EGOIST

崎矢梨斗

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 ぼんやりとタクシーを見送った譲は、無言で踵を返す俊に気づき、慌ててその背を追った。
「兄さんッ」
 俊は振り返らず、歩みも止まらない。
「兄さん!」
 譲は叫ぶように呼びかけた。
 電子ロック式の玄関扉を、俊に続いて上手くすり抜ける。ぴったりとついて行かなければ、途中の扉に遮断され譲は中に入ることができなくなる。
 必死で後を追う譲を、だが俊は存在に気づいていないかのように頓着なく進んでいく。
 呼びかけに応えることもなく大股で歩く俊に、譲はついて行くだけでやっとだ。
 広い玄関ホールを抜ける。
 1階で停まっていたエレベータに乗り込もうとする俊に、譲はなんとか追い縋った。
「兄さん!」
 閉まりかけた扉を手で開ける。エレベータの側壁に背を凭せ掛けた俊が、胡乱に譲を見やった。
「もう、ここへは来るな」
 感情を見せない冷え切った声が告げる。
 譲は激しく頭を振った。
「嫌だ……嫌だッ」
「譲!」
「だって兄さん、なにも聞かせてくれないじゃないか!」
 エレベータの中に譲も乗り込む。2重になったスライド式の扉がゆっくりと閉まった。
「……嫌われてるのは分かってるんだ。でも、どうして? 俺、兄さんに嫌われるようなことしたの?」
 動き出したエレベータの中、詰め寄る譲に俊は眸を逸らせる。
 視線を合わせてくれない。
 無言の拒絶はなにより譲を苦しめる。
「お願いだから……理由を聞かせてよ」
 そうすれば2度と纏いつくような真似はしないから。
 エレベータが停まる。
 降りようとする俊の手を咄嗟に掴んだ譲へ、無感動な声が言った。
「離せよ、譲」
 そうして、はぐらかすのだ。
 譲の望む応えはくれないまま。
「俊ニイッ!」
「―――あの時の続きでもしようって言うのか?」
 譲を見下ろす俊は、挑発の笑みを向けた。唇の端を上げ笑んで見せる俊の眸に、どす黒い色が宿る。
 危険で意地悪な色だ。
 それでいながら魅力的でもある危うい色に魅せられて、譲は生唾を呑みこんだ。
「い……いいよ。兄さんがしたいなら」
「―――バカ言うな」
 俊が眸を瞠る。
「俺になにされたか分かってるのか? 前よりもっと酷いことをしてやるって言ってんだぞッ」
「分かってるよ。分かってる、ちゃんと」
 譲は俊の眸をはっきりと見据えた。
「でも兄さんになら、なにされても構わないんだ」
 口に出してしまうと、譲の中で真実が明らかな形となる。
 俊になら構わない。俊だから許せた。
 譲はこれがたったひとつの真実なのだと確信する。
 けれど俊は―――。
 顔色を変え、うろたえたように後退さった。
「するわけないだろ…………―――気持ち悪い」
 たったのひと言に、譲は動けなくなる。
 呼吸ができない。
 息苦しさに俯いた譲の眸に、床の染みが映った。次第に増えていくそれが、自分の流した涙なのだと気づく。
「ごめんなさい…………俺、おかしいよね」
 譲は苦しい息を洩らした。
「もう逢いたいなんて言ったりしないから」
 好きでいることにも嫌うことにも理由なんていらない。
 俊は譲のことなど、きっともうどうだっていいのだ。
「最後にするから、これだけ応えて。―――俺の顔なんて2度と見たくない?」
「ああ……見たくない」
「…………うん。分かった」
 2度と逢わないと心に誓う。
 俊に決して嫌な思いをさせたりしない。
 自分の気持ちばかりを考えて、俊の気持ちにまるで気づかなくて。
 取り返しがつかなくなってから、ようやく気づくなんて遅すぎる。
 顔も見たくないほど嫌われてからなんて。
「俺……帰るね」
「―――譲ッ」
 去りかけた譲の足が、俊の声に引き止められる。
 今以上に悪いことなど起こりっこないと思うのに、最悪というのは重なって降りかかるものだと譲は思い知らされた。
「俺さ、結婚するから」
「兄……さん?」
「式もなにも決まってないけどな。いずれはと思ってる」
「…………さっきの……女の人?」
「あやめって名前だ。美人だったろ?」
「…………」
 譲は小さく頷く。
 俊の声が遠い。頭がズキズキと痛んだ。
 眸の前にある光景がぼやけて揺れる。早くこの場を立ち去りたかった。
「おめでとうって言ってくれないのか?」
 わざとらしく明るい声が譲を急かす。
「あ……」
 咽喉が詰まった。
 どうしてこんな―――。
 悪夢なら早く覚めてくれればいいのに―――。
 しかしどれほど譲が願っても、悪い夢は覚めそうになかった。
 これが現実。これが真実だ。
「―――……おめ……でと……」
 声の震えを、譲はどうしても抑えることができなかった。
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