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【1章】引きこもり魔女、森を出る
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広い城内、東塔の一角にある煌びやかな小部屋にミシェルはいた。
隣には褐色の肌に、黒いウエーブのかかった髪の毛を一つに纏めた美しい少女、ディーナが座っている。
「――そういうわけで、今から約300年前、隣国のルナリザーとうちの王国は分離して、国境ができたの。分かった?」
「なるほど」
分厚い書物の一文を指さしながら、ディーナが解説を行う。ミシェルは時折相槌を打ったり、メモを取ったりしながら、ディーナの講義を受けていた。
「さすがはミシェル、呑み込みが早いな!」
「…………」
二人の側にはもう一人、聴講者が座っている。とびきり豪奢で座り心地のよさそうな椅子に腰掛けた、この国で現在二番目の地位に付くお方だ。
「ルカ様」
「ん? どうしたディーナ」
「公務はどうなさったのですか?」
不機嫌に目を細めながら、ディーナがルカを睨みつけた。ルカは小さく笑いながら立ち上がると、ミシェルが読んでいた本を手に取った。
「古今東西、王子というのは暇を持て余しているものだろう?」
「んなっ!」
ニヤリと不敵な笑みを浮かべるルカは、恐ろしいほどに魅惑的だった。ミシェルの心臓がドキドキと騒ぎ出す。さすがのディーナもそれ以上は何も言えず、頬をパッと紅く染めたその時だった。
「見つけましたよ、ルカ様!」
バンと音を立ててミシェルの執務室のドアが開く。扉の向こうにいるのは、煌びやかな騎士装束に身を包んだクリスだった。
クリスは真っすぐにルカの元へ歩み寄ると、ニッコリと満面の笑みを浮かべた。
「こんなところで何をしていらっしゃるんですか? 皆があなたをお待ちしているのですよ~~? 訓練の途中でいなくなるのは止めてくださいと、あれほど、あ・れ・ほ・ど申し上げたのに、もうお忘れなんですか?」
柔和な笑みとは裏腹に、クリスの言葉は刺々しい。ルカは不敵な笑みを浮かべつつ、全く意に介していないらしい。手にした本のページをペラペラと捲りながら、チラリとクリスを流し見た。
「俺がおらずとも、訓練ぐらい続けられるだろう?」
「騎士たちの士気が変わるからと、訓練の立ち合いを公務に指定したのはルカ様! あなたご自身でしょう?」
眉間に皺を寄せ、鼻息も荒くクリスが口にする。
(クリスったら、何だか活き活きして見えます)
ミシェルは飼い猫トネールと顔を見合わせながら、クスクスと笑い声を上げる。
「あっ……」
すると、ようやくミシェルの視線に気づいたらしく、クリスは小さく咳ばらいをした。
「お疲れ様ですクリス。その服、とっても似合ってますね」
「ミシェル! ありがとうございます」
クリスはそう言って嬉しそうに目を細める。ミシェルもつられて満面の笑みを浮かべた。
ミシェルとルカとクリスの三人で王都に繰り出したあの日、城に帰るなりクリスは『ミシェルと共に王都に残る』と言い出した。
突拍子もない話に初めは冗談かと思ったミシェルだったが、彼はすぐに実家に手紙を書くと、そのままルカの側近として働き始めた。
クリスが働き始めたのはミシェルと同様、ほんの数日前のことだが、彼は既に城内での存在感を露にしているらしい。ミシェルはそれが、とても誇らしかった。
「誰に褒められるよりも嬉しい……光栄です! ミシェルに中々お会いできず、寂しく思っていました! 次の休みは一緒に街に出ませんか? 買い物でも――――」
「執務中に女を口説くお前にだけは、訓練云々などと言われたくないな」
ミシェルの手を握ろうとするクリスの手を払いながら、ルカが呆れたようにため息を吐く。
「そんなの、あなただって似たような物でしょう!」
クリスは口の端を引き攣らせながら、そう言って笑った。
ディーナがクリスに会うのはこれが初めてで、頭上で繰り広げられる二人の応酬を呆然と眺めている。トネールは気の毒そうに鳴き声を上げながら、ディーナの膝に飛び乗った。
「失敬な。俺だって目的もなくミシェルに会いに来たわけではない」
ルカはニヤリと笑いながら、懐から一枚の封筒を取り出した。
(目的? 一体何なのでしょう?)
