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番外編

何でも叶えて差し上げます(3)

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 事件が起きたのはそれから数日後のことだ。


「――――ヘレナ様が?」


 ヘレナ様の行方が分からなくなったと、従者の一人が慌てて帰って来た。何でもヘレナ様はいつものように神殿で祈りを捧げた後、突然どこかへ駆け出したらしい。数人の従者が付いていたというのに、皆が彼女を見失ってしまった。必死になって探し回っているものの、一時間が経った今でも見つかっていないのだという。
 私は居てもたってもいられず、屋敷から駆け出した。


「聖女様っ!」


 従者がヘレナ様を見失ったという辺りで、私は声を張り上げた。全身が汗だくで気持ちが悪い。けれど、そんなことに構っている余裕は無かった。神殿や泉の周辺、路地裏と街の隅々まで走り回り、必死に声を張り上げる。


(一体何処にいらっしゃるのだろう?)


 息を切らしつつ、私は首を垂れた。
 ヘレナ様の足ならば、そう遠くへは行っていないだろう。彼女が自分の意志で駆け出したのなら、この辺りに居るのは間違いない。けれど、段々と日没の時間が近づいている。これだけ探しても見つからないのだ。恐らくヘレナ様は、自力では出てこれない場所にいらっしゃるのだろう。


(早く見つけて差し上げないと)


 焦燥感がじりじりと胸を焼く。その時だった。


「――――――レイ」


 風に乗って、微かにヘレナ様の声が聞こえた気がした。気のせいだろうか。そう思いつつ耳を澄ますと、「レイ」と確かに私の名前が聞こえる。


「聖女様!」


 私は大声でヘレナ様を呼んだ。少しの沈黙。ややして先程よりもハッキリと、ヘレナ様の声が聞こえて来た。私は急いで声の聴こえた方へと向かう。段々とヘレナ様の声が大きく聞こえるようになってきた。


「レイ!」


 そうして辿り着いた場所にあったのは、使われなくなった井戸だった。
 後になって分かったことだが、この井戸はヘレナ様が泉を浄化するようになるまで、雨水を溜めていた場所らしい。けれど、泉の水の方が安全で綺麗ということ、管理の難しさから使われなくなり、枯れたまま放置されていた。その蓋が何かの拍子に空いてしまったのだろう。
 中を覗き込むと、暗がりの中にヘレナ様がしゃがみ込んでいるのが見えた。


「聖女様っ! ご無事ですか?」


 私の問い掛けにヘレナ様は「うん」とすぐに答えた。けれど、言葉とは裏腹に微かに声が震えているのが分かる。私は急いで井戸の中へ滑り降りた。中は思いのほか深く、子どもの足で上ることは到底不可能だろう。私が降り立つと同時に、ヘレナ様は急いで立ち上がり――――それから何かを躊躇う様にしてその場に踏みとどまった。


「ごめん……ごめんなさい、レイ。自分でここに降りたのに、上れなくなってしまって……皆に迷惑を掛けてしまったわよね。本当にごめんなさい」


 ヘレナ様はクシャクシャな顔をしてそう言うと、勢いよく頭を下げる。私は彼女の頭を上げさせて、ゆっくりと首を横に振った。


「迷惑だなんて全く思っておりません。けれど、とても心配しました。見つけられて本当に良かった」


 私の言葉に、ヘレナ様はほんのりと瞳を潤ませる。余程不安だったのだろう。ヘレナ様はそのまま私の胸にギュッと抱き付いた。


「お怪我は?」

「したけど……自分で治したから大丈夫」

「――――――傷は治せたかもしれませんが、痛かったのでしょう? 私の前で強がる必要はありませんよ」


 言えば、ヘレナ様は堪えきれなくなったらしく、小さく嗚咽を漏らした。どこまでも意地らしく、愛らしい。
 私はというと、ヘレナ様を抱き返すでも、頭を撫でるでもなく、その場に静かに佇んでいる。幼い女の子の泣き止ませ方など、この時の私にはちっとも分からなかった。


(聖女様は王太子殿下の婚約者でいらっしゃるから)


 過度なスキンシップは控えなければならない。とはいえ、ヘレナ様を突き放すことも当然できない。慰めなければとヘレナ様の背にそっと手を回した瞬間、何処からともなく「ミィ」とか細い声が聞こえてきた。


「――――あっ、いけない! 苦しい思いをさせてしまったわね」


 そう言ってヘレナ様は私からそっと距離を取る。何故だかひどく残念な想いに駆られつつヘレナ様を見遣れば、懐からひょこりと仔猫が顔を出した。


「……もしかして、この子を助けるために?」


 尋ねれば、ヘレナ様はコクリとバツが悪そうに頷く。ヘレナ様は仔猫の頭を撫でながら、そっと私を見上げた。


「神殿に行く途中にね、この子が井戸に落ちるのが見えたの。自力で這い上がって来れるかなぁって思ったんだけど、お祈りが終わって見に来てみたら、やっぱり自分じゃ上れなかったみたいで。助けるために降りてみたものの、思ったよりもずっと深くて。色々と試してみたんだけど……」


 そう言ってヘレナ様は悲し気な表情を浮かべる。何度も何度も「ごめんなさい」と口にして、瞳いっぱいに涙を溜める。


(周りの大人を頼れば良かったのに)


 彼女には数人の従者が付いていた。井戸の近辺にだって、探せば大人はいた筈だ。けれど、ヘレナ様はどうしても彼等を頼ることができなかったのだろう。

 幼い頃から大人であることを求められると、人に甘えることが下手糞になる。何でも自分でやらなければならない気がして、上手く頼れなくなってしまうのだ。


(人に頼られる立場にある聖女様は、自分から誰かを頼ることが出来ない)


 けれど、彼女はまだたった七歳の少女だ。誰かに甘えたいだろう。頼りたいだろう。無理にしっかりしていなくても良い――――ありのままのヘレナ様で居られる、そんな場所が必要なはずだ。


「――――今度から、こういう時は私を頼ってください。聖女様の……いえ、お嬢様の願い事は、このレイが何でも叶えて差し上げます」


 そう言って私はヘレナ様の前に跪く。ヘレナ様は目を丸くし、しばらくの間、呆然とした表情のまま私のことを見つめていた。


「……そんなこと言っちゃって良いの? わたし、結構ワガママだよ? いっぱいいっぱい甘えて、レイに迷惑掛けちゃうかもしれないのに」

「もちろん。寧ろたくさん甘えてください。そのために私は存在します。それが私の望みなのですから」

「~~~~~~っ! だったらレイ、わたしのお願い事を聞いて! 
わたし、レイがお屋敷から居なくなっちゃうのは嫌だ! 他の場所に行っちゃうなんて嫌! どこにも行かないで、ずっとわたしの側に居てほしいの! ……ダメ?」


 ヘレナ様はそう言って、私の手をギュッと握った。涙を湛えた瞳がユラユラと揺れている。


(私が側に居ることがお嬢様の願い事)


 心が大きく震えた。


「お嬢様のお望みのままに。
このレイが一生、真心を込めてあなたにお仕えしましょう。何時でも、どんな場所でも、私が側に居ます。お嬢様の願いを叶えますから」


 微笑みながら、私はヘレナ様の手を握り返した。ヘレナ様はコクリと大きく頷き、私のことを抱き締める。この瞬間、私はヘレナ様のものになったのだと思う。胸が一杯で、涙が滲んだ。
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