好きな人の婚約が決まりました。好きな人にキスをされました。

鈴宮(すずみや)

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【3章】伯爵家侍女メアリーの場合

2.メアリーの主張

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 一般的に、女の子のほうが男の子よりも早く大人になる。
 メアリーはすぐに侍女としての自分に慣れ、活き活きと仕事をはじめた。

 先輩侍女たちは彼女が赤ちゃんの頃から知っていることもあって、とても優しく仕事を教えてくれるし、手放しで褒めてくれる。自分が誰かの役に立てている実感を得られることが、メアリーはとても嬉しかった。


 しかし、そんな生活に思わぬ形で待ったがかかってしまう。


 ある日のこと、メアリーはジェラルドの父親であるスプレンデンス伯爵に呼び出された。彼の隣にはジェラルドが居て、メアリーは思わずドキッとする。


(一体何の用だろう?)


 彼女は深々と頭を下げ、再び声がかかるのを待った。


「そうかしこまらないで。向かいのソファに座りなさい」

(ソファに? だけど……)


 侍女というのはただの使用人で、そんなふうに丁寧な扱いを受けるべき存在ではない。立ったまま話を聞いて然るべきだ。
 メアリーが無言でためらっていると、ジェラルドが「座れって言われただろう?」と言い、眉間に皺を寄せた。


「――――失礼いたします」


 ジェラルドの言う通り、これを命令だと捉えるならば、いつまでも突っ立っていては逆に失礼にあたる。メアリーはソファに腰掛け、もう一度深々と頭を下げた。


「あぁ……顔を上げなさい。メアリーにそういう反応をされると、私もジェラルドも困ってしまうよ」

「けれど旦那様、わたしは侍女です。侍女の娘です。使用人は本来、こうあるべきだと教わりました」

「うん、そうだね。それは分かるよ。
ただ……とりあえず、お茶を飲みながら話そうか。美味しいお菓子を用意してもらったんだ」


 伯爵は歯切れ悪くそう言うと、パンパンと手をたたき、侍女たちを中に呼び寄せる。
 すぐに美味しそうな茶菓子やジュースが運ばれてきて、メアリーはゴクリと息を呑んだ。


(いけない。わたしったら)


 ジェラルドと兄妹のように過ごしていた頃は、こうしてお茶菓子を一緒に食べるのが日課だった。伯爵家のシェフが腕によりをかけて作ったケーキや、新鮮なフルーツを、なんのためらいもなく一緒に食べていた。

