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第一章
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おばあちゃんが一呼吸おいて、麦茶を一口飲んだ。グラスの中の氷が崩れる音がした。
「今から味噌を作るんだけど、ちょっと手伝ってくれないかな」
帰るタイミングを見計らっていると、何の脈略もなくおばあちゃんが言った。味噌まで手作りなのかと思った僕は、少し興味があったこともあり手伝うことにした。
台所に移動すると、鍋に火がかけられていた。おばあちゃんは鍋の中に入っている大豆を一粒箸でつかむと、それを指先でつぶした。煮加減はいい按配で、続いておばあちゃんは茹で上がった大豆をざるにあげた。煮汁も後で使用するそうで、ざるの下には煮汁を受け止める別の鍋が敷いてあった。
その後冷水で大豆の温度を少し下げ、用意していたすり鉢の中に大豆を投入し、すりこぎでゴマをするように大豆をごりごりと潰し始めた。
おばあちゃんの手際を観察していると、やってみるかい、と聞かれたので僕は作業を手伝った。粒が残らないよう、ペースト状になるまで大豆を潰さないといけない。僕はしばらくの間、無心で手を動かし続けた。
「なかなか手際がいいわねぇ」
「おばあちゃんほどでは」
その後、麹と大豆を混ぜ合わせ、煮込んでいた大豆の煮汁を全体にまんべんなくいきわたるように流し入れた。それを再びもちをこねるように下からすくい上げて、上から押さえつけながら混ぜ合わせる。この工程は約六十回繰り返さなければならない。
いつしか僕は、指示を受けながらほとんどの作業を請け負っていた。初めて触る味噌は、やわらかい粘土のような感触だった。
味噌をこねながら、伊織のことを考えた。虫除けや生ごみの消臭剤を作ったときも、きっと今のようにおばあちゃんがそばにいたのだろう。その光景は想像するだけで微笑ましいものだった。
「歩くん、どうしたの?」
いつのまにか手が止まっていたようで、おばあちゃんに尋ねられた。
「おばあちゃんは、何も聞かないんですね」
おばあちゃんは、何のこと? などとは言わなかった。ただ、意味深にふふふっと笑うと、味噌をこねるのを交代した。
「伊織ちゃんがこねるとね、いつも大豆と麹がうまく混ざらなくて、二度手間になっちゃうのよね」
おばあちゃんは両手で力強く味噌をこねながら言った。ちなみに、麹と大豆がちゃんと混ざり合わないとその部分だけが腐ってしまうらしい。
「混ざり合うって、大変よね。完全にひとつのものになるには、それ相応の時間と労力が必要なんだもの。同じ器に入れて、適当にこねくり回すだけじゃ、腐っちゃうだけなのよ」
おばあちゃんは手首で額に浮かんでいた汗を拭った。
「おいしくなあれ、おいしくなあれって、心をこめながらこねないとだめよ」
そう言っておばあちゃんは、再び意味深な笑みを浮かべた。遠まわしだが、含蓄のある言葉とその笑みの中に、おばあちゃんの言いたいことが集約されているように思えた。
おばあちゃんはこねた味噌の感触を確かめた後、そのまま味噌をボールの中で押し固めた。それをおにぎりくらいの大きさに握ってほしいと指示されたので、おばあちゃんの手つきを真似ながら僕も味噌を握った。握るというよりも空気を抜く作業で、これを怠ると味噌の中に空気が入り、カビが発生する原因になるらしい。
「伊織ちゃんは学校で問題を起こしていない?」
「問題は……」
伊織は優等生なのでおおっぴらな問題は起こしていないが、僕と彼女は、現在筆舌しがたい問題の渦中にいる。
「特に、ありませんよ」
声は震えていなかっただろうか。おばあちゃんの様子を見ると、どうやら悟られていないようだ。
「伊織さんは、先生にも生徒にも信頼されていますよ。昔からそうだったんでしょう?」
「ふふふ。実はね、あながちそうでもないのよ」
味噌を手早い動作で握りながら、おばあちゃんは少しだけ昔話をしてくれた。
「今から味噌を作るんだけど、ちょっと手伝ってくれないかな」
帰るタイミングを見計らっていると、何の脈略もなくおばあちゃんが言った。味噌まで手作りなのかと思った僕は、少し興味があったこともあり手伝うことにした。
台所に移動すると、鍋に火がかけられていた。おばあちゃんは鍋の中に入っている大豆を一粒箸でつかむと、それを指先でつぶした。煮加減はいい按配で、続いておばあちゃんは茹で上がった大豆をざるにあげた。煮汁も後で使用するそうで、ざるの下には煮汁を受け止める別の鍋が敷いてあった。
その後冷水で大豆の温度を少し下げ、用意していたすり鉢の中に大豆を投入し、すりこぎでゴマをするように大豆をごりごりと潰し始めた。
おばあちゃんの手際を観察していると、やってみるかい、と聞かれたので僕は作業を手伝った。粒が残らないよう、ペースト状になるまで大豆を潰さないといけない。僕はしばらくの間、無心で手を動かし続けた。
「なかなか手際がいいわねぇ」
「おばあちゃんほどでは」
その後、麹と大豆を混ぜ合わせ、煮込んでいた大豆の煮汁を全体にまんべんなくいきわたるように流し入れた。それを再びもちをこねるように下からすくい上げて、上から押さえつけながら混ぜ合わせる。この工程は約六十回繰り返さなければならない。
いつしか僕は、指示を受けながらほとんどの作業を請け負っていた。初めて触る味噌は、やわらかい粘土のような感触だった。
味噌をこねながら、伊織のことを考えた。虫除けや生ごみの消臭剤を作ったときも、きっと今のようにおばあちゃんがそばにいたのだろう。その光景は想像するだけで微笑ましいものだった。
「歩くん、どうしたの?」
いつのまにか手が止まっていたようで、おばあちゃんに尋ねられた。
「おばあちゃんは、何も聞かないんですね」
おばあちゃんは、何のこと? などとは言わなかった。ただ、意味深にふふふっと笑うと、味噌をこねるのを交代した。
「伊織ちゃんがこねるとね、いつも大豆と麹がうまく混ざらなくて、二度手間になっちゃうのよね」
おばあちゃんは両手で力強く味噌をこねながら言った。ちなみに、麹と大豆がちゃんと混ざり合わないとその部分だけが腐ってしまうらしい。
「混ざり合うって、大変よね。完全にひとつのものになるには、それ相応の時間と労力が必要なんだもの。同じ器に入れて、適当にこねくり回すだけじゃ、腐っちゃうだけなのよ」
おばあちゃんは手首で額に浮かんでいた汗を拭った。
「おいしくなあれ、おいしくなあれって、心をこめながらこねないとだめよ」
そう言っておばあちゃんは、再び意味深な笑みを浮かべた。遠まわしだが、含蓄のある言葉とその笑みの中に、おばあちゃんの言いたいことが集約されているように思えた。
おばあちゃんはこねた味噌の感触を確かめた後、そのまま味噌をボールの中で押し固めた。それをおにぎりくらいの大きさに握ってほしいと指示されたので、おばあちゃんの手つきを真似ながら僕も味噌を握った。握るというよりも空気を抜く作業で、これを怠ると味噌の中に空気が入り、カビが発生する原因になるらしい。
「伊織ちゃんは学校で問題を起こしていない?」
「問題は……」
伊織は優等生なのでおおっぴらな問題は起こしていないが、僕と彼女は、現在筆舌しがたい問題の渦中にいる。
「特に、ありませんよ」
声は震えていなかっただろうか。おばあちゃんの様子を見ると、どうやら悟られていないようだ。
「伊織さんは、先生にも生徒にも信頼されていますよ。昔からそうだったんでしょう?」
「ふふふ。実はね、あながちそうでもないのよ」
味噌を手早い動作で握りながら、おばあちゃんは少しだけ昔話をしてくれた。
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