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18 真実
メイドに頬を冷やされて、痛みもずいぶん治まってきた。
丁寧にお礼を告げて、ゆっくり休ませてもらった。
昨夜、眠ってなかったので、眠ってしまった。
目が覚めたらお腹が空いていた。
メイドを呼ぶための鈴はいただき、ベッドの横にある小さなテーブルに置いてある。けれど、果たしてお腹が空いたと言って、メイドを呼んでもいいのだろうか?
ベッドから起き上がると、掛布の上にガウンが掛けられていた。
そのガウンを羽織ると、ネグリジェは見えない。
この姿なら、誰かが部屋に入ってきても恥ずかしくはないだろう。
それにしても、ネグリジェもガウンも手触りのよいシルク素材で、光沢も素晴らしい。わたしのドレスよりもいい物だ。
帝国は、こんなに高価な素材の品をお客様に提供することに驚いた。
ドゥオーモ王国のネグリジェは、普通の綿素材だ。
白ではなく生成りだ。
ネグリジェの素材を染めると、値段がぐっと上昇するので、一番安い物を選んでいた。
そのネグリジェも、何年着ているか分からない物だ。
生地は柔らかくなり、着心地はいいが、見栄えが悪くなる。
けれど、新しい物は買えない。
ドゥオーモ王国の客人の寝間着は、白い綿素材だ。
一応、それなりに見える物を準備しているが、さすがにシルク素材までは買えない。予算が足りなくなってしまう。
小国と帝国の違いを、ネグリジェ一枚で、まざまざと感じさせられた。
お部屋は広く置かれた家具も安物ではないと見ただけで分かる。
ベッドは、二人は軽く眠れそうだ。
その横に置かれたサイドテーブルも、丸くて上品だ。
ベッドの横に置かれたランプも、背が高く鎖が下がっている。
試しに鎖を引いてみたら、カチリと音がして、温かみのある電気が点った。
電気の傘には、所々、透かしがあり、そこから灯りが漏れ出して、部屋の中に模様が浮かぶ。
もっと暗くなれば、ロマンティックなお部屋になるに違いない。
外を見れば、出窓があり、窓も開けられるようになっていた。
出窓には、赤いアネモネの花が生けられている。
花言葉は、貴方を愛する。
なんてロマンティックなのだろう。
そんな言葉を、誰からも言われた事はない。
この花を飾った人は、きっとロマンティックな人なのだと思った。
窓辺には、二人掛けの丸テーブルのテーブセットが置かれている。
メイドはお茶が淹れられると言っていた。
ポットと呼ばれる背の高い入れ物には、お湯が入っていると、メイドが教えてくれた。
茶器セットが置かれている。
茶葉入れも、薔薇の絵が描かれたお洒落な入れ物になっている。
目が覚めて、喉が渇いていたら飲んでも構いませんと言っていたが、同時に、私達を呼んで戴けたら嬉しく思いますと付け足して、お辞儀をしてメイド達は出て行った。
わたしにはメイドはいなかったので、距離のつかみ方が分からない。
窓の外を覗くと、外に噴水があった。
なんて素敵な景観だろう。
宮殿の敷地は広く、庭園もあるようだ。
夜が迫った夕方、夏の西日の中でも、綺麗な花が咲いている。
扉がノックされ、開いた。
「あっ」
「起きたんだね。気分はどうかな?」
入ってきたのは、クラクシオン皇太子殿下でした。
手には、赤いアネモネを一輪、持っている。
「これを貴方に」
「わたしにくださるの?」
「そのつもりで温室から、摘んできた」
そっと手渡されて、頬が熱くなる。
ロマンティックなお方は、クラクシオン皇太子殿下でした。
「この花言葉を知っているのか?その顔を見ると、知っていると思うのだけれど」
「けれど……」
わたしを愛するなんて……。
烏滸がましくて、それ以上、言葉にすることはできません。
「私の気持ちは、花に込めた」
「ですが、わたしは既婚者です」
「白い結婚だと知っているが」
「……どこで?」
極秘事項なのに。
誰が話したのだろう。
わたしが、うっかり話してしまったことはないと思うけれど。
「ペリオドス王太子が話しているのを、私の影が聞いていた」
「影ですか?」
「最近では、ドゥオーモ王国の王宮に潜んでいたし、旅の間もずっと貴方の近くにいたはずだ」
「そうですか?」
「事実でしょう?」
「ええ、わたしはどうやら、あの方の奴隷だそうです。今朝、離婚をして欲しいとお願いしましたが、拒絶されました。わたしには、ずっと執務をさせるつもりのようです。真実の愛に目覚めて、ご自分だけ、ジュリアン様と仲良くされているのに、わたしは一生、奴隷なんて、どれだけわたしを侮辱するのでしょう」
わたしは、怒りと悲しみに、つい、黙っていなければならない、国の事情まで話してしまった。
「でも、話したら、スッキリしました。わたしはこれからも、機械のように執務だけをこなして、できるだけ早めにこの世を去りたいと思っておりますの。睡眠も食事も与えられないのに、仕事だけは山のようにあるので、そのうち病気になりますわ。その日を楽しみに過ごそうかと思います」
わたしは、心の裡を話したら、心の底からスッキリしました。
笑顔も自然に出ました。
けれど、わたしの話しを聞いていたクラクシオン皇太子殿下のお顔は、苦痛に歪んでおります。
こんなお話はすべきではなかったと思っても、後の祭りです。
「ごめんなさい。勝手な話しをしてしまって」
「いいや、マリアナの内心を聞かせてもらってよかったと思う。俺は、マリアナを取り戻すために、ドゥオーモ王国を訪問して、こうして、帝国にマリアナが来るように手引きした。結婚も無効にするつもりでいる」
「クラクシオン皇太子殿下?」
何を言っているのだろうか?
皆目、理解できない。
他国の結婚を無効にできるのだろうか?
帝国の力なら、何でもできるのかしら?それでも、無理だと思うのだ。
わたしの顔にそう書いてあったかのように、クラクシオン皇太子殿下は、優しく微笑んだ。
濃紺の瞳は、まるで宝石のタンザナイトようだ。
とても澄んでいて、綺麗だ。
わたしの瞳の色とよく似ているが、わたしの瞳は澄んでいないと思うの。
濃紺の瞳は、ドゥオーモ王国にはいないようで、どこでも会ったことはない。
もしかしたら、母様がお持ちだったかもしれない。
「昔はシオンと呼んでくれていた」
「昔ですか?」
わたしは考える。
けれど、わたしの記憶は5歳の馬車の事故で母様を亡くす場面しか覚えていない。
名前は母様がずっと呼んでいたから覚えていたようだったけれど、他のことは、父様のことも含めて、今までどのように、何処に住んでいたのかも忘れてしまった。
目を覚ました時、わたしはベッドに横になっていた。
その時、侍女が男性を呼んできた。
その人が父親だと思ったのだ。
侍女が、『ノンブル侯爵様』と呼んだ。
だから、わたしはノンブル侯爵令嬢だと思ったのだろう。
わたしは無傷ではなかった。頭に怪我をしていた。
体と頭に痛みがあり、動くことは不可能で、暫く、ベッドで安静にしていた。
そうして、新しい家族という人達が来て、わたしは王家に連れて行かれた。
「マリアナが忘れてしまった過去の話だ。マリアナは帝国に住んでいた。母君と父君と一緒に。父君は帝国にいる。正確にはいた。今はもう亡き人だ」
「え?でも、わたしの父様はドゥオーモ王国のノンブル侯爵だと記憶しております」
「忘れた後に、植え付けられた記憶だ。ノンブル侯爵の妻は難病に罹り、帝国に住む母君が主治医になっていた。事故が遭ったとき、ノンブル侯爵家に回診に行った時であった。後に、夫人は儚くなったらしい。ドゥオーモ王国の国王陛下から母君、カナール夫人とマリアナは亡くなったと報せが来た。帝国から迎えに向かったが、事故現場にはカナール夫人の遺体しかなかった。マリアナの消息は掴めなかった。その後も、帝国から捜索隊が出ていた。7年後、成長したマリアナの姿を見たという。父君の前を通り過ぎていったマリアナを見て、ショックを受けていた。ドゥオーモ王国の国王陛下とまるで親子のように歩いている姿を見て、安全に救出するのは不可能だと落胆して帝国に戻った。帝国に戻ると父君は倒れられた。
医師の見立てでは、長年の過労から体を壊したようだ。治療を行ったが、日に日に病状は悪化していった。マリアナを救出できなかった無念を、我が皇帝陛下に伝えて息を引き取った。
そうこうしているうちに、マリアナは結婚したと報せが来た」
「父様のお名前は?」
「ファベル・プロートニク公爵。俺の叔父にあたる」
「叔父様?……もしかしたら、クラクシオン皇太子殿下とは親戚ですか?」
「ああ、幼いマリアナとよく遊んだ」
「……何も覚えていません」
「記憶喪失だと知った時は、ショックを受けた。マリアナと俺は婚約していた。奪われた花嫁を奪い返すために、皇帝陛下と共に策を練った。安全に連れ戻すために時間がかかったが、今が時期だと思ったのだ」
「でも、国王陛下は、父はノンブル侯爵だと、わたしに伝えました。え?あれ?ノンブル侯爵に多額なお金を払っていました。父に会いたいかと聞かれましたが、名前までは言っておいでになかった。極秘書類には、名前と金額が書かれていただけだったような気がします。後は、わたしを貰い受けると」
「誤魔化しておったのだ」
「でも、国王陛下だけが、わたしの味方でした」
「贖罪だったのかもしれぬ。帝国の侯爵と言えば、皇帝の姻戚のある家柄だ。もしもの時の人質だったかもしれぬ」
「人質?そんなぁ……」
わたしは、ヘナヘナとその場に座り込んだ。
クラクシオン皇太子殿下は、わたしを抱き上げて、椅子に座らせてくれた。
ついでに、茶器を並べ、お茶を淹れている。
部屋の中が、紅茶の香りに包まれていく。
いい香りだ。
お茶を淹れる所作が美しい。
男性なのに、とても繊細で、カップを扱う指先もとても上品だ。
お茶が注がれて、わたしの前にカップが置かれた。
「熱いから気をつけて」
「はい」
「今後の事だが、マリアナにはここに住んでもらう」
「でも、いいのですか?」
「明日にも、両親の墓に連れて行く。その前に、俺の父に会ってもらう」
「皇帝陛下ですか?緊張します。記憶をなくしたわたしが、会ってもいい相手ではないような気がします」
「何を言う?記憶喪失だとしても、生まれは変わらぬ。帝国の血を引いた姫であるぞ」
「姫ですか……なんだか夢を見ているようです」
クラクシオン皇太子殿下は、わたしの頭を撫でだした。
「辛い思いをたくさんしてきたのだ。ここで心と体を休め、本来あるべき場所に戻るべきではないか?誘拐して、人質にした国には、もう戻す事はできない。わかるね?」
わたしは頷いた。
「あちらの、国王陛下には、それなりの罰を与える」
「国を滅ぼすの?」
「そんなことをしたら、マリアナが悲しむ。その為に、マリアナに国務をさせていたのだろう。堤防を造り、ダムを造り、人々が住みやすいようにしてきたのは、マリアナだ。ドゥオーモ王国を攻めれば、少なからず国民が亡くなる。それをマリアナは望んではいないであろう?」
「できれば、お許しください。わたしは、幼い頃から国務をして、国民が幸せになれるように心血を注いできました」
「それがドゥオーモ王国の国王陛下の目的であっても、マリアナが悲しむことはしない」
「ありがとうございます」
「さあ、お茶が飲み頃だよ。飲んでごらん。美味しいお茶だよ」
「はい」
わたしは、クラクシオン皇太子殿下が淹れてくれたお茶を飲んだ。
とても香りがよく、美味しい茶だ。
「とても美味しい。こんなに美味しいお茶は初めてかもしれません」
「この国の貴族の間では、一般的な紅茶だ。子供の頃に飲んだと思うが、紅茶の味では、さすがに記憶は戻らないか」
「ごめんなさい。わたしの記憶に残っているのは、母様が亡くなっていく姿だけです。母様が真っ赤に染まって、母様はご自身が意識を失うまで、わたしの名前を呼んでいました。母様の腕の中で、わたしも意識を失ったのです」
「母君は、命をかけて、マリアナを助けたのだな。まさに医師の鏡だ」
「この国には肖像画などは残っていませんか?」
母様に会いたい。
本物の父様にも会いたい。
「肖像画もあるが写真が残されている。明日、見せよう」
「ありがとうございます」
わたしは、深く頭を下げた。
クラクシオン皇太子殿下は、わたしの両手を掴んだ。
「マリアナは、俺の婚約者だ。もっと気楽に話せばいい。頭も下げる必要はない。俺のことは、シオン、もしくはクラクシオンと呼んでくれ」
「いきなり無理です」
「敬語もなしだ」
「困ります。わたしは、今の今まで、ドゥオーモ王国の王太子妃として、この帝国に来たのです。まだ王太子妃だと思いますし」
「ほんの少しだけ待っていてくれ、すぐに自由の身にする」
「お願いします」
わたしは、やはり、深くお辞儀をした。
そんなわたしを見ながら、クラクシオン様は寂しそうにしていらっしゃいました。
「では、食事を運ばせよう。ここで、一緒に食べよう」
「一緒にですか?とても緊張します」
「これから、共に食事をしよう。そのうち、客人も追い出す」
わたしは、苦笑を浮かべた。
クラクシオン様は、きっと思いがけない罰をお与えになるのだと、クラクシオン様のお顔見ていたら想像をしてしまった。
国は滅ぼさないが、わたしを殴って、蹴りまで入れたことは、きっと許さないだろう。
クラクシオン様が二度手を叩くと、メイドと白い服を着たシェフが部屋に入ってきた。
テーブルの上のティーカップを片付けて、消化の良さそうな料理が並んでいく。
ドゥオーモ王国では、見かけない高級なフルーツもある。
テーブルいっぱいに並んだ料理を見たら、嬉しくなってきた。
こんなに美しく、たくさんの料理は初めてだ。
「こんなに豪華な料理をありがとうございます」
わたしは、クラクシオン様と皆さんに頭を下げた。
皆さんも、深く頭を下げられた。
丁寧にお礼を告げて、ゆっくり休ませてもらった。
昨夜、眠ってなかったので、眠ってしまった。
目が覚めたらお腹が空いていた。
メイドを呼ぶための鈴はいただき、ベッドの横にある小さなテーブルに置いてある。けれど、果たしてお腹が空いたと言って、メイドを呼んでもいいのだろうか?
ベッドから起き上がると、掛布の上にガウンが掛けられていた。
そのガウンを羽織ると、ネグリジェは見えない。
この姿なら、誰かが部屋に入ってきても恥ずかしくはないだろう。
それにしても、ネグリジェもガウンも手触りのよいシルク素材で、光沢も素晴らしい。わたしのドレスよりもいい物だ。
帝国は、こんなに高価な素材の品をお客様に提供することに驚いた。
ドゥオーモ王国のネグリジェは、普通の綿素材だ。
白ではなく生成りだ。
ネグリジェの素材を染めると、値段がぐっと上昇するので、一番安い物を選んでいた。
そのネグリジェも、何年着ているか分からない物だ。
生地は柔らかくなり、着心地はいいが、見栄えが悪くなる。
けれど、新しい物は買えない。
ドゥオーモ王国の客人の寝間着は、白い綿素材だ。
一応、それなりに見える物を準備しているが、さすがにシルク素材までは買えない。予算が足りなくなってしまう。
小国と帝国の違いを、ネグリジェ一枚で、まざまざと感じさせられた。
お部屋は広く置かれた家具も安物ではないと見ただけで分かる。
ベッドは、二人は軽く眠れそうだ。
その横に置かれたサイドテーブルも、丸くて上品だ。
ベッドの横に置かれたランプも、背が高く鎖が下がっている。
試しに鎖を引いてみたら、カチリと音がして、温かみのある電気が点った。
電気の傘には、所々、透かしがあり、そこから灯りが漏れ出して、部屋の中に模様が浮かぶ。
もっと暗くなれば、ロマンティックなお部屋になるに違いない。
外を見れば、出窓があり、窓も開けられるようになっていた。
出窓には、赤いアネモネの花が生けられている。
花言葉は、貴方を愛する。
なんてロマンティックなのだろう。
そんな言葉を、誰からも言われた事はない。
この花を飾った人は、きっとロマンティックな人なのだと思った。
窓辺には、二人掛けの丸テーブルのテーブセットが置かれている。
メイドはお茶が淹れられると言っていた。
ポットと呼ばれる背の高い入れ物には、お湯が入っていると、メイドが教えてくれた。
茶器セットが置かれている。
茶葉入れも、薔薇の絵が描かれたお洒落な入れ物になっている。
目が覚めて、喉が渇いていたら飲んでも構いませんと言っていたが、同時に、私達を呼んで戴けたら嬉しく思いますと付け足して、お辞儀をしてメイド達は出て行った。
わたしにはメイドはいなかったので、距離のつかみ方が分からない。
窓の外を覗くと、外に噴水があった。
なんて素敵な景観だろう。
宮殿の敷地は広く、庭園もあるようだ。
夜が迫った夕方、夏の西日の中でも、綺麗な花が咲いている。
扉がノックされ、開いた。
「あっ」
「起きたんだね。気分はどうかな?」
入ってきたのは、クラクシオン皇太子殿下でした。
手には、赤いアネモネを一輪、持っている。
「これを貴方に」
「わたしにくださるの?」
「そのつもりで温室から、摘んできた」
そっと手渡されて、頬が熱くなる。
ロマンティックなお方は、クラクシオン皇太子殿下でした。
「この花言葉を知っているのか?その顔を見ると、知っていると思うのだけれど」
「けれど……」
わたしを愛するなんて……。
烏滸がましくて、それ以上、言葉にすることはできません。
「私の気持ちは、花に込めた」
「ですが、わたしは既婚者です」
「白い結婚だと知っているが」
「……どこで?」
極秘事項なのに。
誰が話したのだろう。
わたしが、うっかり話してしまったことはないと思うけれど。
「ペリオドス王太子が話しているのを、私の影が聞いていた」
「影ですか?」
「最近では、ドゥオーモ王国の王宮に潜んでいたし、旅の間もずっと貴方の近くにいたはずだ」
「そうですか?」
「事実でしょう?」
「ええ、わたしはどうやら、あの方の奴隷だそうです。今朝、離婚をして欲しいとお願いしましたが、拒絶されました。わたしには、ずっと執務をさせるつもりのようです。真実の愛に目覚めて、ご自分だけ、ジュリアン様と仲良くされているのに、わたしは一生、奴隷なんて、どれだけわたしを侮辱するのでしょう」
わたしは、怒りと悲しみに、つい、黙っていなければならない、国の事情まで話してしまった。
「でも、話したら、スッキリしました。わたしはこれからも、機械のように執務だけをこなして、できるだけ早めにこの世を去りたいと思っておりますの。睡眠も食事も与えられないのに、仕事だけは山のようにあるので、そのうち病気になりますわ。その日を楽しみに過ごそうかと思います」
わたしは、心の裡を話したら、心の底からスッキリしました。
笑顔も自然に出ました。
けれど、わたしの話しを聞いていたクラクシオン皇太子殿下のお顔は、苦痛に歪んでおります。
こんなお話はすべきではなかったと思っても、後の祭りです。
「ごめんなさい。勝手な話しをしてしまって」
「いいや、マリアナの内心を聞かせてもらってよかったと思う。俺は、マリアナを取り戻すために、ドゥオーモ王国を訪問して、こうして、帝国にマリアナが来るように手引きした。結婚も無効にするつもりでいる」
「クラクシオン皇太子殿下?」
何を言っているのだろうか?
皆目、理解できない。
他国の結婚を無効にできるのだろうか?
帝国の力なら、何でもできるのかしら?それでも、無理だと思うのだ。
わたしの顔にそう書いてあったかのように、クラクシオン皇太子殿下は、優しく微笑んだ。
濃紺の瞳は、まるで宝石のタンザナイトようだ。
とても澄んでいて、綺麗だ。
わたしの瞳の色とよく似ているが、わたしの瞳は澄んでいないと思うの。
濃紺の瞳は、ドゥオーモ王国にはいないようで、どこでも会ったことはない。
もしかしたら、母様がお持ちだったかもしれない。
「昔はシオンと呼んでくれていた」
「昔ですか?」
わたしは考える。
けれど、わたしの記憶は5歳の馬車の事故で母様を亡くす場面しか覚えていない。
名前は母様がずっと呼んでいたから覚えていたようだったけれど、他のことは、父様のことも含めて、今までどのように、何処に住んでいたのかも忘れてしまった。
目を覚ました時、わたしはベッドに横になっていた。
その時、侍女が男性を呼んできた。
その人が父親だと思ったのだ。
侍女が、『ノンブル侯爵様』と呼んだ。
だから、わたしはノンブル侯爵令嬢だと思ったのだろう。
わたしは無傷ではなかった。頭に怪我をしていた。
体と頭に痛みがあり、動くことは不可能で、暫く、ベッドで安静にしていた。
そうして、新しい家族という人達が来て、わたしは王家に連れて行かれた。
「マリアナが忘れてしまった過去の話だ。マリアナは帝国に住んでいた。母君と父君と一緒に。父君は帝国にいる。正確にはいた。今はもう亡き人だ」
「え?でも、わたしの父様はドゥオーモ王国のノンブル侯爵だと記憶しております」
「忘れた後に、植え付けられた記憶だ。ノンブル侯爵の妻は難病に罹り、帝国に住む母君が主治医になっていた。事故が遭ったとき、ノンブル侯爵家に回診に行った時であった。後に、夫人は儚くなったらしい。ドゥオーモ王国の国王陛下から母君、カナール夫人とマリアナは亡くなったと報せが来た。帝国から迎えに向かったが、事故現場にはカナール夫人の遺体しかなかった。マリアナの消息は掴めなかった。その後も、帝国から捜索隊が出ていた。7年後、成長したマリアナの姿を見たという。父君の前を通り過ぎていったマリアナを見て、ショックを受けていた。ドゥオーモ王国の国王陛下とまるで親子のように歩いている姿を見て、安全に救出するのは不可能だと落胆して帝国に戻った。帝国に戻ると父君は倒れられた。
