時の果ての朝~異説太平記~

マット岸田

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5-1 建速勇人

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 苛烈な行軍になった。
 馬も兵も、皆駆けている。勇人は先頭を行く小夜に取り残されないように必死だった。夜は兵糧を取り、倒れるようにして眠っているが、疲れが抜けきるには程遠い内に目覚め、また進みだす。そんな日をもう一週間以上繰り返している。
 朝雲の背にいる自分ですらそう感じているのだから、徒歩で進んでいる兵達の疲労は相当な物のはずだった。明日は元旦だが、軍が止まる事は無い。
 そして道中では、騎馬が先行して食料がまだ残っている農村を見付けては軍を進めて摘発すると言う事を繰り返している。勇人が見る限りでは必要以上に乱暴な事はしていないようだが、食料が無ければ農民達が飢えて死ぬのは変わりなく、兵達がそれを淡々と秩序だって行っているのが逆に不気味だった。
 関東に入り、鎌倉が目前に迫っていた。途中では足利方の武士達が何度か立ち塞がったり、背後を突こうともしてきたが、小夜はその度に宗広や行朝に兵を預けて打ち払わさせるだけで、意に介す様子も無かった。
 唯一、白河の関を抜けた少し後に伊賀盛光の軍勢が現れ、六の宮が乗った輿を擁する親房の軍勢を狙う構えを見せた時だけは、小夜自身が後衛に回り指揮を執ったが、それも本格的なぶつかり合いにはならずに、盛光はすぐに退いた。
 盛光は六の宮を奪う事で小夜を引き返させたかったのだろう、勇人は思っていた。

「足利は最初から関東をろくに守る気が無いな」

 馬を寄せてきた親房が話し掛けてきた。親房は普段は六の宮と共に輿に乗り、最後尾の軍の指揮を執っているが、こうして馬に乗って身軽に軍中を移動してくる。
 輿を利用しているとは言え、楽な旅では無いはずだったが、親房は見る限りでは若い兵よりも元気そうだった。

「鎌倉には軍勢が集まっていると聞きましたが」

「留守を任されている尊氏の小倅を担いでいる者達が多少の意地を見せようと言う所だろう。大した戦にはなるまい」

「鎌倉は、武士にとって重要な土地なのではないですか?」

 北条時行が関東で叛乱を起こして以降、誰が鎌倉を抑えているのかに皆が注目していたはずだった。しかし今は鎌倉など半ば忘れられたようになっている。
 この時代の人間にとって特定の土地が特別な意味を持つのは、勇人にも理解できた。しかしその機微を掴み切る事は出来ない。

「北条時行、正確にはそれを担いでおった者達は鎌倉を取れば戦に勝てると思っていただろうな。新田義貞もそう思っていたかも知れん。大将だけでなく下に付く者や周りで見ている者も皆そう思えば、戦ではそう言う事は大きな力になる事がある」

「そうならない事もある、と?」

「戦を戦うのは、結局人だ。そして人の心は最後では目に見えん。人には、目に見える物を動かす事しか出来んのにな。目に見える自分の動きが見えない人の心までどう動かすか、逆に見えない人の心が目に見える物をどう動かすか、それを良く分かっているのが足利尊氏と言う男だ」

「鎌倉を守る事はもう人心を掴むために重要な事ではないと足利尊氏は判断したのですね」

「鎌倉を捨てても大勢に影響は無い、それよりも今は全力で京を取る事だ、それで天下の武士達は自分を主と認める。そう思い切れてしまい、そして後から見てもその判断に誤りが無いのが、あの男の恐ろしい所だ。簡単に言ってしまえば自分が人からどう見られているかがいつもちゃんと分かっている、と言うだけの事だが」

「勝てますか、小夜は。そんな相手に」

「恐らく勝てる。今回は、だが」

「何故です?」

「京には楠木正成がいて、京の近くには比叡山がある。尊氏がいくら必死で戦おうとも、これから半月で出来るのはせいぜい京を奪う所までで、宮方の兵を全て駆逐して、主上が逃げ込まれる比叡山を落とすまでにはもう五日か十日ほどはかかるじゃろう。それまでに奥州軍が京に辿り着けば、小夜が主力になり、正成の軍略を活かして戦う事になる。そうなれば、勝てる」

「楠木正成と言う人物とお二人は一体どう言った関係なのですか?正成殿がそこまでの人物で、親房殿も小夜も信頼しておられるのなら、もっとしっかり連携してもいいように思うのですが」

 ずっと気になっていた事を勇人は口に出した。楠木正成は勇人でも良く知っているほどに歴史に名を残した名将だ。しかし小夜は自分の前でほとんどその名前を口に出した事は無かった。下級武士であるから気にも留めていないのか、とも思っていたが、むしろ彼女にとって特別な存在であるから、口に出したくなかったのかもしれない。

「それは、小夜本人に聞いてみればどうだ?あれが誰と組んで戦をするかは本人が決める事だ。わしは戦の事については口は出さん」

「僕の前ではほとんど名前すらあの子は口に出さないんですよ。だから聞き辛くて」

「ふむ」

 勇人がそう言うと、親房は考え込むそぶりで西の方を見やった。関東の原野である。勇人の時代は高密度の街と農地で交互に埋め尽くされている土地だが、この時代は恐ろしく広い。

