歩道橋銀河通信

早乙女純章

文字の大きさ
上 下
6 / 12

6

しおりを挟む

          ◇

 こうしてぼくは、あめもんから分離した小さなあめもんと一緒にそのお父さんを探すことになった。
 小さなあめもんはぼくが初めて見た琥珀のスライムと同じくらいの大きさだった。
 今はぼくの肩に乗っている。落ちないように器用に体を変形させてへばりついている。
 日向の体は覆いつくすのに、ぼくには触れても何ともないようだ。
 少しほっとした。無害っていうのは本当だったんだ。ナメクジとは違ってぬめぬめした気持ち悪さはない。崩れることのないゼリーみたいだ。端から見れば異様な光景ではあるだろうけど。
 逆にこいつはぼくのことが恐くないのかな、と思ったけど、どっしり腰を落ち着けているんだから恐いはずないんだろう。
 一度振り返ってみると、もう祠の姿はなかった。祠から出ればまた元の祠が見えない、真紅の鳥居だけが立っている空き地に戻るのだ。
 この時、ぼくはいつも日向に向かってこう呟くんだ。
「いつか必ず、外の世界に連れ出してみせるからね」
 日向はここにきちんと存在してる。誰からも忘れられてしまうなんてそんなことは絶対にさせない。
だって、ぼくが知っているもの。ここにいるんだって。
 誰からも忘れられてしまいそうなぼくが知っているなんて、なんだかすごく頼りないかもしれないけど。
「…………」
 苦笑いして、頬を掻いた。
「さて、でも、ここからどこに行くの?」
 ぼくは『あめもん』に聞いた。返事なんて当然返ってくるはずないと思いながら。
 が、
「う~んとねぇ」
 裏返ったようなちっちゃな声。
 ぼくは思いっ切り飛び退いた。
 いや、飛び退いても『あめもん』は肩の上に乗っかったままなんだけど。
「喋った!?」
『あめもん』は言葉を発したのだ。
 喋るっていうのは日向から聞いてはいたけれど、直接人間と同じ言葉を発するとは思っていなかった。
「喋れるよぉ。分かるよぉ」
「そうなんだ」
「ただね、耳からは伝わってないみたい。こうして触れているでしょ。肌を通して伝わってるみたい」
 テレパシーみたいなものなのかもな。
 ぼくは、ほぅと息を吐いて感心した。
「とりあえず、お父さんの匂いのするところへ行ってみようと思うんだ。匂いだよ、匂い」
 嗅覚で探そうというのか。まるで犬みたいなんだな。
「こうして本体と分離していられるのはごくわずかな時間だけなの。時間が経つと蒸発しちゃって固体ではいられなくなっちゃうからねぇ。気体になって本体に強制的に戻っちゃう」
「制限時間付きなんだ」
「不便でゴメンねぇ」
「いや、いいよ。ぼくたち人間の人生だっていつも制限時間がつきものだし。時間内に見つけられるといいよね」
「うん、今日こそはね! お父さんはね、もともと広い広い宇宙を飛んでた石だったんだけど、今は人間に姿を変えているみたいなんだ」
「人間に姿を変えている、かぁ。ほんとSFだよね」
「SFってなに?」
「いや、こっちの話。それより人間の姿なのか」
 捜すのがますます大変そうだ。
「うん、どうりで地面をあちこち捜し回っても見つからないなぁと思ってたんだ」
 ぼくらは雑木林から舗装されたアスファルトの道に出た。高級マンションがいくつか建っていたり、喫茶店やクリニック、理容室なんかがある。
「地球ってぼくたちの知らないものがいろいろあって、不思議な星だよねぇ」
「『あめもん』の方がよっぽど不思議だと思うけどね。まあ、ただ、地球で生きてるぼくも地球ってつくづく不思議な星だと思っちゃう」
 そういえば、あめもんは地球の文化にうといはずなのに、どうして祠になんているのだろうか。
 鳥居をくぐって現れるので、ぼくは思わず神様がいるのだと思ってしまった。
 こんな格好をしているけど、もしかしたら、古代日本の神様の一柱だったりして。
「お父さんってさ、人間の姿をして何をしているんだろう。どこかで働いているのかな」
「さあ、分からないなぁ」
「そっか、そうだよね、捜してるんだもんね。ねえ、でもさ、お父さんはどうして地球に来たの? 捜してるってことは、家族に黙って勝手に家を出ていっちゃったってことだよね」
「そうなんだ。お父さん、ぼくらを置いて、いなくなっちゃったんだよ」
「家出みたいなもの?」
「うん、そんなところかな。でもねぇ、きっとお父さんね、どこか知らない、沢山の生き物が暮らしてる星に行きたかったんだと思うんだ。お父さんいなくなってから、ぼくらも宇宙をさまよって、すっごくさびしい気持ちになっちゃったから。お母さんもぼくらも、この先どう生きればいいのか、まったく分からなくなってしまったから」
「ああ……」
 誰かを失った時に初めて感じる淋しさ。ぼくの胸もずきんと痛くなる。
「ぼくらを体いっぱいで包んでくれたお父さん。お父さんがいたから、お母さんがいて、ぼくらも生まれた。お父さんが抱えていた気持ちにまったく気づいてあげることはできなかったけど、お父さんがとっても大切な存在なんだって、いなくなってから、ぼくたち改めて気づいたんだ」
