瑠菜の生活日記 番外編

黒岩 姫

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瑠菜の過去

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 これは瑠菜が小学生の頃のお話。

 「瑠菜ちゃん。お留守番よろしくね。あとで、かえとあき君も来るから。」

 コムという瑠菜の師匠のような存在である女の人が瑠菜に声をかけた。

 「はい。今日のお仕事はお使いだけなので、お掃除も済ませて待っています。」
 「ありがと。でもね、瑠菜ちゃん、頑張りすぎないでね。」
 「そうだぞ。無理すんなよ?」

 雪紀が今だと言わんばかりにコムの後ろから言う。
 雪紀もまた、瑠菜の師匠だ。
 瑠菜はこの二人の手伝いをしている。

 「いいか?自分のことを考えて動け。他人のことなんて……」
 「他人のことなんて考えなくてもいいことはない、でしょう?何度も言われてるからわかってるわ。」

 瑠菜は雪紀の言葉をさえぎって言った。

 「瑠菜ちゃんはいい子だから、働き者だし頑張りすぎちゃうのよね。」

 コムは瑠菜の頭をなでながら言った。

 今日のコムは、赤茶色の腰まである髪を低く結んでいて、真黒なワンピースを着ている。
 二人は何も言わないが、瑠菜は誰かが亡くなったのだろうと予想した。
   この二人が出向く必要のある人物と言えば、会社の上の位についているものか、会社に大きくかかわった人なのだろう。

 「それじゃあ、行ってくるわね。」

 コムは瑠菜に向かってひらひらと手を振る。

 ブレスレットのような、いつもつけている腕輪が光を反射しながら揺れる。
 いつもよりもピシッとしたスーツを着た雪紀がコムと瑠菜を見ているのに瑠菜は気づくと、にっこり微笑んで見せた。

 「行ってらっしゃい。お姉さん、お兄ちゃん。」

 コムは瑠菜に言われてニコッと返してくれたが、雪紀は無視してそのまま車の前まで歩いて行ってしまった。

 「あらあら、照れ隠しかしら?あっ、そうそう。瑠菜ちゃん、目の前の道がね、最近すごくスピードを上げて走る車がいるから、できるだけ裏の道を使ってね。」

 目の前の道とは、表の道で今雪紀の車が止まっている道だ。
   車が一台ぎりぎり走る舗装された道で、抜け道としてスピードを飛ばして走る車は少なくない。
   警察に見張ってもらうことも考えたが、ほんの何人かしか使わない道をずっと見張っていてもらうのも悪いという話になったためやめた。

 それに比べて、裏道は車一台も通ることはできない。
   そして、荒れ放題というわけではないが舗装はされていないため歩きにくい。

 まぁ、大丈夫だろうと瑠菜は思った。
 もともと、瑠菜は表の道があまり好きではないため誰もいないときにその道を使うことはほぼない。

 「はい。」

 瑠菜が笑顔で答えるとコムは安心したように車の中に入った。

 瑠菜は車が山を下りていくのを見送ってから箒を取り出した。
   傘だての中に三本だけある箒だ。

 カラフルな傘が目に入ると瑠菜は昨日まで雨が降り続いていたことを思い出した。

(少し干しておかないと錆びちゃうな。)

 瑠菜は傘を開いておもりをつけて地面に置いた。
 店が開く時間までは家の前をきれいに掃除して、店の開店に間に合うように買い物へ行く準備をする。

 「買い物、行ってきます。」 

 誰もいない部屋に向かって、瑠菜は声をかけてから行った。

 いつも通り、裏道をすべるようにして山を下る。
   表の道は近いため便利ではあるが坂を歩かないといけない。
   それに比べて、裏道はゆったりとした坂になっている。
   その分歩く距離は遠くなるが瑠菜からしたら急な坂を歩くほうが嫌だった。


 
 「瑠菜ちゃん。お使い?」

 商店街に瑠菜がつくと、少しやせている全体的に色白の八百屋のおっちゃんや、肉付きの良い背の底まで高くない肉屋のおっちゃんが声をかけてくれた。

 「何が欲しいんだい?安くしとくよ。」
 「ありがとうございます。じゃぁ……」

 瑠菜は晩御飯の材料を買って、次に大きな店を訪れた。

   もっと町のほうへ行くとスーパーともいえるような店があるのだが、瑠菜は忙しかった。
 つまり、早く帰りたかったのだ。

(八百屋さんとお肉屋さんのほうが安いなぁ。)

 お行儀よくきれいに並んだ野菜や肉を見て、瑠菜は正直に思った。
 瑠菜は、食に関しての興味がそこまでない。

   コムや雪紀なら、高いほうを買いたがるのだろうが、瑠菜は食費をできるだけ安く済ませたいと思っていた。
 帰り際に瑠菜は八百屋のおっちゃんからもらった飴を握り締め、肉屋のおっちゃんからもらったコロッケをほおばりながら家へと戻った。
   コロッケも飴もいつももらえるのだが、これが特別おいしいのだ。

 


 「ただいま。」
 「おかえり。瑠菜ちゃん、コムさんの買い物?」
 「こはく!あっ、もう来てたんだ。早かったね。……えぇ、今日はいつもより多めに買っちゃった。あれ、怪我してる。大丈夫?」
 「きぃ姉さんにぼこされたんだ。薬、もらってもいい?」
 「あっ、う、うん。今出すね。」

 瑠菜が家に帰ると、こはくが玄関で立っていた。
   そして、瑠菜が荷物を置いて薬を取りに行くと、こはくはそっと瑠菜の荷物を持ってリビングにむかった。

 「あれ?ヒカル珍しいね。部屋の外に出てるなんて。」
 「…………もう帰る。」
 「え?待ってよ!ヒカル。俺一人じゃ無理だって!ちょっと、誰か―!」

 ヒカルがさっさと自分の部屋へと帰っていく中、あきは半泣きで何かを押さえつけながら助けを求めている。
   よく見ると、楓李が所々血を流しながらも逃げようとしていた。
  
 「瑠菜ちゃん。これ冷凍庫でいい?」
 「あ、ごめん。忘れてた。うん、よろしく。」

 関わりたくないのか、こはくは瑠菜の買ってきたものを棚や冷蔵庫の中へと片付けている。

 「あきも怪我してるじゃない。手当てしてあげるから、それ放して。」
 「え?でも。」
 「いいから。」

 あきに解放された楓李はそのままどこかへと逃げようとしている。

 「私にしてもらわないと、お兄がやることになるけどいいの?」

 瑠菜は、子供とは思えないトーンの声で楓李にそう伝える。
   楓李のほうからは表情は見えないが、それも含めて怖く感じた。

 「瑠菜ちゃん、たぶんかえが一番重症だよ。僕よりズバズバ言うから、きぃさんずっとかえを見てたし。」
 「もう少し折れなさいよ。」
 「好きでもねぇ女の言うことをはいはい聞き入れられるか。」
 「好きでもない私の言うことは聞くくせに、本当に頑固ねぇ。」

 瑠菜はその場にいなかったにもかかわらず、大いに楓李ときぃ姉の喧嘩している姿が想像できた。

 「とりあえず、怪我の処置するわね。」

 瑠菜はそういって、雪紀の薬箱を開けた。
 雪紀の薬箱を使えるのは瑠菜しかいない。   それ以外の人が触ると、怒られてしまう。

   瑠菜は、よく怪我をして帰ってくるこの三人を見ていて、雪紀が帰ってくるまで待たせているのはかわいそうだと思い、雪紀から直々に手当ての仕方を教わった。
   雪紀からしてもかわいい弟子であったのか、簡単な処置は教えてくれたのだ。

   そして、雑な雪紀よりも丁寧な瑠菜のほうがいいと思った三人は基本的に瑠菜に処置してもらうことが増えた。

 「はい、終わったよ。」

 暴れる楓李を押さえつけていたあきが手を離すと、楓李は逃げるようにして瑠菜から離れた。
 ざっくりと切れていたりしていたそうだったので、逃げる理由もわからなくはない。

 

 
 「瑠菜ちゃん。外に干してある洗濯物取り込まないと。また雨降るって。」

 こはくに言われて、瑠菜は外を見た。風向きや風の強さ、雲の様子を確認して外に出ると、こはくも瑠菜の後ろからついてきた。

 「こはく、洗濯物をお願い。」
 「そうとうだな。これも瑠菜が干したの?」
 「干さないと錆びちゃうし、何より雨降ると思ってなかったから。あ、それはリビングの端のほうにでも置いておいてもらってもいい?」
 「うん、僕はもうそのまま家の中はいるから。洗濯物だけ入れておくね。」
 「ありがとう。」

 あの三人の中で、瑠菜の手伝いをするのはこはくくらいしかいない。
   昔からこはくは人当たりがよく、雪紀やきぃちゃんの特訓も難なく合格する。 
   それに比べて、頑固な楓李と弱虫で泣き虫なあきは合格までに時間がかかり、瑠菜の手伝いなどする余裕すらなかった。
   楓李に関しては、怪我で動けない日だってあったくらいだ。

 「干さなければよかったかなぁ。……あっ、でもきれいに乾いてる。」

 


 こはくがリビングまで戻ると、楓李があきに羽交い絞めにされていた。

 「どうしたの?さっき瑠菜に手当てされてたじゃん。」
 「足は嫌だからって言うから瑠菜には黙ってたんだ。楓李、消毒するだけだから。」
 「いいって!つーか緩めろ。いたい!」

 こはくはそれを見てあきに緩めさせ代わりに自分が楓李を押さえつけた。

 「僕は心臓弱いんだから手加減してよね?かえ。」
 「放せよ!」
 「放したら逃げるでしょう?」

 こはくの下で必死に逃げようともがく楓李は数分頑張ったが、あきらめた。
   いつもやすやすと合格をもらうこはくと頑張って合格をもらう楓李じゃ差は一目同然だ。


 
 楓李が悲鳴を上げているころ、瑠菜は丁寧に傘をたたんでいた。
 防音のつくりをした、家だけあって外にいる瑠菜には三人の声は全く届かない。

 「やっとあと一つ。」

 瑠菜が最後の傘をうっきうきで中に入れると、外からザーッという大きな音がした。

(うわぁ、ぎりぎりだった。)

 住んでいる人間の何倍もの量の傘を一か所に集めて、一つ一つ丁寧にくるくると縛ってから傘だてに元通りの形になるように片付けていく。

 外からは、遊んでいた女の子たちがキャーキャーとはしゃぎながら走り去っていく声が雨の音とともに聞こえてきた。
   瑠菜は他と比べて耳が特別よい。
   特に人や車の音など自分の危険にもつながる音はどうしても敏感になってしまう。

 瑠菜はこの日、それが裏目に出てしまった。
   耳の良さは、誰もが認める特技や能力の類に入るが、この日だけは普通の人と同じだったらよかったのだ。

   耳がよくなければ、それかこの時ドアを閉めて楓李やこはくのもとに行けばよかったのだ。

 

 
 瑠菜が外を眺めていると、黄色いボールが表の道に転がってきたのが見えた。

 瑠菜はそのボールが見えた瞬間にはもうすでに走っていた。
   ボールを追いかけてきた女の子事抱え込みながら、道に倒れこんだ。
   車一台分しかない道の端、ぎりぎりまで寄ったつもりだったが少し足りなかったらしい。

 次の瞬間には少し大きめの車が通り、それと同時に鈍い音が雨の音にかき消されかけながら響き渡った。

(あーあ。やっちゃった。また雪紀兄に怒られちゃうな。)

 


 「今なんかすごい音しなかったか?」
 「雨も降りだしたし、誰かこけたかな?」

 楓李が言うと、こはくは首をかしげながら言った。

 「いや、もっとすごい音だ。」

 楓李も瑠菜には劣るが、他と比べるとまあまあ耳がよい。
 こはくは、洗濯物をたたみながらも楓李の言ったことが気になりだした。

 「あき、瑠菜ちゃん帰ってきた?」
 「そういえば、まだ帰ってきてないね。」
 「ちょっと呼んできてもらえない?」
 「うん。」

 あきはそのまま瑠菜の様子を見に行った。
 そして玄関を開けてすぐにそれが目に入り、短く悲鳴を上げた。
 表の道に真っ赤な水たまりができていたのだ。

 「か、楓李!こはく!」

 あきは頭が真っ白になり、二人を大声で呼んだ。

 「どうした?あき。」
 「ん?」
 「瑠菜が!」

 あきの焦りようと、道の状態を見てこはくと楓李はすぐに理解した。
 とはいえ、まだ小学生の三人だ。

 「あきは雪紀さんに電話しろ。こはくはちょっと来い。」
 「え?」
 「わかった。」
 「お前が、俺らよりも平常心で今いられるとは思えねぇ。どうせ、一人は報告に回らねぇといけねぇし。」

 この三人の中で楓李だけだった。
   しっかりとやるべきことをわかっていて、なおかつ平常心で貫き通すことができるのは。
 こはくは楓李に言われたことをやった。
   近くまで寄ると本当にあきは連れてこれないとこはくは思った。

 瑠菜は一人の女の子を抱えていた。
   相当怖かったのか、動こうとはせず、瑠菜に抱き着くようにしてじっとしている。
   瑠菜のほうは、片足を曲げているがもう片方の足は延ばしたままになっている。
   伸ばしたほうの足は、雨で血が流れてタイヤの跡がくっきりと残っている。
   燃えたような跡もあるように楓李は感じたが、何も言わないようにした。

 「近くの家の子だね。おいで、痛いとことかはある?」
 「……。」

 女の子は何かを言ったが雨にさえぎられてよく聞こえなかった。
   しかし、少し声がかれていることはわかった。
   ずっと泣いていたのか、助けを呼んでいたのかのどちらかだろうとこはくは思った。

 「息ある?」
 「……あぁ。」

 こはくはそれを聞いて少し安心したが、楓李の表情から落ち着くことはできないなと悟った。
 後ろを見ると、あきが震えたままこはくに手招きをしているのが見えた。

 「瑠菜、どう?」
 「スマホ、雪紀さん?」

 こはくはスマホを取り上げながら言った。   あきも自分では説明しきれないと思いながら小さくうなずく。

 「おい、こら。あき!」

 電話の向こうでは雪紀が怒鳴っている。
   慌てるのも無理はないなとこはくは思った。 

 「雪紀さん。こはくです。」

 ギャーギャーと騒いでいる雪紀を無視してこはくはそう言った。

 

 雪紀はちょうどお偉いさんへの挨拶を終わらせたところだった。

 「やったぁー!おわた!」

 横ではコムが手を大きく上にむかって広げている。

 「はいはい、手を上に広げんな。」
 「体がこわばっているのだもの。」
 「緊張してか?」

 そうは思えないという目で雪紀はコムを見た。
 コムはむっとしながら、ジュースを口に運んだ。

 「なんか鳴ってるよ。しっかりしな。電話じゃあないのかい?」
 「げっ!」
 「ゲッとは何だい?小娘が。女なんだったらもっとしっかりしな。」

 コムが見ると雪紀の横に九十歳を超えているであろう老人が立っていた。
   老人はぺシッとコムを叩いてからそのままどこかへ歩いて行った。

 「いやぁな気配がするねぇ。雨なんか降っちまってよ。もうあんたらは帰りな。待ってるやつらがいるんだろう?」

 老人は、目を細めながら振り向くとそういった。

 (つまりはもう用なしだから帰ろ。と。)

 コムはこの老人の年も名前も知らない。
   ただ言えるのは、コムが給料ともいえるお金をくれる会社のトップだということだ。
   社長よりも偉いのは確かだと言える。

 「どういうことだ?」

 雪紀の怒鳴り声にびっくりとしたコムは雪紀の近くへと行く。電話の内容が知りたかったのだ。

 『る、瑠菜が、倒れていて、血が…………』
 「はぁ?あき、何があった?もっと詳しく言え。」
 (あきから?瑠菜ちゃんに何かあったのかしら?)

 コムは耳を済ませて会話を聞こうとしたが一分一秒を争うことだと思い、雪紀の肩を叩いた。

 「雪紀、車に戻りましょう。」

 雪紀は周りがこちらを見ていることに気づき、一礼してからコムが車に入った後自分も入った。

 「雪紀さん。こはくです。」
 「あぁ、こはくか。何があった?」

 雪紀は車に入ってもピリピリカリカリとして、あきにもう一度問い詰めているとこはくが急に電話を替わった。
   コムにも聞こえるようにスピーカーにしてもらっている。

 「瑠菜が事故にあいました。家の前の道でひき逃げです。ボールを持った近所の子供を抱えていたことからかばったのかと。僕らが来た頃にはもう倒れていたので、ナンバーや車の色はわかりません。」
 「はぁ、だから言ったのに。」
 「え……」
 「息はあるそうです。ただ、右足にタイヤの跡があります。」
 「救急車は?」
 「今楓李が呼んでいます。」

 コムは言葉が出なかったが雪紀とこはくが知りたい情報をすべて話してくれた。

 「る、瑠菜ちゃんは。大丈夫なのね?」
 「はい。」
 「ガキは?」
 「え?」
 「瑠菜が抱えてたガキだよ。命削ってでもかばったんだから、怪我とかねえのか?」
 「あ、怪我は見たところしていないようです。楓李に見せないと何とも言えませんが、」

 そこまで聞いてコムが安心していると、雪紀がコムにスマホを投げた。

 「コム、持ってて。」

 雪紀は車のエンジンをかけて、またこはくに問いかけた。

 「救急車、あとどれくらいかかるって?」

 こはくは楓李に聞いてからもう一度あきのスマホを握ると答える。

 「五十分らしいです。」
 「それくらいあれば着くな。今瑠菜を世話してんのは楓李か?」
 「は、はい。」
 「じゃぁ安心だ。もう少し頑張れって伝えとけ。」

 そういって、雪紀はコムに電話を切るように言った。

 雪紀が直接医学について教えたのは後にも先にも楓李しかいない。
   雪紀は自分が認めた相手にしか医学について教えないのだ。
   瑠菜には、医学の知識は教えていない。
 それくらい、楓李は腕がよかった。信頼できる弟子なのだ。

 

 雪紀とコムが家までたどり着いたのは、電話を切ってから十五分後くらいだった。
   相当飛ばしたらしく、あまり車酔いをしないコムがふらふらとしていた。

 「雪紀さん。もう帰ってきたんですか?」

 大雨の中何とか瑠菜の手当てをしていた楓李はびっくりしたように帰ってきた二人を見た。
   こはくは、あきと女の子をなだめていたが楓と同じ気持ちだった。

 「手際いいな。楓李。上出来だ。」

 雪紀はそういうと瑠菜のタイヤの跡がある足を触って、そのまま抱きかかえた。

 「家の中連れて行くぞ。」
 「はい!」

 瑠菜は特に轢かれたほうの足がだらんとしていて、ぐったりとした人形のようだった。
 楓李は雪紀の言う通りに動き、手伝いをした。
   楓李は雪紀に対してあこがれを持っていた。

