雪降る夜はあなたに会いたい【本編・番外編完結】

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第二部

欲しいのは、ただ一人の愛おしい人【side:創介】 4

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ごめん――。

バカみたいに出て来る言葉はそれだけで。どうしたってあの優しい笑顔を俺は曇らせる。

――別れたくない。

そう言って泣いた雪野は、どんな気持ちで俺を見たのか。感情のままにあんな風に抱かれて、それでも、雪野は俺に腕を回してくれた。自分だって傷だらけのくせに、俺の苦しみに寄り添おうとする。

”このままだと、間違いなく壊れるよ”

理人の声がこだまする。俺は、まさに理人の母親を苦しめて来た側の人間だ。その報いが、今、雪野に向けられているのか。俺が雪野と出会う前に犯した過ちが巡り巡って、雪野が苦しめられているのか。

ごめん、雪野――。

考えれば考えるほどに申し訳ないと思うのに、雪野みたいに優しくない俺はこう言ってしまう。

お願いだ。どこにも行かないでくれ――。

都会の真ん中なのに、見上げた空には星が瞬いていた。

”創介さん、どうしたの?”

振り返って微笑む雪野の顔ばかり目に浮かんで。

”創介さん――”

振り返ってくれたのに、雪野は俺に微笑んだ後、また前を見て俺から遠ざかっていく。

”創介さん、さよなら――”

 追い詰められた手は震えて上手く電話もかけられない。なんとか表示出来た雪野の番号は、繋がらないままで。自宅に電話しても、留守番電話に切り替わる。

 この広い空の下で、子供のように途方に暮れる。どうして今日、もっと優しくしてやらなかったのか。どうして俺は、もっと雪野を大切にしてやらなかったのか。

雪野、許してくれ――。

雪野は分かっていない。会社なんか、社長の椅子なんか、そんなものいらないんだ。雪野がいないなら、そんなもの欲しいとも思わない。俺が欲しいのも守りたいのも、雪野だけだ。

 なんとしてでも、雪野を捕まえる。どんなに雪野に悪いと思っても、絶対に逃してやれないのだ。

 手あたり次第ホテルを回り、車で二人でよく行った夜景の綺麗な駐車場にも行ってみた。そのどこにも雪野の姿はなかった。こんなにも長い間雪野といたのに、俺は、雪野が行きそうな場所も分からない。雪野が、こんな時、行きたくなる場所も――。

 夜の街を駆け抜ける。こんなにも人も物も溢れているのに、一番探し出したい人はそこにいない。


 結局、雪野を見つけられないまま、気付くと自宅マンションにたどり着いていた。建物を見上げてみれば、どの部屋もほとんど明かりが消えている。一体、今、何時なのかも分からない。もうすぐマンションのエントランスが見えて来る。都会の真ん中にありながら、マンションのエントランスの前には小さな庭園が整備されている。そんなところも気に入って、このマンションに決めたのだ。二人で暮らし始めた時の喜びが、そのまま胸の痛みとなって返って来る。

 雪野の性格を考えたら一番可能性は低いだろうと思ったが、もう当てがない。冷たくなって上手く動かない手をズボンのポケットに入れ、スマホを取り出す。そして、雪野の実家の電話番号を表示させた。雪野の家族に心配をかけることになる。でも、もう、他に俺が頼れる相手はいない。

走り続けて力を失った脚を引きずるようにして歩きながら、電話を掛けようとした時――。

薄暗い道路だ。一瞬、幻かと思った。でも、確かに、この目に映っている。酷く疲れたように、道路の向こうから躊躇いがちに歩いてくる姿が視界に入る。

「雪野っ!」

身体全体から力が抜けてしまいそうになりながら、その名前を叫んでいた。

「創介さん……」

夜の闇に今にも消えてしまいそうなか細い声。本当に消えてしまう前に捕まえたくて、雪野の元に走った。さっきも見た薄いブラウス一枚で、ほどけた髪が風に揺れて。着の身着のままで、手には何も持っていなかった。心細そうな歪んだ表情で、俺を見上げる。無我夢中でその身体を抱きしめる。腕の中に閉じ込めて決して逃さないようにきつく抱きしめた。

「雪野……っ!」

怖くて張り詰めていた身体と心が、一気に緩みだす。緩みだしたせいで、目頭までもが熱くなる。熱いものが溢れて、苦しくなる。抱き締めた身体は強張り、震えていて。そして、酷く冷たい。あまりの冷たさに、またも溢れて来る。

「ごめんなさい……。創介さん、私――」
「いいんだ。いいんだよ」

掠れて弱々しい声に、身体中が締め付けられて。腕の中で肩を震わせる雪野の背中を必死にさする。冷え切った身体を、温めてやりたくて。その哀しみを受け止めてやりたくて。

「苦しくなって、気付いたら、家を飛び出してたのに、どこにも行く場所なんてなくて……」

嗚咽と共に声を吐き出すと、雪野が堰を切ったように泣きじゃくった。腕の中で泣く雪野に苦しくなる。苦しい分だけ、雪野の身体を抱きしめた。

確かにこの腕の中に雪野がいる――。

それが現実だと自分に分からせたくて、きつくきつく雪野の身体を腕の中に閉じ込めた。雪野が俺の胸のシャツを強く握り締める。

「創介さんのことばかり、考えるの。離れた方がいいのかなって、そう思うのに、私が帰りたい場所は、ここしかなくて、結局帰って来ちゃっ……」
「雪野――」

嗚咽の合間に必死に吐き出される雪野の声も涙も切なくて、胸を締め上げて息苦しくなる。

「ごめんなさい。創介さん、ごめんなさい……っ」
「もう、謝るな。俺の方こそ、もっと早くに見つけてやらなくて悪かった」

そう言うと、雪野は肩を震わせて俺の胸に顔を埋めて。雪野から零れる涙が俺のシャツを濡らす。

 一人でこの夜空の下、彷徨っていたのだろうか。意思とは別に目から溢れるものが熱くて、冷え切った俺の頬に熱を差す。それが涙なのだと、あとで気付いた。

「……創介さん、身体、冷たい」

少し落ち着いた雪野が、俺の身体を確かめるように抱きしめ返してそう言った。

「ああ……。でも、雪野の方がずっと冷たいだろ」

そっと雪野の肩を掴み俺の身体から離し、雪野の頬に手のひらを添える。そして、雪野の顔を覗き込んだ。涙に濡れた雪野の顔にまたも胸が痛むけれど、それでも、こうして触れることができる。もう、どこにも行かせたりしない。

「創介さん、私のこと探してくれたからだよね……? ごめんなさい」

また俯きそうになる雪野の頬をぐいっと上げる。そして、その真っ赤な目を見つめた。

「雪野、帰ろう」

その言葉に、雪野の目は一瞬揺れたけれど、「うん」と頷いた。雪野の冷たい手を取る。そして、きつく指を絡ませてその手を引いた。二人で暮らす部屋に、雪野を連れ帰る。
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