49 / 196
第一部
それぞれの決断【side:創介】 1
しおりを挟む日曜日、スーツを着てダイニングへと向かう。いつもより首元が締め付けられているように感じるのは、きっと気のせいじゃない。
「――私の言ったことをようやく理解したようだな」
既に食卓に着いていた父親が俺を一瞥すると、微かに安堵の表情を浮かべた。
「何も言わずに逃げ出すようなことはしませんよ」
もう、逃げも隠れもしないさ――。
窓の外には、嫌味なほどの晴天が広がっていた。
この日、俺の見合いが行われる。丸菱にとって重要な縁談であり絵に描いたような政略結婚。それは、三年前までの俺が、何の疑問にも思わず見ていた未来そのものだ。なのに、今では、決して受け入れられない未来になっている。
* *
見合いの日取りを宣告されたのは、ちょうどあの日、理人と雪野が二人でいるところを見てしまった雪の日だった。
もう何度目になるだろうか。あの日も父親に呼ばれた。社長室に呼ばれた時、仕事の話ではないという直感があった。こういう時の直感は、まず外れない。これまでのらりくらりとかわして来た。でも、その日ばかりはさすがの父親も怒りをぶちまけて来た。
「まずは仕事に専念したいというおまえの意向をここまで聞き入れてやって来た。もう三年だ。これ以上は待てない。来週の日曜日、見合いの日程を組んだ。予定を開けておけ」
「待ってください。三年では、まだまだ社のことで分かっていないことも多い。今は、仕事に全力を傾ける時期だと思っています。それに、何度も凛子さんと結婚はできないと言って来たはずだ」
そんな俺の訴えなんか、父にとっては聞く価値すらないと思っている。
「その歳にもなって馬鹿なことを言うんじゃない。おまえの考えていることなど分かっている」
父の目が鋭く光る。
「……まだ、切れていないのか? 三年もあったというのに、まだ例の女性とは会っているのか」
大学四年の時、同じように見合いはできないと言った時『大切にしたい人がいる』と父に告げていた。自分の放った言葉が、父にとってどれだけ無意味で取るに足らないものなのかを改めて実感させられる。
「私は、これでもおまえのことを尊重したつもりだ。あの時、無理にでも見合いをさせその女を切らせることも出来た。それを、おまえに三年という時間を与えたのだ。自分でけりをつけさせるためにな。おまえを信じたからだ。その信頼を裏切るつもりか!」
滅多に声を荒げない父の怒声に、本気なのだと思い知る。
それでも――できない。
「その信頼は仕事で返してみせます。ですから、結婚だけは、どうか――」
「ふざけるな!」
さらに鋭い声に、いつもはまったく表情を動かさない父の側近、倉内が眉をぴくりとさせた。
「あの宮川先生を三年待たせている、その意味が分からないのか? おまえは何のためにこれまで生きて来た。今更こんなことを私に言わせるんじゃない!」
興奮した父も自分自身に驚いたのか、息を吐き、冷徹な目を俺に向けた。
「――とにかく、来週の日曜日。これは絶対だ。社長命令だと言っておく」
親でも子でもない。結婚はもはや業務の一環だとでも言うように宣告する。
「ですが――っ」
「もし、おまえが来なかったら。その時は、私が直接その女性に手を下す」
「お父さん!」
これまで、社を大きくしていく中で、冷徹なことも非道なこともしてきたのだろう。こんなことくらい、父にとってなんてことないことなのだ。
一人の人間を排除することくらいなんでも――。
「守りたい女なら、自分がすべきことが何なのかよく考えなさい。もう下がれ」
「お父さん、話を聞いてください!」
「下がれと言ったのが聞こえんのか? 倉内、例の吉田会長との会食はどうなった」
「はい。日程の了解は得られました」
もう用はないとばかりに、父はもう既に俺から視線を外していた。これが、最終警告なのだと分かる。
俺にはどうすることも出来ないのか――?
たまらなくなって、情けなくも、あの優しい微笑みを見たいと衝動的に雪野のバイト先に行ってしまった。そうしたら、思いもよらないものを目にした。
理人がなぜ雪野の店に――?
