしたのだが、まあ勘違いだろう」
 釈然としない表情ではあったが、堀田は注がれた酒を一気に飲み干した。また、それ以上堀田が話を続ける様子はなかったので、篠崎も必要以上の問いかけは止めた。
 月明かりが連子格子窓の隙間を抜け床に漏れている。柔らかな光が堀田の目を射した。夜四つ(午後十時頃)に覗ける上弦の月は一際映えて堀田には見えた。閑寂の夜。恐らく他の二人も同じように趣いているだろう。堀田は不意にそう慮った。
『江戸にもこの月の美しさは、ここ京と等しく届いているのだろうか』
 さらにもう一つの不意を添えて。今日の時勢の擾乱も忘れ、堀田はひと時の風雅に身を委ねる。
 時節、京都は荒れていた。
幕府と長州の対立が最も激化している折。
長州藩が会津藩と対峙した八月十八日の政変や、新撰組による反幕志士の一掃となった池田屋事件。それらの事件の尾ひれを引いて勃発した元治元年(一八六四年)の禁門の変により京都の市中は大火に見舞われ、幕府軍の謀略により長州藩は朝敵の汚名を被る事になり、さらには第一次長州征伐へと繋がっていく。全てに敗北を喫した長州藩の失墜は決定的に見えた。朝廷の信任を得た幕府側に大儀はあり、あらゆる気運は徳川幕府に流れ始めているように窺えた。幕府の側も長州が自らの膝元に屈すると睨んでいた。
だが、既に長州藩の中で変革が起こっていた。高杉晋作らが俗論派(幕府には恭順すべきと唱える論派)を退け、藩論を討幕へと一変していたのである。時局はこの頃より、尊攘派と開国派の対立から、討幕派と佐幕派の対立へと移り始める。そして、かつて怨敵であった薩摩藩と長州藩は手を結び薩長同盟を受諾。その後に開戦した第二次長州征伐では幕府はまさかの敗北を長州藩に喫せられる。時局は今次、大きく変わり始めた。
そして、刻(とき)はなおも乱世を求め続ける。
慶応二年(一八六六年)の木犀が薫る季節。左様な趨勢の渦中に三人の若き志士は京都のとある旅館で酒を交わしていた。
「何を見ている堀田?」
 頬をやや紅潮させながら倉沢が尋ねた。
「月を、な」
 堀田は目線を変えないまま返事した。
「は、人斬りの話の最中だというのに呑気な事を。てっきり俺は江戸が恋しくなったのかと思ったぞ」
「まさか。まだ離れて日も浅いというのに」
「だから、だ。今が一番故郷を懐かしむ頃合い。未練があるのではないか?」
 ニタリと笑い倉沢は堀田に焚き付けてみた。堀田は一時言葉を溜めると、
「未練などないさ」
 と切り捨てるように言いのけた。
 堀田甚蔵は以前、江戸の兄夫婦の家に居候していた。堀田自身、まだ若輩とはいえ妻も子もおらず、定まった仕事もしないままその日暮らしをしていた。ただ鬱々とする日々。そのような所在無く若い人生を浪費する堀田の元に、米沢藩を脱藩した篠崎悠九郎が現れ、二人は再会する。堀田と篠崎はかつて北辰一刀流の千葉道場で共に稽古を励んだ仲で、篠崎が実家の米沢に戻るまではお互い親交を深めていた。やがて篠崎は米沢へ戻ったが、幕府の開国思想に疑問を持ち、人知れず脱藩。当時、過激な攘夷論を発していた長州の久坂玄瑞に傾倒し、長州藩の旧友である倉沢拓馬の元に篠崎は身を置き、活動を共にするようになる。後に篠崎が江戸への所用の際、剣の腕が達者で知己でもあった堀田の事を思い出し、篠崎は堀田の家に訪れた。
それが今につながる始まり。
「堀田よ、時代を変えたくないか?」
 突き詰めれば篠崎のその台詞は単純な一言であった。だが、二十代半ばにもなって家庭も持たず、兄夫婦の世話になっている堀田からすれば、それは十分な惹句となった。元来堀田には確固たる討幕思想などなかった。むしろ保守的な考えが自ずと頭の中にこびりついており、どちらかというと幕府の政権維持を願っていた。だが、あまりに手持ち無沙汰な現在の自分からすれば、篠崎の誘いは十分な動機になりえた。変わらない自分を変えるために、その手段として時代を変革する一員となる。変わらない時代を変えるために、その元凶である旧態依然の徳川幕府を討つ。三百年止まり続けた時間を再び動かす。安易で簡易的な因由(いんゆ)ではあるが、維新という言葉に向かい、兎に角、堀田は動き始めた。付け焼き刃な情動である事はまだ否めない。それは堀田も自覚していた。それでも今は激嵐(げきらん)の中に身を任せる以外すべき事はなく、また、堀田自身もそれに生き甲斐を感じていた。
「おいおい、二人とも。今は総助という人斬りの話をしているのだぞ」
 篠崎は枕屏風を軽く叩き注意を促した。
「分かっている。だからお前らを呼んだのだろう」
 倉沢は落ち着いた口調で返した。
堀田と篠崎の両名は近頃京洛に暗躍する人斬り、断鉄の総助の探索のために上洛していた。
 幕末の京都は岡田以蔵や田中新兵衛らを筆頭に、人斬り連中が天誅の名の下に、その暗殺剣を容赦なく振るえる地になっていた。その多くは薩長に与した者達の仕業であったが、最近になって幕府側に属する人斬りも現れ始めた。目には目を、人斬りには人斬りを。新撰組の大石鍬次郎しかり、京都見廻り組の佐々木只三郎しかり。そして、幕府側の人斬りと思われる断鉄の総助も然(さ)もありなん。
「どう思う、堀田?」
 突然、篠崎が話を振った。
「何が?」
「断鉄の総助。もし奴と向き合った時、お前なら奴を倒せるか」
「どうだろうな。人斬りというのは技量云々ではなく、度胸があって場数を踏んでいる奴の方が腕は立つからな。それを考えると総助という男はかなり手強そうな印象はある」
「道場剣法では通用しないか?」
「ふ、俺の培ってきた剣法はただの道場剣法ではない。より実戦に近いものになっている」
「自信あり、ということか?」
 篠崎の問いに堀田は特に返事をしなかったが、酩酊しながら不敵な笑みをこぼし、黙って頷いた。つられて篠崎も笑みをこぼした。倉沢はそのような二人の様子を見て、
「しばらく京は荒れそうだな」
 と膳に置かれた肴を箸でつまみボソリと言った。篠崎は倉沢の台詞に神妙に頷いたが、堀田は相変わらず窓越しの月を気持ち良さそうに見ているだけだった。障子を通り抜ける秋の夜風が火照った堀田の頬を冷ます。堀田はほろ酔い気分の中、夢心地になっていた。維新という名の夢の途中。己がその時代の変革に参加しているという充足。京に暗躍する人斬りの件はそっちのけで、堀田は今宵の酔夢と自分の志に浸っていた。先ほど手繰り寄せた刀もいつの間にか遠くへと退けて。
 だが、そのような余裕を見せる堀田を他所に凶事は続いていた。
 堀田が篠崎と倉沢と共にしこたま酒を飲んだ三日後の日中。鴨川の土手で再び死体が見つかった。
 仏は逆袈裟斬りで一刀され、胴体及び両の二の腕から下が真っ二つに斬られていた。それぞれの肉片は計算されたように規則的に地面に置いてあったが、血と内臓物は無作為に散乱していた。また仏の顔は蝋人形のように血色を失い、目は見開き、口はへの字に曲がって絶命している。そして、側には肉体と同じく真っ二つに断たれた刀が落ちていた。それ即ち確実な斬殺死体。
