魔女と王都と金色の猫

鈴宮(すずみや)

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【終章】王都に戻った魔女、幸せの意味を知る

悪い女

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 ミシェルの親友は二人。
 一人は彼女の幼馴染。森から出ることを許されなかったミシェルと外の世界との唯一の繋がり、侯爵令息のクリスだ。


(クリスはもう、いないけれど)


 彼がミシェルにとって、何物にも代えがたい大事な友達であったことを、ルカは理解している。それに、クリスはルカにとっても大事な側近だった。

 そしてもう一人は、金色の毛が特徴的な賢い猫、トネールだ。

 ミシェルが王城で働く少し前に出会ったのだというこの猫は、いつもミシェルの側にいた。
 彼女が人知れず城から姿を消した時だって、トネールだけはミシェルの側にいたのである。

 けれど、猫だったはずのトネールは、実は人間で。おまけに隣国の王子という稀有な身分の持ち主だった。
 種族が違えば、友情や家族愛は育めども、恋愛対象になることは無い。
 けれどトネールは今、人間となって目の前にいる。言葉を交わすことも、抱き合うこともできるのだ。


(いや、そんなこと関係ないだろ。ミシェルは私を想ってくれているのだから)


 出会ってから今まで、色んなことがあった。その度に何度も想いを伝えた。気持ちを確かめ合った。だから今さら不安に思うことなど何もないはずなのに――――。

 ふと見ると、エイダンはニコニコと微笑みながら、ミシェルの顔を覗き込んでいた。ルカの心臓がドクンドクンと疼き続ける。


『俺と一緒に行こうよ』


 頭の中では先程のエイダンの言葉が鳴り響く。
 ミシェルの答えは否だろう。そう思っていても、不安は募る。
 すると、躊躇いがちにミシェルが口を開いた。


(エイダンに申し訳ないと、そう思っているのだろうか)


 何やら浮かない表情に見える。安堵の気持ちとともに目を瞑ると、ほっと小さなため息を吐く。


「少し……考えさせていただけませんか?」


 その途端、ルカは時が止まったような気がした。
 チラチラとこちらを窺うようなミシェルの視線を感じるけれど、それに反応するだけの余裕が今のルカにはない。


(今のは、エイダンじゃない。ミシェルの声だった)


 頭の中で先程の言葉を反芻しながら、ルカは呆然と立ち尽くす。
 全てを焼き尽くすかのような熱くどす黒い感情。暗闇に一人置いてけぼりにされたかのような絶望感。底なし沼に頭まで使って、息すらできないような、そんな感覚がルカを襲う。


「良いよ。王様からしばらく滞在の許可を貰ったから。帰るまでに返事して」
「わかりました」


 そんなやり取りがぼんやりとルカの耳に届いた。まるで、水の中から外の世界を覗いているかのように、目も耳もうまく機能していない。


「ルカ様?」


 ハッとして顔を上げれば、ミシェルがルカを覗き込んでいる。そっと手のひらを重ね、心配気にルカを見つめるその表情は、いつもと変わらないミシェルだというのに。


「大丈夫ですか?もしかして、背中が痛みますか……!?」


 ミシェルは眉間に皺を寄せながら周囲をキョロキョロと見回した。


「お部屋に戻りましょう!お医者様を呼んで、安静にしないと……」
「大丈夫だよ、ミシェル」


 ルカはそう言いながら自虐的な笑みを浮かべる。本当は背中ではない所が、ツキツキと激しく痛んでいた。





(今日は本当にすごいことが起こりました)


 私室への道を歩きながら、ミシェルの気分は高揚していた。
 亡くなったと思っていた親友が、生きていた。おまけに、人間になって会いに来てくれた。そんなこと、昨日まで想像もしていなかったのだ。

 それに、トネールが与えてくれたのは、再会の喜びだけではない。


(諦めかけていた。無理なのかもしれないって。でも――――)


 思いがけず手にした微かな希望に、ミシェルの心臓は高鳴った。


(だけど)


 トネールの申し出にミシェルが即答できなかったのは、ルカのためだ。

 ルカが政務に復帰できぬ間はミシェルが彼の代わりを勤めねばならない。それに、あの一件からずっと元気のないルカの力になりたい。そう心から思う。

 ミシェルは前を歩くルカの顔を、そっと覗き込んだ。先程からルカは俯きがちで、表情がよく見えない。何やら今朝よりも具合が悪化しているようで、心配が募った。

 
(トネールは一人で行っても良いって言ってくれたけど)


 ことがことだけに、トネール一人に任せてよいものだろうか。そう思い悩みながらミシェルは首を傾げた。


「ミシェル」


 ルカの声が聞こえて顔を上げる。気づけばもう、目的地は目の前だった。


「すみません! ぼーーっとしてました」


 ガチャッと穏やかな音を立てて扉が開き、ミシェルはいつものように、ルカの後ろに付き従う。
 すると突如、ドン!という大きな音が耳元で響いた。

 何事かとミシェルは視線を彷徨わせると、顔のすぐ横にルカの両腕が見える。


(え?)


 戸惑いながらも前を向けば、極至近距離にルカの顔が迫っていた。


「ルカ、様……?」


 ルカの澄んだ瞳が、今は炎のようにに揺らめいて見える。まるで獲物を狙う獣のような獰猛な眼差し。


(何か怒っていらっしゃる……?)


 間近に迫るルカの真剣な表情に、ミシェルは思わず後退る。けれど背中はすぐに、無機質な何かへとぶつかった。先程の音はドアが閉まった音だったらしい。


「ミシェル」


 苦し気に紡がれる自身の名に、ミシェルの身体がカッと熱くなった。ゾクゾクと駆け抜ける快感にも似た何かに、ミシェルは顔を顰める。


(違う。怒りではない)


 ルカの眼差しに潜む感情は、怒りに似ている。けれど、それとは全く別物のように感じられた。


「ミシェル」


 まるで世界に存在する唯一のものかの如く、ルカが再びミシェルの名を呼ぶ。聴いているこちらの胸が締め付けられるかのような切なげで熱を孕んだ声。今にも泣き出しそうなルカの表情に、思わず手を伸ばしたくなる。

 けれど、ミシェルがそうするより先に、ルカが動いた。ジワリジワリと距離を詰め、ミシェルの顎をそっと掬う。心臓がドキドキして息もうまく吸えない。

 触れたい。そう思った時には、ミシェルの唇は荒々しく塞がれていた。

 噛みつくような口付け。苦しいほどに抱き締められ、触れ合ったところから二人分の心臓の音が聴こえる。全身が甘く痺れ、涙が滲む。救いを求めて抱き縋れば、身体が宙を浮いた。


(こんな、余裕のないルカ様は初めて……)


 いつも優しくて穏やかで、包み込むようにミシェルを愛してくれる人。溢れんばかりのミシェルの想いをそっと受け止めてくれる、温かな腕。

 そんなルカが、何かに急かされるかのように、がむしゃらにミシェルを求めている。
 何度も何度も名を呼び、苦し気に愛を叫びながら、愛を乞う。


(――――嬉しくないわけがない)


 本当は喜ぶべきではないのかもしれない。けれどミシェルは、普段は隠れているルカの感情――――激情に触れられた気がして、ブルりと心を震わせる。


(ルカ様だけだと、そう伝えるべきだって分かっているのに)


 すぐにそうしない自分は、相当悪い女なのかもしれない。
 そんなことを考えながら、ミシェルはルカを思い切り抱き締めた。
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