 雪紀は医師免許を持っている。
   もし雪紀が病院に勤務していたら、絶対に凄腕の医師と言われていただろう。
   しかし、今は本人のやる気の問題で、宝の持ち腐れ状態だ。

 雪紀はちらりとこはくの手を握っている女の子を見た。
   まだ、ヒックヒックとしゃっくりを上げている。

 「大丈夫よ。おいで。」

 コムは雪紀の意図を読み取って女の子に声をかけた。

 「けがはないな。のどが少し腫れてるくらいか。」
 「雪紀、腕の所を少しすりむいてるわ。」
 コムが言うと、雪紀はその傷を見て少し手当てをした。
 「一生懸命教えてくれたのね。怖かったでしょう?」

 女の子は唇をかみながらコクリと小さくうなずいた。

 「家に親、……ぐっ。」
 「お家にお母さんとかお父さんはいる?」

 コムはこれ以上怖がらせないようにと、雪紀の足をかかとで踏んでから聞いた。
   雪紀は口が悪いし、言葉遣いも雑だから。
 女の子は首を横に振り、そのまま下を向いてしまった。

 「誰もいなかったよ。」

 こはくが立ち上がると、あきがこはくのおなかあたりに縋り付いているのが見えた。
 あきは小心者で怖がりだ。
   瑠菜が倒れているのを見て相当びっくりしただろう。

 「あき。」

 雪紀もそれには気づいていた。

 「よく見つけたな。」
 「こはくが見に行けって言ったから。」
 「ちっこい動物の死体でさえも腰を抜かすのに、ちゃんと楓李とこはくを呼べたんだろ?それだけでも上出来だ。」

 あきが少しうれしそうにうなずいたところで救急車が到着した。

 雪紀が少しでも手を加えていて、止血も済んでいるため死にはしないだろうと全員が安心したが、さすがに手術にはなるだろうということだった。

 なんといっても足のケガがひどかったのだ。

 


 瑠菜が目を覚ましたのは、手術の終わった次の日だった。
 瑠菜自身、何があったかはあまり覚えてはいなかった。
   女の子を抱きしめた感覚と、楓李が来た時の安心感が少しあったくらいだ。

 「お兄、お兄。」

 瑠菜は一晩中そばにいてくれていたのであろう雪紀に声をかけた。
   ぐっすりと寝ていて、相当疲れているのが分かった。

 「……お、目が覚めたか。」
 「お兄、私……何が?」

 瑠菜は自分につながれた点滴を見てびくびくしながら雪紀に声をかけた。

 「ちびっ子助けたんだろう?バカだな。あれだけ言ったのに。」

 瑠菜はそういわれて、右足に痛みが走ったのを思い出した。
  声も出ないような痛みで、動こうにも動かなかったのだ。

 「あれ?」
 「骨はボロボロ。俺は気づかなかったが、やけどもあったらしい。」

 瑠菜の足は軽いやけどもあった。
   楓李が最初に見つけてはいたのだが、伝えるのを忘れていたのだ。
 どちらにしても、使い物にはならないほど骨折もしていた。

 「私、どうやって歩くの?」
 「……。」

 瑠菜の作り笑顔で尋ねた問いに対して、雪紀は答えなかった。
   返す言葉が見つからなかったのだ。

 「なんか、食べたいものとかあるか?」
 「ない。」
 「瑠菜。」
 「もう帰って。」

 雪紀はどうすることもできず、とりあえず病室から出た。
   瑠菜はその後ろ姿を見送ってから、外を眺めた。 

   こういう時、たいていの人は自然と涙が出るらしいが、自分はそういう人間じゃないことは瑠菜が一番よく知っている。
   ただ外を眺めるだけ。
   頭がうまく回らず、理解が追い付かない。

(クビか……)

 瑠菜は動かない自分の体を見てあざ笑うようにそう思った。
   瑠菜が最初に思ったことは仕事のことで、口に出ていてもおかしくないほど強く思った。
 また、雪紀は病室を出てからすぐに立ち止まった。

 「……いや……、辞めさせない……」

 この会社は体力命だといってもいい。
   体が動かないのであればいらない。
   体力さえあれば小学一年生でも、お茶出しや資料を運ぶ仕事を任せる。

   瑠菜もそれは承知だ。
   もしやめればみんなとは会えなくなることも。

 雪紀は、もともと運動音痴である瑠菜の体力などあてにはしていない。
   楓李やこはくはよく動くし早いが、瑠菜は会った時から運動が苦手なことは目に見えてわかっていた。
   なぜ、瑠菜を弟子にしたかというと、瑠菜は頭の回転が特別早かったのだ。

   はじめ見た時、雪紀は川に飛び込もうとした瑠菜を腕の中に抱えてそのまま後ろへと転んだ。
   助けたと言えばそうなのだが、あのとき瑠菜が叫んだり暴れたりすれば雪紀は警察行きだっただろう。
   普通の子なら助けを呼んで逃げただろうが、瑠菜はそうしなかった。

   それどころか、雪紀の住所や名前を聞き冷静に「放さないと警察呼びますよ。」と、言ったのだ。
   いくら雪紀でもさすがにびっくりしたが、不思議なことに小さい小学生の瑠菜から殺気を感じて個人情報をすべて告げてしまった。

    その後も、瑠菜は会社内の試験を高成績で合格したり、雪紀の高校から出た宿題を全問解いたりと、小学生だとは思えないことをした。
 そんな瑠菜を失うことはとてももったいないことだと雪紀は思っていた。

 
 自分が頑張れば、瑠菜はここにいられる。


 瑠菜が使えるという証拠さえ説明できればよい。
 

 瑠菜はついてくるだけ。


 自分について来てさえくれればよい。
 

 「あの頑固娘が……。」

 考えをまとめた後、雪紀はため息交じりにそうつぶやいた。


 
 「瑠菜、大丈夫?痛い?」

 翌日、瑠菜の病室はコムの泣き声とあきとこはくの心配の声でにぎわっていた。
   コムはクールな印象が強く、ここまで泣いている姿は瑠菜も想像していなかった。
   ニコニコと壁に立っているケイがコムにタオルを渡し、きぃちゃんがコムの背中をさする。
   あきも楓李の横に移動して泣き出した。

