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4-11 北畠小夜(4)

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 宗広と合流し、白河の関を抜けた。
 この先には相馬と佐竹と言う有力な足利方の武士がいるが、同時に、進むごとに新しく集まってくる武士もいる。その中には相馬行胤や相馬胤平と言う相馬家の有力な武士達もいた。相馬一族の本拠は陸奥の小高だが、その氏族は陸奥と関東の各地に広く枝分かれしており、一族内での抗争も絶えないらしい。

「まずは、斯波家長を見事にかわされましたな」

 かがり火に照らされた地図を眺めながら、宗広が言った。
 山地での野営である。兵達は日の出から日暮れまで掛け通しで、今はほとんどの者が泥のように眠っている。
 他には、和政と行朝、そして勇人がいた。他にも主だった武士で従って来た者は数多くいるが、皆を集めて軍議で話し合うような事がある訳ではない。その日の行軍が終われば、自然に集まって来ただけだ。
 親房は、小夜の侍女達と共に、すでに眠っている六の宮の側に付いている。疲れている事もあるだろうが、そもそも親房はあまり戦の事には直接口を出そうとはしないのだ。

「師行が良くやってくれた」

 行朝がいるので、小夜は男言葉だった。
 師行の動きは、実際小夜の予想以上だった。動き始めてからは距離を隔てた多賀国府と根城では当然軍議の場を設ける事は出来ず、事前に最低限決めていた以外には楓を通してわずかな伝令を出すしかなかったが、どこまでもこちらの願った通りに師行は動き、斯波家長を幻惑してくれた。師行がいなければ、一戦も交えず斯波家長を振り切る事は難しかっただろう。
 細かい話し合いが出来ない状況でも、師行とはどこまでも意思が通じ合っていた。元々の師行の読みの良さに加えて、長く楓を側に付けていた成果が出ていたのだ。
 師行を残す備えはずっと以前からしていたが、最初から師行を留守居の大将として残すと決めていた訳でもなく、陸奥を固めるだけなら宗広や行朝の方が適任かもしれない、と言う考えもある時まではあった。しかし斯波家長が陸奥に入り、その動きを実際に見て、師行以外には任せられない、と最終的に小夜は判断した。
 斯波家長はそれほどの相手だ。宗広や行朝は腰を据えて陸奥を固め、乱すまいとするだろうが、斯波家長は周到にそれを崩そうとしてくる。そしてどこかで意表を突いた大きな動きに出て、陸奥の宮方を一掃しようとするだろう。師行であれば、陸奥を乱れるに任せながらも、最後まで牙城を守り続けるはずだ。

「行朝も評定では損な役割を買ってくれたようだな。楓辺りの知恵だろうが」

「いえ、それがしはいつも通り師行殿とやりあっただけですので。それがしが今更あの御仁とどれだけ罵り合おうとも、誰も気には済ますまい」

 行朝が澄ました顔で答える。

「結局、お主らは仲が良いのか悪いのかどちらなのだ」

「師行殿が一方的にそれがしに突っかかってくるだけです。それがしは特に思う所はありませぬぞ」

 呆れたように尋ねる宗広にも行朝の表情は変わらなかった。大戦の前だと言うのに、いつもの風流人のような態度を崩してはいない。

「しかし斯波家長はまだ後ろから追ってきているようですが」

 和政が口を開いた。征西が決まってからは麾下の軍の支度に掛かりきりになり、出陣後はずっと軍内で小夜の側にいたが、ほとんど無駄な口を利く事は無かった。元々口数の少ない男だが、戦の最中はそれが顕著になる。

「そうだな。だがある程度は師行が抑えてくれるだろう。それに、こちらが鎌倉を抜ければ諦めると思う」

 なるべく乾いた口調になるように、小夜は答えた。

「何故です?」

「鎌倉から京までの道は、敗走した新田義貞の軍を追い散らしながら、足利尊氏が今まさに通っている道だ。しかもすでに新田義貞が一度逆に鎌倉に向けても通っている」

「では、我らは」

 そこまで言って、和政は口をつぐんだ。宗広も行朝も、小夜の言いたい事を悟ったようで、黙っている。勇人の表情は、伺い知れなかった。
 軍勢は行軍しながら、道々にある村から兵糧を摘発していく。金で買う事もあれば、無理矢理に奪って行く事もある。行く先に兵糧を得られるような村が残っていなければ、街道を外れて、進軍を遅らせてでも兵糧のある土地に向かい、軍を養う。
 当然、幾度も軍勢が通り、兵糧が奪われ尽くされた土地では、それだけ行軍が困難になる。
 奥州軍も出発前に相当量の兵糧を陸奥で摘発し、輜重も連れてはいるが、増え続ける全軍を支えるための兵糧を事前に準備して運ぶなど、到底無理な話だった。
 奥州軍と比べれば陸奥での基盤がまだ浅く、さらに後を追う立場になる斯波家長は、さらに兵糧の面で困難を味わう事になるだろう。
 道中にどれほどの農村があるのか、収穫の見込みがどれほどなのかは、その土地の武士や忍び達に命じ、二年を掛けて調べさせていた。三度の軍勢が通った後でどれほどの兵を養えるのかも、見当は付けてある。

