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【1章】立志編
意地
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「姫様!」
それは、城での生活を始めて二週間目のことだった。分厚い書簡を抱えた見目麗しい文官に呼び止められ、わたしはゆっくりと足を止める。
「あぁ……久しぶりですね、バルデマー」
そう口にして、わたしはそっと微笑んだ。
「……! 覚えてくださっていたのですね! 光栄です」
そう言ってバルデマーは美しい顔を綻ばせる。
(忘れられるわけないじゃない)
心の中で独り言ちつつ、わたしは小さく首を傾げる。
お城に来てから色んな人を紹介されたけど、バルデマーみたいに綺麗な男性は早々お目に掛かれない。昔は漠然と『貴族は全員、美男美女』みたいに思っていたけど、ここに来て勘違いだったってよく分かった。貴族だって平民とちっとも変わらない。別に何ら特別なことは無いのである。
(っと……ランハートって人も綺麗な顔をしていたっけ)
ふと、あの日おじいちゃんから紹介された、華やかな男性の顔が脳裏に浮かぶ。あの人の場合は綺麗と言うか、大人の色気みたいなものが先行している気がするけど、見た目が良いっていうのは間違いない。彼と会ったのもあの日が最後だけど、私の中に強烈な印象を残していた。
「不躾に呼び止めたりして申し訳ございません。初めてお会いした日からずっと、姫様にもう一度お会いしたいと思っていたのです。あの日は碌にお話も出来ませんでしたから」
バルデマーはそう言って跪きつつ、わたしを見上げる。
(初めて会った時にも思ったけど)
バルデマーはまるで、絵本の中の王子様みたいだ。息を吸うみたいに自然に、女の子をお姫様扱いできる人。一緒に居るだけで、自分が偉く、高貴な人物になったような気がしてくる。
最近、色んな講師たちから『姫らしくなれ』と言われるわたしにとって、立ち居振る舞いを勉強させてもらえる貴重な人物かもしれないなぁ、なんて漠然と思った。
「今日の講義は終わられたのですか?」
「ええ。これから部屋に戻るところなんです」
わたしが後継者教育を受けているのは、城内では既に周知の事実だ。アダルフォが分厚い本を抱えていることから、講義の帰りだって分かったんだと思う。
「……それは良かった。実は私も、先程仕事が終わったばかりなのです。宜しければお茶でも如何ですか? 慣れない生活でお疲れでしょう? 私で良ければお話をお聞きしますよ?」
「まぁ……良いのですか?」
それはわたしにとって、甘美なお誘いだった。
侍女達は一緒にお茶を飲んでくれないし、アダルフォは後に突っ立ってるだけで、話し掛けても相槌しか打ってくれないんだもの。こんな風に『一緒に飲もう』って言ってくれる相手が出てきたことは素直に嬉しい。
「もちろんです。陛下からも『姫様の話し相手になって欲しい』と言われておりますし、是非」
そう言ってバルデマーは穏やかに微笑む。コクリと頷いてから、わたしはバルデマーの後に続いた。
***
バルデマーの執務室はこじんまりとした部屋だった。城内にあるため、豪華なのは間違いないけど、普段ただっぴろい部屋を宛がわれているせいか、新鮮に感じるし妙に落ち着く。
けれど、そんなわたしとは裏腹に、アダルフォは何だか不機嫌だった。
『姫様をこのような部屋に案内するなんて』みたいに思ってるのかなぁ、なんて予想しつつ、知らんぷりを決め込む。
だって、バルデマーはおじいちゃんから許可を得ているっていうし、文官さんがどんな場所で仕事をしているのか知るのも、結構大事じゃないかなぁ。
そうこうしている内に、侍女の一人が二人分のティーセットを運んできてくれた。わたし付の侍女じゃないため、少しばかし緊張している様子だ。「ありがとう」って伝えたら、顔を真っ赤に染めていた。
「それで……城での生活は如何ですか? 結構なスパルタ具合と噂になっておりますが」
「えっ、噂……ですか?」
口にしつつ、何とも言えない気恥ずかしさが襲い掛かる。動揺を隠さなきゃと思いながらも、頬が紅く染まった。
「え? ……あぁ! 噂と言っても、私のような極一部の貴族の間の話ですよ。相当ハードなスケジュールと負担を強いられているのに、姫様がとても頑張っていらっしゃると。呑み込みも早く、我が国の将来は安泰だと、皆で話していたのです」
そう言ってバルデマーは朗らかに笑う。それでも、わたしの心境は複雑だった。
(呑み込みなんて、全然早くないのになぁ)
毎日毎日必死に復習して、ようやく講義に付いて行っているのが現状だ。確かに頑張ってはいるものの、将来安泰なんて言われる要素は全くない。
本当なら君主ってのは『一度聞いただけで物事を覚えちゃう』とか、『同時に複数人の話を聞いて、正確に内容を把握できる』ような人じゃないと務まらない気がする。というか、そういう人が求められているんじゃないかな?と思う。心理的に『こいつよりも自分の方がすごいのに』って思うと、従う気が起きないものね。
(誰よりも優れた人物になる――――か。そんなの、不可能じゃない?)
