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???[ Ⅱ ]

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 俺は匍匐姿勢でやっと光を浴びることが出来た。たがその先に待っていたものとは、安らぎや癒やしとは掛け離れたものだった。
 暖かく眩しい光を腕で遮ると、俺の前を通り過ぎる沢山の人々がいた。

 しかしどの人も皆、俺のことを横目に見ながら、まるでゴミを見るかのような視線で見下していた。
 俺はなんとか存在を気付いてもらえるように、何度も歩く人々に目線を合わせるが、すぐにそっぽ向かれて、さらには俺に向かって唾を吐く人間もいた。

 神よ、俺は一体前世はどんな人間だったのだろうか。なぜこうも酷い扱いをされなくてはならないのか。早く、早く死んで真実を確認したい。
 だが地獄に行くだけは嫌だ。

 どうすればいいんだこの先。餓死なんてしても何もしなかった俺が悪いことになってしまう。誰か、誰か助けてくれ……。

「う……あ……あ?」

 しばらく冷たい地面で力なく寝そべっていると、一人の大きな男が俺の前でしゃがんだ。
 俺はただ助けてくれと懇願しようとするが、声が出ない。掠れた声を絞り出すことしか出来なかった。

「おい。これでも食え」

「あ……う……」

 男は鉄の箱からパンを取り出すと、半分に千切って俺に渡した。俺はただこの一瞬で男が、空腹から俺を救ってくれた救世主だと思った。
 とにかく腹が減っていた。もしこれが毒だとしても今の俺なら構わず食うだろう。

 俺は男からパンを奪うように手に取ると、勢いよく齧りついた。
 それは信じられないほどに硬かった。目覚めて初めての食い物で歯が折れるかと思った。
 たが俺は兎に角何でもいいから腹を満たすために噛みちぎる。
 最初は硬かったが、唾液でだんだんと柔らかくなるバンを良く噛んで飲み込む。

 すると喉からバンが食道を通って胃の中に入った瞬間、一気に活力が溢れる感覚がした。
 このバンは一体どうやって作られているのだろう。とてもそのままでは食えたものでは無いほどに不味いのに、食べた瞬間に身体に活力が漲る。
 
 俺はそれからパンを全て噛みちぎり、飲み込んだ。

「はは、腹空かせてんだからこっちに来たんだろ? 俺みたいなやつ以外助けてくれはしねぇぞ? それ食ったら悪いやつに出会う前に戻れ」

「あ……りが……」

  俺は感謝の意を口に出そうとするが、男は優しく微笑むと、俺の頭をボンポンと2度優しく叩いて目の前から立ち去ってしまった。

 この人は追いかけなければいけないと俺は悟った。追いかけなければ、2度と会えないと思ったからだ。
 俺は立ち上がる。まるで先程の力の無さが嘘だったかのように腕に力が入り、自分の身体を地面から起こし、立ち上がった。

 まだ少し空腹感はあるが、歩くことが出来ることに喜びながら、男の背中を追った。

 しかし、見失ってしまった。背中を追ったのはたったの数分だった。男は人混みに混ざるように俺の前から消えてしまった。

 たった一つの希望を失った気がした。また俺は路地裏に戻らなくてはならないのだろうか?
 男に戻れとは言われたが、生憎俺の家は路地裏の先には無い。帰る場所なんてものは無いんだ。

 この先、これからどうすれば良いのか途方に暮れる。新たな人生とは何なのだろうか。どうすれば新たな人生を送れるのだろうか。

 なにも思い付かない。前世を思い出そうとしても、まるで空箱を虚ろな目で覗いているかのようで、何一つ頭の中から思い浮かばない。

 俺はただ俯きながら、路地裏に戻ることしか出来なかった。

「誰か教えてくれ……俺は何をすれば良いんだ……」

◇◇◇◇◇◇

 それから体感で1日が経過した。俺はずっと路地裏の地面に座り込み空を見上げていた。
 狭く、暗い道の間から僅かに差し込む太陽の光は寂しく。人々の喧騒も聞こえないほどに深い闇が此処にはあった。
 辺りを見回してもいつまでも鳴り響く換気扇の音と、鼻を曲げる生ゴミの匂い。
 人という人の姿は一つも無かった。

 そんなところでまた1人、俺の前に現れた。
 暗くて顔はよく見えないが、体格的に男だろう。
 そしてさらに男の背後には2人の人影が見えた。

「なぁ、お前誰? ここ、俺らの縄張りなんだけど。誰の断りで入ったんだ?」

「何を言っているんだ? 縄張り? なんのことだ?」

 男は辛うじて見える口元からギラリと光る歯を見せた。

「おいおい、とぼけてんじゃねぇよ。見たら分かるんだよ。その身なりからして、かなり前から此処に居たんだろ。ずっと俺らに隠れてなぁ?」

「違う……分からない。気づいたら此処に居たんだ……」

「だから何が分からねえってんだよ。まさか難民のルールも分からねえとか言わねぇよな?」

「わ、分からない……」

 俺は本当に男の言っている言葉の意味が分からなかった。縄張りとは? 難民のルールとは? さらに此処が何処さえも分からない俺は、ただ分からないとしか言えなかった。それ以外の言葉が思いつかなかった。

「マジかよ……。なぁ、コイツどうする?」

「分からない分からないって、そいつ、分からないしか言えねぇのかよ。
 どうせ一言で粘れば諦めるとか思ってんだろ。てか難民のルールさえも分からないなら、そいつ多分もう既に死んでるぜ? ボスんところに連れ出す必要もねえ。吐かせろ」

「だってさ。なぁ、マジでとぼけてんじゃねぇぞ? 殺されてぇの?」

 俺は男の言葉に、俺の話が分かっていないことにぞわりと背筋が凍るような恐怖を感じた。
 殺される。その言葉が俺の頭の中で固まった。

「止めろ……殺さないでくれ。俺は何も知らないんだ。本当に目覚めたらここにいて……がはっ!?」

「それもう聞き飽きたんだだけど。他に言うことはねぇの? ここじゃあ、知りませんでしたなんて通用しねぇんだよ……」

 いくら止めることを懇願しても、男は座り込む俺の腹に一突きの蹴りを打ち込んだ。
 ついさっきやっと立ち上がる力を手に入れたばかりのせいで、衝撃に耐える力が俺には無かった。

 内臓が足によって掻き分けられる感触で俺は嗚咽を漏らす。痛みと気持ち悪さが混ざり、消化して空になった筈の胃の内容物を吐きそうになる。

「本当に……本当に分からないんだ……」

「誰の差し金だ! 俺らを監視してたんじゃねぇのか? なぁ!! マジで殺すぞ!」

 頭を蹴られ、身体を蹴られ、また頭を蹴られる。メキッバキッと俺でも分かる嫌な音が身体の中から聞こえるのが分かる。
 そう骨が、折れたり砕けているのだ。

 身体中が痛くて堪らない。最早助けを乞う力も無くなっている。それでも殴られ続ける。もうこの男にとって俺は殺害対象なのだろう。
 口を聞く暇すらなく俺は殴られ続けた。
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