灰色の迷宮

浦原 風見

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2 深夜のコテージにて

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 空くんは、空ちゃんだった。

 一時期、性自認が男性の時期があったらしく、それについて悩んでいた時期があったらしい。

 彼女の男っぽい(おじさんっぽい)振る舞いには、そういうわけがあったのだ。

 ちなみに今の性自認は特にないらしい。

 自分は自分で、男とか女とか、そういうのはどうでも良いし、そういうのにこだわることが時間とエネルギーの無駄という結論に至ったらしい。

 もっと言えば、空ちゃんは空さんだった。

 彼女は、食事をしながら、色々な写真や日記、仕事中に着ているパンツスーツなどを見せてくれた。

 普段は県警の捜査一課を手伝っているらしいが、彼女の扱う事件のほとんどは外国の要人や有名人が絡むもので、さらにそのほとんどは事件というよりはお悩み相談や、身辺警護のようなものなのだとか。

 空さんが見せてくれた写真には、有名人とのツーショットや、いかめしい顔をして周囲を見渡す空さん、こっそりと舌を出しながらピースをしている写真なんかがあった。

 さらに、時にはインターポールの捜査に参加したりもするらしい。

 インターポール。

 映画とか小説でしか見たことも聞いたこともないけど、なんかすごい組織だということぐらいはわかる。

 空さんは、なんか凄い人だった。

「色々ギリギリだったんだよね。刑事になるの」空さんは、椅子に片足を乗せながらワイングラスを揺らした。「能力は問題なかったんだけど、身長とか体重とかね。骨が細いし、体重が特に苦労した」

「そうだったんだすね」敬語じゃなくて良いと言ってくれたけれど、彼女が本物の刑事だと知ってからは、なんだかかしこまってしまって、いまいち喋り方が安定しない。もう少し気をつけてみよう。「その、素敵だと思うます」

 空さんはにやりとした。「ユートくんってロリコンなわけ?」

「いや、違います」

「ちなみにぼくはショタコンだよ」

「そうだったんですね」

「いつだって欲望を満たしたいと思ってるけど、世の中が駄目って言うから満たせない。溜まった欲求は、だめって言っても聞かない子たちに向けてる」空さんは、俺のワイングラスにワインを注いだ。「つまり犯罪者たちってことね」

 良いのだろうか、刑事が未成年に酒を注いでも。

「良いんですか?」俺は、ワイングラスを揺らしてみた。香りを立たせるためだと、テレビで言っていたけれど、あんまり良くわからなかった。

「良いよ、飲め飲め。ちゃんとした大人が見てる前だから良いんだよ」

 俺は頷いた。「俺を酔わせてどうするつもりですか?」

「ユートっちの口を軽くしようと思ってね」

 俺は小さく笑った。「だせえあだ名つけんなよ」

 空さんは声を上げて笑った。「最近の若い子は真面目すぎんだよね。九つしか離れてないけど」

「そう思う?」俺はワインを少しだけ口に含んだ。苦みの奥にブドウの香り。まろやかな口当たり。大して美味しいものでもなかった。

「どう? ぼくのお気に入り」

「このワイン?」俺は、ワインを口に含んだ。「美味しいね」

「不味そうに飲むねー」空さんはニヤニヤしながら俺のワイングラスに注いだ。彼女は、一息でグラスを空にすると、おかわりを注いだ。ナイフとフォークで、分厚いステーキを切り分ける姿は、手慣れている様子で、上品。なんだか少し格好良かった。「ちなみに、今晩の飯は、ユートくんの奢りだよ」

「え?」

「経費で落ちんの。家出少年の保護も、ぼくが申請すれば立派な業務になるからね。税金で食うステーキは美味いわ。ごっつぁんです」

「税金泥棒」

「へっへっへー」空さんは上機嫌でワインを啜った。「税金で良い子のカウンセリングするんだから文句言われる筋合いないよ。ワインとステーキとカレーと肉じゃがと、他にも色々、いくらかかったっけ。五千円くらい? カウンセリングなんて一時間三千円とかザラにあるじゃん。それに比べれば安いもんでしょ。任しときなよ。ぼくのカウンセリングは超一流だから」空さんはカッコつけた感じでウィンクをしながら舌と指を鳴らし、人差し指の先を俺に向けて、「ばきゅーん」と、見えない銃弾を放った。

