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一度だけ、霧島の銃に触ったことがある。
まだ出会って間もない頃だった。お願いすると、彼は弾丸を抜いたそれをそっと僕の手に握らせてくれた。
冷たくて、重くて、美しかった。かっこいい。思わずそう呟くと、霧島は珍しく声を出して笑った。
「可笑しい?」
霧島に笑われたのはそれがはじめてで、何だか妙に恥ずかしかった。霧島は首を振って、戸惑う僕を笑みの残る顔のままで見つめた。
「いや。高校生なんだな、と思ったんだよ」
「子供っぽい?」
「とても強い。怖いものなんて何もないみたいだ」
両手で、それから片手でそれを持ってみる。手を添えて、霧島がそれを正しい構え方に変えてくれた。いつものように冷たい手だった。
「こわいものならあるよ」
「そうか。なにが怖いの?」
「子どもを作ること」
重すぎる銃をテーブルに置いて、指でなぞった。映画でみるように、片手で撃つなんて不可能に思えた。
「僕が妊娠することはないけど。だれかに僕との子どもが出来たらって考えるとゾッとする」
「子どもは欲しくないの?」
「欲しくない。僕の遺伝子は僕で終わり」
「どうして?」
「この世界には絶望しかないから」
霧島はしばらく黙って、その言葉について考えていた。銃身よりも重い沈黙だった。それがいやで、僕は話題を変えた。
「どんな気分なの? 銃を撃つのって」
「撃ちたいの?」
黙って頷いた。霧島はもう笑っていなかった。
「何を撃つの? 人?」
冗談なのか、本気なのか分からなかった。霧島は覗き込むように僕の目を見て、そこに何かを探しているみたいだった。
その視線は僕の背筋を凍らせた。彼は軍の人間なのだと思いだした。この人は銃を撃つし、たぶん人を殺したことだってあるんだ。
「君が大人になる頃には、たぶんみんな持つことになるよ。嫌でもそのうち手に入れることになる」
「ゲームだと、割と上手なんだけど。筋がいいって夏目に褒められた」
もう一度霧島に笑ってほしくて、僕はわざとふざけた口調で言った。霧島はどうにか、ほんの少しだけ微笑んだ。
「銃が欲しい?」
深く考える間もなく、頷いた。霧島の瞳は真剣なままで、それは僕を落ち着かなくさせた。
「私の娘は、銃を嫌っていた。銃だけじゃない。あらゆる武器も、争いも、私の仕事も」
「どうして?」
「武器ではなくて楽器で、争いではなくて教育で、この世界は良くなると信じていた。武器は恐怖と憎しみを生むってね。もともとそれは妻の思想でもあった」
「うらやましい」
素直にそう言った。どうして?と、霧島は少し驚いた顔をした。
「それは、守られてる人だけが言えることだから」
僕が焦がれた、名門校の生徒たち。お金持ちで、丁寧に包装された贈り物みたいな人たち。
カナも、そんなひとりだったのだ。核が降っても、空が割れても、無傷で助かるような人たち。だけど霧島の娘は死んだ。そしてなぜか、僕は無傷でここにいる。フェアじゃない。この世は、何もかもがフェアじゃない。
「霧島さんの家には、ノクターンがあった?」
「ノクターン?」
「冷蔵庫。僕が生まれた頃に売ってた、ばかみたいに多機能なやつ。端末と同期できて、どこにいても中身が確認できるやつ」
平和だった最後の時代。その象徴の、くだらない、高価でシステマティックな冷蔵庫。ノクターンなんていう商品名を考えて、それを流通させたのは誰だったんだろう。たぶん、最初の戦闘機に「ステイブル」なんて名前をつけた奴の仲間だろう。
「覚えてないな。あったのかもしれないけれど、私はそういうことには興味がなかったから」
平和だった時代の、平和だった霧島の家庭。娘がいて、美しい妻がいて、彼には帰るべき家があった。銃を持ち込むこともなく、世界中の食品が格納されている冷蔵庫がある家が。
「どうして?」
歴史の変わり目に僕は生まれた。この絶望の場所に。野良猫みたいに。
平和だった時代ですら、この場所は今となにも変わらなかった。工員は軍ではなくて企業に生かされていた。ただそれだけの違いだ。
「僕はその冷蔵庫の中に棄てられてた。母親はそこのライン工で、どっかのロクデナシに孕まされて自力で僕を産んだ。そして死んだ。僕が収容されたホームには同じ型の冷蔵庫がある。すごく長持ちだから、まだ普通に使えてる」
問いかけるような視線を感じた。僕が何の話をしているのか、霧島は分からない。当然だ。僕だってどうして自分がこんなことを話しているのか分からない。
「いろいろついてた無駄な機能は、もうぜんぶ使えなくなった。だけどまだ冷蔵庫としては使えてる。軍の配給品がそこで冷えてる。開けるとときどき、思いだしたみたいに音楽が鳴る。正確には音楽の残りカスかな。壊れたオルゴールみたいな音。新品の頃はちゃんと音楽だったんだって。信じられる? 冷蔵庫から音楽が鳴るんだよ?」
話しながら、なんだか突然泣きたくなった。僕が泣いたら霧島はどうするんだろう。見てみたい気がした。だけどもちろん、僕は泣かなかった。
「まずね、その冷蔵庫を撃ちたい。もしも銃が撃てるなら。僕はあの冷蔵庫が死ぬほど嫌いなんだ」
泣く代わりに僕は笑った。いつもずっとそうしてきたように。絶望感に打ちひしがれながら、どこまでも無邪気に笑ってみせた。
若さを失うよりも早く、僕は笑いつづけなくちゃならない。