本当はそう思うけど、誰にも打ち明けちゃいけないってことは分かっている。そんなこと言ってたら、王政制度自体が揺らいじゃうものね。
だから――――きっと歴代の王様たちは『自分が君主に相応しい』って必死に言い聞かせて、研鑽を続けてきたんじゃないかなぁと思う。不安とか、弱音とか、そういうものを誰にも見せないまま。
「姫様――――あまり、お一人で抱え込まないでくださいね」
その時、バルデマーがそう言ってわたしの顔を覗き込んだ。
「え……?」
彼は慈しむような瞳でわたしを見つめつつ、微かに笑みを浮かべる。わたしは徐にバルデマーを見つめ返した。
「聞けば姫様は、つい先日までご自身の出自をご存じなかったとのこと。いきなり王位継承者に指名され、さぞやご不安なことでしょう。周りの期待も大きいですし、背負われるものも大きい。
しかし、姫様は一人ではございません。私が姫様の側に居ます。
王族の重荷を共に背負い、国を繁栄へと導くために、私達貴族は存在します。ですから姫様――――思う存分、私をお使いください。
不安や想いを無理に打ち明ける必要はございません。ただ、あなたには私がいるのだと……そのことを忘れないでください」
バルデマーの言葉は真っ直ぐに、わたしの胸へと突き刺さる。使命感に燃えた彼の瞳に、わたしは口の端を綻ばせる。
(こんな風に誰かに気遣ってもらえるのは嬉しい)
だけど、今は未だ、誰かに甘えて良い時じゃない。
(いや――――初日にアダルフォに思い切り甘えてしまったんだけど!)
それでも、あれ以降はあんなにみっともなく感情を爆発させることは無かったし。最初から甘える前提で取り組んでいたら、おじいちゃんの跡なんて継げるはずがないもの。
コホンと小さく咳ばらいをしつつ、わたしはゆっくりとバルデマーに向き直った。
「ありがとう、バルデマー。わたし、一緒にお茶をしてくれる友達をずっと探していたの」
わたしの答えが意外だったのか、バルデマーはほんのりと目を丸くし、目を瞬かせる。
「陛下ったら、ちっとも一緒に食事を摂ってくださらないんだもの。ここで出るお茶もお食事もとっても美味しいのに、誰とも共有できなくて、すごく残念だなぁって思っていたの。
その点、バルデマーが相手なら気が楽だし、とても嬉しいわ」
ゆっくりと、まるで子どもに言い聞かせるようにして言葉にする。
バルデマーには『平民出身の癖に、変な意地を張ってる』って思われたかもしれない。
事実、わたしは今、物凄く意地を張っている。誰かと一緒にお茶を飲みたいっていうのも、おじいちゃんからしたら、落第レベルの情けない回答なのかもしれない。それでも、これがわたしが出来る精一杯の強がりだった。
しばらくの間、バルデマーは何も言わずにわたしのことを見つめていた。わたしも負けじと彼のことを見つめ返す。ここで彼に『否』と言われてしまっては、面目丸つぶれだ。気持ちを強く持ち、彼の返事を待ち続ける。
「――――承知しました。でしたら今後は、私を姫様のお茶友達として自由にお呼びください。いつでも姫様の元に馳せ参じます」
バルデマーはそう言って、穏やかに目を細める。
「良かった。よろしくね、バルデマー」
私はそう答えつつ、最近覚えたばかりの不敵な笑みを浮かべるのだった。
それは、城での生活を始めて二週間目のことだった。分厚い書簡を抱えた見目麗しい文官に呼び止められ、わたしはゆっくりと足を止める。
「あぁ……久しぶりですね、バルデマー」
そう口にして、わたしはそっと微笑んだ。
「……! 覚えてくださっていたのですね! 光栄です」
そう言ってバルデマーは美しい顔を綻ばせる。
(忘れられるわけないじゃない)
心の中で独り言ちつつ、わたしは小さく首を傾げる。
お城に来てから色んな人を紹介されたけど、バルデマーみたいに綺麗な男性は早々お目に掛かれない。昔は漠然と『貴族は全員、美男美女』みたいに思っていたけど、ここに来て勘違いだったってよく分かった。貴族だって平民とちっとも変わらない。別に何ら特別なことは無いのである。
(っと……ランハートって人も綺麗な顔をしていたっけ)