 既に死体の周囲に幾人かの野次馬が群がっていた。やがて同心らが現場に駆けつけると、死体に群がる野次馬の中から二人の男が抜け出した。堀田と篠崎である。二人は青ざめた顔をしながら、しばらく黙って川沿いを歩いた。日差しはやや強いものの、秋冷の風に包まれた過ごしやすい未刻にも関わらず、篠崎は異様なまでに額に汗を溜めていた。
篠崎は額の汗を拭い、
「薩摩の大山忠彦(おおやまただひこ)だったな」
 と呟いた。堀田は唾を一飲みすると無言で頷いた。
「奴ほどの薬丸流の使い手があのように無残に斬られるとは」
 篠崎の独言を他所に、堀田は一人思慮にふけていた。
『真っ二つにされた刀。受けも許さぬ、凄まじい一刀だ。まさしく力の限り振り降ろした渾身の一撃。まさかこれが……』
「断鉄の総助の仕業か」
 篠崎のその一言に堀田は無条件に歩を止めた。
「どうした、堀田?」
 堀田は動揺しながら、
「いや、実際に奴が斬った死体を目の当たりにしたのは初めてだったから、その……」
 篠崎は詰まりがちな堀田の台詞を遮り、
「無論、今回の仕業が断鉄の総助だという事は定かではない。ただ俺は今まで奴が絡んでいたのではないか、と思われる死体を幾つか見てきたので申せるが、大山の殺(や)られ方もそれらに似ている。それとお前が駆けつける前に有力な話を耳にした。朝方、大山が斬られた現場から走るように去っていった男を目撃した人間がいてな。聞くところによると去っていった男の顔には傷があるらしい。口の隅から頬に伝わって裂けるような斬傷(きりきず)が」
「傷?」
「うむ。もしその男が大山を斬った下手人であり、さらに断鉄の総助であればかなりの手がかりになるのだがな」
 堀田はその場で考え込むと、
「傷、か」
 と呟き再び歩き始めた。先ほどまでの動揺していた様子が堀田の表情から消え平素に戻っている。だが、塞ぎ込んでいる有様は変わらなかった。篠崎は黙って自分の横を通り過ぎていく堀田を怪訝に思い、
「どうした、堀田。何か気になる事でもあるのか?」
「いや、何でもない」
 抑揚のない言葉を、目線を合わさず返す堀田。
「兎に角、こうも短い間に次々と犠牲者が出ると、よりいっそうこれら一連の事件は由々しき問題になってくる。我々もより多く情報を集め、見えざる敵を見つけなければな。まずは木戸屋にいる倉沢と会って……」
 やや早い口調の篠崎の言葉は、堀田の左右の耳をただすり抜けているだけだった。
『断鉄の総助』
 いまだに思慮にふけている堀田は、視線をずっと地面に落としたまま歩き続けた。
「おい、堀田」
 たまらず篠崎が声をかける。
「ん? な、何だ?」
「何だ、じゃない。さっきから様子がおかしいじゃないか」
「そりゃあ、ついさっきに同志の死体を見せつけられればおかしくもなる」
 台詞を吃らせながら堀田は返した。
「確かにそうだが。しかし、それだけじゃないだろう。何をさっきから黙って考えている」
「別に考え込んでいるわけではない。先ほどの大山の姿を見て動揺しているだけだ。お前のように斬殺死体は見慣れてないからな」
「俺だって慣れているわけではないが。なあ、堀田、お前……」
「篠崎。俺は少し疲れた。縄暖簾(なわのれん)で休まんか」
 篠崎の台詞を割り込むように堀田は強く言った。しばらく篠崎は堀田の顔を覗いたが、決して堀田は目線を合わせようとしなかった。
「うむ、そうだな」
 篠崎は諦めがちに短く言葉を返した。
 二人は近くの一膳飯屋に寄り冷茶を飲む事にした。堀田と篠崎は対面して座っていたが、お互い黙ったままだった。妙なバツの悪さを感じた篠崎は、何とか会話を練ろうと考えていたが、静かに茶をすするに留まっていた。隣では鳶職連中が陣取っており、昼間から安酒をあおっている。適度に騒いでいる彼らの様子を、篠崎は間が持たず苛立ちながらチラチラと見ていた。とその時、堀田が唐突に口を開いた。
「なあ、篠崎。時に弥生さんとは相変わらず懇意にしているのか」
「何?」
 堀田の意表を突く質問に、湯飲みを握ろうとした篠崎の指が止まった。
「弥生さんだよ、弥生さん。この前奈良の方に行ってしまったが、ちゃんと会っていたのか?」
「な、何だ、突然。そのような事を考えて黙っていたのか」
「いや、ふとお前と弥生さんの仲が気になってな」
「あのな、堀田。何をお前は勘違いして……」
「倉沢は知らんのだろう。お前と弥生さんの逢瀬を」
「だから! 何を勝手にお前は考えている。俺と弥生殿はそのような仲ではない」
 必死の形相で篠崎は抗弁する。だが、その表情には真剣さの中に、口もとの緩みが多少見え隠れしていた。
 弥生とは倉沢拓馬の妹、倉沢弥生(くらさわやよい)。しばらくは兄の拓馬のおさんどんとしてここ京都に身を置いていたが、激化する京都の内乱事情を倉沢が鑑みて、奈良にいる親戚の元へ弥生は送られた。それがつい先頃の出来事。その際に弥生の送別の酒宴が催されたのだが、その場にいた堀田は弥生と篠崎が他の連中とは違う雰囲気を醸し出しているのに気づいた。この二人はデキている、と。
「隠すな、隠すな。この前の送別の席で別れ際、寂しげな弥生さんの手をお前はしっかり握っていただろう」
 唇を引きつらせ敢えて卑しい表情を見せる堀田。篠崎は一瞬開いた口を止まらせた。
「お前、そのような所まで見ていたのか?」
「見ていたわけではない。お前らが見せつけていたのだ」
「…………」
 返事に詰まる篠崎。目線は徐々に下へと向かっていった。
「何を恥ずかしがる年か。子供じゃあるまいし」
「と、兎に角、俺と弥生殿はお前が考えている仲ではない、と申しておこう。と、兎に角、俺と弥生殿はそのような深い仲ではない、と申しておこう。と、兎に角……」
 あからさまに動揺している篠崎は、同じような意味の台詞を何度も反復し始めた。だが、幾度かの繰り返しの末、
「まあ、何度か二人きりで会っていた事はあるが」
 とさりげなく呟いた。
「やはり、な」
堀田はほくそ笑む。
「あ、いや」
 篠崎は咄嗟に言った事を否定しようとしたが、堀田のしたり顔を見てどうやら観念した。篠崎は場を誤魔化すように一気に冷茶を口に含んだ。堀田は鼻で笑うと、
「仲睦まじそうじゃないか」
 と満足気に言った。
「何だ、堀田。俺をからかいたいのか」
「別に他意はない。ただ最近お互い会ってないから寂しいのではないかな、と思ってな。奈良ならそう遠くもあるまい。会いにいけばいいものを」
「余計なお世話だ。俺はこの任が終わるまでは京を離れはしない」
 そう篠崎が言うと、堀田は一瞬口をつぐみ、
「そうか」
 と霞むような声で言うと、上気していた表情を徐々に素に戻らせた。そして、
「だが、もう一度くらい会っていた方が良いと思うがな」
 と告げた。堀田の顔に今までのからかい半分に語っていた笑みはなかった。むしろその眼差しには深刻さが篭っている。
「どうしてだ?」
 張り詰めた面持ちをする堀田の様子を疑問に思いながら篠崎は尋ねたが、堀田はしばらく瞬きを止めたまま視線を遠くへと向け、まるでその問いを聞いていないようだった。やがて思い出したように、
「今回の件が……いや、ただ何となくそう感じただけだ。何となくな」
 と投げやりな調子で答えた。篠崎は堀田の態度を訝しく思い、再度尋ねようとしたが、
「田楽でも食わんか。頼んでくれ」