「まあ今更お主を相手に隠すほどの話でもあるまいか。北畠具行と言う名は知っているか?」

「少しだけ。倒幕の戦の時に幕府によって処刑された主上の側近だとは」

「そうか。具行の名前も、お主の時代に残っているか」

 勇人の言葉に少しだけ親房は笑みを口角に浮かべた。
「具行は北畠の一族の一人で、わしが出家した後、小夜の後見もしておった男だ。わしより遥かに民草に対して真摯に目を向けており、民の苦しみを少しでも除く事が朝廷の本来あるべき役割だと、本気で信じて疑わないような男であったよ。わしよりあの男の方が、考えの上では小夜に近かったのかもしれん。あの男にとっては倒幕の企みも、ほとんど民のための物だったのだろう。そして、正成を見付けて、大塔宮やわし、小夜と引き合わせた男でもあった」

「その時から、北畠と正成殿にもつながりが」

「わしや具行も含めて、机の上で学問を学び、宮中であれこれ謀を弄ぶ事しか知らなかった人間達に、様々な事を教えてくれた男だった、正成は。正成がいなければ倒幕の計画も、ただの主上と公家の火遊びで終わったであろう。民を救うと言いながら、実際には土を耕した事すら無いような公家達だったからな」

「それが何故、今はしっかりとした繋がりが無い関係になってしまったんです?」

「正成は心の中に強い志を抱いていた男だったが、同時に恐ろしいほど冷徹に現実も見ていた。例えどれだけ民に対して純粋な志を抱いて幕府を倒そうと、その後に出来る新たな政もやはり民を苦しめる事になるだろう、と。その冷徹さを動かし得たのは、具行と、大塔宮と、そして主上の三人だけだったのだと思う。正成は具行と大塔宮の二人と共に夢を見る事を選び、そして帝と言うこの国にたった一人の存在に賭けたのだ。志ではなく、人があの男を動かした」

「しかしその三人の内一人が先に死に、残りの二人も命を奪い合うほどに対立してしまった、と言う事ですか」

 親房は小さく頷いた。

「自分の志ではなく、他人に全てを賭けてしまった。そして賭けた相手が二つに分かれてしまった。一つだと思っていた志が二つに割れてしまった。それが、あの男の不幸だと思う。その気になれば、自分の思うままにこの国を動かせるほどの才覚を持った男がな」

「小夜なら、新たに正成殿が賭ける人間になる事が出来るのでは?」

「出来るだろうな。だが、正成は大塔宮と主上のどちらかを、あるいは双方を捨てたりする事が出来る男ではない。例え大塔宮が亡くなった今であってもだ。それが出来るのなら当の昔にどちらかを選んで、もっと賢い動きをしているだろう。小夜が正成を味方に付けようとしても、正成に新たな三人目の主を作ろうとするような物だ。二人の主の間で引き裂かれるような苦しみを味わっている正成を、さらに苦しめる事にしかならん。それが分かっているから、小夜は正成に必要以上に近付こうとはせん。あくまで、同じ朝廷の臣と言う立場で共に戦うだけだ」

「死にますよ、楠木正成は」

 思わず、口に出していた。

「今から半年後に、湊川の戦いで」

 言ってから、何かとんでもない事をしてしまったような思いに囚われたが、それを聞いても親房はやはり小さく頷いただけだった。

「そうか。そこが正成の死に場所か」
「止めよう、とは思わないのですか?」

「正成は戦場では死なん。本人が死のうと思わん限りは、例え死んでもまた生き返る。そんな男だ。その正成が死ぬと言うのなら、その時、その場所で死ぬ事をあの男自身が選んだ。そう言う事だろう。他人に、止められる物か」

「分かりません、僕には。小夜と正成殿が組めば足利に勝てる、と親房殿は思われているのでしょう?それなのに、何故その勝ちをすんなり諦めてしまえるのか。どうして、それほどの人間が死ぬのを止めようと思わないのか」

「変わったな、勇人」

 親房が微笑んだ。初めて見せるような表情だ。そして、自分が今まで生きてきて向けられた事のないような笑みだった。

「親房殿まで、そう言われるのですか」

「以前のお主なら、死に場所を探している人間と、それを見送ろうとしている人間の気持ちはすんなり分かっただろう。あるいは、すんなり分かったつもりになって、すぐに考えるのをやめただろう、と言うべきか」

「耳に痛い。自分ではそれほど変わったつもりはないんですが」

「納得できないと思うのなら、京で実際に正成と会って見るがいいだろうな。だが、話す内容には気を遣えよ?下手な事を言って正成を傷付け、小夜に嫌われてもわしは知らんからな。小夜の奴は自分の事には寛大だが、他人を傷付けられると根に持つ所があるからな」

「何でそこで僕が小夜に嫌われる嫌われないの話になるんです」

 親房は最後は冗談の中に紛らわせた。親房自身にとっても、微妙な問題であるらしい。それでも、ここまで話してくれた。

「まあそれも全ては京に辿り着き、戦に勝ってからだ。ああは言ったし、お主はこの先の戦の結果は知っているのだろうが、実際に戦って勝てるとはそれでも限らん。この戦で何をするつもりで付いて来たのかは知らんが、せいぜい死なぬようにはしろよ。逆に次の戦で尊氏を討ち取れば、それでこの先のこの国の歴史は恐らくお主が知っている物とはまるで違った物になるのだろうが」

「分かっていますよ。命を惜しむ気はありませんが、無駄に死ぬ気もありません」

 勇人の言葉に、親房はまた微笑んだ。父親が子どもに向ける笑顔とはこう言う物なのかもしれない、と思った。やはり自分は知らない表情だ。
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