ふと、あの日おじいちゃんから紹介された、華やかな男性の顔が脳裏に浮かぶ。あの人の場合は綺麗と言うか、大人の色気みたいなものが先行している気がするけど、見た目が良いっていうのは間違いない。彼と会ったのもあの日が最後だけど、私の中に強烈な印象を残していた。
「不躾に呼び止めたりして申し訳ございません。初めてお会いした日からずっと、姫様にもう一度お会いしたいと思っていたのです。あの日は碌にお話も出来ませんでしたから」
バルデマーはそう言って跪きつつ、わたしを見上げる。
(初めて会った時にも思ったけど)
バルデマーはまるで、絵本の中の王子様みたいだ。息を吸うみたいに自然に、女の子をお姫様扱いできる人。一緒に居るだけで、自分が偉く、高貴な人物になったような気がしてくる。
最近、色んな講師たちから『姫らしくなれ』と言われるわたしにとって、立ち居振る舞いを勉強させてもらえる貴重な人物かもしれないなぁ、なんて漠然と思った。
「今日の講義は終わられたのですか?」
「ええ。これから部屋に戻るところなんです」
わたしが後継者教育を受けているのは、城内では既に周知の事実だ。アダルフォが分厚い本を抱えていることから、講義の帰りだって分かったんだと思う。
「……それは良かった。実は私も、先程仕事が終わったばかりなのです。宜しければお茶でも如何ですか? 慣れない生活でお疲れでしょう? 私で良ければお話をお聞きしますよ?」
「まぁ……良いのですか?」
それはわたしにとって、甘美なお誘いだった。
侍女達は一緒にお茶を飲んでくれないし、アダルフォは後に突っ立ってるだけで、話し掛けても相槌しか打ってくれないんだもの。こんな風に『一緒に飲もう』って言ってくれる相手が出てきたことは素直に嬉しい。
「もちろんです。陛下からも『姫様の話し相手になって欲しい』と言われておりますし、是非」
そう言ってバルデマーは穏やかに微笑む。コクリと頷いてから、わたしはバルデマーの後に続いた。
***
バルデマーの執務室はこじんまりとした部屋だった。城内にあるため、豪華なのは間違いないけど、普段ただっぴろい部屋を宛がわれているせいか、新鮮に感じるし妙に落ち着く。
けれど、そんなわたしとは裏腹に、アダルフォは何だか不機嫌だった。
『姫様をこのような部屋に案内するなんて』みたいに思ってるのかなぁ、なんて予想しつつ、知らんぷりを決め込む。
だって、バルデマーはおじいちゃんから許可を得ているっていうし、文官さんがどんな場所で仕事をしているのか知るのも、結構大事じゃないかなぁ。
そうこうしている内に、侍女の一人が二人分のティーセットを運んできてくれた。わたし付の侍女じゃないため、少しばかし緊張している様子だ。「ありがとう」って伝えたら、顔を真っ赤に染めていた。
「それで……城での生活は如何ですか? 結構なスパルタ具合と噂になっておりますが」
「えっ、噂……ですか?」
口にしつつ、何とも言えない気恥ずかしさが襲い掛かる。動揺を隠さなきゃと思いながらも、頬が紅く染まった。
「え? ……あぁ! 噂と言っても、私のような極一部の貴族の間の話ですよ。相当ハードなスケジュールと負担を強いられているのに、姫様がとても頑張っていらっしゃると。呑み込みも早く、我が国の将来は安泰だと、皆で話していたのです」
そう言ってバルデマーは朗らかに笑う。それでも、わたしの心境は複雑だった。
(呑み込みなんて、全然早くないのになぁ)
毎日毎日必死に復習して、ようやく講義に付いて行っているのが現状だ。確かに頑張ってはいるものの、将来安泰なんて言われる要素は全くない。
本当なら君主ってのは『一度聞いただけで物事を覚えちゃう』とか、『同時に複数人の話を聞いて、正確に内容を把握できる』ような人じゃないと務まらない気がする。というか、そういう人が求められているんじゃないかな?と思う。心理的に『こいつよりも自分の方がすごいのに』って思うと、従う気が起きないものね。
(誰よりも優れた人物になる――――か。そんなの、不可能じゃない?)
