EGOIST

崎矢梨斗

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 長い時間をかけて譲は身体中を擦りたてた。
 どんなに洗い流そうとしても、肌に残った紅い痕は消えない。
 いつまでも泣いているわけにもいかなくて、譲は仕方なしにバスルームを出た。
 俊が用意してくれた大き目のバスタオルを、フードのように頭から被ってリビングへ向かう。
「…………兄さん」
 ラブソファに身を沈ませ物思いに耽っている俊へ声をかけた。驚いたようにこちらを見る俊へ、無理に形作った笑みを向ける。
 泣いていたのだとは悟られたくなかった。
「なにか着るもの……貸して欲しいんだけど……」
「あ……そうか、悪い。先に用意しておいてやれば良かったな」
 慌てて俊はソファから立ち上がる。
 後を追ってリビングを出ようとする譲に、俊は歩を止めた。
「着替えなら持ってきてやるから、ここで……」
 待っていろと言いかけた俊が動きを止める。
 肩に置こうとした俊の手を、譲が咄嗟に避けたのだ。
「ゆ……ずる?」
 大きく見開いた眸の中に困惑が浮かぶ。
 譲は泣き出しそうに顔を歪めた。
「あの……あのね、兄さん…………」
 俊の前で泣くわけにはいかない。
 これ以上心配させたくない。これ以上迷惑をかけるわけにはいかない。
 譲は必死で笑顔を見せる。
「もう俺に触らないほうがいいよ。俺……汚いから」
「譲、お前…………」
「着るものだけ借りるね。そしたら俺、帰る……から……」
 笑っていることが辛い。
 今にも涙が零れてきそうで、譲は俯き肩を震わせた。
「ち……ちゃんと帰るよ。もう兄さんには逢わないようにする。絶対に顔を見せないようにする。だからね……」
 譲はぐっと涙を堪える。
「兄さん、安心してくれていいよ」
「譲……」
 伸ばしかけた俊の手が宙で揺らいだ。
 やっぱりと譲は思う。
 やっぱり自分は汚いのだ。俊が触れるのを躊躇うほど……。
 こんな自分が俊の傍にいるなんて間違っている。
「あいつにも言われたんだ。淫乱なんだろうって。とんでもない淫売だって」
「違う、譲、お前は……ッ」
「…………兄さんが言った通りだったんだ」
 俊がギクリと背を強張らせる。
 いつか俊自身が放った言葉だった。
 今になって譲は、言葉の意味を理解する。
 浅ましく兄の存在を望んだことの結果だと。決して求めてはいけないものに縋りつこうとした報いなのだと。
「兄さん、顔も見たくないって言ってたのに、こんなことになってごめんなさい」
 これが最後だ。
 俊の姿をしっかりと眸に焼き付けるために、譲は顔を上げる。
 精一杯の笑みを向け、けれど涙は知らぬ間に零れてしまっていた。
「嫌な思いさせてごめんなさい。でも……兄さんが助けにきてくれて、本当に嬉しかったんだ」
 優しい兄。自慢の兄。
 逢えなくなっても、俊が譲の大切な兄であることに変わりはない。
 汚い自分は離れてしまっても俊を想うことをやめられないだろうと、情けなさをもって考える。
「譲……」
 俊の手が伸ばされた。
 もう甘えてはいけないのだと、譲は大好きな兄の手から逃げてしまう。
 なのに俊は許さなかった。
 追いかける手が強引に譲の腕を掴み引き寄せる。
「兄さん……!」
 譲は悲鳴じみた声をあげた。
 大切だから、大好きだから、抱き寄せられれば抗うことなどできなくなってしまう。
「俺、汚いんだ。触ったりしたらダメ……だよ」
 止めどなく欲してしまう自分を恥じて、譲はついに泣き声をあげる。
 そんな弟を宥めるように、俊の手はますます強く譲の身体を掻き抱いた。
「違う、譲……ッ、汚いのは……俺の方なんだ」
 譲を抱く俊の手が震える。
「嘘だったんだ。全部嘘なんだ」
「兄……さん……?」
「顔も見たくないなんて、そんなこと思うわけない。逢えば触れたくなる。自分のモノにしたくなる。だから……逢うわけにはいかなかった」
 俊は切なそうに囁いた。
「ダメな兄貴だろ?」
「そ……なことない」
 首をぶんぶんと振る譲の姿に、小さく笑う。
「ずっと嘘をつくことしかできなかった。お前を見ていると堪らなくて……。いつか酷いことをしてしまうって分かってた。そんな自分を抑える自信がなかったんだ。力で捩じ伏せて、お前をボロボロにしてしまう。そんなのは、あの中年オヤジと変わらない……」
「……どうして? 全然違うよ」
 俊の腕の中で、譲はそっと顔を上向けた。
「あんな奴なんかより、俊ニイの方が何千倍もカッコイイんだから」
「……バカヤロ」
 真剣な眼差しを向ける譲の唇を、俊の激しい口吻くちづけが奪っていた。
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