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第二部
”前夜” 1
しおりを挟む十月の晴れ渡った青空の下――。
悲壮感に満ちた表情で鏡の前にいる。大きな鏡の付いた煌びやかなドレッサーと今にも逃げ出しそうな私の顔は、哀しいほどに対照的で余計に追い詰められていく。
「はい、これで完成です。とってもお綺麗ですよ?」
メイク担当の女性が、にこやかな笑顔を私に向けてくれる。
「そうですか……?」
そう言われてもう一度鏡を覗き込んでも、強張った表情は変わらない。
「あとは、花嫁様の笑顔ですよ! 笑顔に勝るメイクはありませんからね」
そんなことを言われれば、余計に焦ってしまう。
前髪を斜めに流し、夜会巻きと呼ばれるアップにしたヘアスタイルに豪華なティアラ。
完全に顔が負けてしまっている……。
付けたこともないつけまつげが、私のいたって特徴のない目元を垢抜けたものに変えてくれているのに、この落ち着かない目は不安で一杯で。思わず、首元を覆う真珠のネックレスに触れた。
「――では、お時間になったら呼びにまいりますので、それまでゆっくりしていてくださいね」
あまりに肩を強張らせ緊張感に満ちた私を労わるように微笑んで、メイク担当の女性は部屋を出て行った。
ドアが閉じる音が耳に届いたと同時に、大きく溜息を吐く。
しっかりしないと――。
創介さんに恥をかかせるわけにはいかない。そう思えば思うほど、緊張を呼び寄せてしまう。
これから創介さんと私にとって大事な一日になる。この日、私たちの結婚式が行われるのだ。
とりあえず気を紛らわせようと、椅子から立ち上がった。新婦の控室であるこの部屋には、姿見が置いてある。その目の前まで行き、ウエディングドレス姿の自分を映す。
あまりに華やかなものは私には似合わない気がして、なるべくシンプルなものを選んだ。いくつか私が選んだ中から、最後は創介さんが決めてくれた。
――雪野のイメージにぴったりだ。
そう言ってくれたこのドレスは、デコルテと長袖の部分がレースになっているAラインのドレスだ。露出を抑えたクラシカルな雰囲気がなんてことない私を底上げしてくれているのに、こんなに引きつった表情のままでは台無しだ。
この日を迎えるまで、何度も自分に言い聞かせて来た。
この結婚式は、創介さんがこれから仕事をしていく上での大切な場だということ。創介さんが、私への気遣いで招待客をかなり絞ってくれたのは知っている。それでも、親族を始めとして、本社の役員を筆頭に関連会社の幹部の方、政財界の著名な方々……。ニュースや新聞で見聞きした名前もたくさんある。そんなところに出て行かなければならない。
おかしな行動をしてしまわないか。不安のあまり、大失敗をしてしまわないか――。
そんな悲観的なことばかりを想像してしまって、昨晩もほとんど眠ることが出来なかった。
二月にプロポーズをされてからこの日まで、本当に怒涛の日々で。思い返せばずっと緊張していた。
この八ヶ月、必死に覚悟を確かなものにして来た。
そんな日々が、走馬灯のように蘇る――。
* * *
「――雪野の家に挨拶に行きたい。結婚の許しをもらいに」
二ヶ月の長期出張から戻った創介さんが、改めてプロポーズをしてくれたこの日。私に言った。
「……そうですよね」
結婚するからには、それは避けては通れない儀式だ。
創介さんとのことを母にきちんとは話せていなかった。"付き合っている人がいる"ということはそれとなく伝えていた。でも、詳しくは話せなかった。言えなかったのだ。
二年前に、創介さんと生きて行くことは決めていた。ただ、二年後の私たちがどういう状況に置かれているのかはっきりしていない中、母に余計な心配を掛けたくなかったのだ。
結婚のこと、母は何と言うだろう――。
「……雪野、どうした?」
つい考え込んでしまった私に、心配そうな声が飛んでくる。
「何でもないです。母と相談してみます」
ずっと傍にいると決めてから二年。そして、本当に結婚をすることになって。ここにたどり着くまでは、途方もなく遠い道のりに感じた。
きっとこれからが本当の意味で大変なのかもしれない――。
そんなことを思う。でも、するべきことは、目の前のハードルを一つ一つ越えて行くことだ。
「おまえの家に行くの、あの日以来だな……」
鋭い視線が、不意に揺れる。
あの日――。
別れを決めていたあの夜。創介さんが私を捕まえに来てくれた日……。
――!
何の前触れもなく、あるシーンが脳裏を過る。そして私は咄嗟に俯いた。
あの日から一か月くらいは本当に大変だったのだ。寝ても冷めても創介さんの残り香が部屋を満たしているみたいで。後ろめたくて落ち着かなくて、自分の部屋にいるのにバカみたいに緊張した。そんなことをこんな時に思い出した自分がたまらなく恥ずかしい。
「どうした、急に顔を赤くして」
「別に、赤くなんてしてないです。気のせいです」
誤魔化したのに、創介さんの身体が私に近付いて来る。これ以上間近で見られたら全部見透かされそうで、思わず身を引いた。でも、その腕があっという間に私を捕らえる。
「一体、何を思い出したんだ?」
「別に、何も――っ」
耳たぶに触れる創介さんの唇が動くから、くすぐったいような疼くような、勝手に身体が震えてしまう。
「俺は思い出したよ。あの可愛らしい部屋でおまえを抱いたこと」
「そ、創介さんっ」
そんな私を創介さんがぎゅっと抱きしめる。
「――雪野」
「はい」
呼吸を整えながら創介さんの胸に身を預ける。
「おまえの家に行ったあの日。雪野を失うかもしれないという恐怖は、未だに鮮明に残ってる。雪野を失わずに済むなら俺はなんだってできるから。心配するな」
優しく諭すような声。低い声に優しさが加わる時の創介さんの声は、酷く甘い。
私の不安を、きっと感じ取ったのだ。だから――。
「はい。私には創介さんがいるし、創介さんには私がいる。もう一人じゃないんですよね」
そう思えば、力が湧いて来る。
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