 「お兄は?」 

 瑠菜はお見舞いに来た全員の顔を見て言った。

 「瑠菜、私の相談所のお茶出しはあなたにしか頼めないわ。あなたには、私の跡を継がせたいの。」
 「コムさん。今話すことじゃねぇと思います。」
 「黙りなさい、かえ。」

 先ほどまでぐちゃぐちゃの顔で泣いていたとは思えないほど、いつものかっこよくてりりしい女帝のコムだった。
   楓李も、いつもはため口で言うのを敬語の少し混ざったような言い方をしてしまった。

 「瑠菜、まだやれる?」

 コムは色素の薄い瞳で瑠菜をまっすぐに見て言った。

 「はい。」と答えてしまえば、瑠菜は今まで以上に苦労してしまう。
   今まででさえも相当きついことをしてきた。
   学んで、鍛えて、ほかの同級生よりもたくさん頑張ってきた。
   それに加えて、片足が亡くなってしまったこの体では今までのようには動けないだろう。

 楓李は瑠菜がどういう人間かよく知っている。
   瑠菜のことだ。
   コムがやりたいと言えばどこまでもついていくだろう。
   それが瑠菜にとってどれくらい負担になるのか。
   それを考えたうえで止めた。
   いや、止めたかったのだ。

 「やるよ。コムさん、まだやりたい。」
 「いいじゃん。瑠菜ちゃんは私の跡継ぎだね。」

 コムがそう言うと、楓李はつかみかかる勢いで瑠菜の手をつかんだ。

 「普通の子供としての生活ができなくなるぞ。いいのか?」
 「かえ。」
 「ほかの子供よりも反射神経や体力、学力も何もかもがよくなるように育てられて、それを周りにはばれないように隠して生活する。恋愛?遊び?それすらもまともにできなくなんだぞ?」

 楓李は目に涙を浮かべて言う。
 それを見ていて瑠菜は何も言えなくなってしまった。
 ずっと望んでいたことだ。
   瑠菜が言っていた愚痴が重たくなって帰ってきた。

 「じゃあ俺が瑠菜ちゃんを助けようかな。あきも助ける?」
 「あ、あぁ。うん。当たり前じゃん。」

 こはくの突然の言葉にあきはしどろもどろになりながら頷く。

 「で?かえはどうする?」

 こはくは首をかしげながら楓李のほうを見た。

 「どうしたい?瑠菜のためを考えないなら。」

 瑠菜をつかんだ楓李の右手をそっとこはくが離させる。
 楓李が瑠菜のことを考えて言っているのは瑠菜もこはくもよく分かっている。
   この三人は相手の考えていることがわかる程度には仲が良い。
   だから、次の言葉も容易に予想できる。

 「俺だって、……助けるくらいはしてやる。」
 「かえ。」
 「まぁ、いいわねぇ。」

 コムが楓李のことを呼ぶ。
 きぃちゃんもこれにはうっとりとしている。

 「けど無理すんなよ!さすがに助けきれない時だってあるし……。」

 楓李は顔を真っ赤にした後、それだけ言って病室を出て行ってしまった。

 「あーあ。一応かえが一番心配してたのに。瑠菜ちゃんがかわいくてかわいくてしょうがないんだろうなぁ。」
 「あいつはそういうやつなのよ。心配性でしょうね。お父さんかしら?」
 「瑠菜ちゃんのことはかえがしっかり守るから。安心しなよ?」
 「こはくじゃないんだ。」

 コムが頭を抱える中、こはくが瑠菜にそんなことを言って笑わせる。
 それから何時間しゃべったのだろうか。    
  
   瑠菜にとっては久しぶりの休暇のようなゆっくりとした時間だった。
 


 
 「もうそろそろ帰ろっか。」

 ケイの一言で、コムときぃちゃんが帰る準備を始めた。

 いつの間にか帰ってきた楓李やあき、こはくもそれぞれ手伝いを始めた。
 瑠菜はそれを見ていて寂しく思ってしまった。
   前までにも、てきぱきと手伝いをする三人を見て自分が必要じゃないんのではないかと考えたことがあるが、今瑠菜は足を一本失ってしまっている。
   もう動かないであろう自分の体はどこまでこの人たちについていけるのだろうか。
   いや、ついていくのではなく、自分から動くことができるのだろうか。
   そんな疑問が不安として瑠菜を襲う。

(助けてくれるとは言ってたけど……。)
 「瑠菜ちゃん。」

 瑠菜が顔を上げると、ケイが目の前に立っていた。
   どうしても、ベッドの上にいる瑠菜は首がきつい体勢になる。
   それに気づいたのか、ケイは瑠菜の目線に合わせるためしゃがんでくれた。

 「大丈夫だよ。みんなが瑠菜ちゃんを必要としていて、絶対に置いていかないから。実はね、雪紀は今日、用事があるって言ってたけどそんな用事は会社の日程にはないから多分瑠菜ちゃん関係じゃないかと僕は思ってる。昨日帰ってくるなり電話してたし。」
 「お兄が?」
 「うん。だから、瑠菜ちゃんは前向きに物事を考えておきな。いい?」
 「わかった。ケイ兄、お兄にごめんって伝えてもらっていい?」
 「……、うん。わかった。伝えておくね。」

 ケイは瑠菜と同じ目線のまま、まっすぐな目で言った。

 根拠のない「大丈夫。」ではなく、本当に根拠と証拠のある「大丈夫。」は、瑠菜の不安をなくすには十分だった。
 コム、きぃちゃんは先に病室を出て、それに続くようにあきとケイも出ていく。

 それぞれ、「大丈夫。」や「元気出して。」と瑠菜に声をかけるが、瑠菜はその言葉全てに愛想笑いを返した。
 それしかできなかった。

 「んじゃ、また来るから。」
 「ん、ありがと。」

 楓李が病室を出て、こはくも一緒に出ようとした時だった。

 「こはく、ごめん。」

 瑠菜は思わずこはくの服をつかんでしまった。

 病室の大きさはそこまで広くはないため、一、二歩で外に出ることができる。
   水道やトイレに加えて棚が二つある個室で、ベッドから出入り口までが近いのだ。
   物が多いからこそ狭く感じるのだろう。
 そんな、出口までが近いベッドだからこそ届いた。
 こはくは楓李に何やらこそこそと話をしている。
   病室の外に出られると声が響いていて聞き取りにくくなるため、瑠菜には何を話しているのか全く分からない。