首を傾げる一同を余所にルカは封を切ると、そっとミシェルに頬を寄せ、中身の書状を広げて見せた。
「先程話題に上がっていた隣国のルナリザーと、数日後に会談を控えている。そこへミシェルを連れて行きたい」
ルカがそう言うと、クリスが目を丸くした。
「会談⁉ 一体いつ、そんな話が……⁉」
「つい先ほど決まったことだ。準備期間は殆どないが致し方あるまい」
ルカは小さくため息を吐きながら目を伏せる。
どことなく不穏な空気を感じ取りながら、ミシェルはそっとディーナを見た。
「ルナリザーとうちの国は今、あまり良い関係性じゃないの。特に先日、あちらの第3王子が行方不明になってからは。……どうやらうちの国が王子の行方不明に噛んでいるんじゃないかって勘繰っているらしくて」
ディーナがそっとミシェルに耳打ちをする。
(なるほど……そういえば試験の際、ルカ様がそんなことを仰っていましたね)
隣国、ルナリザーの王子の失踪には不可解な点が多く、魔法が絡んでいると予想されている。それだけではなく、王子の失踪には我が国サンソレイユの関与まで疑われているらしい。
会談でルナリザーがどんな言いがかりを付けてくるかは分からないが、王子の失踪に魔法が絡んでいる以上、専門知識を持つものがいなければ、対等に話すことが出来ない。ミシェルを連れていくことは合理的のように思えた。
トネールは何か思うところがあるのか、机の上に飛び乗ると、神妙な顔つきで耳をそばだてている。
「そういうわけでディーナ、引き続きミシェルへの講義を頼む」
「かしこまりました」
ディーナが緊張した面持ちで頭を下げると、ルカはコクリと頷いた。
「それからクリス」
颯爽と立ち上がりながら、ルカが真剣な表情でクリスを見つめる。
「この状況下だ。会談にはあまり人数を連れていけない。せいぜい数人……その代り全て、精鋭で揃える。準備をぬかるなよ」
真っ直ぐにクリスへと注がれた視線が、彼がその精鋭の中に含まれていると物語っている。クリスは一瞬だけ目を丸くしたが、すぐにキリリとした表情で頭を下げた。
「最後にミシェル」
「はい!」
「ディーナの講義と並行して、国内外から魔術書を搔き集める。それら全てに目を通し、できる限りの備えをしてほしい」
「国内外から……! 頑張りますっ」
ミシェルは一瞬面食らったものの、すぐに大きく頷いた。
ルカは満足そうに微笑むと、そっとミシェルの頭に手を乗せる。瞬時にミシェルの心臓が跳ねた。
「……着任早々慌ただしくてすまない。けれど、ミシェルならきっと大丈夫。おまえはこの俺が見込んだ魔女だからな」
ルカはそう言って穏やかに目を細める。普段の表情とのギャップに、ミシェルだけでなく、ディーナまでもが頬を染めた。
(何だかすごく、心が熱い)
誰かに期待をされることは、こんなにも嬉しいことなのだろうか。それは森で一人でいたら、絶対に気づけなかったことだった。
ミシェルは、唇を震わせながら力強く頷く。ルカはミシェルの髪をクシャクシャと撫でると、踵を返した。
「ではまた様子を見に来る。頼んだぞ」
「はい! 」
クリスは名残惜しそうにミシェルを見つめながら、ルカの後を追った。
後に残ったミシェルとディーナは、怒涛の展開を受け入れようと、互いに口を噤む。逸る心臓を押さえながら、ミシェルは何度も深呼吸をした。
やがてディーナはグっと拳を握りしめると、ニコリと笑った。
「さっ! 気合を入れなおして、講義を再開しましょう」
「……はい! 改めて、よろしくお願いいたします!」
ミシェルは力強く答えながら、コクコクと頷いた。
分厚い教本を開きつつ、ミシェルの心臓は高鳴り続ける。それは、魔女試験の際に感じた興奮に近かった。
(私、国の――――ルカ様のお役に立ちたい)
真剣な表情で前を見据えるミシェルに擦り寄りながら、トネールがそっと見守っていた。
