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10.思わせぶりな侍女、その父親
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翌日、モニカは気落ちしつつも公務に精を出していた。
どんなに凹んだところで、しばらく子ができることはない。
この上、他の仕事に支障をきたしては、いよいよ自分を嫌いになってしまう。せめてそれ以外の責務はきちんと果たそうとモニカは思っていた。
「――――少し根を詰めすぎではございませんか、妃殿下」
けれど、二人いる護衛騎士のうちの一人がそんなことを口にする。
若手騎士のヴィクトルだ。
彼はモニカを心配している様子で、そっと顔を覗き込んできた。
「そうかしら? いつもどおりだと思うけれど」
モニカは戸惑いつつも、己の頬に手を当てる。ヴィクトルの言う通り、少し頑張りすぎたのだろうか? 身体が火照っているようだった。
「よろしければ、気分転換に城内の散策に向かいませんか? 今朝、庭師が新しい花が咲いたと話しておりました。妃殿下にも是非見ていただきたい、と」
ヴィクトルの言葉に、相方の騎士も小さく頷く。
「それは……是非とも見せてもらわないといけないわね」
モニカはそう言って、ゆっくりと立ち上がる。
それから騎士たちの案内を受けつつ、庭園へと向かった。
外の風に当たると、鬱々とした気分が幾分マシになっていく。
(ヴィクトルたちの言う通り、外に出てみて良かった)
モニカがそんな風に思ったその時だった。
進行方向の少し先で、筆頭侍女であるジュリーとコゼットが声を潜めて会話をしている。
「――――貴女、他の侍女に話していないでしょうね?」
(ん?)
二人揃って深刻な表情。ついつい内容が気になって、モニカは足を止めてしまう。
「はい、話しておりません。けれど私、どうしたら良いか分からなくて……」
「けれど、じゃないわ。今後は絶対に公言しないで。もしも妃殿下のお耳に入ったら――――」
「わたくしがどうかしたの?」
気づかなかったふりをすべきか迷いつつ、モニカは二人に声をかける。ジュリーは真っ青な表情で飛び上がりつつ、モニカに向かって頭を下げた。
一方のコゼットは「あっ!」と小さく声を上げ、それから瞳を震わせる。彼女は見るからに困惑した様子で、モニカの元へと駆け寄った。
「妃殿下……! 私、どうしたら良いのでしょう? どうしたら……」
「口を慎みなさい、コゼット。妃殿下のお心を煩わせることは許しません」
ジュリーはモニカとコゼットの間に入り、厳しい口調で制止する。
「けれどジュリー」
「妃殿下、気になるかもしれませんが、どうかこの場は私にお任せください。コゼットには私からきっちりと助言と指導をしておきますので」
「…………そう? それじゃあ任せるわ」
気にならないと言ったら嘘になる。
けれど、筆頭侍女のあまりの剣幕に、モニカは思わず頷いた。
背後からコゼットの視線を感じる。
モニカの胸に大きなわだかまりが残った。
けれどその日以降、コゼットはモニカに会う度に、ひどく申し訳無さそうな表情を浮かべるようになった。
お茶を出す時も、着替えの最中も。
何をしていなくとも、彼女の視線を感じてしまう。
二人きりにならないほうが良いと判断したのだろう。朝のお茶は、コゼットとは別の侍女が出すようになった。
それでも、コゼットはモニカの専属侍女。接点を完全に断つことはできない。
仕事に集中できないなら配置換えをした方が良いかも知れない――――そう思ったものの、彼女は由緒ある伯爵家の令嬢。城には箔をつけるために通っているのだし、簡単には動かすことができなかった。
そんなことがあった数日後のこと。
「妃殿下!」
公務の合間に、誰かがモニカを呼び止める。
(誰かしら?)
