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【3章】伯爵家侍女メアリーの場合
10.非公式な来訪者
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翌朝、メアリーは寝不足でフラフラになりながらも、いつものように仕事をこなしていた。
(ジェラルドはこれからどうするつもりだろう?)
あの後、メアリーがジェラルドから言われたことは2つだけ。
彼はメアリーと結婚をするつもりだということ、これから伯爵を説得するつもりだということだ。
具体的にはどんなふうに動くつもりなのか聞かされていないし、メアリーの気持ちだって聞かれていない。
『メアリーはただ、俺を信じて待っていて』
口づけのあと、彼はメアリーのことを抱き締めた。その表情からは憂いも迷いも微塵も見えない。必ず成し遂げるという強い覚悟がうかがえた。
とはいえ、伯爵家は驚くほどに平和だった。
ジェラルドと伯爵が言い争っている様子もなければ、彼の婚約は噂にすらなっていない。本当ならば成婚に向けて浮足立ち、準備に奔走してもおかしくないはずだ。
同僚たちの様子も本当いいつもどおりで、メアリーは拍子抜けしてしまう。
(お相手の令嬢は15歳っていう話だったから、結婚までは最低でもあと3年……まだ時間があるからってことなのかしら?)
ジェラルド自身が情報統制に動いている可能性もあるけれど、伯爵が執事や侍女たちに打ち明けてしまえばそれで終わり。彼の婚約話はまたたく間に広がるだろう。
そうなれば、ジェラルドがメアリーとの結婚を強固に進めるのは難しい。
伯爵家におけるメアリーの立場は完全になくなってしまう。
使用人のくせに、主家の不利益になることをするなんてありえないとの批判は免れない――――伯爵家で働き続けることだって難しくなるだろう。
信じて待つように、という話だったが、本当にこのままで良いのだろうか? このままでは大事なものを失ったり、大変な事態に陥ってしまうのではないだろうか?
(第一、わたしはどうしたいと思っているの?)
ジェラルドを信じ、彼との結婚を望みたいと思っているのか。
身分の差があるからと諦め、ジェラルドを説得したいと思っているのか。
はたまた、自ら身を引くべきだと思っているのか。
分からないし、考えたくない。
どうしてそう思うのか、その理由からも目を背けようとしてしまう――――。
「ねえ、あなた。この屋敷の使用人?」
そのとき、メアリーは唐突に声をかけられた。
街へお遣いに出た帰り道のことである。
「はい、そうです。どのような御用でしょうか?」
恭しく頭を下げつつ、メアリーは目の前の女性をそっと観察する。
眩いばかりの金の髪に、大きくて美しい緑の瞳。年の頃はメアリーと同じか、少し下ぐらいだろうか? これまでお目にかかったことがないほど、愛らしい顔立ちをしている。身に纏っているドレスは一級品で、彼女がただの町娘でないことは明らかだった。
「突然ごめんなさいね。この屋敷の次期当主がどんな人か知りたかったの。
事前に約束をして、正式に訪問してしまうと、色々と気を使うし、実情が見えてこないでしょう?」
女性はそう口にし、どこか困ったように微笑んでいる。
(次期当主がどんな人、って……)
メアリーは静かに息を呑み、目の前の女性をまじまじと見つめた。
「もしかして、アリティア様ですか?」
「……まあ! 私のことを知っているの?」
やはり、メアリーの予想は当たっていた。
彼女はアリティア・アンジェルジャン侯爵令嬢。
ジェラルドの婚約者である。
「だとしたら話が早いわ。あなたの客人ってことにして、私を中に入れてくれない? ほんの少しの間で良いの」
「え? えぇ……と」
断れる立場でないという気持ちと、勝手なことをして大丈夫だろうか? という気持ちがせめぎ合う。
あとで伯爵やジェラルドに怒られはしないだろうか? そもそも、ジェラルドの結婚にかかるメアリーの立ち位置は、とても微妙なものであるというのに。
「責任はすべて私が取るから安心して? あなたはただ、私の言うことを断れなかった――――それで良いの」
アリティアはどこか切羽詰まった様子だった。こうまで頼まれては断れない。
メアリーは躊躇いつつも、アリティアを屋敷の中に案内した。
***
メアリーは侍女長に断りを入れたあと、アリティアを自分の部屋に連れて行った。
令嬢の服装のまま屋敷をうろつかれては人目につく。連れ回るにしても、まずはアリティアの目的をはっきりとさせる必要があると考えたのだ。
「むさ苦しい場所ですみません。本当は応接室にご案内すべきなのに……」
「とんでもないわ。無理を言ったのは私の方だもの。
それにしても懐かしい……私ね、幼い頃はちょうどこんな部屋で両親と一緒に生活をしていたのよ?」
「……そう、でしたか」
侯爵令嬢なのに?
