153 / 196
epilogueー未来の途中ー
epilogue 2
しおりを挟む盛大な拍手に迎えられて、創介さんは壇上の中央に立った。
「この度、取締役会の総意で代表取締役社長職を仰せつかることになりました、榊創介です」
真白は、ただ黙ったまま創介さんを見ていた。私も、真っ直ぐに見つめる。
壇上にいる創介さんを見れば、やっぱりあの人は、ここに立つべき人だったのだと思い知る。
堂々とした姿、一瞬にして会場の空気を引き込むオーラは、生まれながらトップに立つべき人のもの。
でも、ここまで、そんなに簡単な道のりではなかった。
創介さんは、私と結婚をして、遠回りをした。そうさせてしまったことに、苦悩した時もあった。
結婚してからこれまでのことが、走馬灯のように蘇る。
長いようで短い時間。そんな気がする。とにかく必死に駆け抜けた日々だった。
私のそばには、いつも創介さんがいた。
結婚してすぐの頃、創介さんが言った言葉が胸に過る。
『社長になれないのを女のせいにするような、くだらない男にするな』
本当に、あなたは、そんな人じゃなかったね――。
社長の椅子よりも私が大事だと言ってくれた。そして、榊家に生まれた責務も全うするとも言った。私はただ、その背中を見つめていただけだ。
『誰にも何も言わせないくらい、この丸菱を必ず大きくする。雪野は、そう出来ると俺を信じていろ』
私に信じさせてくれた、誰よりも格好いい背中だ。
「――丸菱グループは、日本を代表する伝統ある大企業であり、その地位も実績も揺るぎない。そう思っている方も多いでしょう。でも、その気持ちは一切捨ててください」
低くて通る声。そして、迷いのない強い眼差し。
年齢と共に、より男らしく、素敵になっている――。
そんなことを思ってしまう私は、やっぱり、心の中に創介さんに恋する気持ちが残っている。
「自分たちの立つ場所に驕りが生まれた瞬間に、積み上げたものなど簡単に崩れ落ちて行く。それを肝に銘じて、謙虚に、そして真摯な気持ちを持ち続けていただきたい。私は、社員の皆さんと共に常に挑戦者でありたいと思っている。そして、成長し続ける丸菱にしたい」
創介さんの声だけが響く静かな会場は、心地よい緊張感に包まれていた。
四十代で丸菱のトップに立ち、そして、榊家一族がその役職に就くということが、どれだけ大変なことか。
”創業家の生まれだから"
その声を黙らせ、納得させて。そして自分よりも年配の幹部たちを率いる。
社長になった後も、むしろなった後の方が、大変なことが待ち受けているかもしれない。
でも、きっと。創介さんなら大丈夫――。
「――お母さん」
「ん?」
ずっと黙ったままだった真白が、創介さんの方を向いたまま声を掛けて来た。
「お母さんの気持ち、なんとなく分かった。やっぱり、お父さん、かっこいいかも」
前を向いたまま表情を変えずにそう言った。
むしろそれは、照れ隠しなのかな。
でも、真白のその言葉が嬉しくて、声を潜めながら喜んでしまった。
「でしょう? お母さんにとっては、社長になる前も今も、変わらずお父さんはかっこいい人」
「何、その顔。まるで、恋する乙女」
やっぱり、真白に呆れられてしまった。
創介さんの挨拶が終わると、静かだった会場が大きな拍手の音で埋め尽くされた。
「――奥様、ご無沙汰しております!」
創介さんが壇上から消えると、私の前に神原さんが来てくれた。
「お久しぶりです、お元気ですか?」
今では、結婚されてお子さんもいる。それでも働き続けて、グループ本社の秘書課で秘書たちを教育する立場にいると聞いていた。
「おかげさまで。この度は、本当におめでとうございます! この日が来るのを私も待っていました。奥様も、もう、立派な社長夫人ですね……」
しみじみと神原さんが私を見る。
「なんだか、神原さんにはすべてを見られて来たから恥ずかしいです。それに、右も左もわからなかった私に最初にいろんなことを教えてくださったのは神原さんです」
「そんな、とんでもない! 本当なら、こんな風に気安く話し掛けられるようなお立場の方じゃないのに。奥様のお人柄からか、ついこうして声を掛けてしまう――」
そう言うと、改めて私に向き合った。
「本当に奥様は、何年経っても、社長がどれだけ地位が高くなっても全然変わらない。きっと、どなたからも慕われる社長夫人となられます」
「私が偉くなったわけではないですし、私は私の役目を何とか果たしたいと思って来ただけです。どうか、主人のこと、これからもよろしくお願い致します」
神原さんに頭を下げると、増々恐縮されてしまった。
「やめてください。もちろん、私も陰ながら少しでもお役に立てるよう力を尽させていただきますーーあら、真白さん?」
「神原さん、こんにちは。お久しぶりです」
恐縮し合っていると、神原さんが真白に気付く。そして、真白のよそ行きの声が耳に届いた。
「こんなに素敵なお嬢さんになられて……。お父様のご心配も絶えないんじゃないですか?」
「ええ。ときおり、過剰じゃないかと思うようなこともあります」
