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【第四章】

【第四十一話】ハンス老人

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 ~王国暦七一〇年 一月~
 
 
 ハンス老人の厚意により、冬が明けるまでこの山小屋に滞在することになった。
 
 
 ヘルベルトはまだ目が覚めないが、容態は安定していた。
 
 
 ハンス老人も、特にやれる事はないと言っていた。
 
 
 小屋が建っているこの雪山は、冬が開けて雪が溶けるまでは麓に降りることは危険過ぎるという。
 
 
 そんな山を登ってきたのだから、ハンス老人が驚くのも無理はない。
 
 
 小屋に滞留している間、僕とザイフェルトはハンス老人の手伝いをしながら生活していた。
 
 
 雪が降っていない日には、外で薪割りや狩りをする。
 
 
 狩りも最初は何も出来なかったが、ザイフェルトやハンス老人に教えられて、時々だが兎などを捕れるようになった。
 
 
 ◇◇◇◇◇
 
 
 晴れたある日、僕は外で護身術の稽古をしていた。
 
 
 ザイフェルトは、ハンス老人と共に夕食の支度をしている。
 
 
 稽古の相手は、そこらに生えている木だった。
 
 
 目が覚めてからほとんど毎日、僕は一人で稽古をしている。
 
 
 身体を動かしていると、余計なことを考えずに済むからという理由もあったが、単純に武術が好きだった。
 
 
 日本に住んでいた時は、そんな事思った事もない。
 
 
「構えが、さまになっておるな」
 
 
 ハンス老人が、小屋から出てきて言った。
 
 
「ハンス老人、夕食を呼びに来てくれたのですか」
 
 
 僕は手を止め、ハンス老人を向いた。
 
 
「いいや、火加減の番をザイフェルトに任せてある。もうしばらく待っておれ」
 
 
 ハンス老人は、不思議な雰囲気をまとっている人だった。
 
 
 気配といっても、放っているのとは、どこか違う。
 
 
「どれ、わしも久し振りに、やるかな」
 
 
 ハンス老人はそう言うと、袖をまくり上げて構えをとった。
 
 
 僕やヘルベルトの構えとは、また違う。
 
 
「い、良いのですか」
 
 
「遠慮は要らん、本気で来るのじゃ」
 
 
 言われた通り、僕は構えた。
 
 
「!」
 
 
 感じたことがないプレッシャーが、僕の全身を襲った。
 
 
 監獄で刺客と向き合った時よりも、はるかに強い何かである。
 
 
 足が前に、出ない。
 
 
 身体が、固く縛られたように動かなかった。
 
 
 せめて気合いだけでもと思ったが、それすらねじ伏せられるほど、ハンス老人の気は凄まじい。
 
 
「ほっほっほっ、その程度か」
 
 
 ハンス老人が構えを解くと、糸が絶たれるように、僕の身体は崩れた。
 
 
 雪の中だというのに、僕の身体は汗で濡れていた。
 
 
「悪くはないが、まだまだヒヨッコじゃ」
 
 
 ハンス老人は、優しく笑った。
 
 
「一体、今のは・・・」
 
 
「まぁ、上には上が居るということじゃな」
 
 
 ザイフェルトが、食事の用意が終わった事を知らせに来た。
 
 
 
 
 
 
 
 尊敬のような感情を、僕はハンス老人に感じた。
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