王太子妃である彼女を呼び止められる相手は、身分や役職が余程高いか、礼儀を知らぬものだけ。
モニカはそっと振り返りつつ、すぐに相手を確認する。
「カステルノー伯爵……ご無沙汰しております」
そこにいたのは、先日面会をするはずだった三人の内の一人で、侍女であるコゼットの父親だった。
恰幅のいいたぬきのような男性で、経済界のドン。その上彼は、剣や鎧の製造を主要事業にしているため、軍事への影響力も大きい。王家が無視できない存在である。
「いやぁ、本当にお久しぶりです。
先日は妃殿下にお目見えできるのを楽しみにしていたのですが、エルネスト殿下にご対応いただけるということで……お会いできず、残念に思っておりました」
「まぁ……伯爵にそんな風に思っていただけていたなんて、光栄ですわ。あの日は急遽外せない予定が入り、夫に無理を言ってしまいました。わたくしとしても、伯爵にお会いできず、とても残念に思っておりましたわ」
本当のことを言って、エルネストを悪者にするわけにはいかない。
嘘も方便。
モニカは申し訳無さげに眉を下げる。
「そうでしたか。それでは、今から少しお時間をいただいても?」
「今から……」
後ろに控えた侍女の一人にチラリと目配せをすれば『少しならば』と返事が返ってくる。
今断っても、後日しつこく付き纏われるに違いない。
「あまり時間は取れませんが、それでもよろしければ」
「それで結構。是非、お話をさせてください」
モニカの返答に、伯爵はニコリと微笑んだ。
***
カステルノー伯爵を応接室に案内し、お茶の準備を侍女たちに頼む。
すると、ティーポットと茶菓子とともに、すぐにコゼットが現れた。
「お父様! 城内でお会いできるなんて、とても嬉しいです!」
久々の再会なのだろう。モニカは父娘の温かいやり取りを見守りつつ、準備を進めてくれている他の侍女たちに礼を言う。
「王都での滞在期間もあと少しだからね。最近おまえの元気がないと聞いていたし、会えて良かったよ」
カステルノー伯爵がそう言うと、コゼットは「それは……」と言葉を濁しつつ、モニカのことをチラチラ見遣る。
「ん? 妃殿下に関係することなのかい?」
「い、いえ。直接的には。
けれど、このままでは妃殿下にあまりにも申し訳なくて」
一応声を潜めているものの、二人の会話は筒抜けだ。モニカは苦笑しつつ、聞こえないふりを続ける。
「コゼット、そろそろ行くわよ」
たまりかねた侍女たちが、コゼットに声を掛けた。コゼットは「そうね」と口にして、恭しく礼をする。
室内にはモニカとカステルノー伯爵、それから護衛騎士たちだけが残った。
「それで伯爵、本日はどういったご用向でしょう?」
気を取り直して、モニカが尋ねる。
エルネストでは飽き足らず、わざわざモニカと話したがる時点で、内容については予想がついているのだが。
「いえね、そろそろ妃殿下の体調に変化が生じる頃ではなかろうかと……ほら、国の慶事とあらば、伯爵家として、盛大にお祝いをしなければなりませんから」
(早速来たわね)
モニカはニコリと微笑みつつ、心のなかで伯爵を睨む。
控えめなコゼットとは異なり、伯爵は大層な野心家だ。娘を側妃に添えたがっていることぐらい、モニカにも分かる。
彼はいつも、直接的な言葉を避け、遠回しに不妊に対する嫌味を言い、モニカからエルネストに側妃を勧めるべきだと伝えてくるのだ。
当然モニカは傷つく――――かと思いきや、これが案外平気だったりする。
ここまで露骨で分かりやすいと、かえって心の準備がしやすい。適当に話を合わせてスルーすることができるのだ。
「お気遣いいただき、ありがとうございます。おかげさまで、夫婦ともども健康体。皆様のお心を煩わせることはございませんわ」
絶妙に話を逸しつつ、モニカはそっと笑みを浮かべる。
「それは良かった。なにごとも健康が一番ですからな。
ただ……国民はそろそろ、お二人が健やかでいらっしゃることだけでなく、新しい希望を求めているのではないでしょうか? エルネスト殿下にはまだ子供がいらっしゃいませんし……」
ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべつつ、カステルノー伯爵は首を捻る。
「ご結婚から既に三年でしょう? 皆が心配をしている頃だと思うのですよ。このまま妃殿下は子を産めぬのではないか、とね。
しかしねぇ、どんなに望んだところで、土壌が悪ければ作物というのは育たないものですから。お二人もそろそろ、別の方法を考えても良い頃合いでは?」