真白が、家庭で見せるものとは全然違う、上品な笑顔を浮かべている。
「やっぱり……。でも、それも仕方のないことだわ。気が気じゃないはずですよ」
神原さんも、創介さんの性格を知っているからか、苦笑していた。
「――でも、父は、私だけでなく、母のことになっても、人が変わるので。二人分の心配をして、大変そうです」
その他人事な言いぶりに、私と神原さんで笑ってしまった。
「それはそれは、社長も気苦労が絶えないですね」
少し立ち話をしてから、神原さんが仕事に戻って行った。
「ねぇ、お母さん」
真白が私の正面に立ち、怪しげににこりとする。
「どうしたの? そんな顔して」
「さっき、お母さんはお父さんのこと好きなんだろうなって言ったけど――」
真白が一歩私に近付く。
「でも、お父さんはそれ以上だよ」
「急に、何?」
そのにやにやとした表情の意図が分からなくて、ただただ真白を見つめる。
「今日は、家に帰って来なくていいからね。お父さんに言われてるの。今日はお母さんを一日借りるって」
「え?」
創介さんから、私は何も聞いていない。
「どうぞどうぞ、夫婦水入らずで、いつまでも仲良くいてください。子供としては呆れるばかりだけど。でも、大人になっても、恥ずかしがらずにそうやって堂々と仲良くできるっていうのは、かっこいい気もするよ?」
「生意気なこと言って」
「だって、私も、もう大人ですので」
真白が後ろ手に手を組んで、偉そうにそう言う。
「もしかして、恋人とか、もういるの?」
「うーん。まあ、お母さんには教えようかな」
「本当に、いるの?」
高校二年。そういう存在がいても、不思議じゃないのかもしれないけれど、どうしても自分の娘のこととなると心配になってしまうのが親というものだ。
「正確には、好きな人がいる……ってとこかなー」
「そうなの?」
少し安心したような、微笑ましいような。真白も誰かに恋するような年頃になったのだ。
「あ……でも、お父さんには黙っていましょう。もう少し、子どものままでいさせてあげて」
「もちろんだよ! お父さんに、好きな人が出来たなんて言うわけない」
物凄い剣幕で訴えて来る真白を見つめながら、心の中で創介さんに「ごめんね」と呟いた。
「というわけで、私たちのことはご心配なく。おじいさまもおばあさまも家にいるし」
数年前から私たち家族は、榊の家で創介さんの両親と共に暮らしている。
「今日、おじいさまもこの会場に来てるし、一緒に帰るね。あ、おじいさま!」
真白が少し声のトーンを高くして、手をあげた。
「おう、真白」
お父さまがにっこりと笑顔を見せる。
「一緒に帰りましょう」
「そうだったな。せっかくだ、何か欲しいものはないか? 帰りながらどこかに寄ろう」
「えぇ? いいんですか? 真白、嬉しいです!」
お父さまと真白の会話に、苦笑してしまう。初孫の真白は特段可愛いみたいで、高校生になった今もこの調子だ。
「ああ、雪野さん。創介から聞いている。今日は、こちらのことは心配せずに、ゆっくりして来なさい」
いつの間に、そんな話になっていたのだろうか。
「すみません。申し訳ありません」
「何を言っている。創介が今日、ここの場に立てたのは、君の力もあるんだ。せいぜい創介にわがままを言いなさい」
「ありがとうございます」
お父さまの言葉に、胸が熱くなって頭を下げた。かつては、私との結婚を反対していた義理父の言葉に、ただただ胸がいっぱいになる。
「じゃあ、行きましょう、おじいさま!」
足取り軽い真白が振り向きざまに私に目配せをして、二人は会場を出て行ってしまった。
「――雪野」
そんな二人の背中を見送っていると、私を呼ぶ声が聞こえた。
10
あなたにおすすめの小説
灰かぶりの姉
吉野 那生
恋愛
父の死後、母が連れてきたのは優しそうな男性と可愛い女の子だった。
「今日からあなたのお父さんと妹だよ」
そう言われたあの日から…。
* * *
『ソツのない彼氏とスキのない彼女』のスピンオフ。
国枝 那月×野口 航平の過去編です。
病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜
来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。
望んでいたわけじゃない。
けれど、逃げられなかった。
生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。
親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。
無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。
それでも――彼だけは違った。
優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。
形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。
これは束縛? それとも、本当の愛?
穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
黒瀬部長は部下を溺愛したい
桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。
人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど!
好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。
部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。
スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。
財閥御曹司は左遷された彼女を秘めた愛で取り戻す
花里 美佐
恋愛
榊原財閥に勤める香月菜々は日傘専務の秘書をしていた。
専務は御曹司の元上司。
その専務が社内政争に巻き込まれ退任。
菜々は同じ秘書の彼氏にもフラれてしまう。
居場所がなくなった彼女は退職を希望したが
支社への転勤(左遷)を命じられてしまう。
ところが、ようやく落ち着いた彼女の元に
海外にいたはずの御曹司が現れて?!
身分差婚~あなたの妻になれないはずだった~
椿蛍
恋愛
「息子と別れていただけないかしら?」
私を脅して、別れを決断させた彼の両親。
彼は高級住宅地『都久山』で王子様と呼ばれる存在。
私とは住む世界が違った……
別れを命じられ、私の恋が終わった。
叶わない身分差の恋だったはずが――
※R-15くらいなので※マークはありません。
※視点切り替えあり。
※2日間は1日3回更新、3日目から1日2回更新となります。
冷酷総長は、彼女を手中に収めて溺愛の檻から逃さない
彩空百々花
恋愛
誰もが恐れ、羨み、その瞳に映ることだけを渇望するほどに高貴で気高い、今世紀最強の見目麗しき完璧な神様。
酔いしれるほどに麗しく美しい女たちの愛に溺れ続けていた神様は、ある日突然。
「今日からこの女がおれの最愛のひと、ね」
そんなことを、言い出した。
『冷徹社長の秘書をしていたら、いつの間にか専属の妻に選ばれました』
鍛高譚
恋愛
秘書課に異動してきた相沢結衣は、
仕事一筋で冷徹と噂される社長・西園寺蓮の専属秘書を務めることになる。
厳しい指示、膨大な業務、容赦のない会議――
最初はただ必死に食らいつくだけの日々だった。
だが、誰よりも真剣に仕事と向き合う蓮の姿に触れるうち、
結衣は秘書としての誇りを胸に、確かな成長を遂げていく。
そして、蓮もまた陰で彼女を支える姿勢と誠実な仕事ぶりに心を動かされ、
次第に結衣は“ただの秘書”ではなく、唯一無二の存在になっていく。
同期の嫉妬による妨害、ライバル会社の不正、社内の疑惑。
数々の試練が二人を襲うが――
蓮は揺るがない意志で結衣を守り抜き、
結衣もまた社長としてではなく、一人の男性として蓮を信じ続けた。
そしてある夜、蓮がようやく口にした言葉は、
秘書と社長の関係を静かに越えていく。
「これからの人生も、そばで支えてほしい。」
それは、彼が初めて見せた弱さであり、
結衣だけに向けた真剣な想いだった。
秘書として。
一人の女性として。
結衣は蓮の差し伸べた未来を、涙と共に受け取る――。
仕事も恋も全力で駆け抜ける、
“冷徹社長×秘書”のじれ甘オフィスラブストーリー、ここに完結。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる