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第14話 はじまり
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この日、咲は一人で役場に来ていた。
「おはようございます」
向かうのは市民課。窓口で作業をしていたナロは顔を上げると、愛想よく笑った。
「おはようございます、こちらにおかけください」
パーテーションが設置された窓口に案内され咲は椅子に座ると、カウンターに身分証と左腕にはめていたブレスレットを置いた。
シルバーのシンプルなデザインのそのブレスレットは、転移者全員に渡されるものである。これは転移者の保護装置のようなもので、どこかに迷い込むなどしたときにすぐに連絡が取れるほか、居場所が分かるよう魔力が込められているのだという。転移者は慣れない世界で迷うことも多いので、このような措置があるのである。
転移者は月に一回、ブレスレットのメンテナンスと近況報告の義務があるため、咲は役場に来ていたのだ。
「お変わりないですか?」
「はい、おかげさまで」
「この後もお仕事?」
「はい」
ナロはブレスレットの状態を確認しながら話を続ける。
「そうですか、無理はされてないです?」
「毎日楽しく過ごさせてもらっています」
その言葉を聞くと、ナロは嬉しそうに笑った。笑うとより幼く見える、と咲は思う。ナロはブレスレットをタブレット型の石板に置くと、ぼんやりと光る石に触れて言った。
「それは本当によかった。いや、転移者の方がこちらの世界になじめないことはよくあることですから」
「そうですねえ……」
咲はこれまでのことを思い返す。
突然こちらの世界に飛ばされ、フルン・ダークに助けてもらい、人にも恵まれて仕事にも住まいにも不自由していない。
ふっと咲は表情を緩ませる。
「私は、運がよかったんです。よい場所にたどり着いて、よい人に出会えましたから」
「そうですか」
「はい、本当に……」
手続もつつがなく終わり、咲は役場をあとにする。いわゆる平日の午前中、街は変わらず賑やかで、憂い事の一つもないほどにぴかぴかと眩しく輝いている。
そういえば、と咲は、別れ際にナロが言っていたことを思い出す。
『とはいえ、転移者を狙う輩というものは少なからずいます。どうぞ、お気をつけて』
転移者というのはよく来るものとはいえ、やはり希少な存在である。この国とは違う理と文化を知り、わずかでも珍しい能力を持っているとなれば、欲しがる者もいるのだという。
音楽と花の香りにあふれる街を咲はフルン・ダークに向かって歩き始める。
レストラン街は賑わう前だったようで、街中よりは静かである。川沿いのカフェのテラス席は人で埋まっているのが見える。
「お疲れ様です。遅くなりました」
身支度を済ませて咲は厨房に入る。アーキーとソアは、ランチタイムに向けての仕込みを終えるところであった。
「やあ、お疲れ様。大丈夫だった?」
と、ソア。咲は頷いた。
「はい。お時間をいただいてありがとうございました」
「今日は一日休んでもよかったんだぞ」
そう言うのはアーキーだ。
「ああいうところに行くのは疲れるだろう」
「ええ、まあ。でも、私、ここが好きなので。来ない方が落ち着かないです」
だからいいんです、と咲は屈託なく笑ってみせた。それを見てアーキーは安堵にも似た表情でほほ笑んだ。
「そうか、それはよかった」
「そういえばサキさん、あの手帳、読めるんだってね」
ソアの言葉に、咲は一瞬記憶を巡らせ、あの手帳とは先代料理長の手帳だということに思い至り、首を縦に振った。ソアはアーキーに視線を向ける。
「よかったじゃないか。これだけでも、ずいぶん進歩したんじゃないか?」
「ああ、俺もそう思っている」
「サキさんにはだいぶ無理をかけるかもしれないけど……何せ、メモは大量だからねえ」
ソアのその言葉に、咲は、まるでなんでもない世間話をするような笑みを浮かべて言った。