 あめもんが空を見上げるような仕草をした。会いたいんだな、と思った。ぼくは指先であめもんの頭(多分)を撫でてあげた。
 あめもんの言ったことが、日向の家族にも当てはまれば、日向はもっと素直になって外に出てくるんだろう。
 日向は「お父さんもお母さんも本気で心配しているはずがない」と言った。実際、その通りだった。残念だけど、日向の両親は捜索を警察にまかせっきりで、自分たちではほとんど捜そうとしないらしい。日向のお父さんとお母さんが連夜喧嘩をしている声がよく聞こえてくるそうだ。
 日向が可哀相だ。ぼくはきゅっと握り拳を作っていた。
 あめもんの嗅覚を頼りに国道の前まで来た。
 土曜日の今日。歩道橋の上ではホームレスの男の人がいつものように欄干に腕を置いて淋しげに立っている。歩道橋を渡る人はみんなその人のことを無視している。そこに存在していないかのように。
 国道を走る車の量も平日の倍だ。
「こっちの方にお父さんはいるの?」
「うん。こっちの方でお父さんの匂いをかすかにだけど感じられたんだよ」
「人通りが多くて、逆に見つけにくい気もするんだけど、分かる?」
「いたっ!」
「えっ!? い、いたの?」
 早いな、と思いながら、ぼくは辺りを見回した。休みの日だけあって結構人の通りが多いんだけど。
「あそこに立っている人。あれだよ」
『あめもん』が体を器用に使って指し示した場所は、歩道橋だった。
「歩道橋……」
 そこには、ちょっと変わった人が毎日立っている。
 ホームレスのお兄さんだ。
「あの人、お父さんと同じ匂いがするんだ」
 ホームレスのあの人があめもんのお父さんだったなんて!
 みんなあの人が日向誘拐に関与していると思っているんだぞ。ぼくもあめもんを知る前までは、もしかしたら、なんて疑うこともあった。
「ほんとなんだね?」
 日向の誘拐犯として最も怪しまれていた人が、日向を救う鍵を握る人だったなんて。しかも、本当は人間じゃなかったなんて。
「多分……そう。かすかに感じるんだ。懐かしい匂い。懐かしい水の音」
「ようし、行ってみよう!」
 ぼくは駆け出した。
 自転車が角を曲がって危うくぶつかりそうになった。慌てて足を止める。
「危ないね」あめもんもびっくりしたらしい。
 まったく、急いでるのに!
 歩道橋の階段を一段飛ばしで昇っていく。
 ずっと気になっていた。どうしてこんな歩道橋に毎日ずっと佇んでいたのか。
 他の人とは違うから。ううん、『人』ではなかったんだ。
 話し掛けられずに通り過ぎるだけだったけど、今、話すきっかけをつかめた。ぼくの気持ちが昂ぶっていた。ぼくは人を助けられるほどの力を持っている大人ではないし、もろい心の人間だけど、誰かの何かの役に立つことができるかもしれない。日向を助けるきっかけになるかもしれないし、ダメな自分も変えていけるかもしれない。
 期待感で胸の中がシュワシュワと騒いでいた。
 階段を昇りきると、突然上空から降り注ぐ太陽の光がぐにゃりとゆがんだ。
 雲でも掛かったのかと思ったけれど、そうではなかった。
 空を見上げてみると、驚くべき光景が視界に飛び込んできた。
 歩道橋を渡っている人々、下の通りを歩いている人々も一斉に立ち止まって騒ぎはじめた。
「な……何だ、あれ!?」
 誰もが似たようなことを口にしていた。
 空から巨大な泡がいくつも落ちてきた。雪でもない、あられでもない、隕石でもない、無色透明でまん丸の泡。その大きさたるや小学校の運動会で使われる大玉のようだ。
 金色の日向を見ているぼくでも、さすがに唖然とした。夢の中にしか出てこないようなファンタジーな光景だったから。
 まるでぼくが真っ暗な部屋で呼び出すサイダーの空だ。
 ぼくはついにサイダーの泡を、野外、しかも白昼夜に呼び寄せてしまったのだろうか。
「そんな……わけないよね」
 そう、ぼくの力のはずがない。ぼくが生み出すサイダーの泡は、落ちるのではなく、浮き上がっていくのだ。
 けれど、目に映る光景もまた作り物ではない。肌が身震いを起こして恐さみたいなものまで覚えた。
 水飛沫の上がる音が立て続けに聞こえる。近い距離に落ちた。相守川のある方角だ。
 交差点では車がよそ見運転をしたことによって事故が起きそうになっていた。
「大変だ、でっかい泡が次々と相守川の方に落ちていったぞ」
 通行人がその方向に向かっていく。
 驚いていたのは、あめもんもだった。
「大変だ、大変だ。あれ、ぼくの兄弟だよ」
「えっ、兄弟!? でも、色とか体の性質が違うみたいだけど……」
「みんなもお父さんを捜しに来たんだ。それで……それで……体に不具合が……」
 あめもんは、言葉途中で、蒸発して消えてしまった。
「あ……、えぇっ! き、消えちゃった……大事なところだったのに」
 時間切れだった。無色の気体となって日向の元へと強制帰還していったのだろう。
 ぼくが歩道橋中央に顔を向けた時、ホームレスのお兄さんまでがいなくなっていた。
しおりを挟む

処理中です...