 と篠崎の動きを抑えるように、堀田は張りのある声で突然言った。
「え? あ、ああ」
 篠崎も虚を突かれ反射的に相槌を打ってしまった。篠崎は腑に落ちないものの、注文を頼もうとした。その時、小さな声で堀田は独言を吐いた。
「……深町総助(ふかまちそうすけ)、なのか」
 呟きはあまりにも小さいため篠崎が気づくことはなかった。
                   *
「奴は裏手に回ったぞ!」
 同志の声が響く。
「追え、追うのだ!」
 さらに他の同志の声が距離を置いて聞こえた。
「堀田、お前は右から行け!」
 篠崎は熱っぽくそう言うと、自分は枝分かれする左手の道を駆けていった。一方、堀田は走り去っていく篠崎の様子を冷静に見守っていた。
『果たして奴なのだろうか?』
 己自身の思慮に囚われる堀田。当初疾走していた堀田の歩は徐々に遅くなっていき、やがてその駆け足はただの徒歩に変わった。
 時刻は夜五つ(午後九時頃)。聖護院付近で薩摩の志士二人が何者かに斬られた。だが、その内一人は刀が肩を掠められただけに留まり、すぐさま仲間が集まる邸に駆け込んだ。そして、堀田や篠崎を含めた数名の薩長の志士が人斬り捜しに没頭し、今その人斬りの足が付いた。
「恐らくは断鉄の総助」
 先ほどそう言った篠崎の台詞が堀田の頭に残っている。
 敵は近い。にも関わらず堀田の足は鈍く動いていた。走る気力が無論ない訳ではないし、またそれを怠っている気も本人にはない。堀田の側に誰かがいて、走って追うように急き立てられれば、駆けずり回る事は可能である。だが、他の仲間はそれぞれ散り散りに追いかけ、堀田の横には誰もいなかった。そのような状況のために堀田は 一人思索にふける。
『総助。果たして断鉄の、いや、深町……』
 堀田は気が付くと荒神橋の袂に来ていた。
「…………」
 不意に堀田は空を見上げた。雲一つない新月の夜。月明かりがない分、黒い蒼天に数多の星々が魅せる様に舞っている。たった今人が斬り殺された事実。人斬りを追っている行動。そして、己の現在の立場。堀田は一瞬それらを忘れて夜空に身を委ねた。遥か天空より、みなみのうお座のフォーマルハウトが緩やかに輝く。
「静かだ」
 透徹した川のせせらぎのみが堀田の耳を冷たく抜ける。人気はない。直後、自らの背に堀田は視線を感じた。否、殺気を。澄み切った夜の空間が、不審な気配によって澱んだのに対し、無条件に右手の親指が刀の鍔(つば)に触れる。
『振り向くか? 抜くか?』
 その躊躇は命取りであった。だが、道場試合は兎に角、実践に乏しい堀田の脳裏では、熟慮の末の判断が正しいと思っていた。あくまで慎重に、というそれが。
『いや、単なる気のせいか』
 己の直感にすら疑いを持ち始めた堀田。その時、
「とっくに死んでますぜ、堀田さん。気を抜いているんですかい」
 と声が聞こえた。粗っぽくも若々しい音吐(おんと)が堀田の耳に残響する。ドスを効かせた低い声ではあるが、にわかにその声音は高く、どうにも無理に威勢を張った感があった。幼子がヤクザな大人に背伸びしようとするそれが。
有無を言わず反射的に背後を振り返る堀田。弱々しい星明りの下、身の丈は堀田と変わらない位の一人の男が立っていた。見かけはひどく若い。童顔な顔立ちといっても構わない。男は不用意に堀田の前に仁王立ちし、右手には刃が血塗られた刀を、左手には鞘に収められた刀をそれぞれ持っている。
「ま、かくいう俺も刀が駄目になっていて、一人斬り損ねたんですけど」
 そう言って男は右手に持っている刀を草(くさ)叢(むら)に投げ捨てた。
「というわけで、斬り殺した奴から一振り拝借」
 男は左手に持っている刀を上げて見せると笑って告げた。笑みを漏らしたその口の左隅から、引き裂かれたような斬り傷が頬を伝わって見える。同時にその頬には笑窪が浮かび、幼い横顔も滲ませる。男が斬りかかって来るような様子はない。特に焦る事も、驚く様子もなく堀田は睨みつけて、じっくりと男を観察している。男も薄ら笑みを浮かべつつも、堀田を上目づかいに凝視する。やがて堀田は口を開いた。
「深町総助、か」
「左様で」
 深々と頭を下げながら間髪入れず返事をする男、深町総助。
「俺の名前を知っているという事は、やはりあんたは堀田甚蔵か」
 堀田は黙って頷いた。深町は仰々しく嘆息すると、
「いやあ、覚えていてくれて光栄です。良かった、良かった。この前に鴨川沿いを歩いている姿を見ましてね。もしかしたら、とは思っていたんですが。声をかければ良かったんですけど、何分そうそう表に出られない状況でしてね」
「断鉄の総助だからか?」
「そのような呼び名もありますね」
 眉間をポリポリと掻きながら深町は素知らぬ態度で答えた。堀田は何に対しても微動だにせず、硬い面持ちで深町の様子を窺っている。深町は腰帯に刀を差しながら、
「でも、本当に間違えなくて良かった。堀田さんじゃなければ後ろから斬っている所でしたよ」
「相手が誰であろうと斬れば良かっただろう。旧知の仲とはいえ昔話に華を咲かせるという間柄ではあるまい」
「俺も闇討ちまがいに人は斬ってはいますけど、堀田さん、あんたはそうもいかんでしょう」
「何故?」
「あんたとは勝負をつけたかった」
「…………」
 深町総助は数年前までは江戸で剣の腕を磨いていた。時同じ頃、堀田甚蔵も武者修行をしており様々な江戸の道場を巡っていた。その堀田が当時、神道無念流の鈴木道場で稽古に励んでいる所、道場破りよろしく志学(十五歳)にして深町総助がその門を叩いて来た。若輩者ながら荒々しい剣技で定評のあった深町は、その界隈では多少名の通った剣士になっていた。また深町という男は、癇癪持ちで酒飲みだった自らの父親を揉め事の際に斬り殺し、頬に伝わる斬り傷はその時出来たものだという、尾ひれを付けたような噂も流布しており、剣の腕以外でも話題になっていた。
 型の荒っぽさや気性の激しさも踏まえて様々な憶測も加わり、深町の存在は一種独特の雰囲気があった。狂剣といったそれが。だが、深町の相手として正面に立った堀田の敵ではなかった。堀田は数々の道場を渡ってきた中で、それぞれの流派の質や技を体得していた。つまり、道場剣法の手練(てだれ)ということ。単純に経験の差という部分でも実力の違いはあるのだが、兎にも角にも堀田は子供をあしらうように深町を負かした。だが、深町は戦い敗れて黙ったまま引き下がるような男ではなかった。
若さ。
それが激しくほとばしっていたからか。いずれにせよ深町は幾度負けを喫しても堀田に挑戦し続けてきた。堀田が修行の続きのため、他の道場に移る際も深町は追ってきた。顔に痣をつくり、口からは血を吐き、腕の骨を折ったのではないかと思うほど容赦なく打ちのめしても、深町は諦めずに立ち向かってくる。逆に根負けした堀田がわざと手を抜くなら、深町はそれに気づき激しく批難する。傍から見れば深町の一連の行動は恨めしさや負け惜しみの類いであったし、実際堀田自身も深町の中に執念以上の狂気を見出し始めた。