 けれど、知ってしまった以上、これまでが異常で、どれほど恐ろしいことをしでかしていたかを考えてしまう。メアリーはほんのりと青ざめた。


「何躊躇ってるんだよ? 食えよ。父上もそう言ってるだろう?」

「……ダメです。こんな高価なもの、いただけません」


 言いながら、罪悪感の波が押し寄せてくる。無知とは本当に恐ろしい。メアリーは目頭がグッと熱くなった。


「メアリー、これは君のために用意したものだから、食べなきゃダメだよ」


 伯爵が優しい口調でメアリーに言い聞かせる。


「でも……」

「いいかい、メアリー。求められる礼儀というのはそのときどきで変わるものだ。丁寧な言葉遣い、応対をすることだけが礼儀じゃないんだよ」

「そうなのですか?」

「ああ。今、この場で求められる礼儀は、私の厚意を受け取ること。美味しく食べてもらえると、とても嬉しいよ」


 穏やかで優しい笑顔に、メアリーの瞳から涙が溢れる。


「ありがとうございます、旦那様」


 メアリーは恐る恐る茶菓子を口に運び、そのあまりの美味しさに満面の笑みを浮かべる。そんな様子を見ながら、伯爵はとても満足気に笑った。


「話は息子や他の使用人たちから聞いたよ。お母さんといっしょに、侍女として頑張って働いてくれているんだってね」


 いくらか場が和んだところで、伯爵は本題を切り出す。
 メアリーはジェラルドをちらりと見つつ、コクリと大きく頷いた。


「はい。まだまだ先輩方のようにはできませんが、遅ればせながら仕事をさせていただいてます」


 彼女の発言からは、もっと早くにこうするべきだったのにという悔恨がにじみ出ている。伯爵は苦笑を漏らしつつ、そっと瞳を細めた。


「確かに君は侍女の子供だ。だけどね、メアリーは私にとって自分の子供も同然なんだよ。ジェラルドだって、君のことを実の兄弟のように大切に思っている」


 よしよし、とメアリーの頭を優しく撫でながら、伯爵はニコリと微笑む。


「旦那様……」


 メアリーには生まれたときから父親が居ない。
 何処にいるか、何をしている人なのか、そういったことも教えられていない。

 そんな中、こうして優しく接してくれる伯爵のことを、メアリーは実の父親のように思っていた。可愛がってくれて嬉しく思うし、ありがたいと感じている。
 しかし――――。


「それに、君はまだ8歳なんだし、別に働かなくても良いんだ。ジェラルドと一緒に、楽しく遊んでくれたらそれで良いんだよ?」

「……けれど旦那様、この屋敷にはわたし以外にも使用人たちの子供が居ます。わたしだけを特別扱いをするのはダメです。不公平です。彼等が仕事をしている以上、わたしも仕事をすべきだと思います」


 使用人の子供たちが何歳から働かなければならないという明確な掟はない。雇用契約を結べる年齢になるまでは自由に過ごせることになっている。
 けれど、住み込みで面倒をみてもらっている以上、彼らはみな、幼くして仕事をしている。

 同じ平民の身分に生まれた以上、自分だって扱いは同じであるべきだ。メアリーの主張には筋が通っていて、伯爵は思わず面食らってしまう。


「それに、侍女の仕事って案外楽しいんです。多分、性に合っているんだと思います。ですから、このまま侍女を続けさせてください。
わたしは後ろめたさを感じながら生活をしたくないんです」


 正しく生きていれば誰からも後ろ指をさされることはない。そうすれば自ずと傷つく回数は少なく済む。メアリーは8歳にして、この世の理を学んでいた。


「うーーん、そうか。だったら私はメアリーの気持ちを尊重してあげなければならないなぁ」

「父上⁉ 俺の味方をしてくれるって言ってただろう?」


 ジェラルドが目を見開き、父親のことを凝視する。
 伯爵は小さく息を吐きつつ、息子のことをじっと見つめた。


「味方ならもう十分しただろう? それに、私が想像していたよりもずっと、メアリーが色んな事を考えてこの生活を選んでいるのが分かったからね。これ以上は強要できないよ。
いい機会だ。ジェラルドもそろそろ身分制度や特権階級とはどういうものか、学ぶと良い。私の周りには身分の違いのせいで苦しい思いをした人がたくさんいるからね」


 ちらりとメアリーを見遣りつつ、伯爵は静かに目を伏せる。


「身分? そんなの、いつ、誰が決めたかもよく分かんない決まりだろう? 何代も前の爺さんが功績を立てたっていうだけで、子孫まで偉ぶって良いなんて思えないし、俺は好きじゃない。みんな同じ人間じゃないか。……そりゃ、雇い主と使用人っていう差はあるかもしれないけど」

「ジェラルド!」

「何だよ。本当のことだろう? 大体父上は――――」


 ジェラルドの主張がヒートアップしていく。このままいくとジェラルドと伯爵との親子喧嘩は随分長くなりそうだ。

 どうしたものかと困っていたら、伯爵がメアリーに「下がっていいよ」と耳打ちをした。

 コクリと小さくうなずき、そのまま応接室を抜け出して、メアリーは大きなため息を吐いた。


(まったく、ジェラルドはいつまで経っても子供なんだから)


 彼の気持ちは嬉しいが、あれでは先が思いやられる。
 グッと大きく伸びをして、メアリーは急いで仕事に戻った。
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