そんな疑問の言葉を飲み込んで、メアリーはそっと首を傾げた。
「素敵なお屋敷ね。綺麗だし、温かい雰囲気でとても気に入ったわ」
「……ありがとうございます。お嬢様に気に入っていただけて光栄です」
本来ならば、侍女であるメアリーがこういったことを言うべきではないだろう。けれど、アリティアの意向を汲み、メアリーは彼女との会話を続ける。
「本当に、うちの屋敷とは大違い。これなら上手くやっていけるかしら」
どこか遠い目をして、アリティアは微笑む。メアリーはほんのりと目を見開き、彼女のことを見つめた。
「どうして私がここに来たか、聞いてくれる? そのうえで、この屋敷のことを教えてくれたら嬉しいのだけど」
「え? えぇと……はい。わたしでお答えできることなら」
アリティアの来訪の目的は気になっていたところだ。教えてくれると言うならば、是非とも聞きたいところである。
「私の母はね、結婚相手の顔も人となりも知らないまま、侯爵家に嫁いだの。だけど、お世辞にも幸せな結婚生活とは言えなくてね……侯爵には別に愛人がいたし、使用人たちもみな冷たくて」
愛人という一言に、メアリーは思わずドキッとしてしまう。
もしもジェラルドが侯爵を説得できなかったとしたら――――メアリーが彼の愛人になることは決してありえない未来ではない。もちろん、メアリーがどう動くかによって、道は変わってくるけれども。
「だから私は、母みたいな想いはしたくないなぁって思ったの。……別に、恋愛結婚をしたいだなんて高望みをしているわけじゃないのよ? ごく普通の政略結婚で良いんだけど、ちゃんと自分の目で確かめて、きちんと納得したうえで結婚したいって思ってる。
父も母も、私の幸せを望んでくれているしね」
どこか悲しげなアリティアの様子に、メアリーの胸が締め付けられる。
彼女が結婚に望んでいるのは、最低限の小さな幸せだ。
メアリーはグッと唇を引き結んだ。
「それで、この屋敷の次期当主様はどんな人なのかしら? カッコいい? 優しい? 素敵な人?」
アリティアにとってはこちらが本題なのだろう。彼女はそっと身を乗り出し、瞳をキラキラと輝かせている。
「そうですね……。ジェラルド様は凛々しくて、逞しくて、頼りがいがある御方です。わたしたち使用人にも優しくしてくれますし、明るくて温かくて、いつも一生懸命で。素直で――――だからこそ誰かの気持ちに寄り添うことのできる素敵な人です」
メアリーは生まれたときからずっと、彼のことを見てきた。
ジェラルドの姿を――――彼が変わっていく様子を、ずっと見ていた。
ジェラルドならばきっと、アリティアを優しく包み込み、癒やすことができるだろう。
今は拒否しているが、彼はひとたび結婚してしまえば、その相手を大事にできる人だ。温かくて優しい穏やかな家庭を築き、アリティアの願いを叶えてくれるに違いない。
そうすればきっと、メアリーのことなど忘れてしまう。
夫としての責務を第一に、妻のことを心から愛そうと努力するだろう。
「そう――――次期当主様はジェラルド様とおっしゃるのね? 素敵だわ……彼のこと、詳しいのね」
「詳しいというか……母が彼の乳母を務めていたんです。ただ、それだけです」
言いながら、メアリーの胸がズキズキと痛む。
使用人として、ジェラルドがいかに素敵な人なのか、伝えるべきだと分かっている。
けれど、メアリー個人としては、これ以上ジェラルドのことを話したくない。そんなことを考えている自分が、メアリーはとても嫌になった。
「……ねえ、彼には誰か、好きな人がいるんじゃない?」
「え?」
そのとき、アリティアは思わぬことを尋ねてきた。
『他の女と結婚するなんて絶対嫌だ。俺にはメアリー以外、考えられない』
『子供の頃からずっと、メアリーのことが好きだった。俺が結婚したいと思うのはメアリーだけだ。……気づいていただろう?』
