1 / 35
1.非現実的な提案(1)
しおりを挟む
「凛風に頼みがある。俺の――――妃になって欲しい」
「――――今、なんて言った?」
聞き返しながら、わたしは思い切り眉を顰めた。
目の前の男のことは良く知っている。幼い頃から同じ道場でしのぎを削って来た従兄弟で、名を憂炎という。
現帝の妃だった母の姉が、後宮を離れた後に授かった子どもだ。
だけど、伯母の下賜先は皇族ではなく高官の一人だ。妻を『妃』だなんて呼べる地位にはない。
(まったく……話がしたいと言うから何事かと思えば、こんな新手の冗談とはな)
考えつつ、わたしは小さくため息を吐く。
「凛風に俺の妃になって欲しいんだ」
けれど驚くべきことに、憂炎はもう一度、先程と同じ言葉を繰り返した。
侍女も下男も全て下がらせて、この部屋にはわたし達二人きり。憂炎は真剣な眼差しでわたしのことを見つめていた。
「憂炎……おまえ、自分の妻を『妃』だなんて呼べる身分じゃないだろう? 大体、わたしがおまえと結婚なんて冗談が過ぎる。どうせならもっと笑える冗談を――――」
「皇太子になることが決まったんだ」
憂炎はまた、思わぬことを言った。
わたしは眉間に皺を寄せ、思い切り首を傾げる。
(皇太子? こいつが?)
憂炎が生まれたのは、伯母が後宮を離れてから2年も経った後だった。伯母の子どもであっても帝の子ではない。少なくともわたしはそう聞いている。
(それなのに皇太子になんてなれっこないだろう?)
百歩譲って帝の養子になれたとしても、血縁関係のないものに皇位を継がせるなんて馬鹿げている。クスリと笑って見せれば、憂炎はムッと唇を尖らせた。
「現帝に子がいないことは凛風も知っているだろう?」
「あぁ……皇后の嫉妬がすごすぎて、妃が懐妊しても出産まで行き着くことは稀。生まれても皆、幼くして亡くなっているって話だったよな。知っているよ。わたしだってこれでも高官の娘だ」
巷で広がっている低俗な噂だが、現実問題現皇帝には子がいない。このままでは皇室の存続が危ぶまれると、父をはじめとした廷臣たちは冷や冷やしているのだ。
「――――その通り。だから俺は預けられて育った」
「預けられた? 一体、どういうことだ?」
残念ながら憂炎の話は繋がっているようで繋がっていない。わたしは身を乗り出しながら唇を尖らせる。
「皇后に存在を知られないよう……殺されないように、俺は後宮で生まれてすぐ、密かに母――――おまえにとっての伯母に預けられた。母上は後宮の内情を知っていたし、父上は帝の信頼も篤かったからな。
だが、こうして元服を迎えた今、皇后も簡単には手出しができないし、俺の他には後継者もいない。だから、皇太子として宮殿に戻るよう、お達しがあったんだ」
俄かには信じがたい話だが、憂炎の発言には淀みがないし、聞いている限り大きな矛盾点もない。
「じゃあ、憂炎は本当に皇子――――皇太子なのか?」
「さっきからそうだと言っているだろう?」
憂炎は少し苛立たし気にそう言うと、グッと身を乗り出してくる。彼は何も言わぬまま、真剣な眼差しでわたしを見つめていた。手合わせをする時のようなビリビリとした緊張感に背中が震える。憂炎が再び口を開いたその時、わたしは反射的に後退り大きく深呼吸をした。
「だから凛風、俺の妃に――――」
「断る」
きっぱりとそう口にして、わたしは立ち上がる。憂炎も同様に腰を上げた。
