野獣に餌付けしてしまったらしい

ハル

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野獣の手の上

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 地元から最寄り駅に戻るとそこには煌がいて、いつから待っていたのか、彼の頬は少し赤くなっている。

「伊月さん、おかえり。」

 彼は笑って言う。
 週末に一緒に過ごす、という契約を破ったような形で今回は私が彼の誘いを断ったので少しだけ罪悪感がある。ただ、彼を見て先ほどの記憶の中の少年と同一人物だと再認識させられ確かめずにはいられない。

「煌君、少し話さない?」
「うん、いいよ。」

 彼は私の言いたいことがわかっているかのように二つ返事をする。それに、嫌な予感をしながら、彼と以前行ったことがある個室の喫茶店に向かう。さすがに、彼の部屋や自分のテリトリーで話す勇気は私にはない。

 苦みのある珈琲の匂いが漂店内が私の頭をスッキリさせる。最初と同じものをお互いに頼み、私は珈琲を一口飲んで心が落ち着くのを感じる。

「煌君、今日」
「知っているよ。それで、何か思い出した?」
「どうして。」

 彼に自分のことを言ったことがない。今回も説明したのは地元に用事があることだけだ。それなのに、彼は何もかも見透かすように笑っている。彼の笑みに恐れが生み出され息が詰まる。

「それで、伊月さんは何か思い出した?」

 汗が頬を伝い見て普通でないことがわかる相手に対して、煌はもう一度同じ言葉を繰り返す。返答以外を許さない彼の態度に私は小さく頷く。

「そうなんだ。何を思い出したの?あのショッピングモールで。」

 彼のその一言で今度こそ息が止まり、それを自覚した私の中で生命維持を求めだし咳き込む。そんな私を見下ろしながらも彼は笑みを浮かべるだけだ。彼を見上げるとその目は全く笑っておらず、私ではない何かに対して憎悪を向けているような冷えた目をしている。それはもう私に恐怖を抱かせない。なぜなら、その相手は私ではないことがわかるからだ。
 そして、幼い彼を見た記憶が自分が作り出した幻想ではないことも彼の言葉で確実になり、私の心臓の音が大きくなり、ドクドクと暴れだす胸に手を当てる。

「あなたが指すショッピングモールかはわからないけれど、私は地元のショッピングモールで少しだけ思い出したの。幼いあなたと私が暗い中に閉じ込められそこから救い出された映像だった。きっと、私たちは小さい頃に会っていた。」

 私は自分が知る限りの情報を出すと、煌は目尻を下げて私の隣に座る。そして、私の頬に手を当てて耳元に口を寄せてくるので、私は彼にされるがまま体を動かさないようにして目を強くつぶる。

「やっと思い出してくれたんだね。そこまで思い出したのなら十分だよ。」

 彼はそう言って私の頬にチュッと触れるだけのキスをする。
 それから、すぐに彼は顔を離して笑みを向ける。彼の目には一切の冷たさを感じさせず、いつもの暖かい視線だけを感じる。それでやっと圧迫感がなくなった私は呼吸が楽になる。

「煌君、あなたは私が酒に酔ったあの日に私をあなたの家に連れて行ったのは偶然なの?」
「それは計画的だったのかっていうこと?それなら答えは”ノー”だよ。」

 簡単に教えてくれることはないと思っていたから煌があっさりと答えたのに驚く。

「でも、君に近づく機会を狙っていたのは本当だから、半分計画的なのかもしれないな。」

 彼は私の髪に触れながら言う。その付け加えた話の方が私には聞き捨てならないものであり、私は彼を見てその手を自分の手で払いのける。

「どういうこと?」

 私は睨みつけて彼を問い詰める。彼は両手を挙げて降参を示しながら苦笑する。

「そんなに怒らないでよ。僕はただ伊月さんが心配で見守っていただけだよ。まあ、僕はこれでも忙しい身の上だからなかなか毎日は無理だったけど、僕が無理な時は他に手段があるからね。」
「ストーカー?」

 私が彼の説明に思い浮かんだ言葉をつぶやく。それを聞いた彼は首を横に振る。

「いやいや、ストーカーではないよ。君を遠くから見守っていたし、君には不快感を持たせないように最新の注意を払っていたし。そんな悪質なことはしていないよ。」
「おい、それは立派なストーカーだ!何やっているの?というか、いつからやっていたの!?」

 彼の言い分に怒りがこみあげた私は思わず素が出て彼の襟元に掴みかかる。彼は視線をそらして

「6年前ぐらいだったかな。」

 なんて曖昧に答える。それに唖然として彼から離れる。
 6年前というと、ちょうど一人暮らしを始めた頃だ。そんな前から見られていた事実に恐怖を感じてストーカーでの恐怖症になる人の気持ちを理解する。寒気を感じて両手で体をさする。

「その当時、あなたは中学生のはずよね?そんなことは無理よ。物理的に。」

 私は思い至って煌に尋ねるが、彼はあっさりとそれを否定する。

「飛び級で学業はすでに卒業していたからね。時間はその時の方が今より何倍もあったよ。」
「飛び級?だって、14歳なんて。」
「13歳で大学卒業は少ないけどできないことはないんだよ。その時は伊月さんの近くに行きたくて頑張ったし。僕の原動力はもう君だけだったんだ。」

 質問すればするほど、彼は自分がストーカーだと認めていく。こちらの意図せずに白状する相手も珍しいが、そんな結果を私は望んでいない。

「もういい。」
「そう?僕は楽しいよ。」

 彼は私の肩を抱き寄せて満足そうに私の頭をなでる。自分が人形になった気分にさせられるのは、ここまでの流れが彼の人形遊びであると錯覚させられているからだ。彼にとって予想外だったのはあの日、私が酒に酔ったことだけで出会ってから私が記憶を思い出そうとするまでの流れは彼の予想の範疇なのかもしれない。

「ねえ、あなたにとって私は何なの?」

 私は彼の腕から逃れて尋ねると、彼は私の手を取り手の甲にキスを落とす。

「伊月さんは僕にとっての最大の幸運だよ。」

 彼は本当に幸せそうに笑みを浮かべて私の頬に手を当ててキスをする。少しでも触れていたいように彼は隙があればキスをする。彼なりの愛情表現なのかわからないが、それよりも慣れてしまいそれを受け入れている自分を私自身が信じられない。彼の人形になり果てる未来を描くのに、もう難しくない。
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