闇を泳ぐ

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第三章 たった一人の大切な人

―メイ―⑤

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 何か布団のようなものの上に横たえられる。その瞬間、身体の奥が痛んで咄嗟に押さえる。

「うっ……」
「メイ、痛いのか? そんなとこ押さえて、怪我は顔だけじゃないのか?」

ゆらゆらと開いた瞼の先に、酷く険しい顔をした兄の顔があった。その視線が、私の身体に向けられる。

「――メイ、ごめん」

私の手をゆっくりとどける。そして、ぐしゃぐしゃのTシャツに兄が手を掛けた。おそるおそるそれを捲り上げようとした。

「やっ……」

すぐにそれを遮ろうとするけれど、身体が痛んで呻く。

「……メイ」

晒された身体がひんやりとして、鳥肌が立つ。それが、あの四畳半の部屋で行われていたことを甦らせて、突如として吐き気が襲って来た。

「おまえ……、一体、何をされたんだ」

その声は、聞いたこともないほどに低い。腹部に兄の震える指が触れる。

「メイ!」

兄の叫びが部屋に響き渡った。

「一体、誰に、こんな……」

次の瞬間、兄がきつく私を抱き締めた。

「私、私――」
「誰にされたのか、言うんだ。メイっ!」

抱き締められていたはずの身体はすぐに引き剥がされ、兄が鋭く射抜くように見て来る。その目には、怒りという怒りが滾って、今にも人を殺めてしまいそうなほどに狂気にみ満ちていた。

「け、圭太と、その友達……」

その視線に捉えられて、動けなくなる。零れ続ける涙で、上手く言葉も繋げられない。

「圭太? 圭太って、おまえの家の息子か……? それに、友人って」

兄が言葉を噤む。

「複数で……? くそ、くそっ!」

そのままどこかへ行ってしまいそうな兄の腕をかろうじて掴んだ。

「お、お兄ちゃん! 最後までは……、最後までは、しなかった……」
「本当か……? 本当のことを――」
「本当だよ。ぎりぎり助かったの、それで、ここに逃げて……」

兄の目が潤む。酷く苦しそうな顔をして、眉を歪めて、今にも泣き出してしまいそうなその顔に、自分の辛さなんて忘れてしまいそうになる。

「だから、だいじょ、ぶ――」
「何が、大丈夫なんだ! おまえ、殴られたんだろ? この顔も、この腹も、この傷だらけの胸も!」

兄が私の肩を強く掴み、俯く。軋むように強く掴んでいるけれど、兄の表情が見えなくなってしまった。

「俺が……、俺のせいで――っ」

兄の、絞り出すような声が哀しく響いた。

「俺は、一体なんのために、東京に出て来たんだ? 俺が、おまえの置かれている状況を知ろうともしないで、そんな家に置いたままにしたせいで――」
「お兄ちゃんのせいじゃ、ない!」

苦しくて、止まらない涙が熱くて、私は腕を兄の首に投げ出した。そして、力の限りきつく腕を回す。

「お兄ちゃんのせいなんかじゃない……っ。私が、バカだったから。全部、私のせい。あんな男たちに、いいように――」

こんなことを言ったら兄をもっと苦しめるのに、こんなことを言いたくないのに、雪崩のようにあの場面が私を襲い始める。忘れそうになったはずなのに。それでも、忘れさせてはくれなかった。
 振り払いたくても次々に目に映る。あの指の感触、ざらざらの手のひらの感触。震えだす身体。蘇る生々しい感触。

そして、唇を塞がれてこじ開けられた圭太の舌の感触――。

「や……っ」
「メイ」

初めてのキスだった。あれが、私にとっての初めての――。

 そして、初めて触れられた胸と、自分ですら見たことのない場所。圭太のものが、一瞬だったけど、でも、確かに触れた。

 これ以上取り乱したくない。兄を追い詰めたくない。そう強く思うのに、身体がまったく言うことを聞いてくれなくて、震える身体で兄にしがみつく。

「私の身体、汚い。気持ち悪い――」

涙でぐちゃぐちゃの顔に長い髪がへばりつく。兄の首筋に涙がついてしまう。それでも、この腕を離せなかった。圭太の吐息が、荒々しい息が、ムッと押し寄せて来る。

「メイは、汚くなんかない! メイは何も変わってないから」

兄の言葉に、激しく頭を振った。

「私の身体、触られて、キスだって、あんなの、気持ち悪くて。なのに、この先、一生、もう消えない。もともと私なんて、汚くて要らない子で、それなのに余計に――」
「違う!」
「私は、生まれてこなきゃよかった子で、最初から薄汚れてるから、全部自分のせい――」

意に反してそんなことばかりを口から零してしまって、自分ではもうどうすることもできなかった。兄の顔も見ることができなかった。ただ、小さな子供が喚くように、感情的になって。

それが、どれだけ兄を責めることになるのか分かっていたはずなのに――。

 突然身体が宙に浮いた。

「お、お兄ちゃ――」
「どれだけ言っても分からないなら、俺が全部消してやる」

抱き上げられて、兄の顔を見上げる。下から見上げた兄の顔は、哀しみに満ちて苦しそうだった。
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