瑠菜の生活日記

黒岩 姫

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犬の飼い主

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 「やぁ、シャオ。久しぶりじゃないか。」
 「お久しぶりです。Bさん。」

 雨上がりのバス停。
 少し遠くに座っていた二人は人通りが少ないことを確認するとお互いの顔を見ずにすぐ挨拶をした。

 「調子はどうかな?あのボーヤとの子も、もうそろそろ……。」
 「ご安心してください。子供はまだまだ先です。」

 シャオと呼ばれた女性はニコニコとした笑顔のまま目を合わせずに言う。
 背は低いがとてもきれいな大人の女性という感じで、かわいいというよりもかっこいいの方が似合っている。

 逆にBさんと呼ばれたおじいさんは紳士的な感じで真っ白い髪が似合っている。
 真っ黒いスーツはきれいにアイロンがけがされているようだ。

 二人はお互いの間に閉じた傘を置いて話し出す。

 「この前頼まれたこと、もう調べはついてるよ。いやぁ、雪紀君に頼まれたときは乗り気にはなれなかったけど、シャオが頼んでいるって聞いて少し頑張ったんだ。」
 「すみません。ありがとうございます。」
 「どうも。」

 シャオは渡された資料に目を通し始める前にしっかりお礼を言った。
 資料には図や表、その説明らしき文章がたくさん載っている。

 「あの、やっぱり……ここ、普通ならあり得ないですよね。」
 「目の付け所がいいね。どんな風におかしいと思う?」
 「犬の行方不明数。ほかにもいろいろですかね。」
 「そうだな。確かにこの地域の行方不明になった犬の数は異様に増えている。理由すらも警察は調べ切れていない。まぁ、ただ単に脱走した犬が増えたってだけかもしれないが。だから深くは調べないんだ、警察もね。」

 シャオはとある地域の行方不明になった犬や動物の苦情などを集めた資料をもう一度見直した。
 このBという男がどこからこの資料を持ってきたものかはわからないが、役所で管理されるようなことしか書いていない。

 「動物の死んだ数は一定か……。」
 「別に死んだからって報告する人は少ないしね。」
 「……苦情は、ある人から特別多く来ているような気がしますね……。単なるクレーマーですか?」
 「そういうことは君の方が調べやすいだろう?わしはもう行くよ。」
 「ありがとうございました。」

 シャオ、もとい瑠菜は深々と頭を下げたのちにBと名乗る男が進んだ道を眺めた。

 「……行く価値はありそうね。」

 そして、髪を少し高い位置でくくってからBの進んだ道とは逆の道へと進んだ。





 「こんにちは。先ほどお電話いたしました、シャオと申します。」
 「やっと来たわね。もう、役所っていうのは本当に何もしないんだから。」

 大きな白っぽい色の家から出てきたのは中年くらいのおばさんだ。
 勢いがとにかくすごくて役所からはひたすら面倒がられたのがすぐにわかる。
 瑠菜はそのおばさんの気迫に押されかけた。

 「すみません。一応役所ができないことをうちの会社に頼んだ方がいて、私は役所の人間ではないのですが……。」
 「そんなのどうでもいいわ。やっぱり隣の家おかしいわよね?」
 「さぁ?それは調べてみないと何とも……。」

 瑠菜が首をかしげて言いかけると外から犬の泣き声がした。
 それに瑠菜がびっくりしていると物が落ちる音や壊れる音が次々に鳴り響いた。

 「また始まったわ……。」
 「……役所の方々はなんとおっしゃっていましたか?」
 「どうしようもないって。犬の泣き声はただの動画から流れている音声で、物の壊れる音は少し障害があるから仕方ないって片されちゃったの。」
 「障害?」

 瑠菜は首をかしげながら音のした方向を見た。
 瑠菜が来た場所は依頼主であるおばぁさんの家の隣の家だ。
 ここ何年かで数十件もの苦情を役所に届けていることが分かっている。