「これより半月の内に、京を目指す」

「それは、いくら何でも」

 行朝が堪えかねるように口を開く。

「途中で兵が死にます。道中の農民達からも、食料を奪い尽くす事になります」

「分かっている」

「では」

「分かっているのだ、行朝。だが、京は半月以上は持たぬ。そして京が落ち、朝廷が足利尊氏に屈するまでに間に合わなければ、この征西は何の意味もない」

 自分がどれだけ残酷な事を言っているのかも、小夜は分かっていた。ここから東に軍勢を進めると言うのは、冬に向けて備えている民達の命を搾り取りながら進むと言う事だ。そして後から来る斯波家長を止めるために、出来る限り徹底的にそれを行わねばならない。
 行朝はさらに何か言いかけたが、うつむいた。

「しかし」

 代わりに宗広が口を開く。

「あまりな略奪を許せば、兵達の統率が悪くなります。自分達は賊徒と変わらぬ、と思ってしまいますので。却って迅速な行軍は難しくなるかと。民を殺せと命じているのと、変わらぬのですから」

 言葉は苛烈だったが、宗広の口調は行朝と比べて冷静そのものだった。無理な略奪を止めたいと思っているのかは、分からない。

「兵達に徹底させよ。定められた刻限の間、食料を奪う事以外は決して許すな。従わぬ者は斬れ。そして自分達は朝廷のために、主上のために昼夜を徹して、あらゆる手立てを尽くしてただ駆けねばならぬ軍勢だと説き続けよ。民達から食料を奪うのも、そのためだと。この戦で朝廷が勝ち天下が平定されれば、民達にも十分な報いがあると」

 戦で人を殺す事を誇れるのは、それが殺し合いだからだ。自分も相手も同じように死ぬ可能性があるから、それが自分の強さと勇敢さの証明になるのだ。だから武器を持たない民から一方的に食料を奪い飢え死にさせるのは、兵を卑屈にさせるか、荒ませる。そしてそれはどちらにしろ兵に自分達を軽んじさせ、それを命じた武将を軽んじさせ、軍その物を軽んじさせる。
 ならば自分達がやっている事は崇高な誇り高い事だと、どうにか兵士に思い込ませるしかなかった。
 京から遠く離れた陸奥の武士達は、総じて朝廷の権威や帝の高貴さと言う物に対する憧れが強い。
 宗広が大きく息を吐いた。

「兵達を、狂わせますか」

「それしかない。兵も将も、皆で勤王の志に酔い、狂うしか、この行軍は成し遂げられまい。奥州軍を獣にするのだ。人の心の無い獣に。ただその獣を、勤王の志で飼いならす」

 どこまで兵を狂わせられるか、自分達将がどこまで自分自身を騙せるか、この上洛はその勝負だった。
 ずっと、心の中で考えていた事だった。この場にいる誰にも、親房にも楓にも今まで一度も語った事がない。事前に語って反対されれば、自分が折れて何か他の手段を探そうとしてしまうだろうと言う予感がしていたからだ。
 今はもう、引き返せない所まで来ている。
 口に出してしまえば、胸が痛かった。陸奥守として着任し、兵を率いるようになってから多くの人間を死なせてきた。その度に胸が痛んだが、慣れようとしてきた。今はそれとは別の、激しい痛みがする。

「明日の朝、主だった将を集めます。出来れば、顕家様が自ら勤王の志を改めて説いて頂きたい」

 宗広が言った。目には諦めのような光が少しだけ宿っている。行朝は一度唸るような声を出したが、それ以上は何も言わず、頷く。和政は一度口をつぐんでから、最後まで、黙ったままだった。

「分かった、そうしよう」

 三人とも、言いたい事はいくらでもあるだろう。それでも、そのほとんどを心の中に押し込んでいる。
 自分がやらなくても、この乱世が続く限り民は苦しみ続ける。冬を越せず飢えて死ぬ民も、毎年出続ける。どうせ出る犠牲なら、先へと繋げる事を考えるしかない。
 そんな風な言い訳の言葉はいくらでも思い浮かんだ。口には出さない。これから実際に死ぬ農民達相手には、先への希望など何の意味も無い言葉だからだ。
 実際に自分の下で戦う将兵達には、そんな言葉も必要なのかもしれなかったが、目の前にいる四人には、恐らく必要が無い言葉だった。

