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第二章 たった一つの心の支え
―春彦―⑧
しおりを挟むメイと会った日から、心と身体に穴が開いた感覚に苛まれている。
いつどこにいても、誰かと話していても、メイの顔が頭から離れない。そして、それと同時に苦しくなる。
「春彦君……」
自分の部屋で明日の授業の課題をしていると、ドアの向こうから怜奈ちゃんが呼ぶ声が聞こえた。手元のノートを見ても、ほとんど進んでなんかいなかった。溜息を一つつき、呼びかけに答える。
それにしても、最近、怜奈ちゃんに声を掛けられることが多くなった気がする。
『春彦君のこと、お兄ちゃんだなんて思ったことないから』
そう言っていたのに、どうしてだろうと思う。
「どうしたの?」
ドアを開けると、勢いよく怜奈ちゃんが部屋の中に飛び込んで来た。
「ちょ、ちょっと!」
慌てたあまり、つい大きな声を出してしまった。
「何か話があるなら、リビングで聞くよ?」
狼狽えた自分の声が滑稽にもなる。叔父と叔母にあれだけ屈辱的に扱われていても諦めることも出来ないで、責められるのが嫌だなんて。そんな自分の中途半端さに嫌気がさす。
「春彦君は、好きな人、いるの?」
「え?」
突然なんの話が始まったのか、まるで理解できない。その突拍子のなさに唖然とする。
「どうして、そんなことを? それより、部屋、出ようか」
怜奈ちゃんと二人きりにはなりたくない。それをいい加減察してほしい。
「私が質問してるの。答えて!」
声を張り上げた怜奈ちゃんは、思いつめたような表情をしていた。そのただならぬ雰囲気に、俺も身構える。
「一体、どうした?」
「誤魔化さずに、答えてほしい」
諦めて、大きく息を吐いた。
「分かった。好きな人とかそういうの、俺にはいないよ」
「本当に……?」
「ああ」
怜奈ちゃんの表情がほんの少し緩む。
「分かったら――」
「じゃあ、怜奈が春彦君のこと好きでもいい……?」
怜奈ちゃんが、スカートの裾をぎゅっと握り締めているのに気付く。その皺の大きさが、どれほどの力でそうしているのかを示していた。
「それは、もちろん。俺だって、怜奈ちゃんのこと妹みたいに――」
「そういう意味じゃない! だから、私は春彦君のことお兄ちゃんだなんて思ってないって言ったでしょう?」
――え?
目の前にいる、何故か興奮している怜奈ちゃんに、ただただ困惑した。
「怜奈ちゃん……?」
その言葉の意味を理解出来ない。
「春彦君がこの家に来た時から、ずっと、春彦君のこと見るとドキドキしてた。だから、家族なんかじゃない」
まさか。そんなこと――。
「それはきっと、俺が男だからだ。俺だから、じゃないよ。怜奈ちゃんは女子校だし、ただ見慣れない異性に緊張していたのを恋愛感情と勘違いしてるだけだ」
心底焦っていて、声が上擦っている。突然何を思ったのか、そんなことを打ち明けて来る怜奈ちゃんに怒りすら湧いて来る。
「そんなことと区別つかないほど、私は馬鹿じゃない! 春彦君のことが好きだよ」
「どうして、急にそんなこと――」
「春彦君が、手紙なんか書いてたから、急に怖くなって……」
「手紙……?」
メイへの手紙を書いていたところを怜奈ちゃんに見られたことを思い出す。
「あれは、離れて暮らす俺の妹に書いていたものだよ。とにかく、怜奈ちゃん、落ち着いて。怜奈ちゃんはきっといろいろ疲れているんだ。いつも怜奈ちゃんは頑張ってる。習い事だって、学校の勉強だって。叔母さんに何一つ逆らわずに、一生懸命にね。だから、少し疲れてるんだ。それで俺に逃げたくなってみた。ただそれだけだ」
なだめるように、そう思い込ませるように、俺の口が勝手に言葉を紡ぎ続けていた。
とにかく全部、間違いだと言ってくれ――。
「だから、そんなこともう言っちゃだめだ。分かったね」
「いくら言っても分かってもらえないなら……。もういいっ!」
怜奈ちゃんは部屋を飛び出して行った。
再び部屋に一人になって、部屋を充満させてしまいそうなほど大きな溜息を吐き出していた。どしりとの疲労感がのしかかる。
まさか、怜奈ちゃんが俺のことをそんな風に見ていたなんて――。
ますますこの家に居づらくなった。
もしそんなことをあの叔父と叔母が知ったら……。
考えただけでも頭が痛くなる。
それからというもの、怜奈ちゃんの視線が全部気詰りになった。叔父と叔母に悟られないように、その視線を交わすのにも神経を使う。どうしてもよそよそしくなる俺の態度に、怜奈ちゃんが傷付いていたのも分かっている。でも、それ以外どうしようもなかった。
そんな俺が全部悪かったのか。秋も深まった日の夜、中途半端で弱い俺にその報いが襲って来た。
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