隣には褐色の肌に、黒いウエーブのかかった髪の毛を一つに纏めた美しい少女、ディーナが座っている。
「――そういうわけで、今から約300年前、隣国のルナリザーとうちの王国は分離して、国境ができたの。分かった?」
「なるほど」
分厚い書物の一文を指さしながら、ディーナが解説を行う。ミシェルは時折相槌を打ったり、メモを取ったりしながら、ディーナの講義を受けていた。
「さすがはミシェル、呑み込みが早いな!」
「…………」
二人の側にはもう一人、聴講者が座っている。とびきり豪奢で座り心地のよさそうな椅子に腰掛けた、この国で現在二番目の地位に付くお方だ。
「ルカ様」
「ん? どうしたディーナ」
「公務はどうなさったのですか?」
不機嫌に目を細めながら、ディーナがルカを睨みつけた。ルカは小さく笑いながら立ち上がると、ミシェルが読んでいた本を手に取った。
「古今東西、王子というのは暇を持て余しているものだろう?」
「んなっ!」
ニヤリと不敵な笑みを浮かべるルカは、恐ろしいほどに魅惑的だった。ミシェルの心臓がドキドキと騒ぎ出す。さすがのディーナもそれ以上は何も言えず、頬をパッと紅く染めたその時だった。
「見つけましたよ、ルカ様!」
バンと音を立ててミシェルの執務室のドアが開く。扉の向こうにいるのは、煌びやかな騎士装束に身を包んだクリスだった。
クリスは真っすぐにルカの元へ歩み寄ると、ニッコリと満面の笑みを浮かべた。
「こんなところで何をしていらっしゃるんですか? 皆があなたをお待ちしているのですよ~~? 訓練の途中でいなくなるのは止めてくださいと、あれほど、あ・れ・ほ・ど申し上げたのに、もうお忘れなんですか?」
柔和な笑みとは裏腹に、クリスの言葉は刺々しい。ルカは不敵な笑みを浮かべつつ、全く意に介していないらしい。手にした本のページをペラペラと捲りながら、チラリとクリスを流し見た。
「俺がおらずとも、訓練ぐらい続けられるだろう?」
「騎士たちの士気が変わるからと、訓練の立ち合いを公務に指定したのはルカ様! あなたご自身でしょう?」
眉間に皺を寄せ、鼻息も荒くクリスが口にする。
(クリスったら、何だか活き活きして見えます)
ミシェルは飼い猫トネールと顔を見合わせながら、クスクスと笑い声を上げる。
「あっ……」
すると、ようやくミシェルの視線に気づいたらしく、クリスは小さく咳ばらいをした。
「お疲れ様ですクリス。その服、とっても似合ってますね」
「ミシェル! ありがとうございます」
クリスはそう言って嬉しそうに目を細める。ミシェルもつられて満面の笑みを浮かべた。
ミシェルとルカとクリスの三人で王都に繰り出したあの日、城に帰るなりクリスは『ミシェルと共に王都に残る』と言い出した。
突拍子もない話に初めは冗談かと思ったミシェルだったが、彼はすぐに実家に手紙を書くと、そのままルカの側近として働き始めた。
クリスが働き始めたのはミシェルと同様、ほんの数日前のことだが、彼は既に城内での存在感を露にしているらしい。ミシェルはそれが、とても誇らしかった。
「誰に褒められるよりも嬉しい……光栄です! ミシェルに中々お会いできず、寂しく思っていました! 次の休みは一緒に街に出ませんか? 買い物でも――――」
「執務中に女を口説くお前にだけは、訓練云々などと言われたくないな」
ミシェルの手を握ろうとするクリスの手を払いながら、ルカが呆れたようにため息を吐く。
「そんなの、あなただって似たような物でしょう!」
クリスは口の端を引き攣らせながら、そう言って笑った。
ディーナがクリスに会うのはこれが初めてで、頭上で繰り広げられる二人の応酬を呆然と眺めている。トネールは気の毒そうに鳴き声を上げながら、ディーナの膝に飛び乗った。
「失敬な。俺だって目的もなくミシェルに会いに来たわけではない」
ルカはニヤリと笑いながら、懐から一枚の封筒を取り出した。
(目的? 一体何なのでしょう?)