数日前、ジェラルドに言われた言葉が頭の中で響き渡る。
メアリーはほんのりと目を見開きつつ、急いで首を横に振った。
「――――分かりません。だけどきっと、そんな人は居ないと思います」
目頭が熱い。
罪悪感で胸が苦しい。
それでも、メアリーにとって嘘を吐く以外の選択肢はなかった。
「彼はとても誠実な人です。妻になった女性を大切にすると思います。ですから、お嬢様は安心して……」
「あら、そうなの? それじゃあ、あなたは?」
「え?」
わたしですか? と首を傾げるメアリーに、アリティアは「ええ」と口にする。
「あなたには好きな人がいる?」
アリティアが尋ねる。
しばしの沈黙。
メアリーはやがて小さく頷いた。
「居ます。とびきり素敵な、大好きな人が」
もう誰にも――――本人にだって打ち明けられない想いかもしれない。
けれど、メアリーはジェラルドのことが好きだった。
大好きだった。
彼はメアリーが辛いときにそばに居てくれる。
メアリーが彼のそばにいることを望んでくれる。
本当は、そんなジェラルドの想いに応えたい。誰からも祝福されず、後ろ指をさされながら生きることは分かっているが――――。
「……私はね、本当に好きな人がいるなら、その想いは大切にすべきだと思うのよ。
数年前に陛下の妹君も身分の低い男性と結婚をなさったことだし、昔に比べて身分が絶対っていう風潮は和らいできたし、結婚へのハードルも下がってきているわ。形や体面ばかりを重視するせいで、中身が歪な結婚をするよりも、想いを貫いたほうが余程良いと思うの」
「想いを貫くって……」
アリティアはニコリと微笑むと、その場にゆっくりと立ち上がった。
「今日は色々とありがとう。本当は屋敷の中を少し見せてもらうだけのつもりだったのに、思わぬ大収穫だったわ。
また後日、今度は正式に屋敷を訪問させてもらうつもりだから、そのときはよろしくね」
彼女の表情はどこか晴れやかで。メアリーは呆然と、アリティアの後ろ姿を見送ったのだった。
(ジェラルドはこれからどうするつもりだろう?)
あの後、メアリーがジェラルドから言われたことは2つだけ。
彼はメアリーと結婚をするつもりだということ、これから伯爵を説得するつもりだということだ。
具体的にはどんなふうに動くつもりなのか聞かされていないし、メアリーの気持ちだって聞かれていない。
『メアリーはただ、俺を信じて待っていて』
口づけのあと、彼はメアリーのことを抱き締めた。その表情からは憂いも迷いも微塵も見えない。必ず成し遂げるという強い覚悟がうかがえた。
とはいえ、伯爵家は驚くほどに平和だった。
ジェラルドと伯爵が言い争っている様子もなければ、彼の婚約は噂にすらなっていない。本当ならば成婚に向けて浮足立ち、準備に奔走してもおかしくないはずだ。
同僚たちの様子も本当いいつもどおりで、メアリーは拍子抜けしてしまう。
(お相手の令嬢は15歳っていう話だったから、結婚までは最低でもあと3年……まだ時間があるからってことなのかしら?)
ジェラルド自身が情報統制に動いている可能性もあるけれど、伯爵が執事や侍女たちに打ち明けてしまえばそれで終わり。彼の婚約話はまたたく間に広がるだろう。
そうなれば、ジェラルドがメアリーとの結婚を強固に進めるのは難しい。
伯爵家におけるメアリーの立場は完全になくなってしまう。
使用人のくせに、主家の不利益になることをするなんてありえないとの批判は免れない――――伯爵家で働き続けることだって難しくなるだろう。
信じて待つように、という話だったが、本当にこのままで良いのだろうか? このままでは大事なものを失ったり、大変な事態に陥ってしまうのではないだろうか?
(第一、わたしはどうしたいと思っているの?)