 「障害を持っていて、手足に力が入らなくなるんだって。叫び声がしたと言っても信じてもらえないし、まるで私がクレーマーみたいな対応をされて。」
 「隣の方はどんな方ですか?」
 「ズボラって言うのかしら?いつも黒い服を着ているわ。でもまぁ、お風呂に入る回数は多いわね。一日五回入ることがあるくらい。でもそれ以外は本当にズボラ。最近は変なにおいもするし。」
 「五……。きれい好きですね。」
 「夜はいないこともあるわ。まぁ……基本足音とか生活音がうるさいから移動したとかそういうのしかわからないけど。」
 「……ありがとうございました。」

 瑠菜はそう言って聞いたことをメモし始めた。
 女性は本気で困っているらしくため息をつきながら瑠菜を見た。

 「あの人……逮捕されたりしてくれないかしら。」
 「私にはまだ判断できません。二階から隣は見えますか?」
 「えぇ。」

 瑠菜は依頼者であるおばぁさんの家の写真を何枚か撮るとすぐに帰ろうとした。
 その間も女性はあまりスッキリとした様子ではなく、ずっと不安や怒りと戦っているような表情だ。
 瑠菜はそれを見て見ぬふりしてお礼を言う。
 いつも通りだ。
 本当ならさっさと帰るつもりだったが、ゆっくりと考え事をしながら歩いていたからか帰りつく頃にはもう夜中だった。
 なので瑠菜は裏口からこっそりと部屋へ行くことにした。

 「なんで電気つけねぇの?」
 「見えるから?」

 瑠菜は楓李が電気をつけながら口をとがらせて言う姿を見て、びくりと肩を跳ね上がらせてから答えた。

 「どこ行ってたんだ?」
 「……依頼者の、家の、隣の人の家。」
 「どこだよ。」
 「……あのワンちゃん、虐待を受けてる。」
 「ワンちゃんって、子供っぽいからそう呼ばないんじゃなかったのか?」

 瑠菜が少し悲しそうに言うとわかっていたことだろうという目で楓李は瑠菜を見た。

 「何匹いたんだ?」
 「さぁ?見てはないから。でも、あの人は何かを殺してる。」

 瑠菜が先ほど撮った写真を楓李に見せると楓李はすぐにその写真に食いついた。

 「ほぉ、さっさと雪紀兄さんに連絡した方がいいかもな。」
 「この写真とあの人の住所送ったし、もう動いてると思う。」
 「なら安心だな。」
 「どうなるかなぁ、ワンちゃん。」
 「保護施設とかに行くだろ。少なくとも俺らには飼いきれねぇし。」
 「だよね。……それにしてもきれいだったなぁ。」

 瑠菜は一枚の写真を拡大してうっとりと依頼者の家の中に飾られた写真を見た。
 依頼者の家の外には一本の枯れたような姿をしたアジサイがあった。
 そして、家の中には青とピンクのアジサイの写真が飾られている。
 途中で色が変わっているのはとても珍しい。

 瑠菜でさえも昔、コムが携帯で見せてくれた写真でしか見たことがなかった。
 その時は、人殺しをしているかもしれない人の家で咲いていてその根っこ部分に死体が埋まっていたらしい。
 もちろん、子供だった瑠菜は現場には連れて行ってもらえなかったため、本物はいまだに見たことがない。

(死体でも埋めれば見られるんだろうけど……お墓にアジサイを埋めてみるか?)
 「墓にアジサイを埋めるとか言い出すなよ。」
 「なぜわかったし。」
 「単純。埋葬する墓がこの国にはねぇから無理だ。」
 「わかんないじゃん。」
 「人んちの墓に勝手に植えるな。」
 「ダメかぁ。」





 