突然、理人が家を出て行った。その頃の記憶を辿れば、ちょうど俺の見合い話が再び浮上した頃と合致する。
雪野に出会ってから三年。まるで憎しみという憑物が落ちたみたいに、俺が理人と理人の母親に接することはなくなった。だからと言って、これまで俺がしてきたことがなかったことになるわけなどなかったのだ。
理人の母親は、元々水商売をしていた父の愛人だった。俺の母が生きている間に父の子を産み、母が病死してほどなく榊の家に後妻として入って来た。
父もまた俺の母親とは政略結婚だった。母は、もともとは皇族の血を引く家の娘だったと聞いている。母は夫である父に裏切られていることを知っていた。
『もっと、創介と一緒にいたかった。一緒にいてあげられなくてごめんね……っ』
死の間際、泣きじゃくることしか出来なかった俺に、母はそう詫びながら息を引き取った。理人の母親のように美人というわけではなかったが、笑った顔が本当に優しくて。厳しい父親に叱責されるたび、その笑顔に癒された。
自分は病の中、夫には他に愛している女がいて。どんな思いで俺の母は死んで行ったのかと考えると、どうしても継母を許せなくて散々酷いことをして来た。父にも罪があるはずなのに、弱いものを攻撃して。そして、なんの罪もない理人までも――。
いくら後悔したところで、過去に俺がして来たことは消えない。でも、醜くて弱い最低な俺を雪野に知られたくない。
雪野を抱き締めていた理人の思惑がどこにあるのかわからない。その店で理人が働いていたのは偶然なのか、それとも、俺と雪野のことを調べたうえでのことか。
一体理人は、何を考えている――?
ただ、俺にとって一番触れられたくないところを突いてきた。それだけは間違いない。強引に理人から雪野を引き剥がし連れ去った。
その帰り、いつものように雪野の住む家の敷地から少し離れたところで車を停めた。何故か、雪野はいつもここを指定する。自分の住んでいる家を見られたくないのだろうか。雪野のが望むようにしようと、いつもそこで車を停める。
でも、一度だけ、雪野が去った後、その後をつけたことがあった。同じような建物がいくつも並んで建っている場所だった。頼りの街灯もちかちかとして今にも消えてしまいそうで。俺の家の周囲にはまるでない光景だった。古びた建物の最上階まで登って行く姿をこっそり見送ったのだ。
「……送ってくれてありがとうございます。創介さんまだ濡れてるから、早く帰って着替えてください」
不安そうな顔をして頭を下げる雪野を見ていると、またも胸が疼く。
この日の俺のせいで、またそんな顔をさせているんだろうな――。
そう心で思いながら、雪野の頬に触れた。
「分かってる。おまえも風邪ひくから、早く行け」
「はい」
うまく優しい言葉をかけてやれない分、こうしてつい雪野に触れてしまう。
車から降りて自分の家へと向かう雪野の姿が完全に見えなくなる。すぐに発進する気になれなくて、深くシートにもたれた。シートを少し倒し、額に腕を載せる。
目を閉じても浮かんでくるのは、いつも遠慮がちな表情ばかりしている雪野の顔。一度も、好きだとも愛しているとも口にしたことはない。それでいて、手放してやることも出来ない。
目を閉じても瞼の裏で感じる、ちかちかと点滅する街灯。
「本当に俺は、無力で弱い男だな……」
額に載せた腕が異様に重く感じる。この日、父に言われた言葉がただ自分を押し潰して。成人を過ぎたいい大人だというのに、どうすることも出来ない自分が情けなくて惨めになる。
自分が取るべき道。それを考えれば考えるほど、胸が抉られるように痛い。
これまで、何度も雪野に想いを告げようとした。でも、この三年の間、結局出来なかった。
自分の背負う現実を思えば思うほど、そんな自分が雪野といることで雪野に与える苦労を考える。まだ大学生の雪野を、簡単に縛り付けることなど出来なかった。
それに、雪野から、俺への気持ちを聞いたことがない。雪野は俺のことをどう思っているのか。
雪野も自分の気持ちを口にしたことはない。雪野から会いたいと言うこともない。
俺は、怖くて聞くこともできずにいる。とんだ臆病者だ。
でも結局、俺自身が諦めきれていないのだ。雪野との未来を――。
どうしたら雪野を守れる?
どうしたら、雪野との未来を描ける?
