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 バンのなかで、夏目は僕の身体を求めた。

 ごめんな、ケイク。彼は何度もそう言った。ごめんな、ケイク。こんなことさせて本当にごめん。愛してるよケイク、本当にごめん。

 言うたびに彼は興奮するみたいだった。いつも同じだ。いつも僕は、斡旋される前に夏目とその儀式をこなす。動物のマーキングみたいなその行為を。

 夏目とやるのは、斡旋されて部屋に行くよりも苦痛だった。そこには重苦しい湿度と、うんざりするような自意識があった。それは僕を窒息させた。僕は夏目が喜ぶように演じて、できるだけ早くそれが終わることを願った。

 愛してるよケイク。お前を愛してる。
 ごめんなケイク。俺がお前を守ってやるから。いつかここから連れ出してやるから。

 僕を産んだ母親は、僕を産んで遺棄したあとで死んだ。彼女が妊娠していることは誰にも気づかれなかった。
 彼女は父親が誰かを告げなかった。すべてを謎のまま残して彼女は感染症で死んだ。

 僕は彼女の名前すら知らない。夏目に頼んで集めてもらった情報もほんの僅かだった。僕の出生記録の両親の欄は空白だった。唯一みつけてもらった顔写真のコピーは不鮮明で、世界中のだれにでも似ていそうだった。

 柏木ケイクという苗字はシステムがランダムで選んだ。ハリケーンに名前をつけるみたいに、それはただの記号だった。

 だから夏目に呼ばれても、僕はいつもそこにいない。夏目が触れて、開拓して、所有して、愛しているのは僕じゃない。僕はゴーストだ。生きているのに死んでいる。だからこの肉体を、霧島の娘に捧げたい。

 僕は霧島について考える。誰かに抱かれるときはいつも、魂が死んでしまう前の霧島の世界を想像する。

 霧島さん、僕はあなたについて想像するんだ。

 あなたの日常のこと。あなたがいた場所の、あなたが住んでいた家の、あなたが愛していた家族のこと。あなたが見ていた光景のこと。あなたが好きなものと嫌いなもののこと。たとえば使っているマグだとか、カーテンの色だとか、バスルームのシンクの様子だとか。あなたの子供時代のこととか。

 あなたの経歴。あなたの功績。あなたの肩書き。そんなものはどうでもいい。僕はあなたを、人間としてのあなたを、父親としてのあなたを想像する。

 あなたが溺愛したひとり娘。僕に似ている、だけど僕より上等な、きれいな肉体とたましいを持った少女。僕とはまったく違う世界に生まれた、名前と価値のある生命。

 あなたはどんなふうに名前を呼んだんだろう。ときには怒ったり、翻弄されたりもしたんだろうか。あなたはどんなふうに笑い、どんな未来を夢みていたんだろう。

 あなたは守ろうとした。あなたは強く、裕福で、すべてを持っていた。あなたに守れないものなどなかったはずなのに。

 僕は彼女の身代わりになりたい。そして霧島さん、あなたを助けたい。カナと僕を交換して、あなたのたましいを修復したい。

 無惨に死ぬのならばそれは、あなたの娘ではなく僕のような存在であるべきだったんだ。
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