医師の見立てでは、長年の過労から体を壊したようだ。治療を行ったが、日に日に病状は悪化していった。マリアナを救出できなかった無念を、我が皇帝陛下に伝えて息を引き取った。
そうこうしているうちに、マリアナは結婚したと報せが来た」
「父様のお名前は?」
「ファベル・プロートニク公爵。俺の叔父にあたる」
「叔父様?……もしかしたら、クラクシオン皇太子殿下とは親戚ですか?」
「ああ、幼いマリアナとよく遊んだ」
「……何も覚えていません」
「記憶喪失だと知った時は、ショックを受けた。マリアナと俺は婚約していた。奪われた花嫁を奪い返すために、皇帝陛下と共に策を練った。安全に連れ戻すために時間がかかったが、今が時期だと思ったのだ」
「でも、国王陛下は、父はノンブル侯爵だと、わたしに伝えました。え?あれ?ノンブル侯爵に多額なお金を払っていました。父に会いたいかと聞かれましたが、名前までは言っておいでになかった。極秘書類には、名前と金額が書かれていただけだったような気がします。後は、わたしを貰い受けると」
「誤魔化しておったのだ」
「でも、国王陛下だけが、わたしの味方でした」
「贖罪だったのかもしれぬ。帝国の侯爵と言えば、皇帝の姻戚のある家柄だ。もしもの時の人質だったかもしれぬ」
「人質?そんなぁ……」
わたしは、ヘナヘナとその場に座り込んだ。
クラクシオン皇太子殿下は、わたしを抱き上げて、椅子に座らせてくれた。
ついでに、茶器を並べ、お茶を淹れている。
部屋の中が、紅茶の香りに包まれていく。
いい香りだ。
お茶を淹れる所作が美しい。
男性なのに、とても繊細で、カップを扱う指先もとても上品だ。
お茶が注がれて、わたしの前にカップが置かれた。
「熱いから気をつけて」
「はい」
「今後の事だが、マリアナにはここに住んでもらう」
「でも、いいのですか?」
「明日にも、両親の墓に連れて行く。その前に、俺の父に会ってもらう」
「皇帝陛下ですか?緊張します。記憶をなくしたわたしが、会ってもいい相手ではないような気がします」
「何を言う?記憶喪失だとしても、生まれは変わらぬ。帝国の血を引いた姫であるぞ」
「姫ですか……なんだか夢を見ているようです」
クラクシオン皇太子殿下は、わたしの頭を撫でだした。
「辛い思いをたくさんしてきたのだ。ここで心と体を休め、本来あるべき場所に戻るべきではないか?誘拐して、人質にした国には、もう戻す事はできない。わかるね?」
わたしは頷いた。
「あちらの、国王陛下には、それなりの罰を与える」
「国を滅ぼすの?」
「そんなことをしたら、マリアナが悲しむ。その為に、マリアナに国務をさせていたのだろう。堤防を造り、ダムを造り、人々が住みやすいようにしてきたのは、マリアナだ。ドゥオーモ王国を攻めれば、少なからず国民が亡くなる。それをマリアナは望んではいないであろう?」
「できれば、お許しください。わたしは、幼い頃から国務をして、国民が幸せになれるように心血を注いできました」
「それがドゥオーモ王国の国王陛下の目的であっても、マリアナが悲しむことはしない」
「ありがとうございます」
「さあ、お茶が飲み頃だよ。飲んでごらん。美味しいお茶だよ」
「はい」
わたしは、クラクシオン皇太子殿下が淹れてくれたお茶を飲んだ。
とても香りがよく、美味しい茶だ。
「とても美味しい。こんなに美味しいお茶は初めてかもしれません」
「この国の貴族の間では、一般的な紅茶だ。子供の頃に飲んだと思うが、紅茶の味では、さすがに記憶は戻らないか」
「ごめんなさい。わたしの記憶に残っているのは、母様が亡くなっていく姿だけです。母様が真っ赤に染まって、母様はご自身が意識を失うまで、わたしの名前を呼んでいました。母様の腕の中で、わたしも意識を失ったのです」
「母君は、命をかけて、マリアナを助けたのだな。まさに医師の鏡だ」
「この国には肖像画などは残っていませんか?」
母様に会いたい。
本物の父様にも会いたい。
