雪降る夜はあなたに会いたい【本編・番外編完結】

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第一部

誓い【side:創介】 1

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 俺の決意と覚悟をすべて込めた指輪を、雪野の細い指に滑らせた。雪野が、綺麗な目で微笑んだ。何があっても、雪野を幸せにしたい。

俺の、運命の人だから――。


 * *


 それからも、宮川氏の元に通い続けた。決して顔を出してはくれなかった。そんな日が半年ほど続いた頃。その日も、これ以上は待てないと帰ろうとした時だった。邸宅の門構えに宮川氏が出て来た。黒塗の車の迎えが来て、宮川氏の秘書が車を降りる。こうして宮川氏の顔を見るのは、あの見合いの日以来初めてだった。深く頭を下げる俺の目の前を無言のまま通り過ぎて行く。

「おはようございます」

秘書が、宮川氏に挨拶をする声が聞こえる。

「――そこの男に伝えておけ」

宮川氏の威圧感のある声が朝の空気を張り詰めさせる。

「もう終わったことだとな」

それだけ言うと、車に乗り込みすぐに走り去って行った。

 無意識のうちに深く息を吐いていた。許されるとも思っていない。これから、多かれ少なかれこの代償は払うことになる。でも、それは俺が背負い取り戻さなければならないもの。

それくらいのものがあった方が、仕事に緊張感があっていい――。

そう、自分に言い聞かせて苦笑する。

 宮川氏と同時に、俺にはもう一人、向き合わなければならない人間がいた。

 我ながら、なかなかにヘビーな状況だと思う。それでも不思議と力が湧いてくる。俺には、何にも代え難い存在がいる。あの笑顔を思い浮かべれば、ただ単純に強くなれる。

「すみません、榊理人は出勤していますか」

半年前まで雪野も勤めていたアルバイト先に出向き、ちょうど裏口から出て来た女性を呼び止めた。

「……ああ、もう別にいいかな。榊君なら、もうとっくに辞めましたよ」

突然見ず知らずの人間に声をかけられて一瞬たじろいだようだったけれど、俺の姿を一瞥してそう言った。

「辞めた……?」

雪野が去った今となっては、もうこの店に用はないということか。

「ええ……って、そちらはどなた?」

その女性が、気の強そうな目で見上げて来た。

「ああ、すみません。榊と申します。理人の……兄、です」
「……え? お、お兄さん?」

住まいも電話番号も知らないのに兄と名乗っていいのか甚だ疑問だが、そうとしか言いようがなかった。

「榊君、突然辞めてお店としては結構大変だったんです。ただでさえ人が減って困っていたのに」
「弟が迷惑をおかけして申し訳ない。では、失礼します」

そう言えば、雪野も俺のせいで店を辞めなければならなかったのだ。黙ってはいられずに、気付けば頭を下げていた。理人が、もうここにいないのなら仕方がない。また、別の方法を探すしかない。

雪野は、理人の連絡先を知っているのだろうか――。

少なくとも二人は、同じ場所で働いていた者同士。この店はそんなに従業員もいないと聞いていた。

あんな風に抱きしめるくらいには、親しくしていたのかもしれない――。

そう思うと、得体のしれない息苦しさに襲われた。それでも、恥とプライド、そして醜い嫉妬心を心の奥底に追いやり、雪野に尋ねた。

「理人の連絡先を知っていたら、教えてもらえないか」
(……えっ)

雪野の小さく短い声が漏れ聞こえた。

「情けない話だが、俺は理人の連絡先を知らないんだ。俺の知っている携帯番号はもう使われていなかった」

電話の向こうで雪野が押し黙っている。理人のことで俺が取り乱したことを思い出して困っているのだろうか。

「……変なことを聞いて悪い。でも、理人とちゃんと話したいと思ってる」

雪野が理人の電話番号とアドレスを教えてくれた。

「ありがとう」
(あ、あの――)

雪野の心配そうな声が飛び込んで来た。

「ん?」
(榊君は、創介さんのこと――)