 「お待たせ。」

 こはくはベッドの横から椅子を持って来て、そこに座った。

 「ごめん、急に。」

 瑠菜は少し下を向いてこはくに謝った。
   もう帰っていいよ、と言いかけたそのとき。

 「寂しいよね。みんなが一気に帰ると。」
 「え?」
 「いつもさ、瑠菜ちゃんが残ってくれるのうれしかったから。今日はそのお返しね。」

 こはくは、小学生らしい幼い笑顔で瑠菜を見た。
 自分が入院していた時に、瑠菜が遅くまでいてくれたのがうれしかったのだと。

   瑠菜はその言葉を聞いて天に召されてしまいそうだと思った。
   瑠菜にとっては、いつも自分のほうを見てくれないこはくへのアピールのつもりであって、寂しそうだとかのようなこはくの気持ちは考えてもいなかったのだ。
   まぁ、こはくにこう言われた以上これは成功していたといえるのではないだろうか。

 「こはく好き。彼氏になってほしい。」
 「ダーメ。」

 感極まって、瑠菜は思ったことをそのまま口に出したが、流れるように振られた。
   もちろんこれは、初めてではなく二回目の告白だ。

 「私のこと嫌い?」
 「好きだよ。」
 「じゃあなんで?」

 この時の瑠菜はいつも以上にわがままだった。
   動けない体、おいしいとはお世辞にも言えない味の薄い病院食。
   わがままの一つや二つ、言っておかないと頭がおかしくなりそうなくらいストレスがたまっていた。

 そんな瑠菜を落ち着かせたのは、こはくのいつも通り透き通った笑顔と、優しい声、白く大きな手だった。
 こはくは瑠菜の頭をなでながら瑠菜の「なんで?」に答える。

 「好きだけど、瑠菜ちゃん。この世界には僕以外にたくさんの男の子がいるよ。きっと、瑠菜ちゃんを一生守れるような強くてかっこいい男の子もいる。僕はたぶん、いや、絶対に、瑠菜ちゃんの大人になった姿は見られないと思うし、瑠菜ちゃんよりも先に天国へ行くことになる。そんなの寂しいでしょ?」

 こはくは寂しそうな表情を瑠菜に見せて言った。

 「やだ。」

 瑠菜は久しぶりに子供のような声で駄々をこねた。
   泣き虫で怖がりな瑠菜は小学校四年生の頃に捨てたつもりだったが、この時ばかりは昔に戻ってしまった。

 「君はいいお嫁さんになるね。」
 「こはく!」

 こはくはそっと瑠菜の手を握った。

 「じゃあさ、こうしようか。来世では絶対に結婚しよう。みんなには内緒の約束だよ?」
 「……わ、かった。」

 大人になだめられている子供のようだと瑠菜は思ったが、こはくは同年代だ。
   いや、こはくはいつも大人びていると瑠菜は思っていた。
   少なくとも、このころの瑠菜は。
 瑠菜の中で「来世で」という言葉は現実味のあるものだった。
   嘘っぽい子供だましのようで、ほかのどんな言葉よりもうれしかったのだ。

 「絶対に、だからね。」
 「え?」
 「来世では、僕だけを見てね。」

 こはくはそう言うと、軽く瑠菜の小さい体を抱きしめて病室を出た。
 当たり前だが、瑠菜は初恋の相手に抱きしめられたことで固まってしまい何も言うことができなかった。
   そのため、こはくが病室を出ていく姿をただただ見送ってしまった。



 「何話してた?」
 「あ、待っていてくれたんだ。」

 こはくは病室を出た瞬間に楓李から声をかけられて、わざとらしくそう言った。
 楓李の声からして相当イラついているのがわかる。
 こはくはその様子を見たうえで、にこりと笑ってから首を横に振った。

 「聞くな、と?」
 「どうせ、話の内容は聞いていたんだろう?」

 わざわざ言う必要はないと、こはくは言いたいらしい。
 それでも、楓李は不機嫌そうにこはくをにらみながら言った。

 「あぁ、聞いてたよ。何が来世だ?俺は認めない。」
 「来世でも、瑠菜は俺のだって言いたいの?」

 こはくはあきれたように楓李を見た。
   そういわれた楓李の、反応を楽しみにして楓李の顔を覗き込む。
   しかし、楓李は顔色一つ変えずに、こはくをにらみ続けている。 

   こはく的には、楓李が恥ずかしがる姿を想像していたが、どちらかというと怒っているような気がした。

 「ちげーよ!俺がいいてーのは、……」

 楓李はそこまで言って少し迷いを見せた。

 楓李とこはくは特別仲が良い。
   同性で、似たような境遇を生きてきたからだろうか。
   あった時から息がぴったり合う兄弟のような仲のよさだった。

   もちろん、雪紀が適当に連れてきただけで、絶対に血のつながりはない。
   お互いを信頼し、助け合えるからこその関係だ。
 そんな仲の良い関係だからこそ、楓李は迷った。
 言葉に出してしまえば、それが真実になってしまうのではないかと思ったから。
 それでも言わないとこはくは、一生分かってはくれない。

 「お前の場合、本当に死にそうなんだよ。冗談じゃなくて、本当に消えて、急にいなくなっちまいそうなんだ。」 

 こはくはきょとんとした。
 自分の病気を知ってほとんど病院に会いに来ることなく、退院しても家に寄り付かない親を見ていたこはくにとって、その言葉は、楓李の表情はあり得ないものだった。

(邪魔な子としか言われてこなかったし、死ぬことが親孝行だと言われたけど。なんで、俺にそんな顔出来んだよ。)
 「お、れは、……お前に長く生きてほしいんだ。お前とまだ一緒にいたいし、未来を生きてほしい。」
 「生きてほしい?」

