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3章 寝台特急探索任務

第7話 手抜きのマティーニ

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 列車内で起きた連続失踪事件の原因と思わしきモンスターの討伐を完了したカオルは笹貫に報告し仕事は終了と成った。お陰でこの後は自由時間と成ったのでスミレと共に列車の終点である京都の旅行を楽しめる。

 関西地方にも神卸市と同様に未帰還者を隔離する都市は有るがカオルやスミレは接近を許されていない。各地の隔離都市で生活する未帰還者同士が連携して人類社会に対して反乱を引き起こさない為の措置だ。
 隔離都市構想を打ち出し実行に移したカオルが反乱を起こす等と有るはずが無いとスミレも笹貫も思っている。

 しかしカオルと面識が有っても無くても疑心暗鬼に成った人間は自分の中で最悪の妄想を募らせるものだ。
 カオルが反乱を計画しており、隔離都市を作らせたのは未帰還者達の拠点を各地に用意する下準備。
 それがカオルが反乱を計画していると疑う者達の妄想だ。

「そんな面倒な事をする時間も気概も無いから」

 京都で宿泊するホテルに備え付けのバーでスミレ、笹貫に左右を挟まれてカオルは溜息と共に本音を吐き出した。
 気分を変える様にバーテンダーからサーブされたファジーネーブルを口に含んだ。
 スミレはホワイトレディ、笹貫は仕事中という意識が有るのでオレンジジュースやパインジュースを使ったノンアルコールカクテルだ。

「結局、誰も彼も自分と違う相手に怯えて疑ってる……はぁ」
「何の為にカオルさんが隔離都市なんて作ったと思っているんでしょうね」
「政府側の人間が言うのもなんですが、カオルさんの構想が公表されてもこんな意見が出るんですね」
「人間は言葉の裏を読む生物ですからね」

 溜息を吐いたカオルが再度、ファジーネーブルを飲む。
 別に京都に着いた時に隔離施設に行くなと直接言われた訳では無い。
 笑顔で3人を歓迎した職員からは『未帰還者が街中に居ると判明するとパニックを起こす者も居るので観光は地図で示した範囲にして下さい』と言われただけだ。
 そしてその範囲は隔離施設から最短距離で20キロは離れており、カオルとスミレの現在地は東京都が京都の自治体に2人のスマートフォンのGPS情報を渡している為に監視が可能だ。

「現代社会でスマートフォンを手放せば出来る事は限られる。新しいスマートフォンを手に入れようにも、契約の為には個人情報の入力は必須。完全に積んだ」
「確かに、監視されているといのは良い気分ではありませんね」
「その、御2人共、軽率な行動は控えて下さいね?」
「大丈夫ですよ、笹貫さん。流石に波風立てませんって。何か不条理な事をされない限り」
「ええ。私たちは本来は平和的なゲーマーですし、常識的な人間としての人権さえ守って貰えれば荒っぽい事はしませんよ」
「……肝に銘じておきます」

 カオルとスミレの言い様は言い換えれば人権を無視した理不尽な行為に及べば全力で反撃すると言っているのだ。

 中東などの物理崩壊前から戦争状態だった国では既に数人の未帰還者が戦争に参加している。その戦場でアタッカーの未帰還者は槍の一突きで戦車に風穴を開け、ディフェンダーの未帰還者は空爆を盾で防いだ。
 既に動画投稿サイトで全世界に配信されたこの映像によって未帰還者の戦闘能力はこと地上での戦闘に於いて現代兵器を凌駕する事が証明されてしまった。

 日本が保有する自衛隊は専守防衛の名目が有り積極的に他国に攻勢を仕掛ける事は出来ない。

 未帰還者を自衛隊に所属させて軍事的な訓練を施すという意見が出た時に、カオルや数名の未帰還者はその名目を利用して黙らせた。密室ではどれだけ正論を相手に突き付けても意味は無いと考えた動画配信者がその会議の様子を動画投稿サイトで生放送していたのも大きかった。

