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第二部
繋がっていく絆【side:創介】 9
しおりを挟む夕焼けから夜へと変わる狭間の、薄紫の部屋。リビングのソファに身体を投げ出すように座る。背もたれに背中をすべてあずけ天井を仰ぎ見た。そして、腕を額に置き目を閉じた。
妊娠を知った日の、雪野の弾けるような笑顔。あの日の笑顔を思い出すと、胸が痛くなる。すぐに今日の日の雪野の顔を思い出すからだ。それが辛すぎて、雪野の、慈しんでいたかのような微笑みを追い払いたい気持ちに襲われる。
でも――。
あの日の雪野の笑顔から、俺は逃げてはいけないのだ。あの日からの雪野の感情に沿うように。雪野の喜びと、哀しみを、同じように。雪野は、いつも俺の気持ちに寄り添おうとして来てくれたのだ。
今日だって――。
自分は辛くて仕方がないはずなのに、俺のことを考えて。継母に、雪野が泣きながら話していた言葉全部が、雪野の想いの深さを表している。
それなのに、俺は――。
雪野の気持ちに寄り添えなかった。
俺たち二人の喜びで、二人の哀しみなはずなのに、雪野を一人にした。
雪野の中に生まれた小さな命、そして、せっかく芽生えてくれたのに失われた命に想いを馳せる。確かに存在してくれていたのに、何も考えてやれなくて。
俺と雪野の子供――。
その存在について考えれば、かけがえのないものだったと分かるのに。俺は、本当にバカだった。
雪野と俺の、二人のーー。
それが、どれだけ大切なものか。雪野がその命をどれだけ大切に想うのか。
雪野が向き合う苦しみに、少しでも近づくために、雪野のこと、亡くなった命のことを思う。
その夜、雪野にメッセージを送った。前から長いメールはあまり得意ではなかったが、結婚してからは尚更そんなメッセージは送らなくなった。何度も何度もうっては消し、うっては消し。そうしてやっと送った文。
"俺のことは気にせず、気持ちが落ち着くまで実家にいてくれていい。
でも、必ず戻って来てくれ。
雪野と話がしたい。
雪野が帰りたいと思うまで待っている。
必ず迎えに行くから、その時は連絡をくれ。"
上手い言葉ではない気もしたが、どれも全部俺の気持ちだ。読んでくれればそれでいい。
雪野のいない夜は、部屋が冷たく感じる。静かな部屋で感じる寂しさを、身体全部で受け止める。
――何故か、雪野が赤ん坊を優しい眼差しで抱いている。
これまでのどの表情より優しい顔で。嬉しそうに赤ん坊を抱きながら俺を見上げていた。その傍に立つ俺は、幸せな気持ちで満たされて。
愛おしい存在が二つに増えたことを、心から喜んでいた――。
ハッと目を開く。そして気付いた。その光景は、夢でしかなかった。どうやら、そのままソファでうたた寝したみたいだ。
どうして、そんな夢を見たのだろう。
今になって、こんな……。
見開いた先にあったのは、見慣れたリビングの天井で。あけっぱなしのカーテンからは、さっきと同じように月の明かりが差し込んでいる。
その光景を認知すると共に消えて行った、雪野の笑顔と赤ん坊の姿。それはそのまま今の状況を表しているみたいで、激しい喪失感に苦しくなる。
壁にかかる時計に目をやれば――まだ、二十三時。雪野と離れて、まだ五時間ほどしか経っていない。でも、それが果てしないものに思える。
ただ待つということが、どうしようもなく苦しく心許ないもので、思わず胸に手を当てた。
その時――。微かに、物音がした気がした。何かを感じてソファから立ち上がる。
リビングから飛び出すと、薄暗い玄関に雪野が立っていた。
「雪野……」
どうして――。
「ごめんなさい……」
驚きのあまり立ち尽くす。
「ごめんね、こんな時間なのに」
雪野はそう言ったきり、そこを動こうとしなかった。鞄を手にして、玄関に立ったまま。
「どうしても、日付が変わる前にって、慌てて帰って来た」
そして、雪野は、今にも歪んでしまいそうな笑みを浮かべて俺を見上げた。
どうして雪野が帰って来てくれたのか。こんなにも早く戻って来てくれるとは思わなくて、上手い言葉が出て来なかった。
でも、確かにここに帰って来てくれた。ここに雪野がいる。
「迎えに行くと言っただろ? だめじゃないか、こんな時間に――」
雪野が、俺を見上げてくれる――。
「帰るって言ったら、免許取りたての優太が車でここまで送ってくれて。ここに着くまで生きた心地しなかったよ。高速初めてだって言うし――」
ぎこちなく笑う雪野を見ていたら、たまらなくなって。雪野の気持ちも考えずに、その身体を抱きしめてしまっていた。
もしかしたら、俺には触れられたくないかもしれない。まだ、俺のことを許していないかもしれない。そう頭のどこかで思うのに。俺より小さい雪野にしがみつくように抱きしめてしまった。
「――なおさら、俺に連絡しないとだめだろ? おまえと優太君に何かあったどうする」
「ごめんね。でも、帰らなきゃって、思ったら。もう居ても立ってもいられなくて」
雪野の匂い、雪野の髪の感触、細い肩――それら全部確かめるように抱きしめる。
「……もう、いいのか? おまの気持ちは、無理、していないか?」
雪野の髪に顔を埋める。この小さな身体に起きた、哀しい出来事。それを全部一人で受け止めた、痛々しい身体に胸が締め付けられる。
「創介さん、私と話したいって言ってくれたから。私も、創介さんと話がしたいって思った。それにね――」
雪野が俺の背中を抱きしめ返してくれた。
「お母さんが。何があっても、心にわだかまりがあろうとも、今日の終わりには絶対に夫婦二人で過ごすべきよって言ったの。私に、分からせてくれた」
今日――。
それは、つまり、俺と雪野の子どもを失った日。
「ごめんね。私だけが、言いたいことを言って、創介さんから逃げ出して。ごめんなさ――」
「雪野は悪くない。当然のことだ。俺が全部悪かった」
きっと。雪野の母親が、俺の元に雪野を返してくれたのだ。
俺と雪野それぞれに、自分と向き合う時間を持たせ、そうした後に二人で過ごさせるために――。
雪野の母親の、あのすべてを包み込むような笑顔が目に浮かぶ。
「――雪野、ごめん。一人で、悲しませて、悪かった」
心から溢れる感情が、声を震わせる。
「私の方こそ、自分の気持ちばかりで、創介さんの思いを考えようともしなかった」
雪野の声も震えていた。
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