 数日後。
 雪紀から通報を受けた警察がおばぁさんの家へ入って調査をすると、中は大変なことになっていた。
 多頭飼いや動物虐待、殺人の証拠がたくさん出たらしい。
 聞いたところによると、おばぁさんは犬への虐待が日常化していたが、その虐待していた犬が死んでしまった。 
   そこで子犬を増やそうとしたのだ。
   しかし、瑠菜たちが預かっていた犬のパピが生まれた子犬をかみ殺してしまい、どうやっても子犬が大きく成長しなかった。
 おばぁさんはそれが何回か続いたため瑠菜たちにその犬を預けたのだと。
 そして、その犬は証拠になるからと近い日に警察によって連れて行かれてしまう。

 瑠菜はそれを聞いてサクラたちには言わないようにしようと楓李やあき、雪紀にまで言った。
 もちろん、雪紀はどうせ犬を警察に渡さなければいけないのだからすぐにばれるだろうと瑠菜に言ったが、瑠菜は少なくともその犬の過去だけでも言わないでほしいと皆を説得した。
 しかし犬が連れていかれる日、サクラは何かを察したかのように大泣きして嫌だと言った。
 連れていかれるときは龍子やリナがサクラを取り押さえ、連れていかれた後は青龍が一時間弱くらい慰めていた。

 その数時間はお祭り騒ぎでてんやわんやしていた。

 「サクラも青龍も龍子も、リナまで寝ちまったけど。瑠菜は仕事大丈夫か?」
 「何とかなるわよ。今までは一人だったんだから。」
 「そりゃいいな。俺は間に合うかどうか。」

 楓李はそう言いながらため息をついて椅子に座った。
 みんなでご飯を食べる場所に一人座っていた瑠菜はコーヒーを一口飲んでじっと楓李を見る。

 「間に合わないなら早く取り掛かりなさいよ。」
 「瑠菜はどう思う?あの犬。」
 「はぁ?別に、生まれるところを間違えたんだなっ……。」
 「そうじゃなくて、なんで子犬をかみ殺してたか。」
 「……知らないわよ。」
 「あっそ。じゃあ、いいや。」

 瑠菜が一言そう言うと、楓李はつまんないというように立ち上がってどこかへ行こうとした。

 「……頭のいい犬だとは思ってたけど。そこまで、犬が頭いいとは思ってないわ。」
 「わかってんじゃん。」
 「なんでもない。ただの独り言よ。」

 嬉しそうに反応する楓李に瑠菜は不機嫌そうに言い返す。
 本当のところを言うと、犬はきっと自分のように痛い思いをしないよう子犬をかみ殺していたのではないかと瑠菜は考えていた。
 そして、それならきっとその犬とはひと時の別れであろうとも思っていたのだ。







 「瑠菜ちゃん。」

 瑠菜はその声を聴いて、あぁ、嫌な夢だなぁと思った。
 だって、この丸みのある朗らかな声で瑠菜にちゃん付で呼ぶのは一人しかいない。
 いや、いなかったのだから。








 「そういえば、瑠菜さんとのなれそめ。教えてよ。」
 「お前なぁ…………。」

 楓李は年上であるはずの自分に対してバリバリのため口で話しかけてくるリナに何も言えなくなった。
 怒りたいのだが、怒る気も失せてしまうほど楓李は疲れていたのだ。

 犬が警察に連れて行かれてからの一週間、毎日の仕事が最高潮に忙しかったため楓李自身も瑠菜に会えていない。
 リナに会ったのもすごく久し振りだ。
   一応、一緒に住んではいるのだが会わない時は全く会わない。
   それくらい忙しかった。

 「なれそめって何だよ。」
 「初めて会った日、とか?」

 リナはそう言いながらも教えてくれないかとあきらめて頬杖をついた。
 楓李はため息をつきながら甘い紅茶を飲みこむとコップを置いた。

 「……小学、4年生くらいだったな。瑠菜と初めて会ったのは。」
 「え?瑠菜さんって小5でここに来たんじゃ?」
 「あぁ、ここに来るちょうど一年くらい前に公園で瑠菜に会ったんだ。まぁ、公園つってもただの空き地みたいなとこだが。」
 「え?」

 リナは急にすっとんきょうな声をあげた。
 楓李はそんなリナの反応が面白かったのか少し笑った。

 「なんで急に目を丸くしてんだ?」
 「……もしかして、体弱かったりした?その時病気になったり。」
 「なんで知ってんだ?まぁ、あの時は栄養失調とかもあったし入院はしたけど。」
 「じゃあ、夕方の公園で瑠菜に声をかけた?」
 「そうそう、ずっとこっち見てたし。俺もあの時は何も考えずに人に声をかけまくってたからな。」

 リナはつい最近、サクラが語っていた瑠菜のこはくとのなれそめについてを思い出した。

 作業の片手間に聞いていて、犬がいなくなったことで瑠菜もサクラには甘くなっているからこそ聞けた話だ。
   いつもなら瑠菜は自分の話を目の前でされることを嫌って止めるのだが、それでサクラが笑ってくれるなら仕方ないとつぶやいて止めなかったのだ。

 「名のった?初めて会った時。」
 「いや、俺は名のってないな。瑠菜の方は一人称が瑠菜だったからわかったけど。」
 「なんで名乗らねぇかなぁ……。」

 リナは楓李の様子を見て頭を抱えていたが、楓李の方はすぐに何かを察したようだった。

 「瑠菜が何か話してたのか?こはくとの思い出として。」

 楓李は少し寂しそうに笑ってリナの目を見た。

 「なんで教えない?」
 「あいつはわかってて言ってるだろうよ。こはくじゃないってことくらいは。まぁ、俺だと気づくことはないだろうけど。」
 「言えばいいだろ?」
 「言えねぇよ。こはくとの思い出としてあいつが楽しいものだと思っているとしたら、それで幸せならそれでいいし。」

 楓李はとことん瑠菜のことだけを考えているなぁとリナは思った。
 リナが言えることではないが、楓李だってそこまで年を取っているわけではない。
 楓李くらいの年なら彼女の幸せよりも自分の欲のほうが勝ってしまうであろう。

 いや、リナは楓李に独占欲がないとは到底思えない。
 何ならいつも見えている部分よりも強い独占欲があるといつもの反応を見ていて思っている。

 「嫌いになれば我慢することもないのに。」
 「我慢なんかしてねぇよ。」

 リナがぼそりとつぶやいた言葉に対して、楓李は柔らかい笑顔で答えた。

 「さぁて、もう寝るか。」
 「うわっ!もうこんな時間……。明日起きれるかなぁ。」
 「明日は瑠菜の仕事休みだろ?」
 「あきの仕事を手伝ってほしいって。一か月くらい駆り出されてんの。」
 「休みなくなるやつじゃん。」
 「そこはうちの師匠ちゃんとしてるから。特別に休日くれてるけど。」
 「そんなにちゃんとした師匠か?」

 楓李がからかうように言うとリナは目をそらして黙った。

 休みの申請書を書かないといけないのに前日までしっかり忘れ去られていて冷や汗をかいたからだ。
 しっかりしているようでしていないのが瑠菜だ。
   ぎりぎりに出された書類のおかげでしっかり休みはもらえているものの、あの時に感じた焦りや不安は一か月くらいの連休をもらってもいいレベルだとリナは思っている。

 楓李はうなだれるリナにどんまい、と声をかけてからコップを流し台に置いた。

 「……うぅ、……瑠菜には、いつか絶対その時のこと言えよ!」
 「はいはい。」

 楓李は言うつもりなどないがとりあえず返事をした。

 もし言ってしまえば、こはくは嘘つきになってしまう。
 こはくは、こはくの優しさから瑠菜を否定しなかった。
 楓李がそう頼んだこともあるが、頼まなくてもこはくは言わなかっただろう。
 瑠菜の性格上、否定してしまえば思い詰めてしまうからだ。
 それは楓李もわかっている。
 何より、もういない、こはくを悪者にしたくはない。
 それが、楓李の言わない理由なのだ。
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