 しかし、とある雨天の日中。突然深町は竹刀ではなく真剣を堀田の前に持ってきて、真剣での勝負を望んできた。さすがにそれは出来ないと堀田は首を横に振る。それでもしつこく懇願するように深町は真剣勝負を押し付ける。それは憐憫の情を誘うような、深町が初めて見せる表情だった。だが、堀田は頑なに拒否し、結局真剣勝負は実現しなかった。そして、それ以来深町は堀田の前に現れなくなった。
 今、この時まで。
「聞いた話では小石川の伝通院で浪士隊(新撰組の前身)の募りにお前は参加した、と」
 堀田は暫しの沈黙を破り深町に尋ねた。
「行きましたよ。でも、やはり群れるのは性に合わなくてすぐに離れました」
「だが、お前は薩長の志士を斬っている。行動は共にしなくても幕府に与する考えは同じという事か?」
「どうでしょうかね。ただ長州は兎に角、薩摩の連中が許せんのですよ、俺にはね。長州は薩摩にさんざん痛めつけられたというのに、その薩摩と手を組む態度は確かに気に食わないが、平気で会津や幕府を裏切った薩摩の根性はもはや腐りきっている。こいつは俺の許せる所業ではない。だから俺は誰の為でもなく、俺の考えと怒りに従って斬っている。堀田さんこそここ京にいて、どうして俺を追っているんです?」
 堀田は質問されると再び黙ってしまった。堀田には深町が明快に言い切ったように、自らの考えや怒りを述べる、確固たる術がないのである。堀田は深町の問いを無視し、
「いつお前は示現流を……」
「いや、無駄な問答は止めましょうよ、堀田さん」
 深町は堀田の問いに長大息(ちょうたいそく)を込めて制止した。
「江戸にいた頃はそのようにお互いを知ろうとした仲ではなかったでしょう。いいじゃないですか、これで片付けてしまえば」
 と言うと深町は鞘から刀をやおら抜き始めた。一瞬堀田は目を細める。
「言ったはずだぜ、堀田さん。俺は勝負をつけたかった、と。俺はあんたと再会できたこの恐ろしい導きに、初めて天啓というものを感じているんだ。別に俺は伴天連でもないんですがね。だけど、今、俺もあんたも木刀や竹刀じゃない、人を斬り殺す為の本物の刀を握っている。それに堀田さんもどうやら俺を追っている、いわば敵みたいなもんでしょう。ここまで来たらお互い真剣勝負を避ける理由はないはずだ」
 堀田はやはり沈黙し動かないでいる。
「堀田さんも知っているだろう。俺は京に来てから何人もの連中を斬ってきた。辻斬りまがいな斬り合いだけじゃなく、立ち会った斬り合いの中でも俺は相手を殺し、生き残ってきた。江戸にいた頃とは訳が違う。もう堀田さんに手を抜かれるような腕じゃない。互角に斬り合えると、俺は思っている」
 深町はやや興奮気味に、そして、目を生き生きと輝かせながら語った。だが、いつまでたっても身動きせず、煮え切れない態度を取る堀田を見て、
「堀田甚蔵! 抜かねば斬るぞ!」
 と今まで静態していた様子を一変させ声を荒らげて言った。深町の叫喚に近いその声に、堀田の眉間が僅かに揺れたが、まだその手は刀の柄には動かなかった。強く歯軋りをして頬の傷を震わせる深町。
「堀田……」
 深町は堀田を睨みつけて、声を潰しながら言うと、徐に上段に構えた。その構えを見て堀田はようやっと己の右手を刀の柄に持っていかせた。満足そうにニヤリと笑う深町。だが、
「奴は橋を渡って逃げたのではないか。もっと手分けして探すのだ!」
 と堀田の遥か後方から人の姿は見えないが声が聞こえた。深町は声が聞こえた方を一瞥すると舌打ちし、刀を鞘に収め堀田から背を向けた。
「あんたがどんな考えを持ってここにいるか知らないが、俺は俺の考えを持ってここにいる。薩摩や薩摩に与する連中を根絶やしにするまで俺は斬り続ける。これからもそれは変わらない。だから堀田さんが連中と戯れていれば、またいずれ俺はあんたの前に現れる。俺は誰にも斬られはしない。俺は向かってくる相手全員を斬り殺す。そして、必ずあんたと決着を……」
 不用意にも背中を向けたまま深町は喋った。だが、堀田がそれを見て背後から刀を抜く気配はない。
「必ずな!」
 力強く最後にそう言い切り深町は走って去っていった。堀田は黙って深町が闇に紛れていくのを見送った。暫しの沈黙。そして、再び川のせせらぎが堀田の耳を通る。その時、
「どうした、堀田?」
 と背後から声をかけられた。堀田は一瞬肩を強張らせ、ぎこちなく振り向いた。後ろに立っていたのは篠崎だった。
「顔が真っ青じゃないか。体調でも悪いのか?」
 篠崎が心配そうに問いかける。
「い、いや……」
 堀田は今しがたの出来事に現実感を覚えず、朦朧とした意識のまま首を横に何度か振り、
「いやいや、少し走りすぎただけだ」
 と返した。
「それなら暫く休んだ方が良い。時に奴の姿は見なかったか?」
「…………」
「堀田?」
「分からん。皆目見当がつかん」
 力なく堀田は吐いた。
「そうか。では俺は川の方を下って探してみる」
 篠崎はそう告げて再び走っていった。堀田は篠崎がいなくなると突然大きく溜め息を漏らした。
「くっ!」
刀の柄に持っていっていた右手が震え出す。やにわに左手で震える右手を掴んだ。いつの間にか左の手のひらには冷たい汗が溜まっており、それが掴んだ右の手の甲を不快に濡らした。堀田は全身が小刻みに震え、また、大量の細かい脂汗に見舞われている事にも間もなく気づいた。
緩やかな微風が吹いている事は知らずして。
                   *
 すっかり萎えてしまった枝垂れ桜は、まだ来ない遠い春を密かに待っている。
 馴染みの団子屋の軒先の椅子に座り一服する堀田は、道を挟んだ店の前に並ぶ、すっかり禿げた桜の木を見て、ふとそのような感慨に浸った。そして、御手洗団子を一串口に運ぶ。
『季節が自然と移ろうように、人の心も時と共に変わる事はないのか?』
 堀田は己に問う。
『昨晩、再会した深町総助。己の激情に任せて生きている、ということ。むしろ以前よりも我の強さは増しているのではないか。あの若者は変わらずして疾駆している。この維新という時流に対して旧(ふる)きを守る。いや、時代は関係あるまい。奴にとって時勢などは借りてきた植木鉢程度のもの。自分自身が持っている信念にちょうど適した鉢に過ぎない。だが、考えてみれば奴の信念もまた借り物の植木ではないか。そうだ。深町総助は薩摩の連中が許せない云々の信念ではなく、己自身が熱く震わせている、やはり激情に生きている。それに人生を賭けている。時代や信念は都合の良い方便に過ぎない。深町は真剣に激情に生きているのだ。まるで己を燃やし尽くすかの如く。それは俺も同じだと、思っていたが』
 団子を食べ終え串を置く。そして、ほうじ茶を舌に染み込ませる。秋晴れの空の下、日差しは柔らかく、そよ風は草紅葉を揺らす。時代の激動を、京都の争乱を、そして、堀田の思いを他所に、気候はあくまで穏やかにそれら全てを包み込む。
