レゲネラプエッラ~無痛の不死身少女と病を喰らう紳士~

葦舟 賽

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不滅のからだ

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 地獄とは何でしょうか。それはきっと、病と苦しみと痛みの蔓延る世界のこと。きっと、生きることが何よりの責め苦となる世の中のこと。ならば、その国はきっと地獄でした。『フルカテーナ』。地上の地獄、陸の冥府。そんな国の東端に、小さな村がありました。牡鹿を信仰する小さな村です。森に囲まれていたので、狩猟と農耕によって栄えていました。
 村長は、自分たちのことを、牡鹿の神様に生贄を捧げることで、鹿を好きなだけ狩ることが出来る部族だと誇っていました。彼らの天敵は鳥です。彼らは鹿の死肉を喰らって量を減らすから。
 その村にはある少女がいました。痛みを感じず、死ぬことも無い。感情も無く、名前も無い。金髪に青い瞳の美しい少女です。彼女は月初めの日に生贄として神様に身を捧げていました。生きたまま、鹿のように解体されるのです。心臓は森の祭壇の下に埋めて、他の臓物は畑に撒きます。骨は砕いて家畜の餌に混ぜ、皮膚は乾燥させて漢方薬にして売ります。彼女は豊穣の印です。だからこれは、地獄の中でもっとも幸せなこと。


「馬鹿な宗教もあったものだね」

 小骨を繋ぎ合わせたような細長い指の中で、きらびやかな小冊子を弄りながら大男は呟いた。小舟の上だというのに、彼の体は船底と接着しているかのように微動だにしない。夜闇のインバネスコートに嘴の長い鳥の仮面、小さな帽子とヴェール。男はとても目立っていた。

「お客様は異国の方ですか」
 右腕が無い船頭が尋ねた。大男は「ウン」と頷き、小冊子を湖に投げ捨てた。
フルカテーナこことは違う大陸だよ。ずーっと遠くて、ここより緑は少ないかな」
「へえ、そうですか。___ああ、着きました。どうぞ」
「ありがとう、それでは」
 船着き場に小舟が到着すると、男は桟橋に軽々と飛び乗った。ふわりと舞ったコートの裾が不可思議にゆっくりと元に戻ったので、まるで鳥が羽ばたいているようだと船頭は思った。




 ザシュ、と肉の裂ける音がした。石の祭壇にドス黒い血が染み込み、観客は息を呑んだ。首から下の皮膚が剥がされ、骨から肉が削ぎ取られる。爪は今度から装飾品に使うらしい。綺麗な白いワンピースが真っ赤な布切れに変り果てる前までには、少女はもう死に果てる。
 生首は、毛髪や目玉、歯、脳を抜き取ってから、詰め物をして銀の盆の上に季節の野菜と一緒に一晩飾る。心臓を森の祭壇に埋めているから、次の晩にはそこから這い出て・・・・くる。耳にたこが出来る程聴いた自分の解体手順を脳内で反芻しながら、少女は小さく溜息を吐いた。意識が遠のいていく。大ぶりの鉈で切断された左足が宙を舞うのを見届けてから、少女は眠るように死を迎え入れた。失血死だった。


「起きろ」


 次に起きた時には、もう朝だった。今日は少しばかり遅いなと思いつつ、少女は声の聴こえてきた方を見上げた。視線の先には、見慣れた顔の村長がいた。いつもなら自分で土の中から這い上がらなければならない筈なのに、今日はわざわざ引き上げてくれたらしい。普段着の麻のドレスも既に着せられていた。

「今日はお客人が来る。高名なお医者様だ」
「……人を招いたのですか」
「最近年寄りが歯痛に悩んでいるからな。祈祷だけでは抑えきれん。粗相のないように。お前は両親が熊に食われたので村で育てられている娘と紹介している」
「……わかりました」

 村長のジャラジャラと金飾りがついた豪奢なローブが目に眩しく、少女は目を細めて返答した。彼の老いさらばえた指は、金と欲によって醜く折れ曲がって樹脈のようだ。粗末な寝台からゆっくりと床に足を降ろし、少女はその感覚を確かめた。ちゃんと骨も生え、肉も元通りになった。自分の再生能力には毎回驚かされる。
 世話係に鏡台へ連れていかれ、唇に獣の血の口紅、目元には鹿の骨粉と染料を混ぜた緑のアイシャドウを入れられる。つま先は村の外へ逃げるのを防止する為に起床時に切断されているので、再生を抑止するようきつめに包帯を巻かれ、金属製の靴を履かされた。最後に鹿革のケープマントを着せられ、少女の朝支度は終わりを告げた。