別の方法――――つまりは土壌たる『モニカ』が悪いので、代わりとなる『側妃』を、と言いたいのだろう。ここまでは想定内だ。
「それにねぇ……このままでは宰相であるお父上の評判も落ちてしまいます。政治的な判断ができていない、とね。
そうなると妃殿下も不本意でしょう? ただでさえ結婚当初は『娘を権力の道具にしている』と口さがない連中に言われておりましたし、今度は娘可愛さに王家を断絶させようとしていると言われてしまうなんて……」
そういう言い方をされては、モニカには言い返しようがない。ムキになってると思われるのは損だし、相手側がエスカレートしてこちらの傷が深くなるだけだ。
「そうですわね……夫とよく話し合ってみますわ」
結局は相手の望み通りの言葉を返すことになってしまう。
カステルノー伯爵は満面の笑みを浮かべつつ「是非に」と言った。
どんなに凹んだところで、しばらく子ができることはない。
この上、他の仕事に支障をきたしては、いよいよ自分を嫌いになってしまう。せめてそれ以外の責務はきちんと果たそうとモニカは思っていた。
「――――少し根を詰めすぎではございませんか、妃殿下」
けれど、二人いる護衛騎士のうちの一人がそんなことを口にする。
若手騎士のヴィクトルだ。
彼はモニカを心配している様子で、そっと顔を覗き込んできた。
「そうかしら? いつもどおりだと思うけれど」
モニカは戸惑いつつも、己の頬に手を当てる。ヴィクトルの言う通り、少し頑張りすぎたのだろうか? 身体が火照っているようだった。
「よろしければ、気分転換に城内の散策に向かいませんか? 今朝、庭師が新しい花が咲いたと話しておりました。妃殿下にも是非見ていただきたい、と」
ヴィクトルの言葉に、相方の騎士も小さく頷く。
「それは……是非とも見せてもらわないといけないわね」
モニカはそう言って、ゆっくりと立ち上がる。
それから騎士たちの案内を受けつつ、庭園へと向かった。
外の風に当たると、鬱々とした気分が幾分マシになっていく。
(ヴィクトルたちの言う通り、外に出てみて良かった)
モニカがそんな風に思ったその時だった。
進行方向の少し先で、筆頭侍女であるジュリーとコゼットが声を潜めて会話をしている。
「――――貴女、他の侍女に話していないでしょうね?」
(ん?)
二人揃って深刻な表情。ついつい内容が気になって、モニカは足を止めてしまう。
「はい、話しておりません。けれど私、どうしたら良いか分からなくて……」
「けれど、じゃないわ。今後は絶対に公言しないで。もしも妃殿下のお耳に入ったら――――」
「わたくしがどうかしたの?」
気づかなかったふりをすべきか迷いつつ、モニカは二人に声をかける。ジュリーは真っ青な表情で飛び上がりつつ、モニカに向かって頭を下げた。
一方のコゼットは「あっ!」と小さく声を上げ、それから瞳を震わせる。彼女は見るからに困惑した様子で、モニカの元へと駆け寄った。
「妃殿下……! 私、どうしたら良いのでしょう? どうしたら……」
「口を慎みなさい、コゼット。妃殿下のお心を煩わせることは許しません」
ジュリーはモニカとコゼットの間に入り、厳しい口調で制止する。
「けれどジュリー」
「妃殿下、気になるかもしれませんが、どうかこの場は私にお任せください。コゼットには私からきっちりと助言と指導をしておきますので」
「…………そう? それじゃあ任せるわ」
気にならないと言ったら嘘になる。
けれど、筆頭侍女のあまりの剣幕に、モニカは思わず頷いた。
背後からコゼットの視線を感じる。
モニカの胸に大きなわだかまりが残った。
けれどその日以降、コゼットはモニカに会う度に、ひどく申し訳無さそうな表情を浮かべるようになった。
お茶を出す時も、着替えの最中も。
何をしていなくとも、彼女の視線を感じてしまう。
二人きりにならないほうが良いと判断したのだろう。朝のお茶は、コゼットとは別の侍女が出すようになった。
それでも、コゼットはモニカの専属侍女。接点を完全に断つことはできない。
仕事に集中できないなら配置換えをした方が良いかも知れない――――そう思ったものの、彼女は由緒ある伯爵家の令嬢。城には箔をつけるために通っているのだし、簡単には動かすことができなかった。
そんなことがあった数日後のこと。
「妃殿下!」
公務の合間に、誰かがモニカを呼び止める。
(誰かしら?)
