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第一部
それぞれの決断【side:創介】 3
しおりを挟む連れて来られた場所は、都心の一等地にある高級ホテル。その敷地内にある立派な日本庭園の先にある離れが、見合いの場だった。二月の冷たい空気がその庭園を寒々としたものに見せる。
派手でもなく地味でもない上質なスーツに、明るめの色合いのタイと胸ポケットには同色のハンカチーフを身に付ける。待合室に置かれていた大きな鏡に映る自分を見て、嘲るような笑みが自然と零れた。
俺という人間にふさわしい恰好だ。外見を着飾られているだけの中身は空っぽな存在。だからこそ、いろんな装飾を身に付けなければならない。
小さい頃から、弱い本当の自分を偽るために虚勢を張って、傷付けられる前に傷付けて、踏みにじって自分を保って。嫌というほど何でも手にしてきたけれど、そのどれも惜しいとは思わない。どれもがただ虚しいだけのものだった。
何も考えない。期待された道を期待通りに歩いて行く。丸菱に入るためだけに生き、それでいいと諦めていた。そんな俺に、人生で初めて失いたくないものが出来た。
自然と身を正す。これから、自分が立ち向かわなければならないものに対面すると思うと、身が引き締まる。
「創介、行くぞ」
「はい」
父と継母の後に続いて、宮川家の待つ部屋へと向かう。
「これは、お待たせして大変申し訳ありませんでした」
家族には絶対に見せない朗らかな笑みを浮かべて、父が宮川氏に頭を下げた。
「いやいや、こちらも今来たばかりですよ」
恰幅のいい身体のせいか、その声も張りがあって大きい。それは、政治家という職業のせいもあるかもしれない。
宮川氏は、いつ見ても異様なオーラを放っていた。そのオーラは、父の放つものとはまた性質の異なるものだ。
「失礼します」
無表情の継母に続き部屋に入る。席に着く際、浅めに頭を下げた。そして、俺の正面に座る凛子さんに視線を移し、「どうも」と会釈する。
「よろしく、お願い致します」
相変わらずゆったりとして小さな声だ。凛子さんとは、父親と一緒に正月に会うだけの間柄だ。先日もパーティーで会ったが、挨拶程度で二人で個人的に話したこともない。それは、俺がそうなるのをそれとなく避けていたからでもある。
「いやいや、創介君があまりに男らしいから、照れておるのか?」
「おやめください、お父様」
豪快に笑うその横で、凛子さんが恥じらうように俯いた。
「お互い顔は知っているとは言え、このような場を設けるのは初めてですからね。緊張するのも無理はない」
父が凛子さんを労わるように笑顔を向けていた。
「それはそうと、噂に聞くところによると、創介君は随分実績を上げているみたいじゃないですか。血筋だけには頼らない。まさに、お父上の教育の賜物ですな」
「いえいえ。まだまだですよ。これからの社会、ただ創業家の生まれだからという理由だけでトップの座につけるほど甘くはないですからね。他の社員と変わらず、汗をかかせていますよ」
三年待たせてようやくこの席にこぎつけたことに、ホッとしているのか。父は終始、機嫌が良い。
「でも、凛子さん、安心してくださいね。あなたと結婚する時には、グループ会社の副社長くらいには就任しているはずですから。あなたに何不自由ない生活をさせられますからね」
父の凛子さんへの態度に、素っ気ない俺に代わってどれほどフォローして来たのかが垣間見えて、いたたまれなくなる。
「い、いえ。私は、創介さんをお支え出来るのであれば、肩書など……」
その凛子さんの発言に驚く。
この見合いが結婚前提のものだというのは理解していた。
でも、凛子さんにとっても同じなのか――。
彼女は、この結婚について本当のところはどう思っているのだろうか。ろくに知りもしない男に嫁ぐことを、半ば親に強制されている。それに反発したい気持ちはないのだろうか。
その気持ちが全くないのでは、困るのだ――。
つい、じっと凛子さんを見てしまう。
「まずは婚約をして、式を挙げるまで二人でゆっくり準備すればいい。凛子さんも大学を卒業してまだ二年。一人の自由を味わいたい年頃でしょう。恋人同士という期間があるのも、またいいものだ」
父がそんなことを言った。
「榊さん、うちの凛子はもういつでも嫁いで行けるように準備してありますから。そのようなお心遣いは必要ありませんよ」
暗に、”これ以上待たせるな”ということだろうか。
政治家が政治をするのには、とにかく金がいる。後ろ盾に丸菱グループがあるのとないのとでは雲泥の差だろう。
宮川家のもこの結婚を急いでいる。これ以上、ここで無駄な会話をしても意味はない。
「結納の時期ですがね――」
「すみませんが、よろしいでしょうか」
親同士が会話を進めるのを遮った。その場にいた皆が俺を一斉に見る。
「凛子さんと僕は、まだまともに会話をしたことがありません。どのような方なのか僕も分かりませんし、凛子さんも僕のことを知らないでしょう。これから話を進めて行くにしても、お互いを理解しないことには始まりません。どうか、ここは、僕たちを二人にしていただけませんか?」
宮川氏を真っ直ぐに見て、そう告げた。
「……なるほど。確かにそうね。こういうものは、普通親の方が『そろそろ若い方たちで』って言ってあげるものよね」
凛子さんの母親が口を開く。
「あ、ああ、そうだな。気が利かなかったね。二人で少し出掛けてくるといい。創介君、よろしく頼むよ」
「はい。お任せください。では凛子さん、行きましょう」
「え? あ、は、はい」
目をばちくりとさせる凛子さんに構わず、にこりと微笑んで見せた。
「きちんとご自宅までお送りしますので」
そう親たちに向けて言うと、父が俺の顔をじろりと睨みつけていた。
”いったい、何を企んでいる?”
そう、目が訴えている。
これまで、父に逆らって来たことはない。人生で初めて、父の指示に背くことになる。
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