『深町が俺の元から離れて何年経ったのだろうか。江戸にいた頃はやたらと喧嘩っ早くて、なりふり構わず勝負を挑んできたが、俺からすればただの子供相手の稽古だった。ただならぬ負けん気の強さとしつこい程の執念は確かにあったが、「堀田の兄ぃ!」と叫んで向かってくる深町は、今思えば仔犬がじゃれてくるようなものだったのではないか。兎に角、幼かった。背伸びしているだけだった。だが、今の奴は違う。今の深町は恐らく奴がかつて目指した剣士に、いや、羅刹になっているのであろう。俺の元から姿を消し、江戸から去ったその間に、奴が何を見て何を感じ生きてきたかは分からない。分かっているのは奴と対峙した時の俺の震え。あのまま斬り合いになっていたら、恐らく俺は斬られていたかも知れない。つまり、俺には何の覚悟もなかった。維新という時に流されて仮初に激動に参じ、仮初の立志を持ちフラリと生きているだけだった。ただ何となく己を鼓舞できていたからこの場所にいるだけ。そう、薄々気づいてはいた』
 堀田の目の前を子供らが通り過ぎた。手車を持っている子供を先頭に、他の子供らは彼を追うように走り去っていく。何気なくその光景を堀田は目で追うと、冷めたほうじ茶を口に含み、しばらく目を瞑った。生き生きとした子供達の表情が瞼に残る。駆け抜けた子供らの表情が深町の顔とダブった。
『だが、羅刹になったと思ってはみたが、頬の裂くような傷が目を引いてしまうものの、よく見ると深町総助はやはり童顔だ。まるで刀を独楽(こま)のように扱い、勝負そのものを楽しんでいる子供のように見える。一対一で向き合う勝負のそれを遊戯のように楽しむ子供。だからこそ奴は勝負を拒まれると、いつも寂しい表情になる。相手にされない事が耐えられない。親に無視されてすねる子供のようなものか。だからこそ奴は命を賭して様々な剣士や志士と向き合い、そして、時代と向き合おうとした。自らの生きた傷痕を残したかった。今思えば真剣を持ってきて俺に勝負を所望したあの時、奴は必死の覚悟で自分自身というものを俺にぶつけたかったのだろう。俺が勝負を拒んだ時の、深町の泣き出しそうな悲しい顔はまだ記憶に残っている。特にあの時の目は……』
 江戸に居た当時は深町に対して深い詮索などしなかったし、深町自身について大した思いも巡らす事はなかった。それが今同じ激動の渦中で、思いがけない再会を果たした事により、堀田の心情は大きく揺れていた。実は気づいていなかったが、深町総助に対して予想以上の理解を示していた事に。我儘な子供、という印象は江戸にいた頃から確かにあった。だが、それを裏付けするような熟考までには至らなかった。記憶の奥底に静かに培っていた、深町への思慮を堀田は自分自身不思議に感じる。
『やはり俺は深町と刀で決着をつけねばならないのだろう』
 それは堀田の内に秘めた誓い。いや、覚悟。
『俺と深町は結局斬り合わなくては生き方を見出せない輩なのだろう。今この時代の中では、それしか俺の人生にはない。だからこそ俺はここにいる。閑居していたから維新の波に乗ったわけではない。命を捨ててでも、尽くすべきものがあるから俺は刀を持っているのだろうが』
 しばらくの思案。自らの気持ちを昂らせる堀田。そして、
「決着、か」
 と一人呟き再び目を道端にやった。すると店の左手の方から篠崎がやって来た。
「遅いぞ、篠崎」
「すまん」
 篠崎は詫びて返したが、その顔は喜色ばんでいる。そして、堀田の横に座り、緑茶を注文した。すると堀田もほうじ茶をもう一杯注文し、
「どうかしたのか?」
 と篠崎に尋ねた。
「いや、遅れたのには理由があってな」
 篠崎は声を弾ませてそう言うと、一度咳払いし話を続けた。
「断鉄の総助と見受けられる件(くだん)の人斬りの、どうやら尾が見え始めた」
「尾が見え始めた?」
「うむ、口元から目立つような傷がある男だ。普段は素顔を隠しているかも知れんが、一度見てしまったら目立つ存在になる。そこで聞き込んだ所、顔に傷を持つ男の情報が少なからず舞い込んできてな。どうやらその男、伏見街道によく現れるらしく、東福寺の辺りを根城にしているという話が信憑性は高い。東福寺での目撃談も多々あるしな。しばらくはその周辺を探索してみる」
 意気揚々と語る篠崎。反射的に堀田は篠崎の顔を一瞥した。そして、顎を擦りながら、
「そうか」
 と語尾弱々しく漏らした。
「うむ、これで同志の敵がようやっと討てそうだ」
 茶をすすり満足そうに一息つく篠崎。堀田は両手で囲むようにして湯飲みを握る。
『同志の敵、か。そうだった。深町総助は紛れもなく敵であった。だからこそ俺は命を賭しても奴を斬らねばならない』
 湯飲みを掴む堀田の手に自然と力が入る。ふと足元に目を落とす堀田。すると隣に座っている篠崎の足が拍子を取っているのに気づいた。秋の過ごしやすい午後に心躍らせている様子には見えない。
「妙に顔が綻んでないか、篠崎」
 堀田はやたらと笑みを浮かべる篠崎の表情を疑問に思い尋ねた。
「ん、そうか」
「人斬りの行方が判明しただけ、とは言い難い顔をしている。他に何か良い話でも隠し持っているのではないか?」
「べ、別にないぞ」
「本当か?」
「…………」
 篠崎はしばらく黙ると、こめかみをポリポリとかきながら、
「いや、特に言うほどのものではないが、弥生殿が京都に戻って来るという話を倉沢から聞いた」
「ほう、どうしてまた」
「倉沢の義兄が京都にいるのは知っているだろう」
「ああ、聞いた事がある。倉沢の姉の旦那だったよな。倉沢の姉はずいぶん前に亡くなったと聞いているが」
「うむ。その義兄が体を患ってしまったらしくてな。なかなか病は重いらしいのだが、いかんせん看病する人が近くにいない」
「そこで弥生さんが看病のために京へ戻って来る、と」
「その通りだ」
「なるほど」
 堀田はいたずらっぽい笑顔を浮かべると、篠崎の顔をじっと覗いて、
「それでは倉沢の義兄には悪いが、篠崎の顔は綻ぶな」
 と嘆息混じりに吐いた。
「な、何を言っているのだ、堀田。俺は人斬りについての新しい情報を聞けた事以外に他意は持っていないぞ」
「では、そういう事にしとくか」
 必死になって弁解する篠崎に対して軽くあしらう堀田。その後しばらくは二人の掛け合いが続いた。また、その間は深町総助の事を堀田は忘れていた。
やがて堀田は禿げた枝垂れ桜を見ながら、人の生き方にも色々あるのではないか、とささやかな夢想をしてみた。
                   *
 十五夜は曇りがかっていた。だが、濃い月光は雲間から強引に這い出し、曇り空の下の暗夜を灰色に濁している。また、堀田の持つ刀の刃紋にも微かに光が届いていた。光は鈍く反射している。
 旅館の庭で上半身裸になって刀の素振りをしている堀田。上段に構えては刀を地面に打ち付けるように払う。この繰り返し。刀を振り落とす度に肩に溜まった汗が飛沫となる。自らの呼吸の乱れを確認しながら反復動作をする。だが、無心で刀を振っている訳ではなかった。
『命を賭ける覚悟は出来ている。死は恐れていない、はずだ』
 胸中、自分に言い聞かせるように堀田は刀を振るう。死は怖くない。むしろ望むところ、と強い気持ちで。振る毎にその気持ち、その心掛けは強くなるように思えた。だが、時折深町が斬った志士達の屍が脳裏をよぎる。その瞬間、刀を振る動きが止まる。躊躇が入る。刀の柄を握ってはいるが、再び刀を持ち上げて上段に構える事ができない。堀田は首筋に流れる汗を手の甲で拭った。その汗に冷たさを感じる。