「先代の料理長は几帳面というより、細かい方だったみたいですね。ありとあらゆる方法や材料を試して、逐一そのメモを取ってありましたから。ひとつひとつ試すのは大変そうです」
「そうなんだ」
「ええ、前菜に始まり、スープ、メインディッシュ……すべての項目がメモでいっぱいで……夢中になって全部読んでしまったんですけど、なかなかやりがいがありそうですよ」
「そうか全部……」
咲の言葉に頷いていた二人であったが、はたと咲の方を見る。
「え、全部って……」
「あの分厚さの手帳を全部読んだというのか?」
驚くアーキーの言葉に、咲はあっけらかんと頷いてみせた。
「え? はい。とても興味深かったです」
その様子に、二人は絶句する。日本語の読めない二人だったが、それでも、あの情報量は一日では読み切れないと予想していたからだ。実際、他に先代料理長が遺した手帳の半分以下の情報量のレシピ集一冊ですら、読み終えるのに数日費やしたのである。
それを一晩で咲は読んでしまったのだ。
「君はすごいな……」
これは転移者特有の能力ではない。咲自身の集中力が異様なのである。それに思い至り、アーキーもソアもため息を漏らす。
「? ありがとうございます」
そんなことよりも咲は、早く手帳のレシピを試してみたくてしょうがない様子だった。
「できる限り、オリジナルに近づけましょう。当時のメモでは擦り切れて読めないところも多々ありますし……やることは山積みですよ」
大変だ、と口では言いながら、咲はとても楽しそうだった。目まぐるしくも軽やかに様々な思考が咲の脳内を駆け巡る。
「まずは作れそうな料理からやってみるのがいいですね」
咲の言葉に、アーキーもソアも心が浮き立つような思いだった。
それは当時の賑わいを取り戻せるかもしれないという期待がはっきりとした希望に変わったからか、咲の屈託のない言葉と突き進む力に感化されたのか。
「そうだな、前菜はあれでいいとして、まず作れそうなのはどれだろう」
「手帳の解説もしてくれるか? 俺たちも内容を知りたい」
「そうですね」
賑やかになり始めた厨房を給仕の四人がのぞき込む。楽し気な料理人たちの様子を見て、四人は視線を交わすと、嬉しそうに笑い合ったのだった。
「おはようございます」
向かうのは市民課。窓口で作業をしていたナロは顔を上げると、愛想よく笑った。
「おはようございます、こちらにおかけください」
パーテーションが設置された窓口に案内され咲は椅子に座ると、カウンターに身分証と左腕にはめていたブレスレットを置いた。
シルバーのシンプルなデザインのそのブレスレットは、転移者全員に渡されるものである。これは転移者の保護装置のようなもので、どこかに迷い込むなどしたときにすぐに連絡が取れるほか、居場所が分かるよう魔力が込められているのだという。転移者は慣れない世界で迷うことも多いので、このような措置があるのである。
転移者は月に一回、ブレスレットのメンテナンスと近況報告の義務があるため、咲は役場に来ていたのだ。
「お変わりないですか?」
「はい、おかげさまで」
「この後もお仕事?」
「はい」
ナロはブレスレットの状態を確認しながら話を続ける。
「そうですか、無理はされてないです?」
「毎日楽しく過ごさせてもらっています」
その言葉を聞くと、ナロは嬉しそうに笑った。笑うとより幼く見える、と咲は思う。ナロはブレスレットをタブレット型の石板に置くと、ぼんやりと光る石に触れて言った。
「それは本当によかった。いや、転移者の方がこちらの世界になじめないことはよくあることですから」
「そうですねえ……」
咲はこれまでのことを思い返す。
突然こちらの世界に飛ばされ、フルン・ダークに助けてもらい、人にも恵まれて仕事にも住まいにも不自由していない。
ふっと咲は表情を緩ませる。
「私は、運がよかったんです。よい場所にたどり着いて、よい人に出会えましたから」
「そうですか」
「はい、本当に……」
手続もつつがなく終わり、咲は役場をあとにする。いわゆる平日の午前中、街は変わらず賑やかで、憂い事の一つもないほどにぴかぴかと眩しく輝いている。
そういえば、と咲は、別れ際にナロが言っていたことを思い出す。