「さて、明日も早くなります。顕家様もお休みになられるといいでしょう」

 宗広はそう言い、行朝を促して自分の野営地へと戻った。和政も一礼して、夜間の警固の指揮へ入る。小夜と勇人だけが、その場に残った。

「私は、傲慢で残酷な人間だと思う?勇人」

 自分ももう何も考えず寝ようと思ったが、気付いたら口に出していた。何故勇人を選んだのかは分からない。ただ勇人も自分の言葉を待っていた気がした。

「そうかもしれないね。ただそうだと言われても、君は止まりはしないだろ」

「そうだね。陸奥守である以上、今更投げ出せない。そうするには、政にも民の生活にも関わり過ぎたし、戦で人も殺し過ぎた」

「宗広殿達も敢えてそんな事言わなくても、十分に分かってると思うよ。だから君も何も言わなかったんだろうけど」

「それならそれでいい、と思えないのは、私の弱さかな」

「やり切れないなら、僕にでも和政殿にでも親房殿にでも吐き出せばいいさ。楓がいれば、あの子が一番適任だったんだろうけど」

「和政は困るだろうね。どこまでも真面目だから。お父さんは、辛いのならやめてしまえ、と本気で言うかもしれない。そして私がやった事の後始末を代わりにしようとすると思う」

「困ったな。今君の愚痴に上手く付き合えそうなのは僕だけか」

「愚痴って」

 愚痴と言われてしまえば、確かにただの愚痴だった。何を言っても、自分がやると決めた事は結局変わらないのだ。しかしはっきりそう言われてしまえば、釈然としない物が残る。

「愚痴だと思えば、愚痴さ。君の心が耐えられないなら、もっと深刻な事になる。人間が心に抱える闇って言うのは、そんなもんだと思う。誰もそう思い切れないから、心の闇に押し潰されてしまうんだろうけどね」

 北の地の青い月明かりに照らされてそう語る勇人の表情は、どこか物悲しかった。ただ皮肉げに語っているのではなく、目には諦めと寂しさが宿っている。

「勇人自身の事?それは」

「自分は一生この哀しみと苦しみを背負って生きて行かなくちゃいけない、と思っていたはずなのに、ふとした瞬間にそれを忘れている自分に気付いて、その自分の浅ましさに何もかもが嫌になる時があるのは確かだね。けど、君は僕とは違う。僕の哀しみと苦しみは僕の不運と愚かさと無力さが招いた物だけど、君の哀しみや苦しみは、君が望んで背負って、他の人間に望まれて背負った物でもあるんだから」

 誰に望まれたのか。宗広や師行を始めとする武士達も、影太郎のような忍び達も、自分になら世の何かが変えられる、と信じて付いて来てくれたのでは無かったか。

「盛光殿に会った後、昔世話になった、五郎の村を訪ねたよ」

 勇人が話を変えた。勇人に従者のような形で付いていた五郎は、今は陸奥に残っている。小夜からも楓に面倒を頼んでおいたので、何かあっても大丈夫なはずだ。

「秋の年貢はもう納めているのに、この遠征のためにさらに兵糧を摘発されて、大変そうだった。長がそれを見越して、稗や粟、野菜に木の実、乾物まで準備させてたから、何とか冬は越せそうだったけれど」

「陸奥でもそう言う状況なのは知ってるよ。この遠征がどれだけ民を苦しめているかは、知ってる」

「あの長はとても頭のいい人間だと思う。山の中の小さな村に住んでいるのに、世の中がどういう風に動いていて、何をするべきか見極めてる。けど同時に、諦めてもいる」

「諦めてる?」

「あの人に取っては、君の遠征も、不作や疫病と同じような、人間の力ではどうにもできない、ただ備えるしかない不条理な災害と同じなのさ。逆に君が陸奥で敷いていた善政も、あの人に取ってはたまたま豊作の年が来たのと、大差ない。あの人は人間の力で、この世の中の不条理な哀しみや苦しみが消えるなんて思ってない。世の中の悪さは人間の生来の愚かさが原因で、それが消えるなんて思ってない。それは、個々の人間の責任を否定して、運命のような大きな力の存在を肯定して、最後はそれに屈してるだけだ。けど君は違う」

 勇人が真っ直ぐにこちらを見詰めて来た。目に宿っている諦めと寂しさの色が、かすかに薄れた。

「自分ならこの世を変えられるかも知れない。自分なら流した血と奪った命に見合っただけの未来を掴み取れるかも知れない。傲慢でも残酷でも、君はそう信じてる。そして君に従う人達も、君なら、と思っている。そして僕も、君にはそう信じ続けて欲しいよ」

「この時代の人間じゃない勇人まで、どうして?」

「傲慢でも残酷でも、それでもそんな風に生きられる君が好きだからさ。僕とは違い過ぎるからね」

「傲慢でも残酷でも、か。嬉しいけど、酷な事言うね」

 少しだけ気は楽になっていた。自分がこれからやる事の意味を理解して、それを憚りもせず傲慢で残酷だと言い、それでもそんな自分の事が好きだと言ってくれる人間がいるのだ。
 理想だけでは何も出来ない、と口で言うのは簡単だった。理想のための手段として現実の汚さや狡さを利用していただけだったはずなのに、人はいつしかその汚さや狡さに染まってしまう。
 自分はこの先、いつまで勇人が好きな自分のままでいられるのだろうか。

「さ、今日はもう寝よう。明日からもっと厳しい行軍になるんだろ?身がもたないよ」

 勇人が言った。小夜も頷く。勇人は穏やかな表情である。もうその目には諦めも寂しさも無かった。消えたのではなく、隠したのだと言う事がはっきり分かった。
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