『果たして俺は深町を斬る事ができるのか。示現流を手にした、俺の知る由のない力量を持つ深町総助を倒す事はできるのか。生死は等分に秤にかけてあると思っていたが、それは俺の勘違いだったか。死はより俺に近いところを追っているのではないか?』
 現実としての死を再認識する堀田。そこには命を賭けて刃を交えるなどという熱情はない。決着をつける、という信念もない。限り無く暗く底冷えした、ただ単純な破滅のみの死。決闘という意味から陶酔感を排除し斬殺だけを追求した時、堀田の頭の中をごく世間並みの死の恐怖が縛り始める。
『深町は勝負そのものを楽しみ、生き甲斐にしているかも知れないが、俺は違う。命の駆け引き自体に何の魅力も感じない。真剣勝負には生きるか死ぬかしかない。ただ一度きり。道場試合のように、試合が終わった後に自らの動きや技を省み、また次の糧になるような成長の機会すら与えられない。何故なら死した者にもう一度という事はないのだから。そう、真剣勝負は精神の鍛錬でも、技を切磋琢磨するものでもない。ただの殺し合いなのだ。道場試合とは似て非なる全く違う……殺し合いだったのだ』
 その時、熟慮にふける堀田の耳に、自然と鈴虫の声が入ってきた。夜空を見上げると蔽(おお)っていた雲が徐々に切れ始めているのに気づいた。地面に目をやれば、庭先に生えている紫苑(しおん)が月光によって微かに色づいている。刀の柄を握る汗ばんだ堀田の手に、やにわに力が入り始めた。
「馬鹿か、俺は」
 堀田は歯軋りをしながら吐くように言うと、再び刀を振り始めた。
『何を今さら考えている。何を今さら思っている。二の足を踏んでどうこう出来るほど甘くないのは分かっているだろう。本当に維新を起こすのならば。時代を変えねばならぬならば。その為に節目が必要なのだ。それは……』
 深町総助との決着。深町との戦いに堀田は一つの意義、一つの決心を見出そうとした。それは維新の為の通過儀礼。避けては通れぬ試練。そして、堀田自身が変わる為の対峙。指針として現れ始めた生き方を今になって曇らせたくはない。強い思いが揺れ動く堀田に確かな地盤を築こうとする。
『俺が俺である為に、俺は斬る。逆に斬られようとも』
 堀田は上段に構えたまま動きを制止し、力を溜めた。堀田の上腕二頭筋が川面から飛び跳ねるボラのようにしなっている。
「はっ!」
 掛け声とともに力強く堀田は刀を振り切った。風を裂く手応えを手のひらに覚える。
『斬り合わなければならないのだ』
 再び刀を持ち上げ、より高く上段に構える。そして、より速くそれを落とす。敢えて口を噛み締めて掛け声を殺した。すると今度は風が揺れるのを頬に感じた。
「はあ、はあ」
 動悸が激しくなり、呼吸はより乱れ始めた。だが、堀田自身は幾分晴れた表情をしている。とその時、渡り廊下から荒っぽい足音が近づいてきた。
「堀田!」
 やって来たのは仲間の志士であった。
「どうした?」
 一息つくように堀田は尋ねたが、相手は顔面蒼白、あからさまに焦燥している。志士は大げさに唾を飲み込むと、
「し、篠崎が……」
 と言いかけ声を詰まらせた。
                   *
 夕暮れの日差しが障子を通り抜け、染み入るように部屋に広がり、黙って向き合い座っている堀田と倉沢を撫でるように照射している。静謐に満ちたその空間は穏当な様子を一見与えていた。ただ二人はそれに相応しくない険しく強張った表情をしている。安閑とした気配はない。
 時刻は昼七つ(午後四時頃)になろうとしている。お互いが集まってから半刻が過ぎようとしていたが、ほとんど会話は交わしていない。堀田は遠い目をしながら窓から外の景色を眺め、倉沢は袴の袖を無聊に引っ張ったり緩めたりしているだけ。だが、しばらくして仲居がお茶を運びにやって来ると、倉沢は側に置いてある自身が持ってきた風呂敷包みを手元に寄せ、ようやっと口を開いた。
「無念だった」
 倉沢のその台詞に堀田は反応し、倉沢の顔を反射的に一瞥した。さらに倉沢は続けて、
「実に無念だった」
 と溜め息混じりに漏らした。堀田は視線を再び窓に戻し、
「篠崎は東福寺で斬られたらしいな」
「ああ。篠崎は断鉄の総助の行方を追っていてな、当初は野村(のむら)と共に行動していたのだが、野村が仲間を呼ぶため篠崎と離れているその間に……」
「…………」
「しかし、篠崎も功を焦りすぎた。何故に仲間の到着を待たずに一人で奴のもとに向かってしまったのか」
 顎に生える無精髭を擦りながら倉沢は言った。堀田は倉沢の脂気のない無精髭を見ると、日頃の激務に追われている、と思った。倉沢は再び嘆息して、
「いや、俺が篠崎を急かしすぎたのか。早急に断鉄の総助の件を片付けろと言い過ぎて」
「違うな」
「え?」
 倉沢が顔を曇らせているのを他所に、堀田は即答した。そして、それ以上を語りはしなかった。
『恐らく篠崎は弥生さんが戻って来る前に何もかもを終わらせたかったのではないか。だから忙しく一人で動いてしまった』
 堀田は鼻準(びせつ)を人差し指でなぞりながら顧みる。すると倉沢は堀田の考えを察したかのように、
「もうすぐ弥生が戻って来るというのに」
 と呟いた。堀田は鼻に触れている指の動きを止めた。
「弥生に何と言えばいいか……」
 倉沢は嘆じるとお茶を一気に飲み干した。その様子を堀田は目の当たりにすると、一人小刻みに首を縦に幾度か揺らした。
『そうか、倉沢は篠崎と弥生さんの仲を知っていたか』
 直感だった。堀田もお茶で舌を潤す。
「篠崎……」
 倉沢は絞るような声を出す。小声ながらも力強く。そして、両の手のひらを絡ませると、
「だが、篠崎の死、同志たちの死がとうとう敵を追い詰めた。断鉄の総助のおよその居所は見当がついたからな。間もなく奴を襲撃し、そして、皆で奴を討つ」
 今度は声を明瞭にして、気を張って言ってみせた。
「待ってくれ。その役目は俺一人にやらしてくれ」
 対して堀田は静かに、また低く返す。
「何を言っている、堀田。奴は我々の敵だ。皆で討たねばなるまい。それに断鉄の総助。あの男は流浪の人斬りとはいえ、かなりの腕を持っている事は衆目も認めていること。一人でなどと……」
「頼む」
 堀田は倉沢の台詞を遮り、相手の目を見据えて告げた。倉沢は表情を曇らせながら尋ねる。
「何故?」
 堀田は一瞬間を置いて、
「深町と、いや、断鉄の総助と俺は旧知の仲だ」
 と答えた。
「な、何?」
 身を乗り出して再び問い返す倉沢。一方、堀田は平静を保っている。
「断鉄の総助の本名は深町総助。奴とは江戸に居た頃、一時同じ道場で学んだことがあった。それほど深く知り合った間柄ではないが、それでも幾度か竹刀を交えたことがある。ただそれだけの間柄だが、まあ、多少なりとも因縁があってな」
 淡々と語る堀田。倉沢は眉間に皺を寄せながら黙って聞いていた。
「間違いなく断鉄の総助は堀田の知っている深町という男なのか?」
「間違いない。一度会って確かめた」
「どうして今まで黙っていた」
「余計な疑いをかけられたくなかった。俺が断鉄の総助を知っている事によって、他とあらぬ繋がりがあると思われたくなくてな」
「…………」
