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そーいちろーと青い鳥

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 はじめて「本物の」ミートスパゲッティを食べたのは小学校の給食だった。

 キラキラ光るオレンジ色で、ひき肉と玉ねぎとナスも入ってた。それが白い麺にかかってて、緑色のパセリも添えられてた。

 それが「ミートスパゲッティ」だって分かったのは献立表を読んだからで、それがなかったらおれはその食べものの名前が分からなかったと思う。

 小学生のおれが「ミートスパゲッティ」だと認識してたのはそれじゃなかった。雑に切った豚肉とキャベツを炒めたものに桜でんぶがかかったやつ。それが伸びきった麺にかかってる料理が、おれが教え込まれた「ミートスパゲッティ」だった。

「あたらしい」

 ネネちゃんはテーブルの向かい側で、いつもの真剣な目でおれを見てる。

「桜でんぶが意味不明で、とくにザンシン」

 ネネちゃんはいつも真剣だ。彼女の好きなところはそれこそ百個以上あるけど、その真剣な態度はベストファイブに入ると思う。ネネちゃんは何かを茶化したり、適当にあしらったりは絶対しない。

「そのとき思ったんだよね。これはダメだ、おれの家は普通じゃないってさ」

 おれは今、まさにミートスパゲッティを食べてる。料理の天才、ネネちゃんの手作りだ。まじで失神するくらいに美味い。

「でもお父さんは一生懸命作ったんだよね。そーいちろーに喜んでほしくて」
「だね。だけど致命的に才能がなかった」
「覚えてる? お母さんのこと」

 ネネちゃん作のミートスパゲッティは、甘いのに甘すぎない。塩気が上品な甘さを引き立てて、歯応えのあるマッシュルームが入ってて、そのアクセントがたまらない。

「断片的にね。でも最後の記憶が四歳だからなぁ」
「二人目のお母さんだったなんて知らなかったよ」

 おれは今日、はじめてネネちゃんにこの話をした。ネネちゃんはおれの今の母親に会ってて、当たり前だけどその人が二人目だなんて思いもしなかった。

「ネネちゃん、パスタ屋さんやろう。このミートソース絶品すぎ」
「飲食店なんてできないってば。でもすごいね、そーいちろー。ふたり目のお母さんもめちゃくちゃステキな人だよね。なんかそーいちろーに似てるな、なんて思っちゃったんだけど、そっか、血はつながってないんだね」

 ネネちゃんが淹れてくれたアイスミントティーを飲む。こっちも絶品だ。ネネちゃんはおれと違って何でもできる。

「そうそう。おれが九歳のときに母親になってくれたんだよね。あの人が来てくれなかったら、今ごろおれたちどうなってたことか」
「最初からだいすきだった? 今のお母さんのこと」
「そうだなぁ」

 こんな話をするのはネネちゃんが初めてだ。ネネちゃんはいつもフェアで、何を言っても動じなくて、だからどんなことだって話せる。

「大好きっていうか、もう頼みこむしかなかったっていうか」
「頼みこむ?」
「今の母さんに、母さんになってくれって頼んだのはおれなんだよ」

 あれは小学生のときだった。おれは今の母さん......当時は百合さんって呼んでた彼女に、どうかうちの父さんと結婚してくれって頼みに行った。

「百合さん......今の母さんは昔スナックのママさんでさ。父さんはそこの常連だったんだよ」
「で、そーいちろーが頼んだの? お母さんになってって?」
「明け方に店の裏で待ってたんだよ。で、深々と頭を下げてお願いしたんだよね」
「えぇぇぇ?」

 ネネちゃんが大きな目を見開く。そうだよな、えぇぇぇ、だよな。今まで誰かに話したことがなかったからあんまり深く考えなかったけど、改めて客観的にみてみるとなかなか事案な感じだ。

「明け方って何時ころ?」
「四時か五時か......夏だったから明るくなりかけてた」
「そのときそーいちろーは何歳よ?」
「八歳」

 ひぇぇぇぇ。ネネちゃんは言って、それから笑う。ドン引いたりしない。おれはネネちゃんが笑うのが好きだ。カメラの前とかじゃなくて、こういう何でもないときに。

「よく通報されなかったね」
「ホントだよな。児相の案件だよなこれ」
「お母さんはどう答えたの? あっさりいいよって?」
「いや、それがちょっと複雑でさ」
「そもそもすでにちょっどころじゃない複雑さだと思うけど」

 その通りだ。あれはなかなかの大事件だった。あのとき百合さんは目をぱちくりさせて、それからおれに言ったんだ。

『そうしたいけど、私、いまクソ男と結婚してるのよね』
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