「おまえのことは好敵手――――従兄弟だと思って生きてきたんだ。今さらそんな男の妃になんてなれるもんか」
「凛風がそうでも、俺は違う。俺はずっと、凛風しかいないと思って生きてきた」
憂炎の紅の瞳がこちらを見つめる。炎が揺らめくような、そんな眼差し。わたしは思わず顔を背けた。
(思えば、あいつとわたしはちっとも似ていない)
世にも珍しい紅色の瞳。親族の中にそんな瞳の人間は居ないから、血が繋がっていないというのは確かなのだろう。
漆黒の絹のような美しい髪の毛、陶磁器のような真っ白で滑らかな肌に、恵まれた体躯。憂炎は男にしておくには勿体ない、美しい顔立ちをしていた。
街に出れば老若男女問わず視線を集めるし、実際に声を掛けられることも多い。いつか憂炎は、良いとこの美しい令嬢を嫁に貰うのだろうと思っていたのだが。
「――――無理だ。わたしにおまえの妃なんて……」
父は高官だが、わたしは妃なんて柄じゃない。色んな場所に赴き、武芸の腕を磨きながら風のように自由に生きることがわたしの望みだった。堅苦しい後宮暮らしなんて出来る筈がないし、教養だとか慎みだとか、そういうものは持ち合わせていない。
(憂炎がわたしに何を期待しているのかは分からないが)
人には適材適所というものがある。
少なくともわたしが妃に向いていないことは、誰が見ても明らかだった。
「おまえが何と言おうと、もう決まったことだ。覆ることは無い」
わたしの頬に手を伸ばし、憂炎は言う。
憂炎の手のひらは燃えるように熱かった。修練のためにゴツゴツしている、いつもと同じ憂炎の手のひらのはずなのに、何だかまるで知らない男のもののように思えてくる。心臓が嫌な音を立てて騒いでいた。
(どうする? 一体どうすれば良い?)
頭をフルに回転させたところで、答えは浮かんでこない。
やがて、憂炎はわたしの頬をそっと撫で、なにも言わぬまま部屋を後にした。普段は感じることのない残り香が、あいつの存在を消してくれない。
「嘘だろ……」
呆然と立ち尽くしたまま、わたしはついついそんなことを呟く。
「――――今、なんて言った?」
聞き返しながら、わたしは思い切り眉を顰めた。
目の前の男のことは良く知っている。幼い頃から同じ道場でしのぎを削って来た従兄弟で、名を憂炎という。
現帝の妃だった母の姉が、後宮を離れた後に授かった子どもだ。
だけど、伯母の下賜先は皇族ではなく高官の一人だ。妻を『妃』だなんて呼べる地位にはない。
(まったく……話がしたいと言うから何事かと思えば、こんな新手の冗談とはな)
考えつつ、わたしは小さくため息を吐く。
「凛風に俺の妃になって欲しいんだ」
けれど驚くべきことに、憂炎はもう一度、先程と同じ言葉を繰り返した。
侍女も下男も全て下がらせて、この部屋にはわたし達二人きり。憂炎は真剣な眼差しでわたしのことを見つめていた。
「憂炎……おまえ、自分の妻を『妃』だなんて呼べる身分じゃないだろう? 大体、わたしがおまえと結婚なんて冗談が過ぎる。どうせならもっと笑える冗談を――――」
「皇太子になることが決まったんだ」
憂炎はまた、思わぬことを言った。
わたしは眉間に皺を寄せ、思い切り首を傾げる。
(皇太子? こいつが?)
憂炎が生まれたのは、伯母が後宮を離れてから2年も経った後だった。伯母の子どもであっても帝の子ではない。少なくともわたしはそう聞いている。
(それなのに皇太子になんてなれっこないだろう?)