本当はそう思うけど、誰にも打ち明けちゃいけないってことは分かっている。そんなこと言ってたら、王政制度自体が揺らいじゃうものね。
だから――――きっと歴代の王様たちは『自分が君主に相応しい』って必死に言い聞かせて、研鑽を続けてきたんじゃないかなぁと思う。不安とか、弱音とか、そういうものを誰にも見せないまま。
「姫様――――あまり、お一人で抱え込まないでくださいね」
その時、バルデマーがそう言ってわたしの顔を覗き込んだ。
「え……?」
彼は慈しむような瞳でわたしを見つめつつ、微かに笑みを浮かべる。わたしは徐にバルデマーを見つめ返した。
「聞けば姫様は、つい先日までご自身の出自をご存じなかったとのこと。いきなり王位継承者に指名され、さぞやご不安なことでしょう。周りの期待も大きいですし、背負われるものも大きい。
しかし、姫様は一人ではございません。私が姫様の側に居ます。
王族の重荷を共に背負い、国を繁栄へと導くために、私達貴族は存在します。ですから姫様――――思う存分、私をお使いください。
不安や想いを無理に打ち明ける必要はございません。ただ、あなたには私がいるのだと……そのことを忘れないでください」
バルデマーの言葉は真っ直ぐに、わたしの胸へと突き刺さる。使命感に燃えた彼の瞳に、わたしは口の端を綻ばせる。
(こんな風に誰かに気遣ってもらえるのは嬉しい)
だけど、今は未だ、誰かに甘えて良い時じゃない。
(いや――――初日にアダルフォに思い切り甘えてしまったんだけど!)
それでも、あれ以降はあんなにみっともなく感情を爆発させることは無かったし。最初から甘える前提で取り組んでいたら、おじいちゃんの跡なんて継げるはずがないもの。
コホンと小さく咳ばらいをしつつ、わたしはゆっくりとバルデマーに向き直った。
「ありがとう、バルデマー。わたし、一緒にお茶をしてくれる友達をずっと探していたの」
わたしの答えが意外だったのか、バルデマーはほんのりと目を丸くし、目を瞬かせる。
「陛下ったら、ちっとも一緒に食事を摂ってくださらないんだもの。ここで出るお茶もお食事もとっても美味しいのに、誰とも共有できなくて、すごく残念だなぁって思っていたの。
その点、バルデマーが相手なら気が楽だし、とても嬉しいわ」
ゆっくりと、まるで子どもに言い聞かせるようにして言葉にする。
バルデマーには『平民出身の癖に、変な意地を張ってる』って思われたかもしれない。
事実、わたしは今、物凄く意地を張っている。誰かと一緒にお茶を飲みたいっていうのも、おじいちゃんからしたら、落第レベルの情けない回答なのかもしれない。それでも、これがわたしが出来る精一杯の強がりだった。
しばらくの間、バルデマーは何も言わずにわたしのことを見つめていた。わたしも負けじと彼のことを見つめ返す。ここで彼に『否』と言われてしまっては、面目丸つぶれだ。気持ちを強く持ち、彼の返事を待ち続ける。
「――――承知しました。でしたら今後は、私を姫様のお茶友達として自由にお呼びください。いつでも姫様の元に馳せ参じます」
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