 倉沢は胡座をかいていた足を組み直し、瞼をゆっくりと閉じた。そして、額に手の甲を擦りつけ、黙り込んだ。しばらくして倉沢は目を開いたが、額には握り拳を添えたまま、堀田の顔を見つめている。堀田は倉沢からの視線から目を逸らす。だが、すぐに見返し、
「いきなりこのような事を言って、倉沢がどこまで信じてくれるかは俺には知る由がない。しかし、これ以外の事実を話す術を俺は持っていない」
 と言葉一つ濁らすことなく滔々と語った。倉沢は唇を少し尖らせ、
「信じるも何も……」
 と言って声を詰まらせた。だが、咳払いした後、再び言葉を繋げた。
「信じるも何もそれが事実なのであろう。今まで黙っていた事は承服できないが、ここに来てその事をどうこう言っても仕方あるまい。断鉄の総助と堀田に縁故があったとしてもな。いずれにしても堀田は断鉄の総助を俺と同じく、仲間の敵と見なしているのに相違はないのであろう?」
「無論だ」
「ならば無用な言及はすまい」
 倉沢はそう言うと両肩を回し筋肉をほぐした。
「すまん、倉沢」
「詫びられる用件はない」
 堀田の顔を見ずよそ見したまま倉沢は答える。
「だがな、堀田。一人で断鉄の総助を討つという話は……」
「勝手だという事は十分承知している。深町の事も内緒にしていたのだからな。だが、全て吐いたついで、奴の事は俺に任せてくれ」
「よく考えろ、堀田。お前と断鉄の総助にどれほどの因縁があるかは知らぬが、お前とてあの男の実力はここに来て分かっているだろう。どのような手段かは分からぬが、仲間内ではかなりの腕前を持った篠崎も奴に斬られてしまった。お前の腕を信用していないわけではないが、命を落としかねない事を放っとくわけにはいかん。多勢で仕掛ける事が可能だというのに。それでもお前はたった一人で奴の首を取れるのか?」
 さすがに倉沢は冷静に物事をみているな、と堀田は思うと同時に、堀田自身の脳裏に浮かんだのは己の死。刹那、堀田の背に悪寒が走る。
「分からない」
 堀田はけだし本音であろう一言を無心で呟いた。
「だが、無駄死にはしない。刺し違ってでも俺は……」
「無駄じゃなかろうが無駄であろうが、俺はこれ以上仲間の死人は出したくない。しかも敢えて火中の栗を拾うような行為によってな」
 強い語気で堀田の言葉を倉沢は遮った。堀田は歯軋りして見せたが、抗する言葉を持ち合わせておらず、黙って俯いてしまった。言い放った倉沢の方も腕を組みつつ考え込む様子になった。
「倉沢、汲み取ってくれ」
 堀田は請うように声を出し、倉沢を眼光鋭く見つめた。私情以外の何物でもない堀田の頼みが、理にかなっていないのは堀田自身も分かっている。だが、もはやそれしか堀田にとって倉沢に返す言葉がなかった。倉沢も堀田の真剣な眼差しに捕らわれた。その瞳の中には揺籃(ようらん)する蝋燭の火のそれが宿っているようだった。その時、倉沢は目を見開かせた。そして、徐に側に置いてある風呂敷包みに目をやった。
「分かった、堀田。お前がそれほど断鉄の総助との決着に拘るのなら、これ以上は深く言うまい。だが、先ほども言ったように、お前が奴に斬られ再び我々が敵討ちをする、というような事は絶対にしたくはない」
 そこまで言うと倉沢は風呂敷包みを手に取り、ゆっくりと堀田の方に差し出した。
「これは近頃手に入れたものだ。会津の連中とスネル商会の取引を偶然薩摩の同志が嗅ぎつけて、その取引の現場で徴収したものの一つでな。護身用にと思っていたが、堀田に託す方が良いだろう」
 堀田は怪訝な顔をしながら黙って倉沢から風呂敷包みを受け取った。風呂敷の中身のものは一尺近くあり、また、包みの上からの感触は、妙に硬い、という印象であった。
「これは?」
 堀田は倉沢の顔を覗き込むように尋ねた。
「開ければ分かる。後はお前の好きにしろ」
 と倉沢は言って目を外の景色にやった。つられて堀田も視線を同じ方に向けた。陽がだいぶ傾いてきている。堀田の目には澱むような茜色の空が映っていた。
                   *
 その日は灰色の群雲が空一面を覆っているせいで、昼八つ(午後三時頃)だというのにやけに薄暗く、また、秋雨が静かに辺りを包んでいた。
『しばらくこの雨は続きそうだな』
 堀田甚蔵は東福寺の通天橋に佇み雨をしのぎながら、そう予感した。雨は時に強く、時に弱く降り続ける。この時節、通天橋から眺められる紅葉は華奢(かしゃ)な様相を呈しているが、久しく降る秋雨に打たれて、紅葉の衣は一枚、また、一枚と剥がれ落ちていく。
「そういえば、あの日も雨だったな」
 深町総助が真剣を持って勝負を挑んできたあの日。ずぶ濡れになって堀田が通っている道場に転がり込んできた深町。必死になって深町は勝負を懇願するも、無下に断った堀田。その時の何とも言えない深町の寂寥に満ちた哀しい瞳。
『雨が降っているとはいえ、どうしてその事を思い出すのか』
 自らの想起に対して疑問を浮かべる堀田。
『同情』
 一瞬そのように考えたが、すぐにそれは否定した。堀田は仲間の志士や、篠崎の敵を討つために、若干の決意を持ってこの場にいるのだから。深町総助はつまり断鉄の総助という名の仇なのだから。
「篠崎の敵、か」
 敵。改めて堀田は深町の所業を反芻してみる。
『俺は篠崎の死に対して、深町に憎しみのようなそれは浮かばなかった。それは今でも変わらない。ただ深町はもしや友になれるべき人を殺してしまったのではないか。そのような気懸かりがある。荒っぽい性情の深町と、物静かな篠崎はある意味相反している。だが、根っこの部分では通ずるものがあったのではないか。一つの筋があるという生き方に対しては。いや、篠崎だけではない。深町が斬ってきた志士達だって同じだ。皆、芯のある男達だった。もし深町が一匹狼を気取らず、また出会った形が違っていれば友になれたかも知れない。それはあまりにも独り善がりな考え方であろうか。互いの考えている立場が違いすぎる。それに深町はあくまで本能で生きている部分がある。所詮は交わり合わぬ志であったか。ただ深町は俺のような男に拘泥する必要はなかった。決着をつけたい、などと』
「…………」
 悲しみでも憎しみでもない感情が渦を巻き、複雑な思案を巡らせる堀田。さらに思い出が錯綜する。温もりすら覚える奇妙な回想。所在無く耽る堀田は、腰帯に落とし差している刀の柄に指を掛けた。
『あの日、あの時、俺が深町と本気で向き合い、そして、真剣の勝負を受け入れていれば、また違った生き方があったのではないだろうか。例えどちらかが命を落としていたとしても』
 後悔。いや、後悔に似た想いを抱く堀田。どうして後悔ではなく、後悔に似た想いなのか? それは仮に時が遡り、もう一度深町との真剣勝負をする機会に恵まれたとしても、恐らく同じように勝負を拒んでいただろうから。
『あの頃の俺と深町ではどう見ても俺の方に腕の分はあった。にも関わらず勝負を拒んだ理由。深町を斬り殺したくない、などという思いやりではない。ただ単純に怖れていたのだ。真剣で勝負をするということを。だが、維新に身を委ね俺は命を賭ける覚悟を決める事ができた。全てを捨てる事を拒まず、死を恐れず、何に対しても臆せず、故に変革を担う者の資格は得たはずだとも。あの頃の俺ではない。俺はもう変わった、と』
「そう思っていたが」