「行ってらっしゃいませ」
「……行ってきます。テッサさん」

 世話係の恰幅の良い女性が、少女の挨拶に見向きもせず玄関の戸を閉めた。少女にはそんな対応慣れっこだった。体が再生する人間など、痛みを感じない人間など、人間ではないと皆思っているのだろう。彼女は物分かりが良かったし、幸いなことに感情も乏しくなるよう育てられたので、くるりと扉に背を向けて、村の通りを歩き始めた。

 村は森に囲まれた緑豊かな土地にある。狩猟と農耕の原始的な生活と、加工と保存という近代的な知恵のもと、フルカテーナの東端でここはかなり高い水準の暮らしが許されていた。どれもこれも、村長兼神官であるジョカドスのおかげだ。庭先の花壇や村民の体型がこの村の肥沃さを表している。
 少女は鉄の靴を引きずりながら村の中央の広場までやって来た。牡鹿の石像が建つ広場は井戸もあり人が集まりやすい。しかし今日はいつもに増して人だかりがあった。その中心では何やら歓声が上がっているようだった。

「凄い! 歯の痛みが消えた!」
「本当だ、腫れが無い!」

 村の年寄りが元気そうな顔で人の輪から叫んだ。周りもそれに呼応して次々と注文をつけている。一体誰が、どんな施術を行っているのだろう。少女が視線を巡らすと、村民達の中央にひと際大きい影が見えた。鴉さながらに真っ黒なコート、鳥の趾のようなトンガリ靴、そして空気穴の空いた嘴の仮面とそれを覆うヴェール。牡鹿が立ち上がった姿よりも大きい背丈。

「それは僥倖。喜んでもらえてなにより。お代は結構ですよ。虫に食われた歯は甘くて蕩けそうだ、こちらがお礼したい位です」
「お医者様、わたくしは腰が痛くて」
「どれどれ。……おお、これは背中の骨と骨の間の板が潰れていますね。では失礼して」

 大男の前に進み出た老婆が、服をたくし上げて背中を出す。すると大男は待ってましたと言わんばかりに骨ばった両手を胸の前ですり合わせた。それを合図に、男の仮面の空気穴から、色とりどりの帯のような細い紐が飛び出し、生き物の如く老婆の背中に触れて蠢いた。『帯』の先は小さな歯がついており、それが獲物を食い荒らす肉食性のミミズさながらに老婆の肉を抉り、骨が丸出しになった。

「痛みは?」
「ありません」
「ウンウン。ではいただきます」
 大男の『帯』が老婆の肉の奥深くまで潜り込み、咀嚼音が辺りに響いた。男はもごもごと嘴を左右に振りながら、満足そうにしていた。
「ああ美味しい。ヴィンテージワインのような味わいです。どうもありがとう。2日は安静してください、私の唾液が固まって板の代わりになるでしょう」

 老婆の背中は『帯』によって塞がった。また歓声が上がる。皆が興奮して我も我もとなる中、少女は無関心にそれを眺めていた。いつも『儀式』で解体される自分を陶酔しきった目で見つめる皆が無邪気にはしゃいでいる。あの大男はフルカテーナの都会から来た魔法使いか、奇術師、あるいは詐欺師の類かもしれない。踵を返して家に帰ろうとした瞬間、少女の足がもつれた。再生しかけた指が靴の中で窮屈で、たびたび転んでしまうことがある。それがたまたま、大男の目に留まったらしかった。

「おやまあ、綺麗なお嬢さん。君、大丈夫かい」
「……ええ、大丈夫です」

 人垣を抜けて歩み寄ってきた男から離れようと、腕に力をこめる。不運なことに右足が間接とは逆方向に曲がっていた。打ちどころが悪かったのだろう、骨が皮膚を押し上げて患部が青ざめていた。

「痛い、痛い。でも君は強いね、泣かないから」
「大丈夫ですから。自分で何とかします」
「骨が突き抜けそうだよ。無理してはいけない」

 ふわり、と花の香りが漂う。カラフルな紐が仮面の空気穴から溢れ、その先端の歯が少女の足首に齧りつき、骨を食い破った。
「ウン、神経は無事だ。もう立てるよ。君、お名前は?」
「私は……」

 温度の無い手に支えられつつ立ち上がった少女へ、村民は遠巻きに軽蔑のまなざしを送っていた。誰も助け舟は出さない。生贄にされる少女は持つべき名前を持っていなかった。『名無し』、『おまえ』、『小娘』。それが彼女の名前に位置していた。少女が戸惑っているのを察したのか、大男は固い頬をカリカリと掻いて、首を傾げた。