首を傾げる一同を余所にルカは封を切ると、そっとミシェルに頬を寄せ、中身の書状を広げて見せた。
「先程話題に上がっていた隣国のルナリザーと、数日後に会談を控えている。そこへミシェルを連れて行きたい」
ルカがそう言うと、クリスが目を丸くした。
「会談⁉ 一体いつ、そんな話が……⁉」
「つい先ほど決まったことだ。準備期間は殆どないが致し方あるまい」
ルカは小さくため息を吐きながら目を伏せる。
どことなく不穏な空気を感じ取りながら、ミシェルはそっとディーナを見た。
「ルナリザーとうちの国は今、あまり良い関係性じゃないの。特に先日、あちらの第3王子が行方不明になってからは。……どうやらうちの国が王子の行方不明に噛んでいるんじゃないかって勘繰っているらしくて」
ディーナがそっとミシェルに耳打ちをする。
(なるほど……そういえば試験の際、ルカ様がそんなことを仰っていましたね)
隣国、ルナリザーの王子の失踪には不可解な点が多く、魔法が絡んでいると予想されている。それだけではなく、王子の失踪には我が国サンソレイユの関与まで疑われているらしい。
会談でルナリザーがどんな言いがかりを付けてくるかは分からないが、王子の失踪に魔法が絡んでいる以上、専門知識を持つものがいなければ、対等に話すことが出来ない。ミシェルを連れていくことは合理的のように思えた。
トネールは何か思うところがあるのか、机の上に飛び乗ると、神妙な顔つきで耳をそばだてている。
「そういうわけでディーナ、引き続きミシェルへの講義を頼む」
「かしこまりました」
ディーナが緊張した面持ちで頭を下げると、ルカはコクリと頷いた。
「それからクリス」
颯爽と立ち上がりながら、ルカが真剣な表情でクリスを見つめる。
「この状況下だ。会談にはあまり人数を連れていけない。せいぜい数人……その代り全て、精鋭で揃える。準備をぬかるなよ」
真っ直ぐにクリスへと注がれた視線が、彼がその精鋭の中に含まれていると物語っている。クリスは一瞬だけ目を丸くしたが、すぐにキリリとした表情で頭を下げた。
「最後にミシェル」
「はい!」
「ディーナの講義と並行して、国内外から魔術書を搔き集める。それら全てに目を通し、できる限りの備えをしてほしい」
「国内外から……! 頑張りますっ」
ミシェルは一瞬面食らったものの、すぐに大きく頷いた。
ルカは満足そうに微笑むと、そっとミシェルの頭に手を乗せる。瞬時にミシェルの心臓が跳ねた。
「……着任早々慌ただしくてすまない。けれど、ミシェルならきっと大丈夫。おまえはこの俺が見込んだ魔女だからな」
ルカはそう言って穏やかに目を細める。普段の表情とのギャップに、ミシェルだけでなく、ディーナまでもが頬を染めた。
(何だかすごく、心が熱い)
誰かに期待をされることは、こんなにも嬉しいことなのだろうか。それは森で一人でいたら、絶対に気づけなかったことだった。
ミシェルは、唇を震わせながら力強く頷く。ルカはミシェルの髪をクシャクシャと撫でると、踵を返した。
「ではまた様子を見に来る。頼んだぞ」
「はい! 」
クリスは名残惜しそうにミシェルを見つめながら、ルカの後を追った。
後に残ったミシェルとディーナは、怒涛の展開を受け入れようと、互いに口を噤む。逸る心臓を押さえながら、ミシェルは何度も深呼吸をした。
やがてディーナはグっと拳を握りしめると、ニコリと笑った。
「さっ! 気合を入れなおして、講義を再開しましょう」
「……はい! 改めて、よろしくお願いいたします!」
ミシェルは力強く答えながら、コクコクと頷いた。
分厚い教本を開きつつ、ミシェルの心臓は高鳴り続ける。それは、魔女試験の際に感じた興奮に近かった。
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