歩道橋銀河通信

早乙女純章

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          ◇

『あめもん』の兄弟が県内の生活用水の五十パーセントを占めている相守川さがみがわに降下したことにより、騒ぎは更に拡大していった。
 川の水を吸収していって、水量を減らしていっているという。水不足に陥ったことのない川だけに不安がる人が多かった。
 この不可思議な出来事は、すぐに午後のニュースで報道された。
「宇宙から飛来した地球外生物か!」とか「これがUMAだ!」とかいったテロップが大きく出ていてすっかり色めき立っている。
 何の前触れもなく、突如空に現れて降下した、ということもあって社会に与えた驚きは大きいらしかった。
 河川敷には大勢の人々が集まっていて、上空からはテレビ局のヘリコプターが『あめもん』の兄弟の様子を撮影している。
 水を取り込んだ『あめもん』の兄弟はその色と形を変えていく。
 泡だった体は粘体に変わった。色も日向を包んでいる『あめもん』の琥珀色と全く同じものになった。
「やっぱり兄弟なんだ」
 この粘体は誰が命名したかは知らないけど、すぐに『みずあめ』と呼ばれるようになった。
『みずあめ』は水を容赦なく体の中に取り込んでいく。
 水を取り込んでいくと、色や形が変わるだけでなく分裂していって、数を増やしているとのことだ。更には水のある場所を求めて活動範囲を徐々に広げていっているというのだ。
「このまま放置しておけば、間違いなく周辺地域に深刻な水不足をもたらすことになるでしょうね」
 テレビでは、どこかの大学の教授だかがコメンテーターとして招かれて喋っていた。専門用語ばかりでよく分からなかったけど、アナウンサーの女性は言葉を失っていて、深く感嘆するばかりだった。
「ただ悲観することばかりではなくて、これは画期的な発見でもあるのです。宇宙から飛来した未知の生物だとしたら、人類の未来にとって大きな利益・科学の発展をもたらしてくれるかもしれません。ともかく一刻も早くこの物体を採取して生態を調査すべきですね」
 これは本当に大変なことになった。みんな怪しい研究所に連れて行かれてしまうかもしれない。
『あめもん』の兄弟『みずあめ』はどうして水を吸い取っていくのだろう。お父さんを捜しに来たんじゃなかったんだろうか。
 日向は無害だって言っていたけれど、これじゃあ世間にすごく有害な生き物に映ってしまっているじゃないか。
「まいったな」
 ぼくは頭をくしゃくしゃと掻いた。
「あんた、テレビ見るのもいいけど、今年受験なんでしょ。ちょっとは親の期待にこたえてみなさいよ」
 ぷちんとテレビを消された。振り返るとお母さんが立っていた。
 リビングがたちまち静かになった。
「サイダーなんていっつも飲んでて。この前もあんたの机の上に空のペットボトルあったわよ。お母さんが嫌いなの、知ってるでしょ」
 お母さんの小言が始まった。
 こんな非常事態でもまた受験、またサイダーなんてダメか……。
 いいじゃないか、ぼくが何を飲もうと。
「今日もお父さん、東京の家に泊まってくるって。まったくせっかくの休みなのにね、買い物ぐらい付き合ってくれたっていいじゃない。生活費だってぎりぎりしか渡してくれないし」
 この不機嫌さはまたお父さんと喧嘩をしたのだろう。ぼくに八つ当たりするのはやめてほしい。
「お父さん、今度こそもう帰ってこないかもしれないわね。どうせおばあちゃんのことが一番大事なのよ。ふんっ、それならそれでせいせいするわ。あんたもその時の生活、覚悟しときなさいよ。どっちに付くか知らないけど」
 最後に、お父さんみたいになってはいけないわよ、と念を押すように言ってくる。お父さんはお父さんで、ぼくと二人きりになった時、お母さんみたいな女と結婚するんじゃないぞ、と必ず言ってくる。
 二人の険悪さにはうんざりだった。
 とにかく今は受験勉強どころではないんだ。また家を出て、急ぎ足で日向の元へと向かった。
 祠の中に入ると、日向は普段通りの静かな面持ちでぼくのことを待っていた。
『あめもん』はせわしなくうねうねと動いている。
「大変なことが起きたんだ」
「『あめもん』ちゃんから聞かされた。兄弟が降ってきたんだって」
「それだけじゃないんだよ。『みずあめ』……あ、『あめもん』の兄弟は『みずあめ』って呼ばれるようになったんだけどね、相守川の水を体の中に取り込んでしまうんだ。生活用水だから、被害が大きくなっちゃって。どうしよう」
「『あめもん』ちゃんたちにとって、水はわたしたちと同じくらい生きていくのに大事な役割を果たすみたい。最初は泡で、誰にも触れられないんだけど、体の中に水を取り込むことで実体化するんだって。地球の環境に適した体を得る、っていうと分かりやすいのかな」
「分かるけど……これじゃあ地球から水を奪い取っていく有害な生き物に映ってしまっているんだよ。とにかく早く何とかしないと」
「みんなお父さんを捜しに来たと思うから、お父さんと会わせるしかないんだと思う」
「うん、それしかないよね。それしか……」
『あめもん』は自分の体を分離させられるのは一日に一回しかできないという。
 ぼく一人であの人のところにいかなくてはならない。
 あの人の心には分厚い雲が掛かっていて、何者も寄せ付けないオーラみたいなものを放っていた。正直言って、ぼくに誰かの心開くことができるのか分からない。ぼく自身、心を開くのが苦手なわけだし。
 けれど、手に持っているサイダーに目を向けてみて思った。サイダーで日向とつながることができたのだから、これがあればきっと。
「ぼくの心がサイダーなら」
 そう呟くと、心がシュワシュワと騒ぎ立て、不可能も可能にできそうな気がして、顔を上げると力を込めてうなずいた。
「よしっ!」と決心をつけた。
「やってみるよ」
「お願いね、七海君」
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