 こはくは今まで言われたことのない言葉に少し戸惑った。

 瑠菜はよく、こはくに対して「今を生きよう」というが、楓李は「未来を生きてほしい」と言った。その言葉はこはくにとって、少し寂しい言葉だ。
 自分には百%来ないのが未来。
 見ることができない仲間の未来の姿。

 「かえ、ありがとう。でも僕には、その未来は、かえの言う未来にはもういないと思う。僕は、どうせ長くは生きられないんだ。アハハ、ごめんって。」

 こはくのわざとらしい笑い方に楓李はまた言い返しそうになる。
 しかし、ここは病院だ。隣の病室には瑠菜もいる。
 さすがに楓李が大声を出せば、瑠菜にも聞こえてしまうだろう。

 もし聞こえれば、動けない体で止めに来られないこともあり、瑠菜に心配をかけてしまう。

 「おま、」

 楓李は大声を出すのを我慢して言った。

 「だから、瑠菜のことちゃんと守ってよ。今みたいに、箱に入れたままじゃなくて、しっかり外に出してあげて。そしたら、瑠菜ちゃんはすごい大物になるよ。」
 「お前がいないとダメだろ?……、最後でいい。瑠菜と付き合え。」
 「え?いいの?」

 こはくは、楓李はまた面白いことを言うなぁと思いながら言った。

 「確かに、瑠菜は喜ぶかもしれないけど、本気で言ってんの?」
 「死ぬ直前じゃねぇと許さねぇよ。死ぬ前の俺への合図だとでも思え。」

 楓李は、自分でも何を言っているのかわからないほど突拍子のないことを言った自分に驚いた。
 しかし、一度口から出した言葉は戻せない。後には引けなくなってしまった。

 「ライバルに言う言葉かねぇ。それが。」
 「瑠菜が喜ぶならって、付き合った後は死ぬんだぞ?それか百歳まで生きろ。バカ。」
 「無茶言うなぁ。そんなの分かるかねぇ。」
 「瑠菜は俺のだからな。」
 「その不器用さがどうにかなったらいいのにね。」
 「俺は器用だ!」
 「さぁーて、もう帰るよ。歩いて帰らないといけなくなったしね。」
 「待て!」



 瑠菜が退院する前日、いつも通り持ってきた本を読んでいる瑠菜の病室の戸が開いた。

 「わりぃ、瑠菜。」
 「お兄!」

 瑠菜のベッドには階段のようなものが取り付けられ、一人でもベッドを下りられるようになっていた。
   ケイが不便だからということでやってくれた。
   とはいえ、長距離は片足で進めないため車いすを使っている。
   車いすの時は看護師さんか、楓李やこはくが押してくれる。
   瑠菜は進むことすらできなかったのだ。

 「おっと。」
 「お兄、なんで来なかったの?ひどい!」

 倒れるように自分に飛びついてきた瑠菜を支えながら雪紀は少し笑う。

 「あれ?来るなって言わなかったか?」
 「いじわる……」
 「ふっ、悪かったって。やっとできたんだ。」
 「何が?」
 「足。」
 「きもっ。」

 瑠菜のその反応を見て元気になったなぁと雪紀は思った。

 瑠菜自身、雪紀にこの界隈へ入れられてからこうやってゆっくりする時間はあまりなかった。
   毎日、学校、仕事、学校、仕事で、忙しすぎたのだ。
   ほかの同級生とは違う世界を生きていると思っていいほど大変な毎日。
   部活?クラブ?きっと瑠菜の大変さはそういうことをやっている人よりもすごい。
   表すなら、掛け持ちを五、六個くらいやっている人と同じくらいだ。

 そんな瑠菜が、大量に休みをもらい、お見舞いに来たみんなとゆっくり話せたのはすごく幸せなことだと思った。
   そう思うと、自然と元気も出てきた。

 「自分の足のように動かせて、本物の足のような見た目のほうがいいだろ?明日、俺について来てくれるか?」
 「……本当に、私のためなんだ……。」

 瑠菜は雪紀に聞こえるか、聞こえないかの声で言った。
   ケイにも言われていたが八割くらいは信じられない自分がいた。

   裏切るという問題じゃなく、最初から自分には無関心なのではないかと思った。
   毎日待っていても来ないため特にその不安は増していた。 
   どこかの女の人と遊んでいるだけなのではないかと考えたりもした。
   瑠菜には雪紀がそうしないという確証がなかったのだ。

 そして、瑠菜は退院した直後、もちろん車いすで雪紀と一緒にある場所へと向かった。雪紀の言葉足らずな性格のおかげで、瑠菜はどこへ行くのかも知らされずに雪紀の手を借りながら不安とともに車いすに乗った。

 「ここは?」

 瑠菜が最初に見たのは何の変哲のないマンションだった。
 雪紀に車いすを押されながら、中にはいていくと真っ白い壁紙の一室が見えた。
 部屋の中にはいかにも研究室らしい器具や薬が並んでいる。

 「きれーい!」

 瑠菜は薬を見てすぐに触ろうとした。
 見たことのない色の液体はとてもきれいだった。
   ほかにも棚の中にどす黒い液体も並んでいるが瑠菜の目には入らないらしく、指をさしては「キレイ」と言ってはしゃいでいる。

 「ちょっと、触らないで!」

 近くにあった小瓶へと手を伸ばした瑠菜を止めたのは女の人の声だった。
 声のした方向を見ると、白衣を着た眼鏡をかけている女の人が立っていた。
  髪型が特徴的で、二つのお団子なのだが耳より下で結んでいて、瑠菜は少し吹き出してしまいそうになった。

 「オチビじゃん。ハカセはどうした?」
 「オチビじゃないです!師匠なら奥の部屋で頼まれたものの準備をして……」
 「終わったよお!あとは、ケーキでも見ながら遊びましょお!あー、イコちゃん来たら教え……」

 大声で入ってきたのは同じく白衣を着た髪の短い女性だった。
   声から女だとわかるが、そばかすの多いその姿は男と言われても違和感はないだろう。

 「あ、連絡はしたんだが……」

 雪紀がそう言ったことが追い打ちをかけたのか、固まっていたその女性は顔を真っ赤にしてさっきのお団子少女の後ろへと隠れた。

(え?ケーキを見て遊ぶって何?)