 雨が堀田の頬に僅かにかかる。
「いや、そう信じていただけか、願っていただけか……」
 目を瞑り雨音に耳を傾ける堀田。降る雨一滴一滴が細分されて堀田の耳に染み渡っていく。今の堀田にとって雨は集合体ではなく、個の存在として耳に伝わっていた。
 堀田は腰に帯びている刀の鞘を軽く橋の欄干に打ちつけた。
『承知はしていた。数多の道場で剣術を磨きながらも、薄々と俺は気づいていたはずだ。この時世に幾ら剣の腕を研鑽したとしても、もはや時代と折り合ってはいないと。時の行く末は剣ではない違う何かが必要なのである、と。だが、無駄と分かっても俺には他になかった。せめて維新の中で仮初に身を焦がす雑兵になるしかなかった。そう、仮初に。故に俺は剣に、維新に徹する事が遂にはかなわなかったのだろう』
 やや自虐的に堀田は回想する。思わず握り拳をする。手首に浮かぶ血管。手のひらに食い込む爪が肌に痛感する。
『結局、熱い男ばかりが早死にする世の中なのだな』
 堀田は冷めた諦念を抱く。その時、濡れた着物が擦れる音が聞こえた。ゆっくりと堀田はその音の聞こえた方を向く。
「堀田さんじゃないですか」
 全身雨に濡れた姿の深町総助が屹立していた。その姿、水浸しになっているとはいえ、萎えた感じには見えない。薄笑いを浮かべるその顔は精気に満ちている。それは一目見て堀田も分かった。
「来たか、深町」
 落ち着いた声音で堀田は言う。
「へっへっへ、光栄ですね。待っていてくれたんですか、堀田さん。でも、どうして俺がここに来ると分かったんです? 偶然にも程がある」
「お前が東福寺の辺りにいるというのは承知していた。それに雨をしのぐのならば見晴らしの良いここに来るのではないかと睨んでいてな。何よりも、いずれ会うだろう、と言ったのはおまえじゃないか」
 深町の二重瞼の目が細くなる。
「どれくらい待っていたんです、堀田さん」
「わざわざ待っていたという気になる程ではない」
「そうですか」
「そうだ」
 淡々と続く両者の問答。互いの声に起伏はない。堀田は雨雲に目をやり、
「最近また人を斬ったか?」
「どうでしょうね。いつまでが最近と言っていいのか分からないもんで」
 髪に溜まっていた雨水を掻いて答える深町。堀田はまだ目線を合わさず、降り続ける雨を注視する。
「…………」
 無言の堀田。深町の袴から滴る水の音が、降雨に混ざり微かに耳を打つ。
「どんな用があって待っていたなんて、野暮な事を聞いてもよろしいですかね?」
 口調は軽妙な感じだが、表情は強張ったまま深町は尋ねた。
「…………」
「まさか昔話に華を咲かせにでも来たんで?」
 言葉を返さぬ堀田に対して皮肉っぽく深町は言った。
「まさかねえ、堀田さん。俺たちはじゃれ合う仲じゃないって……」
「お前を始末しに来た」
 堀田は深町の台詞に重ねて言った。それは感情の篭っていない言い様だった。深町は堀田のその言葉を聞くと、一瞬眉を引きつらせた。
「お前を斬りに……いや、違うな。殺しにきたのさ」
 穏やかな言い方で再び告げる堀田。深町は堀田を睥睨(へいげい)すると、
「斬り殺されに来た、の間違いじゃないですか」
 とやや力みながら返事した。さらに堀田をじっと見据える。だが、堀田は深町の視線に構わず、まだ深町の方に顔を向ける気配はない。堀田はずっと雨の景色を眺めたまま。それが深町には気に入らない。
「殺すのは俺の方ですよ、堀田さん。今まで俺が何人斬ってきたと思っているんですか。斬り合いの駆け引きに関しては……」
「そう、お前は人を斬りすぎた」
「は?」
「お前は俺の仲間を殺しすぎた。だから俺はお前を成敗しに来たのだ。刀を持って遊んでいるような輩に、無念にも殺された志士達の弔いの為にもな」
「遊んでいる、だと?」
 歯軋りして捻り出すように言葉を発する深町。また、その表情は明らかに怒気を帯びている。
「俺は俺の信念を持って生きてきたんだ。斬ってきたんだ。お前に何が分かる!」
 吠える深町。
「それは俺の知る由ではない」
 平静に返す堀田。さらに続けて、
「お前は俺にとってはただの人斬りだ。断鉄の総助でも、深町総助でもない。そこら辺に徘徊している、野良犬まがいの辻斬り風情にすぎない」
 とやはり落ち着いた口調で言い放つ。深町は言葉を失ったまま立ち尽くしていた。ただこめかみに、また眉間に青筋を立てながら。
「もう無駄な御託は必要ないのではないか、流浪人」
 あからさまに挑発的な台詞を堀田は吐いた。深町の肩が、腕が、髪が、唇が、そして、頬に刻まれている裂傷が震える。
「堀田甚蔵、刀を抜けぇ!」
 深町はそう叫ぶと鞘から刀を抜き、刀身に付着している水飛沫を払うと、さらに鞘を地面に叩きつけた。一方、堀田はまだ動く気配を見せない。だが、深町は構わず憤怒したまま、堀田の方へいきり立って歩み寄る。
「深町、お前幾つになった?」
 迫る深町に対して突然奇妙な質問をする堀田。
「は?」
思わず歩を止める深町。口を半開きにしたその表情はあきらかに戸惑いが見える。しばらく深町は間を置くと、眉間に皺を寄せて、
「……霜月には二十歳に」
 と訝しげに探り探り答えた。堀田は黙(しじま)を守っている。その間に雨の勢いが一気に強まった。激しく奔(はし)る雨に堀田は気づくと、我に返るように一人頷き、
「そうか」
 と呟いた。怒りに揺れた空気も忘れ佇む深町。やがて堀田は溜め息をつくと、直立している深町の方を振り向いた。と同時に懐中から何かを取り出す。
 コルト・M1851・ネービー・リボルバー36口径。堀田が取り出したのは、雷発回転式のピストルであった。
 銃口は深町に向けられた。そのピストルは何も語る事なく、錆びた褐色の艶を放っているだけ。無論、堀田が語るべき言葉もない。
 深町の顔は一瞬にして凍った。そして、全身を震わせた。それは怒りによって震えたわけではない。銃口を定められたという恐怖感からでもない。
 痛み。
 その震えは痛み、だった。震えが止まると、掴んでいる刀の柄を手から落とす感覚に襲われる深町。だが、すぐに深町は強く握り直し、黙って堀田を見つめた。堀田の気色に変化はない。狙いを定めるため片目を細めている程度。深町の顔にも既に険はなかった。ただ瞳だけが違っていた。
 何故。
 深町の眼は然(さ)の如き無言の問いかけを帯びているようだった。少なくとも堀田にはそう見えた。
『俺はこの目をいつの頃か見たな』
 深町の瞳の色に絶望的な哀しさを感じると同時に、奇妙な懐かしさを堀田は抱いた。
 しばらくして深町は剣を上段に構えた。ゆっくりと刀は振り上げられる。無表情のまま堀田に近づく深町総助。その足取りは、重く。
堀田は深町の目を見ながら、徐に撃鉄を引いた。撃鉄を引いた親指が僅かにざわめく。
『そうだ。あの目は何時(いつ)か見た』
 憶(おぼ)え、はある。それは叙景にすらできるほど。
だが、それもしばらくしたら忘れる事ができるだろう。時が経てば、必ず。
 哀願。
 堀田甚蔵は請う想いを引き金に託す。
 なおも降り続ける雨の中で。
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