まだ出会って間もない頃だった。お願いすると、彼は弾丸を抜いたそれをそっと僕の手に握らせてくれた。
冷たくて、重くて、美しかった。かっこいい。思わずそう呟くと、霧島は珍しく声を出して笑った。
「可笑しい?」
霧島に笑われたのはそれがはじめてで、何だか妙に恥ずかしかった。霧島は首を振って、戸惑う僕を笑みの残る顔のままで見つめた。
「いや。高校生なんだな、と思ったんだよ」
「子供っぽい?」
「とても強い。怖いものなんて何もないみたいだ」
両手で、それから片手でそれを持ってみる。手を添えて、霧島がそれを正しい構え方に変えてくれた。いつものように冷たい手だった。
「こわいものならあるよ」
「そうか。なにが怖いの?」
「子どもを作ること」
重すぎる銃をテーブルに置いて、指でなぞった。映画でみるように、片手で撃つなんて不可能に思えた。
「僕が妊娠することはないけど。だれかに僕との子どもが出来たらって考えるとゾッとする」
「子どもは欲しくないの?」
「欲しくない。僕の遺伝子は僕で終わり」
「どうして?」
「この世界には絶望しかないから」
霧島はしばらく黙って、その言葉について考えていた。銃身よりも重い沈黙だった。それがいやで、僕は話題を変えた。
「どんな気分なの? 銃を撃つのって」
「撃ちたいの?」
黙って頷いた。霧島はもう笑っていなかった。
「何を撃つの? 人?」
冗談なのか、本気なのか分からなかった。霧島は覗き込むように僕の目を見て、そこに何かを探しているみたいだった。
その視線は僕の背筋を凍らせた。彼は軍の人間なのだと思いだした。この人は銃を撃つし、たぶん人を殺したことだってあるんだ。
「君が大人になる頃には、たぶんみんな持つことになるよ。嫌でもそのうち手に入れることになる」
「ゲームだと、割と上手なんだけど。筋がいいって夏目に褒められた」
もう一度霧島に笑ってほしくて、僕はわざとふざけた口調で言った。霧島はどうにか、ほんの少しだけ微笑んだ。
「銃が欲しい?」
深く考える間もなく、頷いた。霧島の瞳は真剣なままで、それは僕を落ち着かなくさせた。
「私の娘は、銃を嫌っていた。銃だけじゃない。あらゆる武器も、争いも、私の仕事も」
「どうして?」
「武器ではなくて楽器で、争いではなくて教育で、この世界は良くなると信じていた。武器は恐怖と憎しみを生むってね。もともとそれは妻の思想でもあった」
「うらやましい」
素直にそう言った。どうして?と、霧島は少し驚いた顔をした。
「それは、守られてる人だけが言えることだから」
僕が焦がれた、名門校の生徒たち。お金持ちで、丁寧に包装された贈り物みたいな人たち。
カナも、そんなひとりだったのだ。核が降っても、空が割れても、無傷で助かるような人たち。だけど霧島の娘は死んだ。そしてなぜか、僕は無傷でここにいる。フェアじゃない。この世は、何もかもがフェアじゃない。
「霧島さんの家には、ノクターンがあった?」
「ノクターン?」
「冷蔵庫。僕が生まれた頃に売ってた、ばかみたいに多機能なやつ。端末と同期できて、どこにいても中身が確認できるやつ」
平和だった最後の時代。その象徴の、くだらない、高価でシステマティックな冷蔵庫。ノクターンなんていう商品名を考えて、それを流通させたのは誰だったんだろう。たぶん、最初の戦闘機に「ステイブル」なんて名前をつけた奴の仲間だろう。
「覚えてないな。あったのかもしれないけれど、私はそういうことには興味がなかったから」
平和だった時代の、平和だった霧島の家庭。娘がいて、美しい妻がいて、彼には帰るべき家があった。銃を持ち込むこともなく、世界中の食品が格納されている冷蔵庫がある家が。
「どうして?」
歴史の変わり目に僕は生まれた。この絶望の場所に。野良猫みたいに。
平和だった時代ですら、この場所は今となにも変わらなかった。工員は軍ではなくて企業に生かされていた。ただそれだけの違いだ。
「僕はその冷蔵庫の中に棄てられてた。母親はそこのライン工で、どっかのロクデナシに孕まされて自力で僕を産んだ。そして死んだ。僕が収容されたホームには同じ型の冷蔵庫がある。すごく長持ちだから、まだ普通に使えてる」
問いかけるような視線を感じた。僕が何の話をしているのか、霧島は分からない。当然だ。僕だってどうして自分がこんなことを話しているのか分からない。
「いろいろついてた無駄な機能は、もうぜんぶ使えなくなった。だけどまだ冷蔵庫としては使えてる。軍の配給品がそこで冷えてる。開けるとときどき、思いだしたみたいに音楽が鳴る。正確には音楽の残りカスかな。壊れたオルゴールみたいな音。新品の頃はちゃんと音楽だったんだって。信じられる? 冷蔵庫から音楽が鳴るんだよ?」
話しながら、なんだか突然泣きたくなった。僕が泣いたら霧島はどうするんだろう。見てみたい気がした。だけどもちろん、僕は泣かなかった。
「まずね、その冷蔵庫を撃ちたい。もしも銃が撃てるなら。僕はあの冷蔵庫が死ぬほど嫌いなんだ」
泣く代わりに僕は笑った。いつもずっとそうしてきたように。絶望感に打ちひしがれながら、どこまでも無邪気に笑ってみせた。
若さを失うよりも早く、僕は笑いつづけなくちゃならない。
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