 瑠菜はそう思いながら雪紀に目配せをした。

 「あー、あいつはハカセ。で、あのお団子頭がイコ。俺の後輩だが、お前よりは先輩だな。」
 「私なんて、たまたまそこら辺を歩いてただけで。成り上がりで、そ、そちらの方のほうが、……」
 「何言ってるんですか!師匠は天才です。」
 「ダメよ、私なんか。だって、る、瑠菜様でしょう?」
 「あ、はい。一応。」

 ハカセの声が小さすぎて、瑠菜は自分の声が大きく感じた。

(さっき出てきたときは元気だったのに。)

 瑠菜は彼女に対しては、弱弱しく、自信のない人だと思った。

 「ご、ごめんね。……ちょっと待っててね。」
 「はい……」

 瑠菜は雪紀のほうをもう一度見たが、何も言わずに彼女のあたふたとした後姿を見るばかりで、瑠菜の方など本当に気にしていない様子だった。





 「あのっ。」

 帰る直前、瑠菜が車へ入った時にその声は聞こえてきた。
 見ると、先ほどまで弱弱しく消え入りそうな声を発していたハカセという女性だった。

 ハカセは入り口と車までの三メートルくらいの距離を息を切らして走ってきた。
  雪紀のもとへとたどり着くと、何かを言おうと声にならない言葉を発した。

 瑠菜がその話を聞こうと近づくと雪紀が車のドアを閉めてしまった。

 「あっぶないなぁ。」

 閉められた瞬間に瑠菜は椅子の上で倒れてしまい、外の様子を見ることも聞くこともできなくなってしまった。

 五分、いやもっと経っていただろうか。
 瑠菜は雪紀のスマホで動画を見ていたためどれくらいかはわからなかったが相当長い時間二人は話をしていたということはわかる。

   もちろん、車の中の音が外に聞こえにくいのと同様、外の音が中に聞こえてくることもないため、瑠菜が二人の会話の内容を聞くことはできなかった。

 「待ったか?」
 「うん。」
 「だよな、遅くなった。」
 「何話してたの?」

 瑠菜が聞いても雪紀は何も言わなかった。
 しかし、瑠菜は雪紀が何を言おうと話の内容の予想はついていた。

 「お兄が唯一長く付き合えた、婚約までした彼女さんのこと?」
 「なんで知ってんだ?」
 「きぃ姉から聞いた。事故で死んだんだって?」
 「あいつ……」
 「なんで死んだの?」
 「事故だって、自分でも言ってただろ?」
 「お兄の仲間が事故で死ぬとは思えない。逆に、お兄が何の関係のない人を巻き込むとは思えない。」

 瑠菜は言い切った。
   瑠菜は瑠菜なりにいろいろな人から雪紀の情報を得ていた。
   しかし、みんな同じことを口をそろえて言うだけ。
   一見すれば、現実味のある話にも思えたが、瑠菜にはどうしてもみんなが何かを隠していて、それをばれないために口裏を合わせているようにしか思えなかった。

 「言える時が来たら言う。」
 「……お兄。話は変わるんだけどさ。」
 「ん?」

 瑠菜はそのままの格好でスマホの画面を見せた。

 「これって何?」

 雪紀はその画面を見た瞬間瑠菜からスマホを奪い取った。

 「家、ついたぞ。」
 「ねぇ、さっきの男の人かっこよかった。誰?」
 「知らねーよ。」
 「あー、あの服着てない女の人しか雪紀は見てないのかぁ。」
 「うるせー。小学生がこんなもん見てんじゃねぇよ。」
 「なんで?履歴欄のやつ見てただけだよ?」

 雪紀はいつも大人っぽくなんでもこなす瑠菜に対して、やはりこいつも子供だと思った。

 「何やってんのか分かってんのか?」

 雪紀の質問に瑠菜はにっこりと少し不気味にも思えるような表情で返す。
   雪紀も瑠菜の意図を理解した上で手を差し伸べた。

 玄関のドアを開けると、こはくやあき、楓李が立っていた。

 「おかえり!遅かったね。あ、瑠菜ちゃん大丈夫?」
 「あし……ある!」
 「幽霊じゃないんだから。お兄からのプレゼント。いいでしょう?」

 三人の驚いた顔を見て、瑠菜は自慢げに言った。
 雪紀の手を借りてゆっくりと歩いていた瑠菜はこはくの手を借りて歩き出した。
   慣れていないことからふらふらとして楓李に倒れこんでしまう。

 「んじゃ、俺はシャワー浴びるから。気を付けるんだぞ?」
 「はーい!」
 「うん。わかった。」
 「ねぇ、なんか片足だけ地に足がついてないみたい。」
 「ついてないからな、実際に。」

 楓李はそういいながらも、こはくの握っている瑠菜の手とは逆側の手を取って、ソファに瑠菜を座らせる。
   瑠菜もニコニコと満足そうに笑っている。





 「へぇ、初めて聞きました。」
 「話してなかったからね。」

 缶コーヒーを飲みながら瑠菜はサクラにそう言った。

 「瑠菜姉、すごい。」
 「すごい!」

 クゥと、リィも瑠菜に明るくそう言った。
 スゥだけが瑠菜の膝の上でお菓子を食べている。
 サクラは瑠菜の弟子。クゥ、リィ、スゥは瑠菜が引き取った3つ子だ。
 全員、瑠菜を尊敬しているからこそ、一緒にいたくて、瑠菜のお手伝いをしてくれている子たちだ。

 「お前の性格には相当振り回されたな。」
 「そんなことないですぅだ!」

 楓李が言うと、瑠菜は口をとがらせて言い返した。

 「アハハ、でもすごいよね。最初は手伝いないと歩けなかったのに、こんなに歩けるようになるなんて。」
 「まさか、走れるようになるとは思ってなかったな。」

 あきと、楓李に言われて瑠菜は胸を張ってもっと褒めるようにアピールした。

(本当に変わんねーな。)
(変わんないなぁ。昔と。)

 楓李とあきはそれを見て、ため息をついた。

 「今年は来れたな。」
 「久しぶりだね。」
 「もっと早くに来てもよかったんだけどね。」
 「私たちも来てよかったんですか?」

 サクラは瑠菜を見ながら会ったことないのに、というように訴える。

 「まぁ、こいつだけはあんたたちの存在分かってたから。」
 「え?」

 瑠菜は真っ黒なその石を軽くなでてサクラのほうを見た。

 「冷たいねぇ。あんたの言ったとおりになったよ。こはく。」
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