一条春都の料理帖

藤里 侑

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日常

第五百八十六話 ベーコンエッグ

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 入試の翌日だろうとなんだろうと、学校は普通にある。ただの平日だ。
「それじゃ、今日もよろしくお願いします」
 昼休み、図書館で二宮先生と向かい合って座ると、先生がそう言って頭を下げた。なんか成り行きで、週に一回、料理を教えることになってしまった。
「はい、よろしくお願いします」
 利用者が少ないのをいいことに、漆原先生は二宮先生の隣に座って見学している。
「みそ汁は、作れましたか?」
 聞けば二宮先生は、得意げな顔で頷いた。
「実は写真を持ってきたんだ!」
「おお……」
「じゃん!」
 えっ、なにこれ。寸胴鍋にいっぱいのこれは……? 赤い、何だ。
 説明を求めようとするが、いったい何から聞けばいいのか分からない。戸惑っていたら、二宮先生が口を開いた。
「せっかくだからさ、鍋買ったんだ。寸胴鍋って、料理人っぽいでしょ?」
「節約のための自炊だったのでは……?」
「形って、大事だと思うんだよね」
 うん……まあ、やる気を出すのに見た目は大事かもしれない。それはまあ、置いとくとして、この色。
「何入れたんですか?」
「これねぇ、最初は豆腐だけ入れたんだけど、なんか味が足りなくてね。キムチ入れた!」
「キムチ」
 二宮先生はにこにこ笑って言ってのけた。
「おいしかったよ。あと、溶き卵とか。卵は栄養あるからね」
 味噌チゲ、って料理があるらしいし、味わい的には間違いではないのだろう。みそ汁に卵、っていうのもありだ。だが……
「みそ汁では、ないですね?」
 そう言ったら、頬杖をついてニコニコとこちらの様子を見ていた漆原先生が「んっふふ」と、笑いをこらえるのに失敗した声をもらした。
「確かに、みそ汁らしくはないな」
「えー? おいしいんですけどねえ」
 二宮先生は首をひねり、頭をかいた。
「おいしいのはともかくとして、先生は何が食べたかったんですか。みそ汁を作りたかったのでは?」
「なんかさ、うま味が足りないんだよね。和食ってそうじゃない?」
 それはたぶん出汁の取り方とか、量とかが原因のような気がする。他にも、材料の合わせ方とか、加熱の仕方とか……和食はどっちかっていうと、うま味の象徴のようなものではなかろうか。
「出汁はどうやってとりましたか?」
「市販の顆粒だしを使ったよ」
「どれくらい?」
「小さじ三分の一かな」
「……この鍋に?」
 漆原先生は、大笑いするのをこらえて、さっきからプルプル震えている。二宮先生はさも当然のように言った。
「うん。だって、レシピにそう書いてあったから」
「一緒に、水の量も書いてありませんでしたか?」
「あ~、あったような、なかったような……」
 あるんですよねえ……それが。
「まずは、小さい鍋で、分量通り、作ってみてください」
「はい。分かりました」
 二宮先生はメモ帳に『小さい鍋、分量確認』と書いた。
 大量に作るとか、アレンジするとか、そういうのはまず基本ができてからだと俺は思う。チャレンジ精神は大事だが、無謀なのはいけない。下手すると食べ物を無駄にしてしまうことだってあり得るからな。
 真っ赤なみそ汁の写真を眺め、いったいどれだけの量のキムチを入れたんだろうかなどと考えていたら、二宮先生がボールペンをカチカチしながら言った。
「弁当も作れるようになりたいんだよなあ。どうすればいいと思う?」
「弁当ですか……まず大前提として、衛生面に気を付けることですね。すぐ食べるものじゃないですし。持ち運びの時も気を使います」
「料理って作るだけじゃないんだな。いろいろ気を付けないといけないことが多い」
「弁当に入れるなら、半生半熟、生ものには気を付けたいですね」
 おかげで俺の弁当の卵焼きは若干焦げているときがあるが、腹壊すよりよっぽどいいし、少し焦げた卵焼きも香ばしくてうまいもんだ。
「先生、おかずは何が好きなんですか。入れたいものとかあります?」
「んー……やっぱり、卵焼きかな」
「お前、卵焼き作ったことあるのか?」
 漆原先生が聞くと、二宮先生は真剣な表情で答えた。
「外は黒こげ、中は半生という感じですね。黄色い卵焼きを作ったことはありません。僕、卵と相性悪いんですよねぇ」
「お前に出会う卵が気の毒だよ」
 卵と相性が悪いとは、これいかに。
 俺はどっちかというと卵料理から会得してったから、卵料理得意なんだよな。まあ、卵料理、難しいっていうしな。
「じゃあ、次の課題は弁当ですね」
「みそ汁はあれで合格なのかい?」
 漆原先生が笑いを含んだ声で聞いてくる。まあ、何とも言い難いが、二宮先生が納得してるんだし、とやかく言うことはできまい。
 とりあえず笑って、ごまかしておくことにした。

 ベーコンエッグというと朝飯というイメージだが、夜になって食いたいと思ったら、晩飯に食うのもありだよな。たいていの飯に、時間の制限はない。
 熱して油を広げたフライパンに、薄いベーコンを五枚。その上に、卵を二つ落とす。豪華だ。
 みそ汁はインスタントで、具材はわかめ。
「いただきます」
 まずはベーコンを一枚。カリッカリに焼けている。香ばしいなあ。俺は、ウインナーもベーコンもよく焼いたやつが好きだ。焦げの一歩手前みたいな部分の甘さと、ねっちりとした歯触り、香ばしさ、凝縮した塩気とうま味がたまらん。
 半熟卵を割るときはいつも緊張する。プチリ、と箸を入れ、とろりとした黄身があふれ出すとたまらない気持ちになる。醤油をかけて、白身をつけて食べてみる。白身の食感と淡白な味、黄身のまろやかなコクがいい。醤油の香ばしさがいい塩梅だ。ベーコンの風味を感じるのもいいが、やはり、ベーコンと一緒に食いたい。
 と、その前にみそ汁を一口。つるんとした口当たりのわかめは、みそ汁のうま味と相性がいい。卵の風味が残った口の中にみその味が広がると、香ばしさがすごいなあ。
 さあ、ベーコンで卵をくるんで、食べる。あふれ出す黄身、ベーコンの塩気、脂、白身。これこれ、これでこそベーコンエッグだ。
 ここに白米を追いかけるのがなあ、いいんだなあ。
 来週は弁当の講義かあ……どこから教えればいいのだろうか。ま、気長に、ぼちぼち楽しむとしよう。

「ごちそうさまでした」
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