「肖像画もあるが写真が残されている。明日、見せよう」
「ありがとうございます」
わたしは、深く頭を下げた。
クラクシオン皇太子殿下は、わたしの両手を掴んだ。
「マリアナは、俺の婚約者だ。もっと気楽に話せばいい。頭も下げる必要はない。俺のことは、シオン、もしくはクラクシオンと呼んでくれ」
「いきなり無理です」
「敬語もなしだ」
「困ります。わたしは、今の今まで、ドゥオーモ王国の王太子妃として、この帝国に来たのです。まだ王太子妃だと思いますし」
「ほんの少しだけ待っていてくれ、すぐに自由の身にする」
「お願いします」
わたしは、やはり、深くお辞儀をした。
そんなわたしを見ながら、クラクシオン様は寂しそうにしていらっしゃいました。
「では、食事を運ばせよう。ここで、一緒に食べよう」
「一緒にですか?とても緊張します」
「これから、共に食事をしよう。そのうち、客人も追い出す」
わたしは、苦笑を浮かべた。
クラクシオン様は、きっと思いがけない罰をお与えになるのだと、クラクシオン様のお顔見ていたら想像をしてしまった。
国は滅ぼさないが、わたしを殴って、蹴りまで入れたことは、きっと許さないだろう。
クラクシオン様が二度手を叩くと、メイドと白い服を着たシェフが部屋に入ってきた。
テーブルの上のティーカップを片付けて、消化の良さそうな料理が並んでいく。
ドゥオーモ王国では、見かけない高級なフルーツもある。
テーブルいっぱいに並んだ料理を見たら、嬉しくなってきた。
こんなに美しく、たくさんの料理は初めてだ。
「こんなに豪華な料理をありがとうございます」
わたしは、クラクシオン様と皆さんに頭を下げた。
皆さんも、深く頭を下げられた。
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読んでくださった皆様に感謝です!
この度、こちらの作品がアルファポリス第19回恋愛小説大賞にて「優秀賞」を受賞いたしました!
ありがとうございます!!<(_ _)>
ルシェンテ王国の末の王女カタリナは、姉たちから凄惨な嫌がらせをされる日々に王女とは名ばかりの惨めな生活を送っていた。
両親は自分に無関心、兄にも煙たがられ、いっそ透明人間になれたらと思う日々。
そんな中、隣国ジグマリン王国の建国祭に国賓として訪れた際、「鬼神」と恐れられている騎士公爵レブランドと出会う。
しかし鬼とは程遠い公爵の素顔に触れたカタリナは、彼に惹かれていく。
やがて想い人から縁談の話が舞い込み、夢見心地で嫁いでいったカタリナを待っていたのは悲しい現実で…?
旦那様の為に邸を去ったけれど、お腹には天使が――――
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愛された事のない王女がただ一つの宝物(息子)を授かり、愛し愛される喜びを知るロマンスファンタジーです。
●近世ヨーロッパ風ですが空想のお話です。史実ではありませんので近世ヨーロッパはこうだというこだわりがある方はブラウザバックをお願いします。
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【奨励賞】初恋のその先で、私は母になる
妄夢【ピッコマノベルズ連載中】
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第19回恋愛小説大賞にて、奨励賞を受賞いたしました。読者の皆様のおかげです!本当ありがとうございます。
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悪役令嬢にされたので婚約破棄を受け入れたら、なぜか全員困っています
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磨き上げられた床は燭台の光を反射し、色とりどりのドレスが揺れるたびに、まるで花畑が動いているかのように見える。貴族たちの笑い声、楽団の優雅な旋律、そして、ひそやかな噂話が、空気を満たしていた。
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