「あの時、ガルドさんにストリーマーの知り合いが居て良かったぁ」
「カオルさんも良い感じにお酒が入って来ましたねぇ」
「あの、御2人共?」

 アルコールの影響がカオルもスミレも目が座り始めた。
 発言もかなり危ない物になっており笹貫としては貸し切りとはいえ気が気でない。

 そんな貸し切りのはずのバーの入口が開いた。
 入って来たのは身形の良い初老の女でスーツだけでなくピアスやネックレスはシンプルだが素人目にも高価な物だと分かる。女の背後には2名の厳つい男がボディガードの様に付き従っている事からも女が何かしらの権力者だとカオルとスミレは予想した。
 そんな中、笹貫だけは女の正体を知っているらしく腰を浮かしかかっている。

「あの、お客様、本日は貸し切りと成っております」
「そう。でもオーナーから許可は貰ってるのよ」
「そうは言われましても」
「バーテンダーさん、大丈夫ですから」

 職務を全うしようと女に退出を求めたバーテンダーを笹貫が制した。

「お客様?」
「この人に下手に逆らうと職を失いますよ。私たちは気にしないので、貴方はこの場での会話は聞かなかった事にして下さい」
「あら、私はそんなに理不尽な事はしませんよ?」
「貴女の意図とは関係無く周囲の人間が勝手に動くでしょう」

 そう言って笹貫は明確な敵意を女に向けた。
 たった1日の短い時間しか知らないが今までの笹貫の態度とは明確に異なる。仕事に誠実で礼節を重んじる様子の彼女らしからぬ態度だ。
 カオルは女には振り返らずにファジーネーブルを飲み干し、スミレは驚いて振り返った。
 そんな彼女達の態度に冷たい笑みを浮かべた女が笹貫の隣の席に着く。

「マティーニをお願い」
「……」
「バーテンダーさん、お願いします」
「っ、分かりました」

 まだ女に反感は有る様だが笹貫の頼みでバーテンダーは渋々とカクテルを作り始める。
 その間に女はカオルとスミレに向けて自己紹介を始めた。

「私は北条佐奈子。現代、関西地方で隔離都市の代表者を務めています」

 その名前を聞いてバーテンダーが一瞬だけ手を止めた。
 スミレも同様に驚いてホワイトレディのグラスを持つ手が硬直する。
 カオルは笹貫と同様に知っていたのか明確な反応は示さないが名乗られた為に形だけの礼儀として応えた。

「どうも、カオルです」
「……スミレです」
「あら、そんなに嫌わないで下さい。私は物理崩壊の混乱を最小限で防いだ英雄殿へ挨拶に来ただけですよ?」
「貴女にとっての挨拶が、こちらにとっても挨拶だとは限りませんから」
「あら、そんなに警戒されると悲しいですね」
「ははっ、折角貸し切りにしたプライベート空間に割り込んできた相手を警戒するなって、本気ですか?」
「あら、ごめんなさいね。これはちゃんとアポイントを取って出直した方が良いかしら?」
「そうして貰えると有難いです。明日の夜には列車で帰るので時間が有るとは思えませんが」

 カオルとスミレの滞在期間の情報は持っていなかったのだろう。北条は面会時間がほぼ取れない事が分かり思案顔になる。

「1つの都市の代表者さんだ、社会的な段取りが必要な事もご理解頂けるでしょう?」
「……分かりました。今回は顔合わせが出来ただけでも良しとしましょう。いずれまた、お会いしましょう」

 バーテンダーが渋々用意したマティーニが完成した直後、北条は席を立ってボディガードを連れ退出していった。
 最後まで振り返らなかったカオルは盛大に溜息を吐いてマティーニを奪おうとしたが、バーテンダーが手早く回収する。

「すみません、こちらはお客様にお出しできるものでは御座いません。改めてご用意します」
「でも、勿体無くないですか?」
「私にもバーテンダーとしてお客様に提供するカクテルにはプライドが有ります」
「では、ジントニックで」
「畏まりました」

 バーテンダーは意図的に手抜きで作ったマティーニを廃棄し、新たに注文通りジントニックを用意した。
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