百歩譲って帝の養子になれたとしても、血縁関係のないものに皇位を継がせるなんて馬鹿げている。クスリと笑って見せれば、憂炎はムッと唇を尖らせた。
「現帝に子がいないことは凛風も知っているだろう?」
「あぁ……皇后の嫉妬がすごすぎて、妃が懐妊しても出産まで行き着くことは稀。生まれても皆、幼くして亡くなっているって話だったよな。知っているよ。わたしだってこれでも高官の娘だ」
巷で広がっている低俗な噂だが、現実問題現皇帝には子がいない。このままでは皇室の存続が危ぶまれると、父をはじめとした廷臣たちは冷や冷やしているのだ。
「――――その通り。だから俺は預けられて育った」
「預けられた? 一体、どういうことだ?」
残念ながら憂炎の話は繋がっているようで繋がっていない。わたしは身を乗り出しながら唇を尖らせる。
「皇后に存在を知られないよう……殺されないように、俺は後宮で生まれてすぐ、密かに母――――おまえにとっての伯母に預けられた。母上は後宮の内情を知っていたし、父上は帝の信頼も篤かったからな。
だが、こうして元服を迎えた今、皇后も簡単には手出しができないし、俺の他には後継者もいない。だから、皇太子として宮殿に戻るよう、お達しがあったんだ」
俄かには信じがたい話だが、憂炎の発言には淀みがないし、聞いている限り大きな矛盾点もない。
「じゃあ、憂炎は本当に皇子――――皇太子なのか?」
「さっきからそうだと言っているだろう?」
憂炎は少し苛立たし気にそう言うと、グッと身を乗り出してくる。彼は何も言わぬまま、真剣な眼差しでわたしを見つめていた。手合わせをする時のようなビリビリとした緊張感に背中が震える。憂炎が再び口を開いたその時、わたしは反射的に後退り大きく深呼吸をした。
「だから凛風、俺の妃に――――」
「断る」
きっぱりとそう口にして、わたしは立ち上がる。憂炎も同様に腰を上げた。
「おまえのことは好敵手――――従兄弟だと思って生きてきたんだ。今さらそんな男の妃になんてなれるもんか」
「凛風がそうでも、俺は違う。俺はずっと、凛風しかいないと思って生きてきた」
憂炎の紅の瞳がこちらを見つめる。炎が揺らめくような、そんな眼差し。わたしは思わず顔を背けた。
(思えば、あいつとわたしはちっとも似ていない)
世にも珍しい紅色の瞳。親族の中にそんな瞳の人間は居ないから、血が繋がっていないというのは確かなのだろう。
漆黒の絹のような美しい髪の毛、陶磁器のような真っ白で滑らかな肌に、恵まれた体躯。憂炎は男にしておくには勿体ない、美しい顔立ちをしていた。
街に出れば老若男女問わず視線を集めるし、実際に声を掛けられることも多い。いつか憂炎は、良いとこの美しい令嬢を嫁に貰うのだろうと思っていたのだが。
「――――無理だ。わたしにおまえの妃なんて……」
父は高官だが、わたしは妃なんて柄じゃない。色んな場所に赴き、武芸の腕を磨きながら風のように自由に生きることがわたしの望みだった。堅苦しい後宮暮らしなんて出来る筈がないし、教養だとか慎みだとか、そういうものは持ち合わせていない。
(憂炎がわたしに何を期待しているのかは分からないが)
人には適材適所というものがある。
少なくともわたしが妃に向いていないことは、誰が見ても明らかだった。
「おまえが何と言おうと、もう決まったことだ。覆ることは無い」
わたしの頬に手を伸ばし、憂炎は言う。
憂炎の手のひらは燃えるように熱かった。修練のためにゴツゴツしている、いつもと同じ憂炎の手のひらのはずなのに、何だかまるで知らない男のもののように思えてくる。心臓が嫌な音を立てて騒いでいた。
(どうする? 一体どうすれば良い?)
頭をフルに回転させたところで、答えは浮かんでこない。
やがて、憂炎はわたしの頬をそっと撫で、なにも言わぬまま部屋を後にした。普段は感じることのない残り香が、あいつの存在を消してくれない。
「嘘だろ……」
呆然と立ち尽くしたまま、わたしはついついそんなことを呟く。
18
あなたにおすすめの小説
冷徹宰相様の嫁探し
菱沼あゆ
ファンタジー
あまり裕福でない公爵家の次女、マレーヌは、ある日突然、第一王子エヴァンの正妃となるよう、申し渡される。
その知らせを持って来たのは、若き宰相アルベルトだったが。
マレーヌは思う。
いやいやいやっ。
私が好きなのは、王子様じゃなくてあなたの方なんですけど~っ!?