そこで雪野が口を噤んだ。

――俺のことを憎んでいる。

そう言いたかったんだろう。でも、そう口には出来なかったみたいだ。

「分かってる。理人には一生許されないようなことをしたから。これまでは、それなら仕方ないと逃げていた。でも、もう逃げないと決めた。そう言っただろう?」

謝罪だけじゃない。理人にはっきりと雪野への想いを告げなければいけない。

(創介さん。私は、あなたが好きです)
「――え?」

一瞬面喰う。雪野がその言葉を口にすることは少ない。

(私、この先、どんなときも創介さんの隣にいるから。だから……)
「ああ。分かってる」

雪野なりに俺を気遣ってくれてるんだろう。俺にとって、決して簡単なことではないということも雪野は分かっている。

「雪野」
(はい)

雪野の緊張したような硬い声。

「――俺はもう、何があっても大丈夫だ。おまえがいるから」
(……はい)

これからずっと、理人とのことから逃げることも出来なければ、解決することもできないかもしれない。それでも、向き合って行く。

 理人にかけた電話は、長いコールの後繋がった。

(――どうして兄さんが、この電話を?)

俺の声を聞いた途端に、強張った声に変わる。

「雪野に聞いた。俺が無理やり聞き出したんだ」
(……へぇ。見合いまでして、まだ続いていたんですね。あんなにいい人を愛人にでもするつもりですか。あんたもとことんクズだな)

強張った声が冷ややかなものに変わる。

――あんなにいい人を。

その言葉だけは、温度が違うものに聞こえた。

「見合い相手とは結婚しない」
(……えっ?)
「――いずれ、雪野と結婚するつもりだ」
(……は? あんた、何言って――)
「本気だ」

理人が絶句した。

(そんなことあのお父さんが許すはずがない)
「そうだな」
(あんたは、お父さんの命令に背くことなんてできないでしょ)

どこか苛立っているような声だった。

「これまではな。でも、どうしても譲れないものが出来たんだ。それを、どうしてもおまえには言っておきたかった」
(……は、ははっ!)

突然、理人が乾いた笑い声をあげる。

(なに。それで? それでいい人にでも成り代わったつもりなんですか? こうやって僕になんか電話して来て。これまで悪かったとでも言うつもりなのか!)

理人の叫びは、そのまま俺に突き刺さる。その苦しみも痛みも、全部俺が理人に与えたものだ。

「おまえや、おまえの母親にしたことは、謝って済むことだとは思ってない。でも、自分のしたこを忘れないで生きていくつもりだ」

謝って楽になるのは結局俺で。理人の気が軽くなるわけでもない。ずっと忘れずにいることしか自分に出来ることはないのだと思うと、途方もないことのように思える。俺は、それだけのことをしたのだ。

「ただ、雪野は関係ない。だから、雪野にはもう――」
(なんですか? 戸川さんと結婚する。だから、邪魔はするなと?)

理人の嘲笑う声が鼓膜を冷たく揺らす。

(どこまで勝手な人なんだ。あんたに関係ない。僕が何をしようと関係ない!)
「俺は一生、おまえとの過去に向き合っていきたいと思ってる。でも、それは俺が勝手にすることだ。理人が俺の気持ちをどう受け取ろうと、無視しようとおまえの自由だ。ただ、雪野のことだけは――」

傷付けるわけにはいかない。だから――。

「俺が絶対に幸せにすると決めた。そのことを、おまえにも認めてもらいたい。そうできるまで、何度でも許しを乞うよ」

身勝手だとわかっていても。理人が雪野に惹かれたのだとしても――。

雪野を誰にも奪われたくない。

(勝手にしたらいいじゃないか。僕には関係ない。あんたとなんか話もしたくないんだ)

そう言って、その電話は切れた。

 死ぬまでずっと、俺に出来ることを考えていく。自分に何ができるのかを。父のことも、理人のことも、この先長い時間をかけていくしかない。すべてをなかったことには出来ない。

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