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第一章

言い訳なんていりません…婚約破棄をお願いします。

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【婚約破棄してください。それだけです】
 それだけ送信して、スマホを切った私は充電の線に繋げて横になると眠った。朝になると、仕事と同じように起きてしまいホテルから歩いてすぐにあるショッピングモールに向かうことにした。
 ショッピングモールには、一階にレストラン街があり二階がアパレルショップ、三階には100円ショップや本屋が揃っている。私はまず、服を見に行くことにした。
 一番先に行ったのは下着・パジャマ専門店。ホテル生活が長くなると見越してもあるが気持ちを一心にしようと、ルームウェアや下着とインナーを可愛いものに変えたいと思っている。
 上下セットとワンピースルームウェアを三着に下着とインナーも四着選び買うと、次は洋服を買いにエスカレーターに乗って二階に向かった。服をストレス発散のように爆買いをして、レストラン街に降りるとスイーツバイキングで甘いものをたくさん食べて部屋に帰宅してレシートを見るとビックリするほどの金額が書かれていて驚いた。

「あー……憂鬱」
 翌朝、六時。今日は日勤の仕事で、確か湊も日勤で看護リーダーだった気がする。目を合わすのは嫌だなぁと思いながら、支度をして部屋から出た。
「おはようございまーす」
 フロントを通ると受付の人に笑顔で「いってらっしゃいませ」と言われて嬉しく感じながら、さくら総合ケアセンターと書かれた建物に入り、地下に向かうとユニホームに着替える。こんなに仕事が憂鬱だと思ったことはないくらいに階に行くのは嫌だ。
「……彩葉」
 更衣室を出ると、エレベーターを待っていた湊に遭遇する。
「話がしたいんだけど、時間が欲しい」
「……私はメッセージを送ったのが答えなんだけど」
「俺はっ彩葉と別れたくないし婚約破棄もしたくない!!」
 こんな場所でそんなこと叫ばないで!
 私と湊が付き合っていることも婚約していたことも知っているから大声で叫ばれて万が一誰かに聞こえたら困る。
「それは仕事終わったら話しましょう」
「……あぁ」
 フロアに行くと、夜勤明けの先輩が排泄介助で部屋を回っていた。
「藤本さん、いいところに! 平本ひらもとさんのとこに一緒に来てくれる?」
「はい、わかりました」
 そう言ってエプロンを歩きながらつけると、平本さんのいる部屋に向かった。
「平本さん、昨日の二十時に熱発してて嘔吐してるのよ。ご飯も食べてない」
「そうなんですね……気をつけて見てます」
「お願いね」
 平本さんの排泄介助を二人でしてからフロアに戻ると湊は検温しながら体調を見ている。
「藤本さん、今日リーダーよね? 申し送り始めるよ」
 先輩は、申し送りノートを開き利用者の様子や体調で気になること退所する方の確認をする。
「今日十時に犬塚いぬずかさん入所されるのでよろしくね」
「はい、わかりました」
「今日はこれくらいかな。じゃあお疲れ様でした、頑張ってね」
 先輩はそれだけ言って帰って行った。


 ***

 なんで今日に限って残業がないんだろう。そんなことを考えながら、服に着替えた。
「彩葉、約束通り話をしよう」
「……うん。私の気持ちは変わらないよ」
 人気があまりない病院にある広場へ二人で向かうと、湊が口を開いた。
「申し訳なかった! 出来心だったんだ!」
「出来心?」
「あぁ! だからっ戻ってきて欲しい」
 本当に一方的な言葉だ。謝っとけば、私が戻ってくると思ってるんだろうけど……あんな現場を見てしまった以上、あの日の前のような関係には戻ることはできない。
「だ、第一君は可愛げがないんだ!」
 ……は?
「彩葉はひとりでも生きていけるだろう? だけどマナミあの子は違うんだ! 守ってあげたくなるっていうか……」
「まさかここまで来て開き直り?」
「彩葉が悪いんだ! マナミちゃんは俺を求めてくれるんだよ。とても可愛いんだ。君は守ってあげたいっていう感情はないんだよね」
 あー……なんなのこの男。
 ふざけんな、こんな男のどこが好きだったんだか。そんなふうに思ってたなんて。
「そうですか。じゃあ、婚約破棄応じてくれるんですね?」
「……っそれは」
「私の荷物はほとんどあの日持っていきましたので捨ててくださって構いませんので」
 私は淡々と彼の顔も見ずに話す。
「ま、待ってくれ! 婚約破棄は……」
「私を悪く言っておいて婚約破棄はしない、と? 今回のことは水に流せと言っているのですか?」
「一度のことで、そんな」
「一度? 一度あることは二度ある。それに、あんなシーンを見ていてあの部屋に戻りたくありません。今月の家賃は払いますが、それを餞別だと思ってください」
 私が家賃を今月分払うと言えば、少し嬉しそうだった。結局お金か。たしかに彼はお金の使い方が派手で私より給料いいはずなのに一週間経てばすっからかんだった気がする。
「……では、潮崎さん。さようなら。お疲れ様でした」
 私は精一杯、笑いかけてその場を去った。

 その翌日、私が出勤すると挨拶する度ジロジロ見られてなんだか気持ち悪い。そう思いながら、更衣室で着替えをして上に上がろうとすると更衣室のドアが思い切り開かれた。
「いた! 藤本さんっ!」
「どうしたんですか、幸田さん……そんなに慌てて」
「あのね、朝から藤本さんの婚約破棄の話で持ちきりなの!」
 幸田さんから聞く限り噂の内容は……全面的に私が悪いと言う内容だった。理由は、まあわかっているけど。
「婚約破棄を言ったのは確かに私だけど、浮気したのはあっち。証拠も掴んだ」
 私は困惑しながらも、彼らが絡まっている姿を写真を撮影した。それを見せるわけにもいかず……言葉で伝えたけど。
「潮崎くん、ひど……婚約しといて浮気して挙句に藤本さんが悪いって? なんじゃそりゃ」
「あはは……そのおかげで、今はホテル生活なんだよね」
「え!? お金とか大丈夫?」
「うん、貯金しといてよかったよ。あいつみたいにすぐお金使っちゃうようなタイプじゃなくてよかったよ」
 幸田さんは、真面目に彼のことに対して引いていて「うえー最低クズじゃん」と言っている。
「でも今日も潮崎くんいるよ。しかもまたペアだよね、大丈夫?」
「仕事は仕事だもん、しばらく迷惑かけると思うけどごめんね」
「いや、迷惑どころかいてくれるとめちゃくちゃ助かるからね? なんでもやってくれるし」
 誰かに頼るとか苦手で自分の仕事以外でも雑用とかやってしまうけど……助かるって言ってもらえてよかった。
「そうだ、今日さ葛木先生回診に来るって言ってたよ」
「じゃあ、女性スタッフキャーキャー言ってそうだね。噂も消えるといいんだけど」
 二階に上がると、会う人会う人に二度見をされて心地悪い。しかも「婚約破棄」と聞こえて仕事前というのに疲れてしまった――そんな日がほぼ毎日続き、噂は病院まで拡大していて。
 さらには、部長や事務長、人事部長に呼ばれてしまった。
「私から婚約破棄を申し出たのは事実です。ですが、私が浮気ではなく、彼に浮気されました。浮気現場を見たので……今後、彼に慰謝料請求しようと思います」
 慰謝料請求は前から考えていた。幸田さんの彼氏さんがまさかの弁護士さんらしくて、相談したら証拠があるなら頂けるとのことだったので……
「そんなに大事にしないでも、一回の浮気でしょ? それに若いんだし」
 事務長は浮気をしたことがあるのだろうか。若いとかそういうのは通用しないと思いますが。若くても大切にしている恋人に失礼なんじゃないか。
「一度の浮気と言いますが、一度あることは二度あると私は思います。それに生々しいですが、彼らの行為中に私が発見したので証拠も揃ってますし……他の女性と関係を持った人と結婚なんてできません」
「そうか。そこまで……真実がどうであれこんだけ広まってしまったんだ。こちらとしても悩んでいる」
「……辞めろと言ってるんですか?」
「そんなことは言っていない。君の働きは部長やスタッフから聞いているからね。しかし、こんな噂が出ていては藤本さんも働きにくいでしょう?」
 これは自主退職をしろと言ってますよね。
 そうですよねー……私がいると迷惑だということだ。患者や利用者本人家族に知れ渡ったら、信用問題というか商売ですからね。
「よく考えます。お時間をください」
「ああ」
 私はそう言ってからお辞儀をし事務室を出た。
 

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