実家が無害そう、という理由で王子の妃に選ばれたマレーヌと、冷徹宰相の恋物語。
(「小説家になろう」でも公開しています)
離婚寸前で人生をやり直したら、冷徹だったはずの夫が私を溺愛し始めています
腐ったバナナ
恋愛
侯爵夫人セシルは、冷徹な夫アークライトとの愛のない契約結婚に疲れ果て、離婚を決意した矢先に孤独な死を迎えた。
「もしやり直せるなら、二度と愛のない人生は選ばない」
そう願って目覚めると、そこは結婚直前の18歳の自分だった!
今世こそ平穏な人生を歩もうとするセシルだったが、なぜか夫の「感情の色」が見えるようになった。
冷徹だと思っていた夫の無表情の下に、深い孤独と不器用で一途な愛が隠されていたことを知る。
彼の愛をすべて誤解していたと気づいたセシルは、今度こそ彼の愛を掴むと決意。積極的に寄り添い、感情をぶつけると――
【完結】地味な私と公爵様
ベル
恋愛
ラエル公爵。この学園でこの名を知らない人はいないでしょう。
端正な顔立ちに甘く低い声、時折見せる少年のような笑顔。誰もがその美しさに魅了され、女性なら誰もがラエル様との結婚を夢見てしまう。
そんな方が、平凡...いや、かなり地味で目立たない伯爵令嬢である私の婚約者だなんて一体誰が信じるでしょうか。
...正直私も信じていません。
ラエル様が、私を溺愛しているなんて。
きっと、きっと、夢に違いありません。
お読みいただきありがとうございます。短編のつもりで書き始めましたが、意外と話が増えて長編に変更し、無事完結しました(*´-`)
二度目の初恋は、穏やかな伯爵と
柴田はつみ
恋愛
交通事故に遭い、気がつけば18歳のアランと出会う前の自分に戻っていた伯爵令嬢リーシャン。
冷酷で傲慢な伯爵アランとの不和な結婚生活を経験した彼女は、今度こそ彼とは関わらないと固く誓う。しかし運命のいたずらか、リーシャンは再びアランと出会ってしまう。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
誰も愛してくれないと言ったのは、あなたでしょう?〜冷徹家臣と偽りの妻契約〜
山田空
恋愛
王国有数の名家に生まれたエルナは、
幼い頃から“家の役目”を果たすためだけに生きてきた。
父に褒められたことは一度もなく、
婚約者には「君に愛情などない」と言われ、
社交界では「冷たい令嬢」と噂され続けた。
——ある夜。
唯一の味方だった侍女が「あなたのせいで」と呟いて去っていく。
心が折れかけていたその時、
父の側近であり冷徹で有名な青年・レオンが
淡々と告げた。
「エルナ様、家を出ましょう。
あなたはもう、これ以上傷つく必要がない」
突然の“駆け落ち”に見える提案。
だがその実態は——
『他家からの縁談に対抗するための“偽装夫婦契約”。
期間は一年、互いに干渉しないこと』
はずだった。
しかし共に暮らし始めてすぐ、
レオンの態度は“契約の冷たさ”とは程遠くなる。
「……触れていいですか」
「無理をしないで。泣きたいなら泣きなさい」
「あなたを愛さないなど、できるはずがない」
彼の優しさは偽りか、それとも——。
一年後、契約の終わりが迫る頃、
エルナの前に姿を見せたのは
かつて彼女を切り捨てた婚約者だった。
「戻ってきてくれ。
本当に愛していたのは……君だ」
愛を知らずに生きてきた令嬢が人生で初めて“選ぶ”物語。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
【完結】無口な旦那様は妻が可愛くて仕方ない
ベル
恋愛
旦那様とは政略結婚。
公爵家の次期当主であった旦那様と、領地の経営が悪化し、没落寸前の伯爵令嬢だった私。
旦那様と結婚したおかげで私の家は安定し、今では昔よりも裕福な暮らしができるようになりました。
そんな私は旦那様に感謝しています。
無口で何を考えているか分かりにくい方ですが、とてもお優しい方なのです。
そんな二人の日常を書いてみました。
お読みいただき本当にありがとうございますm(_ _)m
無事完結しました!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる