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第一章 最推し幸福化計画始動

6.黒い子犬は溺れかけていた

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 王都から馬車に揺られて4時間くらい。

 遠すぎもせず、近すぎもせずの適当な距離に、母の別荘はあった。

 王都と行き来するには、たった一本しかない幹線道路を通るしかない。まあまあ高い山と森に囲まれて、背後には大きな湖まであるのだから、よほど手練れの密偵でもない限り、そうそう簡単には近づけない城だ。城周りには、小ぶりだが要塞型の砦がいくつか配置されているのだから、母にこの城を持たせたラチェス公爵家の財力が伺われるというもの。

 

 元は地方の男爵令嬢だった女に入れあげて、王妃よりもわずか数か月後に産み月を迎えるなどとふざけたタイミングで子供を作る国王に、ラチェス公爵家の面白かろうはずもない。

 にもかかわらず、公爵家が黙っているには理由があった。

 女神ヴィシェフラドの血を継ぐ王族には、稀にヴィシェフラドの寵力が発現すると言われている。

 神力とも言える不思議な力で、あらゆる病やケガを癒す。

 王族の血を継ぐ二コラにはその発現の可能性があり、そうなれば公爵家の思惑はどうあれ、二コラを王族と認めざるをえないからだ。



 お約束だが、ヒロインである二コラには寵力が発現することになる。

 それがまたリヴシェの自尊心を傷つけて、二コラへの虐めは激しくなるという筋書きだった。

 今のところ二コラに力が発現した様子はないが、小説どおりであればもうじきだろう。確か母の死の直後だったように記憶している。

 癒しの聖女とか呼ばれて、ますます二コラの株が上がるのだ。

 小説とか乙女ゲームの世界を現実に生きてみて、神力とか魔法とか聖女とかのファンタジー盛り盛り要素も、案外抵抗なく受け入れられるものだと驚いている。

 寵力などといかにもファンタジーな不思議の力は確かに存在していて、その発現の有無で人の価値もガラリと変わる。

 だから女神の寵愛をヒロインに奪われて傷ついた、小説の中のリヴシェの気持ちも今なら生々しい感覚で理解できた。

 

 どうして自分ではないのか。

 あのうさん臭いヒロイン二コラを、どうして女神は贔屓するのか。

 

 さぞ悔しかっただろう。

 



 この別荘に来て1週間が経つが、母は病にかかる気配もなくいたって元気である。

 身体が強くないという話も、このところほとんど聞かない。

 ペリエ夫人によれば、産後の肥立ちが悪かったのは本当だが、その後彼女の栄養指導によって快復したのだという。



「王妃様はもともとお美しい方でしたが、最近ではお肌の透明感が増して、まるで年を取らない妖精のようですわ」



 最近では滋養強壮と美容に効くからと、薬師の薦める貴重な人参を料理に使っているらしい。

 なんでも東方から取り寄せたかなり高価なものらしいが、王妃の健康のためならと支払いはラチェス公爵家がしているのだとか。

 母の兄である現当主は、母が健康でありさえすれば、仮に寵力が二コラに発現したところでリヴシェの王位は揺るがないと考えているようだった。

 寵力が出たとしても、神殿におしこめて聖女として祭り上げておけばそれで足りる。

 だがもし、愛妾が王妃に直るようなことがあれば、話は違う。それだけはなんとしても避けなければならない。

 その点、リヴシェと同じ考えだから、ありがたかった。



 王都で病が流行っているという情報は、いまだ届いていない。

 流行するとしたら、そろそろなのだけど。

 小説の筋が、変わってきているのだろうか。

 そんなことを考えながら、リヴシェはバルコニーから湖を見下ろしていた。

 さざ波1つない鏡のような水面がキラキラと輝いて……。

 輝いていない!

 なにかがバシャバシャと、溺れかけている。



「大変だわ!」



 靴を履いていては走れない。

 かかとのない部屋履きのまま、リヴシェは湖の岸へと急いだ。





 ばしゃばしゃと足掻いているのは、人ではないようだった。

 狐か狸か。

 とにかく黒い毛におおわれた何かが、岸からそう遠くないところで溺れかけている。

 少し長いマズルが水の中に浸かったり浮かんだりを繰り返していて、すぐに助けて引き揚げないと長くはもたないと思う。



「姫様!」



 傍仕えのメイドが追いかけてくる。



「急いで誰か、泳げる人を呼んできてちょうだい」



 そうしているうちにも、黒いなにかはどんどん弱ってゆくようだ。

 ぶくぶくと泡をたてて沈みそうになる様子に、もう待っていられないとリヴシェは水の中に入る。

 今生、この身体で泳いだことはないが、前世のリヴシェはかなり泳げた。

 1キロくらいなら、人を抱えてでもいける。

 長いドレスは邪魔なので脱ぎ捨てた。

 下着だけになって先へ泳ぎ出すと、30メートルくらいのところで古毛布のような何かが手の先に触れた。



 子犬だ。

 暖炉にくべる薪二本分くらいの大きさの、黒い子犬。

 目を閉じて、口からは泡を噴いている。



 急いで抱え込んで、岸へ戻る。



「姫様、なんて無茶を」



 ようやく戻ってきたメイドが、乾いた大きなタオルでリヴシェを包み込んだ。



「わたくしは大丈夫よ。

 それより、この子をみてあげて」



 メイドの連れてきた青年が、子犬の鼻先に手を当てる。息を確かめているらしかった。

 そして首を振る。



「息はまだあるようですが、多分もう無理かと。

 毒キノコかなにか、そんなものにやられているんじゃないでしょうか。

 濁った泡を噴いてますから」



 そう言われてあらためて子犬を見れば、右肩あたりに傷がある。矢傷のように見えるが。

 苦し気に泡を噴き続ける小さな身体に、リヴシェはそっと手を伸ばす。



「かわいそうに……。

 毒を抜いてあげられないかしら」



 そう口にした瞬間。

 ぱぁっと白い輝きが、リヴシェの指先から放たれる。

 そしてその輝きが、子犬の全身を包んだ。



 何が起こったの?

 

 その場にいた2人、メイドと青年がじぃっとリヴシェの顔を見つめている。



「なに?」



「姫様、もう泡を噴いていません」



 言われてみれば、子犬はすぅすぅと寝息をたてて眠っていた。

 随分楽になったようだ。



「多分ですけど、毒、抜けてますよ」



 かがみこんでもう一度子犬の様子を確認した青年は、感激に震えていた。



「姫様が……、治したんですよね」



 白い輝き、毒の治癒。

 これはまさか。



「寵力ですわ!

 おめでとうございます、姫様!」



 興奮のあまり叫んだメイドが、ペリエ夫人に報告するのだと急いで城に戻る後ろ姿を見送りながら、リヴシェはまだ信じられなかった。



 嘘、こんなはずはない。

 これは何かの間違いだ。



 でもまあ良いかと思う。

 穏やかな寝息をたてて眠る黒い子犬、この子を助けられたのだ。

 とりあえず、良かったということにしておこう。
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