『とはいえ、転移者を狙う輩というものは少なからずいます。どうぞ、お気をつけて』
転移者というのはよく来るものとはいえ、やはり希少な存在である。この国とは違う理と文化を知り、わずかでも珍しい能力を持っているとなれば、欲しがる者もいるのだという。
音楽と花の香りにあふれる街を咲はフルン・ダークに向かって歩き始める。
レストラン街は賑わう前だったようで、街中よりは静かである。川沿いのカフェのテラス席は人で埋まっているのが見える。
「お疲れ様です。遅くなりました」
身支度を済ませて咲は厨房に入る。アーキーとソアは、ランチタイムに向けての仕込みを終えるところであった。
「やあ、お疲れ様。大丈夫だった?」
と、ソア。咲は頷いた。
「はい。お時間をいただいてありがとうございました」
「今日は一日休んでもよかったんだぞ」
そう言うのはアーキーだ。
「ああいうところに行くのは疲れるだろう」
「ええ、まあ。でも、私、ここが好きなので。来ない方が落ち着かないです」
だからいいんです、と咲は屈託なく笑ってみせた。それを見てアーキーは安堵にも似た表情でほほ笑んだ。
「そうか、それはよかった」
「そういえばサキさん、あの手帳、読めるんだってね」
ソアの言葉に、咲は一瞬記憶を巡らせ、あの手帳とは先代料理長の手帳だということに思い至り、首を縦に振った。ソアはアーキーに視線を向ける。
「よかったじゃないか。これだけでも、ずいぶん進歩したんじゃないか?」
「ああ、俺もそう思っている」
「サキさんにはだいぶ無理をかけるかもしれないけど……何せ、メモは大量だからねえ」
ソアのその言葉に、咲は、まるでなんでもない世間話をするような笑みを浮かべて言った。
「先代の料理長は几帳面というより、細かい方だったみたいですね。ありとあらゆる方法や材料を試して、逐一そのメモを取ってありましたから。ひとつひとつ試すのは大変そうです」
「そうなんだ」
「ええ、前菜に始まり、スープ、メインディッシュ……すべての項目がメモでいっぱいで……夢中になって全部読んでしまったんですけど、なかなかやりがいがありそうですよ」
「そうか全部……」
咲の言葉に頷いていた二人であったが、はたと咲の方を見る。
「え、全部って……」
「あの分厚さの手帳を全部読んだというのか?」
驚くアーキーの言葉に、咲はあっけらかんと頷いてみせた。
「え? はい。とても興味深かったです」
その様子に、二人は絶句する。日本語の読めない二人だったが、それでも、あの情報量は一日では読み切れないと予想していたからだ。実際、他に先代料理長が遺した手帳の半分以下の情報量のレシピ集一冊ですら、読み終えるのに数日費やしたのである。
それを一晩で咲は読んでしまったのだ。
「君はすごいな……」
これは転移者特有の能力ではない。咲自身の集中力が異様なのである。それに思い至り、アーキーもソアもため息を漏らす。
「? ありがとうございます」
そんなことよりも咲は、早く手帳のレシピを試してみたくてしょうがない様子だった。
「できる限り、オリジナルに近づけましょう。当時のメモでは擦り切れて読めないところも多々ありますし……やることは山積みですよ」
大変だ、と口では言いながら、咲はとても楽しそうだった。目まぐるしくも軽やかに様々な思考が咲の脳内を駆け巡る。
「まずは作れそうな料理からやってみるのがいいですね」
咲の言葉に、アーキーもソアも心が浮き立つような思いだった。
それは当時の賑わいを取り戻せるかもしれないという期待がはっきりとした希望に変わったからか、咲の屈託のない言葉と突き進む力に感化されたのか。
「そうだな、前菜はあれでいいとして、まず作れそうなのはどれだろう」
「手帳の解説もしてくれるか? 俺たちも内容を知りたい」
「そうですね」
賑やかになり始めた厨房を給仕の四人がのぞき込む。楽し気な料理人たちの様子を見て、四人は視線を交わすと、嬉しそうに笑い合ったのだった。
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