王太子妃である彼女を呼び止められる相手は、身分や役職が余程高いか、礼儀を知らぬものだけ。
モニカはそっと振り返りつつ、すぐに相手を確認する。
「カステルノー伯爵……ご無沙汰しております」
そこにいたのは、先日面会をするはずだった三人の内の一人で、侍女であるコゼットの父親だった。
恰幅のいいたぬきのような男性で、経済界のドン。その上彼は、剣や鎧の製造を主要事業にしているため、軍事への影響力も大きい。王家が無視できない存在である。
「いやぁ、本当にお久しぶりです。
先日は妃殿下にお目見えできるのを楽しみにしていたのですが、エルネスト殿下にご対応いただけるということで……お会いできず、残念に思っておりました」
「まぁ……伯爵にそんな風に思っていただけていたなんて、光栄ですわ。あの日は急遽外せない予定が入り、夫に無理を言ってしまいました。わたくしとしても、伯爵にお会いできず、とても残念に思っておりましたわ」
本当のことを言って、エルネストを悪者にするわけにはいかない。
嘘も方便。
モニカは申し訳無さげに眉を下げる。
「そうでしたか。それでは、今から少しお時間をいただいても?」
「今から……」
後ろに控えた侍女の一人にチラリと目配せをすれば『少しならば』と返事が返ってくる。
今断っても、後日しつこく付き纏われるに違いない。
「あまり時間は取れませんが、それでもよろしければ」
「それで結構。是非、お話をさせてください」
モニカの返答に、伯爵はニコリと微笑んだ。
***
カステルノー伯爵を応接室に案内し、お茶の準備を侍女たちに頼む。
すると、ティーポットと茶菓子とともに、すぐにコゼットが現れた。
「お父様! 城内でお会いできるなんて、とても嬉しいです!」
久々の再会なのだろう。モニカは父娘の温かいやり取りを見守りつつ、準備を進めてくれている他の侍女たちに礼を言う。
「王都での滞在期間もあと少しだからね。最近おまえの元気がないと聞いていたし、会えて良かったよ」
カステルノー伯爵がそう言うと、コゼットは「それは……」と言葉を濁しつつ、モニカのことをチラチラ見遣る。
「ん? 妃殿下に関係することなのかい?」
「い、いえ。直接的には。
けれど、このままでは妃殿下にあまりにも申し訳なくて」
一応声を潜めているものの、二人の会話は筒抜けだ。モニカは苦笑しつつ、聞こえないふりを続ける。
「コゼット、そろそろ行くわよ」
たまりかねた侍女たちが、コゼットに声を掛けた。コゼットは「そうね」と口にして、恭しく礼をする。
室内にはモニカとカステルノー伯爵、それから護衛騎士たちだけが残った。
「それで伯爵、本日はどういったご用向でしょう?」
気を取り直して、モニカが尋ねる。
エルネストでは飽き足らず、わざわざモニカと話したがる時点で、内容については予想がついているのだが。
「いえね、そろそろ妃殿下の体調に変化が生じる頃ではなかろうかと……ほら、国の慶事とあらば、伯爵家として、盛大にお祝いをしなければなりませんから」
(早速来たわね)
モニカはニコリと微笑みつつ、心のなかで伯爵を睨む。
控えめなコゼットとは異なり、伯爵は大層な野心家だ。娘を側妃に添えたがっていることぐらい、モニカにも分かる。
彼はいつも、直接的な言葉を避け、遠回しに不妊に対する嫌味を言い、モニカからエルネストに側妃を勧めるべきだと伝えてくるのだ。
当然モニカは傷つく――――かと思いきや、これが案外平気だったりする。
ここまで露骨で分かりやすいと、かえって心の準備がしやすい。適当に話を合わせてスルーすることができるのだ。
「お気遣いいただき、ありがとうございます。おかげさまで、夫婦ともども健康体。皆様のお心を煩わせることはございませんわ」
絶妙に話を逸しつつ、モニカはそっと笑みを浮かべる。
「それは良かった。なにごとも健康が一番ですからな。
ただ……国民はそろそろ、お二人が健やかでいらっしゃることだけでなく、新しい希望を求めているのではないでしょうか? エルネスト殿下にはまだ子供がいらっしゃいませんし……」
ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべつつ、カステルノー伯爵は首を捻る。
「ご結婚から既に三年でしょう? 皆が心配をしている頃だと思うのですよ。このまま妃殿下は子を産めぬのではないか、とね。
しかしねぇ、どんなに望んだところで、土壌が悪ければ作物というのは育たないものですから。お二人もそろそろ、別の方法を考えても良い頃合いでは?」
別の方法――――つまりは土壌たる『モニカ』が悪いので、代わりとなる『側妃』を、と言いたいのだろう。ここまでは想定内だ。
「それにねぇ……このままでは宰相であるお父上の評判も落ちてしまいます。政治的な判断ができていない、とね。
そうなると妃殿下も不本意でしょう? ただでさえ結婚当初は『娘を権力の道具にしている』と口さがない連中に言われておりましたし、今度は娘可愛さに王家を断絶させようとしていると言われてしまうなんて……」
そういう言い方をされては、モニカには言い返しようがない。ムキになってると思われるのは損だし、相手側がエスカレートしてこちらの傷が深くなるだけだ。
「そうですわね……夫とよく話し合ってみますわ」
結局は相手の望み通りの言葉を返すことになってしまう。
カステルノー伯爵は満面の笑みを浮かべつつ「是非に」と言った。
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