歩道橋銀河通信

早乙女純章

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          ◇

 突如視界を影がおおった。
「えっ」と声を上げた瞬間、正面に琥珀の『みずあめ』が降り立ってきた。
「うっわ!?」
 一瞬で『みずあめ』だと分かったのは、日向を体内に取り込んでいないからだ。それに琥珀色でも、あめもんのようにみずみずしい金色の輝きは放っていない。油が混じったように淀んでいた。更に、体が放電している。
 放電する『みずあめ』の影が完全にぼくをおおったので、驚いた拍子に体制を崩して、尻もちをついてしまった。
『みずあめ』がぼくに襲い掛かってきた。けど、ぼくが尻もちをついたので、運よく危機を回避できた。
「なんだ、一体!?」
『みずあめ』たちは、独自の力でお父さんの居場所を突き止めて、ここまで来たのだろうか。
「おおい、また来るぞ!」
 お兄さんが叫ぶと同時に、『みずあめ』が再びゴムまりのように勢いよく弾んで、その姿をぼくの目の前に現した。
 一匹だけではない、いつの間にか辺りには四匹もいた。
 どの『みずあめ』も、お兄さんには見向きもせず、ぼくを取り囲んでくる。
「何でだ!?」
『みずあめ』が標的にしているのは、完全にぼくだけだ。
 ぼくは這った状態のまま逃げた。
『みずあめ』の突進を寸でのところでかわしていく。
 お兄さんはお兄さんで別の方へ逃げていきながら、「頑張れ、逃げろ」と応援してくれている。
『みずあめ』は自分のお父さんがすぐ側にいることに気づいていないのだろうか。お父さんを捜しに宇宙から降下してきたはずなのに、ぼくをひたすらに襲うとは一体どういうことなんだろう。人間を襲うなんてニュースでもやってなかったぞ。
『みずあめ』がぼくだけを狙っている理由って一体何だ!?
 左右から別の二つの『みずあめ』が同時に襲い掛かってきた。
 ぞろぞろとたくさんの『みずあめ』たちが連なって、ぼくの側に集まってきていた。
 ぼくは自分が襲われている理由も分からずに、万事休すとなった。
 悲鳴をあげることもできずに左右から体をわっと広げた『みずあめ』におおわれた。
 粘体の中に閉じ込められた。