 なんだか殺されそうな気がした俺は、姿勢を正して、いつでも立ち上がれるように足に意識を傾けた。

「そんで、なんで家出したの?」

「なんでかな」俺は、ステーキを切り分けて口に運んだ。「口が上手くないから、ちょっと整理させて欲しいな」

 空さんは、ワイングラスを揺らしながら、揺れるワインの水面に視線を向けた。「ご両親になんて言えば良い? 息子さんを保護してます、お怪我はないようですだけじゃ安心しないと思うよ」

 俺は、ステーキを飲み込んだ。

「ぼくが知りたいのは、きみが、ぼくからきみのご両親になんて言っておいて欲しいと望んでいるのかってこと。きみの気持ちがわかるって言ったじゃん。この件においては、ぼくは誰の味方でもない。きみの気持ちもわかるし、息子を心配するご両親の気持ちもわかるし。それでも、関わる人全員に対して出来る配慮はしたいし、どっちかって言うと気持ちはきみ寄りだからね。今きみの目の前で、生活安全課に電話しようと思うんだ。きみを保護した。ぼくは警視で偉いし、時間も割と余裕があるから、後のことはぼくが全部引き受けます。ユートくんのご両親には、ぼくが言った通りに伝えておいてください。え、なに? 文句がある? ぼく警視だよ? きみの上司よりも偉いんだけど、なんか文句あるの? って」空さんはにやにやしながら言った。

「ひっで。やな上司。権力の濫用じゃん。腐敗した政治家」

 空さんは笑った。「きみが逃げてまた行方知らずになったらぼくの責任になるから、頼みますね」

「意地悪しないなら逃げないよ」

 空さんは楽しそうな顔で頷いた。「それで、なんて言っておいて欲しい? 詳しい話は明日でも良いから、それだけ言ってよ」

「そうだなー」俺は、ワインを一口啜った。「ちょっと一人になる時間が欲しかったんだ」

「どうして」

 俺は、少しだけ考えて、口を開いた。「全部嫌になったんだ。前からこういうことしたかったし、夜、家を飛び出して、誰も俺を知らない場所で、一人で過ごすこと」

 空さんは、なにかを思い出すような、物思いにふけるような目で頷きながら、ワインを啜った。「ぼくが十五歳、中三の頃はね、学校の寮に住んでたんだ。別に学費の高い学校だったわけじゃないんだけどね、ただ、母校はどんな家庭にも充実したサポートをしてくれる学校だった。学費もゼロだし、お小遣いが欲しければ奨学金っていう名目で希望する金額を貸してくれる学校だったよ」

「良いね」

「児童養護施設の役割もあってね、ご両親のいない同級生とかたくさんいた。国際色豊かで、外国にも提携校がたくさんあって、留学とかも出来たよ。費用は全部学校が出してくれた。経営側は金が余ってて、将来有望な人材をたくさん作り出すための投資っていう感じで、優れた教育を望む人たちに与えるような、そういう学校だった」

「俺も行ける?」

 空さんは少し考えて頷いた。「重要なのは、面接なんだよね。人格とか価値観とか、そういうのに問題がない人だけが入れるんだ。育った環境とか、そういうのは考慮されない。ただ、必要な条件は、良い人、善良な人っていうことだけ」

「なんてとこ? 空さんの母校」俺は空さんにスマホを差し出した。

 空さんはスマホを取り、ポチポチ弄り始めた。「んーっとね」

 その後、俺はなんだかんだで洗いざらいを空さんに話した。

 空さんは聞き上手だった。

 それに、俺の方でも、バイアスがあったのかもしれない。

 空さんはきれいな女性だし、優しいし、刑事だから賢いんだろうし、隠し事なんかしても、きっと心を読むように見透かされちゃうんだろう。

 だから、隠し事やはぐらかしたりなんか、無駄なことをしても意味がない。

 実際、空さんは俺がなにかをはぐらかそうとしても、その都度、目ざとくそれを察して、直球だったり遠回りだったりな話運びで、俺がはぐらかそうとしたことを追求してきた。

 それでいて、そのことについて俺が怒りや悲しみや屈辱を感じないように、軽やかな冗談で、その場の空気を和ませてくれた。

 刑事としての賢さとはこういうものなのかと、関心しながら、気がつくと、俺は空さんにすべてを話していた。

 俺は、溜め込んでいたものを全部吐き出した満足感とともに、眠りについたのだった。
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