魔女と王都と金色の猫

鈴宮(すずみや)

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【3章】王室専属魔女、ロイヤルウェディングへの道

王の話④【王と自失】

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 それから月日は過ぎ、セレーネは無事、ゲオルギオスとの子を出産した。


 名前はルカ――――光をもたらす者という意味で、ゲオルギオスが密かに遺していた『もしも将来、私とセレーネとの間に子が生まれたら』という遺言に従ったものだ。周りは皆、私とゲオルギオスの仲がとても良かったことを知っているので、疑問を呈したり異論を唱えることはなかった。


 張り詰めたような美しさだったセレーネは、まるで女神のように穏やかになり、ルカのことをとても可愛がった。初めての育児にもめげず、侍女たちに教わりながら懸命に世話をしていた。

 ただ、産後の肥立ちが悪く、頻繁に体調を崩していることは気がかりだった。

 マリアが薬を作ったり、魔法を見せて励ましてくれていたが、出産を終えて気が抜けたのだろう。以前のようには効果がでなかった。


「セレーネ様のこと、本当に心配ね」


 マリアはそう言ってため息を吐く。私も大きく頷きながら、一緒になってため息を吐いた。

 私とマリアとの関係は、私の望んだ通り、これまでと大きくは変わらなかった。こうして二人で会話をしたり、マリアがセレーネから貰って来たお菓子を食べたりする。

 変わったことと言えば、互いに仕事の話をするようになったことだが、王ではなく『ヘリオス』として感じている苦悩を素直に打ち明けられるマリアは、やはり私にとって特別な存在だった。

 それから、大っぴらに仕事を頼むようになったことも変化の一つだ。セレーネの出産に先立ったルナリザーとの会談に同行してもらったり、地方遠征に同行させたりと、仕事の幅は色々と増えたと思う。

 けれど、マリアは弱音も文句も吐かなかったし、皆がビックリするほどにしっかりと王室専属魔女としての期待に応えてくれた。


「すまないが、これからもセレーネを診てやってほしい」


 本来医者でもないマリアに、王妃の体を任せるなどという重圧を与えてはならない。けれど、マリアと話しているとセレーネは幾分元気が出るようだし、薬だって医者が処方するものよりも、ずっと効果があった。


「わかってるって! できる限りのことをするわ」


 マリアはそう言って笑った。

 時が経つにつれ、マリアは美しさを増していく。騎士や政務官たちの間にも、彼女の存在は知れ渡るようになっていたし、懸想をしている者もいるらしい。そのことに私は焦りを感じていた。

 私はそっとマリアの手を握った。すると、マリアは少しだけ驚いた表情を浮かべたけれど、また笑ってくれた。


(どうか……どうかこのぐらいは許してほしい)


 心の中で許しを請いながら、私は手に力を込めた。
 本当はずっと、マリアに好きだと伝えたかった。抱き締めたかったし、その唇に触れたかった。


 けれど私にはセレーネがいた。


 セレーネがどんなにゲオルギオスを愛していても、どんなに実態が伴っていなくとも、私たちは夫婦だ。ルナリザーの王女であるセレーネを妻に持ちながら別の女性を愛することは国家間の問題に発展しかねないし、当然彼女のプライドも傷つけるだろう。

 それに、ゲオルギオスとの約束――――ルカを王の子として育てるためには、私は王妃の夫としての自分を守らなければならない。

 だから、どんなにマリアを想っていても、私がそれを言葉や行動に表すことはあってはならない。そう自覚していた。



 そうこうしながら月日は過ぎ、気が付けばルカは2歳の誕生日を迎えていた。

 美しく利発で心優しいルカは、ゲオルギオスにそっくりだった。王としての素質を一身に受け継ぎ、神から愛された子。私はルカの成長を見守ることが嬉しかったし、楽しかった。

 けれどこの3年の間にセレーネの容体は酷く悪化していた。美しかった容姿は陰りを見せ、昼夜問わず殆どの時間をベッドで寝たまま過ごす。そんな状態のため、私との寝室もついに分けられることになった。


 やがて、ついに彼女の命の灯が消える時が来た。セレーネの枕辺には何も知らない幼いルカと、それから私だけ。セレーネはルカを抱き締めながら、静かに涙を流した。


「ごめんなさい、ヘリオス……」


 とてもか細く、弱弱しい声だった。私はルカを抱き締めるセレーネを支えてやりながら、必死に耳を寄せた。


「マリアのこと……本当にごめん、なさい」


 私は目を丸くした。セレーネは気づいていたのだ。私がマリアを愛していること。それから、ずっとその想いを抑えてきたことに。私はゴクリと唾を呑んだ。


「これからはどうか、あなた自身の人生を生きて…………そう言うべきなのだと分かっています。けれど、どうか……どうかルカのことを――――」


 息も絶え絶えになって言葉を紡ぐセレーネは、王妃としてこの国に嫁いできたときの面影はない。けれど、彼女は美しかった。とても美しかった。それはきっと、王妃としてではなく、母としての美しさなのだと私は思った。
 私は首を横に振ると、そっとセレーネの手を握った。


「良いんだ。ルカのことは任せて。絶対に王の子として立派に育てると約束する」


 彼女は瞳から涙をいっぱいに流し、コクコクと頷いた。
 セレーネに抱かれたルカが、不思議そうに首を傾げる。


「おかあさま?」


 まだ3歳ながら、感じるものがあったのだろう。ルカは瞳に涙を溜め、不安げな表情を浮かべる。
 けれど、既にセレーネの瞳からは光が消えていた。


 これでこの世には、ルカの出生の秘密を知る者は私しかいない。私はセレーネの亡骸と一緒にルカを力いっぱい抱き締めた。



 それからしばらくは、目まぐるしくも空虚な毎日が続いた。式典やルナリザーへの使者の手配、セレーネがいなくて寂しがるルカの相手や通常の執務など、正直どんな風にして乗り切ったのかはあまり覚えていない。気が付けば朝が来て、そして瞬く間に夜になっている。その繰り返し。

 当然マリアと会う時間など取れるはずもなかった。固く閉ざされたバルコニーへの扉。その先にはマリアがいたのかもしれない。けれど、私にはそれを確認するだけの余裕は無かった。


 どれぐらいの日々が経っただろう。季節が変わって、私はようやく一人になれた。
 久々に吸い込む外の空気は美味しく、温かい。深い闇夜に浮かぶ美しい月は、まるでセレーネその人のようで。セレーネが亡くなってから初めて、私は涙を流すことが出来た。


「セレーネ……」


 気づけば私の唇は、彼女の名前を呟いていた。


「寂しいの?」


 風に乗って誰かがそう私に問うた。涙が自然と込み上げてくる。思わず私は頷いた。

 本当はもっと、複雑で言葉にできない色んな感情が心の中を渦巻いていた。けれど私には、それを表すことができない。

 気が付けばマリアが私のことを力いっぱい抱きしめていた。小さな身体が小刻みに震えている。私は縋るようにしてマリアを抱き締め返した。
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