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4章 クリスマス脱走事件

第12話 クリスマスの過ごし方

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 隔離都市外縁部の待機所に出前が届き、昼食を食べながらもヒルトの受け入れに必要な様々な問題を確認していった。

 三咲が問い合わせてみればヒルトの銀行口座に神山市は何の干渉もしておらず彼女が生活必需品を揃えるのに困る事は無かった。
 3LDKの空き物件も直ぐに確保でき、水道や電気の準備で年明けまではジークの部屋で生活する必要が有るがその程度は問題無い。

 そんな風にヒルトの神卸市での生活のハードルを5人で1つずつ潰していき、不足が有ればその時に対応するとして15時には解散と成った。
 冷静さを取り戻したヒルトは待機所から分厚い扉を抜けて都市内に入る際には手を繋ぐに留め、ジークと共に彼の部屋に向かって行く。

 その背中を見送って3人は揃って気が抜けた。
 カオルは空を仰いで大きく息を吐き、三咲は腕を組んで溜息を吐き、ガルドは相貌を崩す。

「これで一件落着か」
「はい。ありがとうございました」
「やっと終わったぁ」

 3人が居るのは隔離都市の中でも端で人気は無いがクリスマスのイベントに参加している人が多いのか街の中心から楽しそうな喧騒が聞こえてくる。

「カオルは同居人とパーティだっけ?」
「ああ。なるべく早く帰らないと」
「なら行きなさい。どうせ事務仕事は私の担当よ」
「ありがと。今度何か奢らせてくれ」
「ふっ、英雄から奢って貰えるとは三咲君も稀有な経験ができそうだな」
「ふふっ。破産させてやりたいですね」
「怖い事言うなぁ」
「三咲君、どうせ俺は暇人だ。何か手伝おう」
「え、良いんですか?」
「クリスマスに1人で寂しく過ごすのもな。まあ好きに使ってくれ」

 苦笑する2人に見送られてカオルも帰路に着き、直ぐにスマートフォンでヤ・シェーネに帰宅する事を連絡する。まるで待っていたかのように直ぐに既読が付いて待っていると返信が入り、カオルは思わず笑みを浮かべてしまった。
 自分の口元を抑えて笑みを隠しながら街中でイベントに歩き回る人々を見る。

 物理崩壊時、わざわざアップデート直後にゲームをしていただけあって殆どが重度のゲーマーだ。カオルはヤ・シェーネのようなイベントでも外出しない者が多いのかと思っていたが違うらしい。

 クリスマスイベントはスタンプラリーのような子供向けのものだが意外にも参加者は多く街行く人々の多くがスタンプカードを持っている。
 今日の為に裏方で頑張った人々に心の中だけで感謝を示しつつ、カオルは自宅へ急いだ。

 自宅に着いて扉を開け玄関で靴を脱いでいるとバタバタと足音がしてリビングの扉が開いてヤ・シェーネが顔を表した。
 心配させてしまっていたらしくヤ・シェーネは泣きそうになっている。

「えっと、ただいま」
「っ! お帰り」

 泣かれてはどんな顔をして良いのか分からないのでカオルは先に声を掛けた。
 ヤ・シェーネも泣く直前で出鼻を挫かれ顔を横に振ってから帰宅を喜んだ。

 カオルは自室の扉を開いてガンナックルの入ったアタッシュケースを部屋に放り込んでヤ・シェーネに歩み寄る。
 身長はヤ・シェーネの方が高いが泣いている子供をあやす様に正面から緩く抱き締めてヤ・シェーネの後頭部に右手を伸ばして自分の右肩に抱き寄せる。

 拒否される事も無くヤ・シェーネからも抱き着かれ耳元では小さな泣声が聞こえ始めた。

「ただいま」

 改めて帰宅の挨拶をしながら頭を繰り返し撫でる。
 少しずつヤ・シェーネが腕に込める力を強くしていき、最初は軽く抱き合っていたのに直ぐに全身を密着するように成った。そのまま押し込まれ身体を横に向けて壁に背を預けると開いた左肩を正面から弱々しく叩かれた。

「ごめん」
「何してたの?」
「神山市の脱走者を受け入れてた」
「危なく無かったの?」
「……」
「無茶したんだ」
「はい」
「危ない事、しないで」
「うん。頑張る」
「頑張らないでっ」
「……はい」
「何今の間」
「いや、なんて返事しようかなって思って」
「直ぐに素直に応えて!」
「はいっ」

 ヤ・シェーネに泣かれながらこんな事を言われてはカオルも口答えできない。
 今は抱き合っているから分からないが目を合わせていれば睨まれていただろう。
 ヤ・シェーネはカオルよりも高レベルのアタッカーで本気で怒らせれば冗談じゃなく命の危機だ。

 彼女の頭を撫でながら『本当に気を付けないと死ぬな』と胸中で乾いた笑い声をあげカオルはやっと帰って来た実感を得て身体から力を抜いた。

▽▽▽

「で、その彼女さんと彼氏さんを引き合わせる為にカオルさんが命を張ったと? レベル100を相手に殺し合いをしたと?」

 泣き止んだヤ・シェーネをリビングに落ち着かせ、自室で部屋着に着替えたカオルはコーヒーを飲みながら事の次第を根掘り葉掘り問い質されていた。
 もはやヤ・シェーネの目には2人に対して殺意が宿っておりカオルは冬にも関わらず額に冷汗を浮かべ始める。

「ほ、ほら、もう解決したし、折角のクリスマスだしローストビーフ作ろ。あ、この前、フライパンも作ったしヤ・シェーネの料理ジョブも試そうって言ってたよね」

 言い訳だと自覚しつつカオルはアイテムストレージからクラフトした少し歪なフライパンを実体化させ机に置く。

 カオルを困らせるのはヤ・シェーネも嫌なので今回はその言い訳に乗る事にし、フライパンを両手で受け取った。手作りのプレゼントなど何年ぶりだと思いながらヤ・シェーネは自然とフライパンを胸に抱いた。
 冷たい金属の感触なのに無意識に笑みを浮かべており、正面のカオルには思いっ切り見られている。

「そんなに料理人やってみたかったんだ?」
「え、マジで言ってる?」
「え?」

 見当外れなカオルの指摘に愕然としつつ、だから半年以上も他人なのに一緒に居られたんだと思い直した。

「ま、良いわ。じゃ、始める?」
「うん? そうだね。さぁて、ローストビーフは大変だから頑張らないと」

 命のやり取りをしてきた筈なのにカオルは大きく伸びをしていつも通りに見える。
 カウンターキッチンに向かうカオルを追ってヤ・シェーネも立ち上がった。

……自覚無くストレス溜め込んでるんじゃないでしょうね。

 月に1回の心理テストの結果は回答者にしか知らされない。
 勿論、ヤ・シェーネはカオルの結果を知らない。
 だから余計に不安になる。

……私と一緒に居る間くらいは、気楽に過ごしてよ。

 無自覚にストレスを溜め込んでいそうな恩人を見ていると自分の無力感に泣きたくなる。
 玉葱を切って涙を誤魔化し、ヤ・シェーネは隣でローストビーフを作るカオルの足を踏みつけた。
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