その両方を成り立たせる方法が、虚しいほどに思い浮かばない。儚く笑う雪野の優しい笑顔が、淡い雪に濡れてかすんで行く。
1
あなたにおすすめの小説
病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜
来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。
望んでいたわけじゃない。
けれど、逃げられなかった。
生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。
親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。
無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。
それでも――彼だけは違った。
優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。
形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。
これは束縛? それとも、本当の愛?
穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
あなたがいなくなった後 〜シングルマザーになった途端、義弟から愛され始めました〜
瀬崎由美
恋愛
石橋優香は夫大輝との子供を出産したばかりの二十七歳の専業主婦。三歳歳上の大輝とは大学時代のサークルの先輩後輩で、卒業後に再会したのがキッカケで付き合い始めて結婚した。
まだ生後一か月の息子を手探りで育てて、寝不足の日々。朝、いつもと同じように仕事へと送り出した夫は職場での事故で帰らぬ人となる。乳児を抱えシングルマザーとなってしまった優香のことを支えてくれたのは、夫の弟である宏樹だった。二歳年上で公認会計士である宏樹は優香に変わって葬儀やその他を取り仕切ってくれ、事あるごとに家の様子を見にきて、二人のことを気に掛けてくれていた。
息子の為にと自立を考えた優香は、働きに出ることを考える。それを知った宏樹は自分の経営する会計事務所に勤めることを勧めてくれる。陽太が保育園に入れることができる月齢になって義弟のオフィスで働き始めてしばらく、宏樹の不在時に彼の元カノだと名乗る女性が訪れて来、宏樹へと復縁を迫ってくる。宏樹から断られて逆切れした元カノによって、彼が優香のことをずっと想い続けていたことを暴露されてしまう。
あっさりと認めた宏樹は、「今は兄貴の代役でもいい」そういって、優香の傍にいたいと願った。
夫とは真逆のタイプの宏樹だったが、優しく支えてくれるところは同じで……
夫のことを想い続けるも、義弟のことも完全には拒絶することができない優香。
苦手な冷徹専務が義兄になったかと思ったら極あま顔で迫ってくるんですが、なんででしょう?~偽家族恋愛~
霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「こちら、再婚相手の息子の仁さん」
母に紹介され、なにかの間違いだと思った。
だってそこにいたのは、私が敵視している専務だったから。
それだけでもかなりな不安案件なのに。
私の住んでいるマンションに下着泥が出た話題から、さらに。
「そうだ、仁のマンションに引っ越せばいい」
なーんて義父になる人が言い出して。
結局、反対できないまま専務と同居する羽目に。
前途多難な同居生活。
相変わらず専務はなに考えているかわからない。
……かと思えば。
「兄妹ならするだろ、これくらい」
当たり前のように落とされる、額へのキス。
いったい、どうなってんのー!?
三ツ森涼夏
24歳
大手菓子メーカー『おろち製菓』営業戦略部勤務
背が低く、振り返ったら忘れられるくらい、特徴のない顔がコンプレックス。
小1の時に両親が離婚して以来、母親を支えてきた頑張り屋さん。
たまにその頑張りが空回りすることも?
恋愛、苦手というより、嫌い。
淋しい、をちゃんと言えずにきた人。
×
八雲仁
30歳
大手菓子メーカー『おろち製菓』専務
背が高く、眼鏡のイケメン。
ただし、いつも無表情。
集中すると周りが見えなくなる。
そのことで周囲には誤解を与えがちだが、弁明する気はない。
小さい頃に母親が他界し、それ以来、ひとりで淋しさを抱えてきた人。
ふたりはちゃんと義兄妹になれるのか、それとも……!?
*****
千里専務のその後→『絶対零度の、ハーフ御曹司の愛ブルーの瞳をゲーヲタの私に溶かせとか言っています?……』
*****
表紙画像 湯弐様 pixiv ID3989101
極上エリートは溺愛がお好き
藤谷藍
恋愛
(旧題:強引社長とフラチな溺愛関係!? ー密通スキャンダルなんてお断り、ですー)
素顔は物凄く若く見えるベイビーフェイスの杉野紗奈は、メガネをかけて化粧をすると有能秘書に早変わり。いわゆる化粧映えのする顔で会社ではバリバリの仕事人間だが、家ではノンビリドライブが趣味の紗奈。妹の身替りとして出席した飲み会で、取引会社の羽泉に偶然会ってしまい、ドッキリ焦るが、化粧をしてない紗奈に彼は全然気付いてないっ!