「綺麗な金髪だね。金の中に白が混じっている。……君がここの村長の娘さんかな」
「そうだ。魔法使いのお客人」

 少女が答える代わりに高くヒステリックな老人の声が同意した。振り返ると、そこには装飾した鹿の頭蓋骨を被った村長がいた。村民が慌てて頭を垂れる。少女もスカートの裾を持ち上げて膝をついた。

「おや……村長のジョカドス様ですね」
「そちらはフルカテーナの外から来た魔法を使う医師……『イムカナケーア=ヴィクトール』様、でよろしかったかな」
「私は一介の医師。フルネームで呼ばなくて結構ですよ。縮めて『イヴ』とでも」
 大男__イヴは帽子を押さえて小さくお辞儀をした。村長は喧しい靴音を鳴らしながら、少女の肩をぐっと引き寄せた。鉄の靴でまた転びそうになった。
「この子は両親が死んで孤児になったので皆で育てている娘です」
「へえ、この小さな子どもがこの村の『生贄』ですか」

 瞬間、広場の空気が凍てついた。村民達がベルトや靴に隠し持ったナイフを握る気配がした。この村は部外者からの過度な詮索を嫌うのだ。それが魔法使いとなれば猶更、人々は警戒して殺意を高める。少女は頬にそのピリピリとした雰囲気を感じて、無理矢理笑顔を作った。

「な、……何を仰っているんですか。私は村の皆にとても良くしてもらっています。それではイムカナケーア様、宿に案内致しますのでどうぞ」

 男の冷え切った手を掴んで、人の間を小走りで過ぎた。村長と村民の痛々しい視線を感じたが、少女は止まらなかった。鉄の靴で歩くのは慣れていたから、注意をすれば走ることだって出来る。無理をし過ぎて骨が折れたことも脱臼したこともあったが、そんな傷治療されずとも5分程で治る。

「ちょ、足速い、君、そんな重そうな靴でよく走れるね」
「儀礼用の靴なんです。見た目よりずっと軽いから__何してるんですか?」

 しゅるりと仮面の空気穴から這い出た紐が、少女の鉄靴に絡みつき、靴底や先芯、ヒールカーブを包んだ。白と薄桃の紐で彩られた鉄靴は形状を変え、少女の足にゆったりと嵌ってバランスがとりやすくなった。しかも、地面を蹴ると軽く跳ねるので、飛んでいるようだ。

「うぇ、やっぱり鉄じゃないか。不味い不味い___何って、怪我した子に手を引かれるのは嫌なものでね」
「ありがた迷惑です。この靴作り直さなきゃ」
「まあまあ。私と幾らか距離を取ったら元に戻るようにしたから目くじら立てないでおくれ」
「……そうですか。……宿につきました。村長を補佐している者の家です」

 木造りの屋敷を指さすと、少女はそのまま立ち去ろうと踏み出した。__が、紫の紐が彼女の痩せた頬を撫でた。

「?」
「君、お名前は? さっき聞いていなかったから」
「……」
「やっぱり、よそ者には教えてもらえないのかな?」
「___無いんです」

 名前など、無い。名前など、存在しない。虚無の筈の感情がちくりと痛んだ気がして、その痛みという感覚すらまぼろしだと気づいて、少女は首を横に振った。イヴは仮面の奥で何故か悲しそうに目を伏せた。

「では、私が勝手に名付けて呼ぶよ」
「……それは、どういうことですか」
「不便だから、便宜上名付けるってことだよ」

 ウーンと唸って、イヴは悩む素振りをした。しかし20秒も経たないうちにパアッと顔を上げて、大きく両手を広げた。

「私の国ではね、名前が長いほど、『悪魔』に名前を覚えられ辛くて縁起が良いと言われているんだ」
「はあ……?」
「レゲネラプエッラ。レゲネラプエッラはどうだい? 略称は……エラでどうかな」
「……エラ」

 エラ。胸にすとんと落ちた言葉は、温度をもって熱いような、そんな気持ちがした。少女はあくまで無愛想な表情で、しかししっかりと了承した。

「では、エラと。ありがとうございます、イヴ」
「構わないよ、エラ。よろしくね」

 そう言うと、イヴはどこからか取り出したステッキを空中で振って、その場でステップを踏んだ。呼応するように仮面の空気穴が揺らめき、プシューと蒸気を吐き出した。次の瞬間、イヴの体が空気の抜けた風船さながらに萎んで、空へ打ちあがり、器用に屋敷の2階の窓へ滑り込んでいった。

「……魔法使い……変わった人」


 見上げた空は、血腥さを掻き消すように気持ち悪い青空だった。

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