ジェラルドを信じ、彼との結婚を望みたいと思っているのか。
身分の差があるからと諦め、ジェラルドを説得したいと思っているのか。
はたまた、自ら身を引くべきだと思っているのか。
分からないし、考えたくない。
どうしてそう思うのか、その理由からも目を背けようとしてしまう――――。
「ねえ、あなた。この屋敷の使用人?」
そのとき、メアリーは唐突に声をかけられた。
街へお遣いに出た帰り道のことである。
「はい、そうです。どのような御用でしょうか?」
恭しく頭を下げつつ、メアリーは目の前の女性をそっと観察する。
眩いばかりの金の髪に、大きくて美しい緑の瞳。年の頃はメアリーと同じか、少し下ぐらいだろうか? これまでお目にかかったことがないほど、愛らしい顔立ちをしている。身に纏っているドレスは一級品で、彼女がただの町娘でないことは明らかだった。
「突然ごめんなさいね。この屋敷の次期当主がどんな人か知りたかったの。
事前に約束をして、正式に訪問してしまうと、色々と気を使うし、実情が見えてこないでしょう?」
女性はそう口にし、どこか困ったように微笑んでいる。
(次期当主がどんな人、って……)
メアリーは静かに息を呑み、目の前の女性をまじまじと見つめた。
「もしかして、アリティア様ですか?」
「……まあ! 私のことを知っているの?」
やはり、メアリーの予想は当たっていた。
彼女はアリティア・アンジェルジャン侯爵令嬢。
ジェラルドの婚約者である。
「だとしたら話が早いわ。あなたの客人ってことにして、私を中に入れてくれない? ほんの少しの間で良いの」
「え? えぇ……と」
断れる立場でないという気持ちと、勝手なことをして大丈夫だろうか? という気持ちがせめぎ合う。
あとで伯爵やジェラルドに怒られはしないだろうか? そもそも、ジェラルドの結婚にかかるメアリーの立ち位置は、とても微妙なものであるというのに。
「責任はすべて私が取るから安心して? あなたはただ、私の言うことを断れなかった――――それで良いの」
アリティアはどこか切羽詰まった様子だった。こうまで頼まれては断れない。
メアリーは躊躇いつつも、アリティアを屋敷の中に案内した。
***
メアリーは侍女長に断りを入れたあと、アリティアを自分の部屋に連れて行った。
令嬢の服装のまま屋敷をうろつかれては人目につく。連れ回るにしても、まずはアリティアの目的をはっきりとさせる必要があると考えたのだ。
「むさ苦しい場所ですみません。本当は応接室にご案内すべきなのに……」
「とんでもないわ。無理を言ったのは私の方だもの。
それにしても懐かしい……私ね、幼い頃はちょうどこんな部屋で両親と一緒に生活をしていたのよ?」
「……そう、でしたか」
侯爵令嬢なのに?
そんな疑問の言葉を飲み込んで、メアリーはそっと首を傾げた。
「素敵なお屋敷ね。綺麗だし、温かい雰囲気でとても気に入ったわ」
「……ありがとうございます。お嬢様に気に入っていただけて光栄です」
本来ならば、侍女であるメアリーがこういったことを言うべきではないだろう。けれど、アリティアの意向を汲み、メアリーは彼女との会話を続ける。
「本当に、うちの屋敷とは大違い。これなら上手くやっていけるかしら」
どこか遠い目をして、アリティアは微笑む。メアリーはほんのりと目を見開き、彼女のことを見つめた。
「どうして私がここに来たか、聞いてくれる? そのうえで、この屋敷のことを教えてくれたら嬉しいのだけど」
「え? えぇと……はい。わたしでお答えできることなら」
アリティアの来訪の目的は気になっていたところだ。教えてくれると言うならば、是非とも聞きたいところである。
「私の母はね、結婚相手の顔も人となりも知らないまま、侯爵家に嫁いだの。だけど、お世辞にも幸せな結婚生活とは言えなくてね……侯爵には別に愛人がいたし、使用人たちもみな冷たくて」
愛人という一言に、メアリーは思わずドキッとしてしまう。
もしもジェラルドが侯爵を説得できなかったとしたら――――メアリーが彼の愛人になることは決してありえない未来ではない。もちろん、メアリーがどう動くかによって、道は変わってくるけれども。
「だから私は、母みたいな想いはしたくないなぁって思ったの。……別に、恋愛結婚をしたいだなんて高望みをしているわけじゃないのよ? ごく普通の政略結婚で良いんだけど、ちゃんと自分の目で確かめて、きちんと納得したうえで結婚したいって思ってる。