 ――うくっ、い……息ができない。

 手も足も全く動かせない。
 日向は『あめもん』の中で呼吸ができるって言っていたけれど、『みずあめ』の中では呼吸ができなかった。

 苦しい……

『みずあめ』はぼくを取り込んだだけでなく、触手みたいなのを伸ばして、体内の障壁なんて何のその。もぞもぞとぼくの体内に侵入してくる。
 求めているものが見つかったのか、触手の侵入が止んだ。
 束の間、体の中の液体を吸われていることが分かった。
 シュワシュワと泡がいくつも弾けた。意識が、何度も弾ける。気を失いそうな瞬間に何度も見舞われる。
 吸われているのは、ぼくの中にあるサイダーだ。
 ぼくのサイダーの心が、ストローでジュースを飲むようにいとも簡単に吸い取られていく。
 まさか、本当にぼくの体を満たしていたのはサイダーだったんだろうか。
 急速に力が奪われていく。まぶたを閉じられるのか知らないけど、まぶたがとにかく重い。
 意識がいよいよ遠のいていくのが分かった。
 ぼくはこのままぷちんと弾けて消えてしまうのかもしれない。
 いや……これでいいのかもしれない。自分が世界から消えることは、ずっと望んできたことだったじゃないか。
 こんな思いも寄らない形で自分を失うことになるなんて思ってもいなかったけど、今まで存在してきたぼくだって、この世に存在していたのかどうか疑わしいんだ。
 いつ割れて消えてしまったって全然不思議じゃなかったんだ。
 なら、今がチャンスだ。全てを終わらせるチャンスなんだ。
 これが、ぼくにとっての、解決の時なんだ。
「せっかくお父さんを見つけたのに」
 どこかからかすかに声が聞こえてくる。
「やっと見つけたのに、お父さんに声を掛けるどころか、宇宙にいるお母さんとも通信できないよ、このままじゃ」
 今にも泣きそうな声で話し合っている。
「この人間から、綺麗な水を吸い取ってはいるけれど、だめだ、全然足りないね」
「地球の水なんて無闇に吸うからいけなかったんだ」
「だって、見た目は綺麗だったんだもん」
「そうそう。地球の水ならぼくたちの力を飛躍的に伸ばしてくれて、宇宙への通信に絶対役立ってくれるって思ったけど」
「こんなに体が重くなるなんて思わなかった。逆効果だよ。なんのために地球に降りてきたんだろうね」
 これは『みずあめ』たちの声だ。どうやら彼らにとって予想だにしていなかった事態に陥っているらしい。
「七海君、大丈夫!?」
 日向の声が『みずあめ』たちの声を掻い潜って、はっきりと耳に届いた。
 おかしいな、こんなところで日向の声が聞こえるはずないのに。
「七海君、お願い、返事して!」
 日向が何度も呼びかけてくる。
「大丈夫!?」
 これはどうやら幻聴じゃないらしい。
 まさか、日向、あんなに外に出ることを嫌がっていたのに、自分の意思で祠から出てきたんだろうか。
 ぼくは重たいまぶたをなんとか開けてみた。
 見える。琥珀粘体に包まれた日向の影がおぼろげながらだけど見える。金色の輝きはやっぱり清々しさを覚えた。
 出てくる勇気を持てたんだ。良かった。ぼくの存在も少しは役に立ったんだ。
「七海君、言ったよね、七海君の心は、サイダーでできているかもしれないって。本当にサイダーでできてるのよ。それもとっても綺麗な水・天然水でできてるの!」
 こんな時に何を言っているんだろう、日向は。
「『あめもん』ちゃんの中に入っているわたしにも見える、七海君の中にある泡が漂う澄んだ水。だから、『みずあめ』ちゃんが欲しているの」
「…………」
 ぼくは日向の言葉に応えられない。
「『あめもん』ちゃんも『みずあめ』ちゃんも、みんな水を体の中に取り込むことによって体を粘体へと変えてるんだって。そうやって、地球と宇宙をつなげる架け橋の役割を果たすって。でも、地球の水が合わなかったみたい」
『みずあめ』たちも地球の水が合わなかったって言っていた。
 今の『みずあめ』たちは中毒を起こした状態になって、体に支障をきたし暴走してしまっているってことか。
「七海君まで取り込まれてしまったら、『あめもん』ちゃんたちのお父さんに声を届けられる人がいなくなっちゃう」
 日向はそう言うけれど、ぼくは自分の心が綺麗な水でできているなんて一度も考えたことなんてなかった。いつも気が向いていたのは心の中をただよう泡のことばかりだった。
 考えてみると、泡が存在するということは、水が必ずあるということであって、その水にも綺麗、汚いがあるわけだ。日々きゅうくつに生きてきてネガティブな気持ちになってた日々から想像すると、濁っていそうな気がしたんだけど。
「景太君!」
 ぼくの手を掴む温かな手があった。
 おぼつかない泡をつかめる存在。それは琥珀粘体から腕を出している日向だった。
「お願いよ、目を開けて!」
 日向は自ら体を『あめもん』の外に出して、ぼくを引き止めてきた。
『みずあめ』に埋もれているぼくの手を、強引に掴んでくるなんて。
「あなたが世界に必要なの!」
 必要? そんなことあるわけ……。
「本当だよ、みんな、あなたが必要だって思ってるの。わたしだってそう。七海君がわたしの心を満たしてくれるもの。中身のない空っぽなわたしでも、ちゃんと中身を与えてくれるもの」
 日向の言葉が、ぼくの鼓動を強く叩く。
「あぁ……そうだ」
 ぼくは、とても大切なことに気づいた。
 日向の笑っている顔、泣いている顔、生きている顔をまだ一度も見ていなかったんだな、って。

 ――本当にこのまま消えてしまっていいのかな?

 ぼくはまだ、日向を外に連れ出していないじゃないか。今、こうして外に出てきているけど、このままだと日向はあめもんの中に閉じこもったままで、また元の場所に戻ってしまうだろう。
 もし――もしもぼくの体に綺麗な水が流れているのなら、日向の空っぽだって言う心を一杯に満たしてあげたい。

 狭くなっていた視界に見覚えのある細かな泡が踊った。

 ――これは、サイダーの泡?

 遠のいていく意識が、ビデオの巻き戻しで逆流する滝のように、瞬く間にはっきりとしたものに戻っていく。
『みずあめ』とぼくの体の、わずかな間に水が発生している。
 清涼な水が特殊な空間を作り上げていた。懐かしい海の匂いがする。
 こんなに濃い水の中にいても、呼吸ができる。水自体が空気を作り出してくれている。
 サイダーのように細かな泡が踊るようにたゆたっている。
 今、ぼくはサイダーの中にいる。
 沢山の思いの泡が、ぼくの周囲を自由気ままにたゆたっている。
 こんなに明るく暖かな宇宙の海があったなんて。
「ありがとう、ぼくたちは君たち二人の綺麗な泡と水のおかげで目が覚めたよ」
『みずあめ』の声だと分かった。
『みずあめ』におおわれていても外の様子がはっきりと映し出される。
 隣には日向がいてくれるのも分かった。しっかりぼくと手をつないでいる。
 感じられたのは肌の温もりだけではなかった。日向のすすり泣く声まで聞こえる。
 今までのようにどこかガラスで隔てられた距離を感じるような声じゃない。遮蔽物は何もない、真っ直ぐに向き合った声だった。
 声だけじゃない。泣いている顔も見ることができた。
 固まっていた日向の心は、自由に形を変える水へと変わったんだ。
 ぼくのことを真剣に想ってくれる存在。
 この時、ぼくはサイダーの心の、はかないはずの無数の泡の中から、しっかり手に掴める割れない泡を見つけたんだ。
「わたし、しっかりつないでいるよ」
「うん、一緒に行こう、歩道橋へ! お父さんがそこにいるんだ」
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