その傘をはずして

みたらし

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第一章

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 夕方、彼女の知り合い美容室に行くことになった。おばあちゃんに会う前にちゃんと身なりを整えて、好青年だということをアピールするためらしい。

 駅構内の雑踏をかき分け、エスカレーターに乗って二階に上がると、書店や土産物売り場に混ざってこぢんまりとした美容室があった。ガラス戸の前に小さめの黒板が置かれてあり、そこには美容室Selと記載されていた。

 天井から床まで全体的に白を基調とした店内には、椅子が三脚とその正面に鏡が一台ずつ設置されており、その後ろには髪を洗うスペースがあった。

 奥には雑誌を収納しているラックと、三人掛けくらいの柔らかそうなソファがあり、窓は一面ガラス張りになっていた。その窓から学校に行くために渡る歩道橋と幹線道路を走る無数の車が見えた。

「真央さん。連れてきたよ」

 彼女は、入口にあるカウンターでパソコンをいじっていた女性に話しかけた。

「いらっしゃい。あなたが伊織の彼氏ね」

 肩くらいまでの髪を後ろに結んだその女性は、首元が開いたTシャツと細身のジーンズを着用しており、それらすべてがこの店とは対照的な黒で統一されていた。腰元には数種類のはさみやくし、髪留めなどを入れたベルトが巻かれている。

「初めまして、真央です。ゆっくりしていってね」

 真央さんは彼女の家の真向かいに住んでいて、昔からおばあちゃんと親交があり、幼い彼女のお守りをしたり幼稚園まで迎えに行っていたらしい。

 彼女のことを自分の娘のようにかわいがってくれているそうで、現在もよく三人でご飯を食べたりするのだそうだ。彼女が小さいころから親交があったということは結構な年齢だと推察できるのだが、見た目は三十代前半に見えた。

「突っ立ってないであなたもこっちに来て選びなさいよ」

 いつの間にか彼女はソファに座っており、男性用のヘアカタログをパラパラと捲っていた。言われるがまま、僕は渋々彼女の隣に腰掛けた。

「ねえ、これなんてどう?」

 彼女は耳の周りを刈りあげている男性の写真を指さした。ツーブロックという髪型で、別のクラスの奇抜そうな男子がこんな頭だった。自分には似合わないと思ったので却下した。

「じゃあこれは?」

「それパーマじゃん。うちの学校、禁止でしょう」

 生徒会長なのにそんなことも知らないのかと、心の中で言った。

「なら、もうこれでいいじゃん」

 彼女が坊主の写真を指さしたところで、タイミングよく真央さんが麦茶を運んできてくれた。良い髪型があったかと聞かれたので僕が迷わず、なかったですと答えると、隣で彼女が僕のことを睨んだ。結局、真央さんのお任せで切ってもらうことになった。

 耳元で小気味いいはさみの音がして、その度にはらはらと髪の断片が目の前を落ちていった。真央さんは流れるようにはさみを動かし、名前も知らない鼻歌を上機嫌に歌っていた。

 室内にはお香が焚かれているのか、濃すぎない清涼感のある香りに包まれており、控えめに流れているスローテンポなピアノの曲とよく調和されていて心地良い。

 髪を切っている最中、僕の進路の話になった。志望大学の名前を口にすると、偶然にも真央さんはその大学がある地域の美容専門学校を卒業していたそうで、駅の近くにある格安スーパーや、学生街にある老舗の洋食店などを紹介してくれた。

 話が弾んで彼女のことをほったらかしにしていると、いつの間にか彼女はソファの上で膝をくの字に曲げ、猫のように丸まって眠りこけていた。僕が飲むはずだった麦茶まで飲んでしまったようで、二人分のグラスは空になっていた。

 バリカンで襟足付近の髪を整え、次にシャンプーをした。普段はカットのみの散髪屋しか行ったことがなく、他人に髪を洗ってもらうことは初めてだったが、真央さんは頭を洗いながら同時に頭皮マッサージもしてくれて、美容院とは高いだけあってなかなか快適なものだと思った。

 髪を乾かし、生まれて初めてワックスを付けてもらいカットは終了した。先ほどまでの暗く野暮ったかった髪の無駄なところがそぎ落とされ、とてもすっきりとした自分が鏡に映っていた。

「伊織、ほら。終わったから起きなさい」

 体を揺すっても、彼女は少しむずがゆそうにするだけで起きる気配がなかった。無防備に眠るその姿からはいつもの粗暴な印象が感じられず、ただ眠っているだけなのに完成された絵画を見ているようだった。

 結局彼女はこのまま寝かせておくことになり、僕は帰ることにした。料金を支払おうとしたら、出したお金を戻された。

「あなた、今まであの子が連れてきた男の子とは、雰囲気が違うわね」

 真央さんは、僕のことを精査するようにまじまじと見つめていた。

「はあ。すいません」

「何で謝るのよ」

 真央さんが笑いながら僕の肩を叩いた。言葉を濁していたが、恋人が僕で内心がっかりしているのだろう。

「伊織のこと、よろしくね」

 ドアを開けて見送りながら、真央さんが言った。胸の中で、世間を騙して嘘の恋人同士を演じているという罪悪感に苛まれながら、僕はできる限りの笑顔で頷いた。彼女のことを娘のように可愛がっている真央さんに、僕たちの真実の関係を告白することはできない。
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