父も母も、私の幸せを望んでくれているしね」
どこか悲しげなアリティアの様子に、メアリーの胸が締め付けられる。
彼女が結婚に望んでいるのは、最低限の小さな幸せだ。
メアリーはグッと唇を引き結んだ。
「それで、この屋敷の次期当主様はどんな人なのかしら? カッコいい? 優しい? 素敵な人?」
アリティアにとってはこちらが本題なのだろう。彼女はそっと身を乗り出し、瞳をキラキラと輝かせている。
「そうですね……。ジェラルド様は凛々しくて、逞しくて、頼りがいがある御方です。わたしたち使用人にも優しくしてくれますし、明るくて温かくて、いつも一生懸命で。素直で――――だからこそ誰かの気持ちに寄り添うことのできる素敵な人です」
メアリーは生まれたときからずっと、彼のことを見てきた。
ジェラルドの姿を――――彼が変わっていく様子を、ずっと見ていた。
ジェラルドならばきっと、アリティアを優しく包み込み、癒やすことができるだろう。
今は拒否しているが、彼はひとたび結婚してしまえば、その相手を大事にできる人だ。温かくて優しい穏やかな家庭を築き、アリティアの願いを叶えてくれるに違いない。
そうすればきっと、メアリーのことなど忘れてしまう。
夫としての責務を第一に、妻のことを心から愛そうと努力するだろう。
「そう――――次期当主様はジェラルド様とおっしゃるのね? 素敵だわ……彼のこと、詳しいのね」
「詳しいというか……母が彼の乳母を務めていたんです。ただ、それだけです」
言いながら、メアリーの胸がズキズキと痛む。
使用人として、ジェラルドがいかに素敵な人なのか、伝えるべきだと分かっている。
けれど、メアリー個人としては、これ以上ジェラルドのことを話したくない。そんなことを考えている自分が、メアリーはとても嫌になった。
「……ねえ、彼には誰か、好きな人がいるんじゃない?」
「え?」
そのとき、アリティアは思わぬことを尋ねてきた。
『他の女と結婚するなんて絶対嫌だ。俺にはメアリー以外、考えられない』
『子供の頃からずっと、メアリーのことが好きだった。俺が結婚したいと思うのはメアリーだけだ。……気づいていただろう?』
数日前、ジェラルドに言われた言葉が頭の中で響き渡る。
メアリーはほんのりと目を見開きつつ、急いで首を横に振った。
「――――分かりません。だけどきっと、そんな人は居ないと思います」
目頭が熱い。
罪悪感で胸が苦しい。
それでも、メアリーにとって嘘を吐く以外の選択肢はなかった。
「彼はとても誠実な人です。妻になった女性を大切にすると思います。ですから、お嬢様は安心して……」
「あら、そうなの? それじゃあ、あなたは?」
「え?」
わたしですか? と首を傾げるメアリーに、アリティアは「ええ」と口にする。
「あなたには好きな人がいる?」
アリティアが尋ねる。
しばしの沈黙。
メアリーはやがて小さく頷いた。
「居ます。とびきり素敵な、大好きな人が」
もう誰にも――――本人にだって打ち明けられない想いかもしれない。
けれど、メアリーはジェラルドのことが好きだった。
大好きだった。
彼はメアリーが辛いときにそばに居てくれる。
メアリーが彼のそばにいることを望んでくれる。
本当は、そんなジェラルドの想いに応えたい。誰からも祝福されず、後ろ指をさされながら生きることは分かっているが――――。
「……私はね、本当に好きな人がいるなら、その想いは大切にすべきだと思うのよ。
数年前に陛下の妹君も身分の低い男性と結婚をなさったことだし、昔に比べて身分が絶対っていう風潮は和らいできたし、結婚へのハードルも下がってきているわ。形や体面ばかりを重視するせいで、中身が歪な結婚をするよりも、想いを貫いたほうが余程良いと思うの」
「想いを貫くって……」
アリティアはニコリと微笑むと、その場にゆっくりと立ち上がった。
「今日は色々とありがとう。本当は屋敷の中を少し見せてもらうだけのつもりだったのに、思わぬ大収穫だったわ。
また後日、今度は正式に屋敷を訪問させてもらうつもりだから、そのときはよろしくね」
彼女の表情はどこか晴れやかで。メアリーは呆然と、アリティアの後ろ姿を見送ったのだった。
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