ホッとする紗奈だが、次に会社で偶然出会った不愛想の塊の彼から、何故か挨拶されて挙句にデートまで・・・
元彼との経験から強引なイケメンは苦手だった紗奈。でも何故か、羽泉からのグイグイ来るアプローチには嫌悪感がわかないし、「もっと、俺に関心を持て!」と迫られ、そんな彼が可愛く見えてしまい・・・
そして、羽泉は実はトンデモなくOOたっぷりなイケメンで・・・
過去の恋の痛手から、一目惚れしたことに気付いていない、そんな紗奈のシンデレラストーリーです。
身分差婚~あなたの妻になれないはずだった~
椿蛍
恋愛
「息子と別れていただけないかしら?」
私を脅して、別れを決断させた彼の両親。
彼は高級住宅地『都久山』で王子様と呼ばれる存在。
私とは住む世界が違った……
別れを命じられ、私の恋が終わった。
叶わない身分差の恋だったはずが――
※R-15くらいなので※マークはありません。
※視点切り替えあり。
※2日間は1日3回更新、3日目から1日2回更新となります。
寵愛のいる旦那様との結婚生活が終わる。もし、次があるのなら緩やかに、優しい人と恋がしたい。
にのまえ
恋愛
リルガルド国。公爵令嬢リイーヤ・ロイアルは令嬢ながら、剣に明け暮れていた。
父に頼まれて参加をした王女のデビュタントの舞踏会で、伯爵家コール・デトロイトと知り合い恋に落ちる。
恋に浮かれて、剣を捨た。
コールと結婚をして初夜を迎えた。
リイーヤはナイトドレスを身に付け、鼓動を高鳴らせて旦那様を待っていた。しかし寝室に訪れた旦那から出た言葉は「私は君を抱くことはない」「私には心から愛する人がいる」だった。
ショックを受けて、旦那には愛してもられないと知る。しかし離縁したくてもリルガルド国では離縁は許されない。しかしリイーヤは二年待ち子供がいなければ離縁できると知る。
結婚二周年の食事の席で、旦那は義理両親にリイーヤに子供ができたと言い出した。それに反論して自分は生娘だと医師の診断書を見せる。
混乱した食堂を後にして、リイーヤは馬に乗り伯爵家から出て行き国境を越え違う国へと向かう。
もし、次があるのなら優しい人と恋がしたいと……
お読みいただき、ありがとうございます。
エブリスタで四月に『完結』した話に差し替えいたいと思っております。内容はさほど、変わっておりません。
それにあたり、栞を挟んでいただいている方、すみません。
片想い婚〜今日、姉の婚約者と結婚します〜
橘しづき
恋愛
姉には幼い頃から婚約者がいた。両家が決めた相手だった。お互いの家の繁栄のための結婚だという。
私はその彼に、幼い頃からずっと恋心を抱いていた。叶わぬ恋に辟易し、秘めた想いは誰に言わず、二人の結婚式にのぞんだ。
だが当日、姉は結婚式に来なかった。 パニックに陥る両親たち、悲しげな愛しい人。そこで自分の口から声が出た。
「私が……蒼一さんと結婚します」
姉の身代わりに結婚した咲良。好きな人と夫婦になれるも、心も体も通じ合えない片想い。
4番目の許婚候補
富樫 聖夜
恋愛
愛美は家出をした従姉妹の舞の代わりに結婚することになるかも、と突然告げられた。どうも昔からの約束で従姉妹の中から誰かが嫁に行かないといけないらしい。順番からいえば4番目の許婚候補なので、よもや自分に回ってくることはないと安堵した愛美だったが、偶然にも就職先は例の許婚がいる会社。所属部署も同じになってしまい、何だかいろいろバレないようにヒヤヒヤする日々を送るハメになる。おまけに関わらないように距離を置いて接していたのに例の許婚――佐伯彰人――がどういうわけか愛美に大接近。4番目の許婚候補だってバレた!? それとも――? ラブコメです。――――アルファポリス様より書籍化されました。本編削除済みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる